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第8章 ナンシー 

2 旅路1

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「黒猫君、すごいよ、今度は川だ!」

 私は子供のように移り変わる景色を見てはしゃがずには居られない。だって今まであの砦と街の間くらいしか私は知らなかったんだから。
 砦に抜ける道よりももっと手前の所に森の中へと続く道があった。周りの木が盛んに茂り始めてて今まで気づかなかったけれどこちらの方が道幅は広い。所々荷馬車が通れない所はバッカスとその仲間達が一緒に歩きながら片付けてくれた。
 途中からその道がこの前の湖に繋がる川のすぐ横を並走し始める。バッカスに言わせるとこっちは支流で本流はもっと北の方を流れているのだそうだ。

「バッカス、この川って魚いるの?」

 バッカス達は私達の馬車の横を歩いてる。城門でアルディさんと合流してからはアルディさんとカールさんが御者台に座った。お役御免のキールさんは私達と一緒に荷台に座って川を見てる。
 荷台は軽トラくらいのスペースがあるから平らな荷物の上に腰掛ければ十分座るスペースはある。
 馬車を引いてくれてるのはすごく大きな農耕馬だ。馬は本当は農村の石臼を引くのに必要なんだけど、黒猫君の風車ふうしゃのお陰でで少し余裕が出来たのと水車小屋の建設が始まったのとで一頭貸してもらえたのだ。
 ただ最初はバッカス達に怯えて大変だったけど。

「居るがかなり数が減っちまった。ほら上流の俺達の住んでた森で人間が掘った穴から流れ出る水に森が汚されたって言ったろう。ここもその支流の一つだからな」

 私は黒猫君の顔を見る。こちらを見返す黒猫君の表情が暗い。

「しばらくこの辺りの魚は食べないほうが良いだろうな」
「ああ。まあどの道街の人間は魚を食わないからこっちは大丈夫だが……」

 相槌を打ったキールさんがちょっと心配そうにバッカス達を見る。それにバッカスが肩をすくませて答えた。

「俺等は北の始末見てから魚は食えなくなっちまった。実際不味いしな」
「そうなんだ」
「でも上流での汚染はマズイな。長期的には農作物にも影響が出るかも知れない」

 黒猫君の不安を誘う言葉にキールさんも難しい顔をする。
 ナンシーの後は北の森って言ってたもんね、黒猫君。きっとこの後に行くつもりなんだよね。
 でも今回の旅を見ても私が一緒じゃ足手まといになるのが目に見えてる。
 一緒に行きたいけど諦めるべきかな。

「もうすぐ森を抜けるがバッカス、あんたらどうする? 俺たちと一緒に北上するか?」
「いや、今回は付いてくのは俺だけだが俺は街道沿いの森の中を進むわ。どうも人気の多い街道は近寄りたくねぇ」
「そりゃそうだよな」

 黒猫君が頷いてキールさんが手を上げてバッカスに告げる。

「夜は森に近い所に野営するからそこでまた会おう」
「オッケー。もし何かあるようなら呼んでくれ。街道からの距離なら聞こえるだろ」
「分かった」

 走行するうちに森が薄くなり道の先に開けた草原が広がる。
 真っ平らじゃなくて幾つもの丘陵が先の先まで続いてるのが見え始めた。所々に小さな森もあるみたいだ。私達が今通ってきた道がそれほど遠くない所でより幅の広い街道にぶつかってるのが見える。

 森の端でバッカスと一旦別れた。他の狼人族のみんなとはしばらくのお別れ。
 別れ際みんなに「帰りは絶対森によってけ」と誘われた。
 でもみんな、その誘う時に私の手を見て言うの、止めようよね。

「そういえばここから反対に行くと中央なんですよね?」

 バッカスと別れてちょっと寂しい私は丘を越えてどこまでも続く道を見渡してキールさんに尋ねた。

「ああ。この先にもまだいくつか小さな街はあるがな。ナンシーとの間にはもう街らしい街はない。小さな農村の集落があるだけだ」
「街道って割には人通りはねぇんだな」
「少なくとも以前はもう少し人がいたんだが……」

 キールさんが人気の無い街道を見渡して少しいぶかしげにそう言うと前の御者台からアルディさんが答えた。

「まあ、まだ収穫祭には早いですしね。今たまたま人が居ないだけじゃないですかね」

 アルディさんはそう言ったけど、結局それからどこまで行っても誰とも行き合わせない。

「キール、ナンシーは安全な所なんだよな?」

 黒猫君が少し不安そうに尋ねる。

「ああ、まあ街が大きいからそれなりに治安の問題はあるがな。俺が隊長をやってた護衛隊がそれなりに抑えてた。『連邦』も居るがそこまで活動は活発じゃなかった」
「でもそれってキールさんがいた半年前の話ですよね?」

 私の問いに少し眉を顰めながらもキールさんが首を振る。

「ああ。あれから半年でそこまで変わってるって事も無いだろう」
「そうだと良いがな」

 街道に出てからはなだらかな丘陵とそこここに見える森が続くだけで変わりばえのしない景色が続いた。
 それでもしばらくは遠くに見える鹿や飛び立つ鳥に一々騒いでいたけど、一時間もする頃には飽きて来た。暖かい日差しの下、ガタガタと規則正しい振動で揺られながらする事もないとつい眠気が襲ってくる。
 これって長年の電車通いの賜物だよね。
 かくんっと身体が落ちそうになる度に黒猫君が押さえてくれる。
 最初は恥ずかしくてすぐに起きてたんだけど、数回やってるうちにもういいやってなった。
 結局私を支えてくれてる黒猫君をソファー代わりにいつの間にか私は眠ってしまっていた。


 * * * * *


「なあキール、ナンシーってのは何がある街なんだ?」

 すっかり寝ちまったあゆみの体を遠慮なく抱き込んで落ちない様にしてから荷台で剣を肩に引っ掛けて街道を見守ってるキールに尋ねると、チラリとこちらを一瞬見やって、またすぐに街道に目を向けながら答え始めた。

「あそこはいわゆる物流の中継地だな。北の鉱山地帯から川を下ってくる物資や獣人族の村で捕まえてきた奴隷を中央の奴らに売りさばいてる。北から流れてくるフォーレス川が街の中に引き込まれてて街道との交差地点として物資のやり取りが盛んなんだ」
「……奴隷商売かよ」

 嫌なもん聞いちまった。俺は顔を顰めながら先を促す。

「他には何売ってるんだ?」
「まず麦だな。あそこは東のヨークに次いで国を代表する穀倉地帯だからな。ヨークとナンシーで中央の消費する麦の半分以上を賄っている」
「ヨークって言うとこの前の髭オヤジの所か」

 キールが無言でうなずいた。

「他の地域の産物で主に取引されているのは北の鉱物と木材だな。鉄もあるが魔石が特に重要だ。他にも銀が少し取れる。こっちは王家直通の別ルートで取引されるがな」
「お前とんでもない所の隊長やってたんだな」

 俺が呆れた声で返すとキールが肩をすくめた。

「仕方ないさ。逆に言えばあそこを抑えておけばエルフや獣人がやたらに殺されないで済む」
「何で殺すんだよ」

 俺の問いに暗い目でキールが返えしてきた答えは一層物騒な物だった。

「狩りさ。下衆げすな貴族共は放っておくと狩りだと言ってエルフや獣人族の村を襲いに行く。教会の教義で許されちまってるからな。それをあの街が奴隷の販売を一手に取り扱って、あの街を通してのみ売買する事を条件に既得権の侵害を盾に牽制してるのさ。」

 ……つくづく嫌な世界だな。人間の欲が全く制御されてない。
 そう考えてからふと思いつく。俺たちのいた世界も過去には下手したら同じような物だったのかもな。
 口を閉ざした俺の反応を見てキールが言葉を続けた。

「決して最善の方法ではないが、村ごと皆殺しをする連中を放っておく訳にも行かない」
「……あゆみが寝ててよかったな。こんな話聞いたらまた何を企みだすか分かったもんじゃない」
「そうだな。そう言えばネロ、お前結局あゆみに言えたのか?」

 突然こちらを向いたキールが思い出した様にあまり嬉しくない話題を振ってきた。
 つい膝の上で暢気に寝てるあゆみをチラリとみてフッと目を反らしてしまう。

「……まだだ」
「あんだけ時間あったのに何をしてるんだ」
「……ナンシーから帰ったら伝える」

 キールの少し責める様な声音に苛立ちながら答えるとキールが呆れた目でこちらを見返した。

「そうやってる間にあゆみに逃げられても知らねぇぞ」
「…………」

 言われなくたってそんな事は分かってる。
 キールの問いただすような視線を感じながらも俺は黙り込んで森を見た。
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