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第8章 ナンシー 

1 出発

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「おい、こっちの荷物はどうするんだ?」
「それも積み込んでくれ」

 黒猫君が手伝いに来てくれた兵士の皆さんを使って荷馬車の積み込みをしている間に私は個人台帳の今後の作業手順を木片に書き続けてる。結局私も何としても行きたくて仕事をちゃんと引き継ぐことを条件にキールさんを口説き落としたのだ。それとは別に黒猫君からは絶対に一人で動かないことを誓わさせられたけど。

 あの後黒猫君はまる一日使い物にならなかった。やっぱり尻尾はやり過ぎだったかなぁ。
 でももしかするとお腹の中に入ってたお酒が電気分解されてなんかヤバイことになってたのかも知れない。次の日すっかりお酒の抜けた黒猫君は執務室に転がってた酒瓶を綺麗に片付けて私を待っていた。
 そこからはお互いもう何もなかった様に今まで通りだ。私は個人台帳と水車小屋の設計に忙しくて、黒猫君は白ウイスキーの交渉で忙しくて一日の殆どをそれぞれ別々に過ごしていた。
 たまに執務室に来る黒猫君は以前と変わりなく、ちょっとホッとしながらも少し物足りない思いでやり合っている。

 夫婦ということになってしまった私達への対応は、最初こそ何人か噂話程度に聞いてきたがすぐに落ち着いて結局前と変わりなくなっていた。
 私自身の気持ち以外は……

 でも黒猫君、「ナンシーから帰ったら」って言ったよね?
 まさか忘れてないよね?

 そんな個人的な事情はさておき、白ウイスキーも無事味が決まって量産が始まり、最後は結局私も黒猫君と共にドンタスさんの家に泊まって発酵のお手伝いをしてきた。なんて言っても本当にそこに居るだけだったけどね。私も折角だから作業のお手伝いしたいって言ったら黒猫君にすごい剣幕で「お前は絶対に触るな!」って怒られた。
 西門のすぐ内側にあるドンタスさんのお宅はそれは大きくて、すぐ隣のウイスキー工房からいつもお酒の発酵する匂いが漂っていた。この前の事もあって黒猫君はドンタスさんを警戒してたみたいだけど、奥さん達がいる自分の家で変な事をする筈もなく何事も無く一晩を過ごして帰ってきた。帰りがけにお酒の出来の速さにドンタスさんが小躍りしてたのは言うまでもない。

 あとタッカーさんにも会ってきた。
 私を見たタッカーさん、まるで興味無さそうにそのまま無視しようとした。でもどうしても伝えたい事があった私はそれもお構い無しに言う事だけは言ってきた。
 最後に牢から私が見えなくなった辺りで静かな嗚咽が響いてた。

 水車小屋の建設は昨日始まった。
 黒猫君に連れて行ってもらったけど、街の外の戦闘ですっかり受け入れられちゃったバッカス達はもう私無しでも問題なさそうだ。
 バッカスは話を纏めるだけまとめて後はハビアさんとアントニーさんに任せて直ぐに狩りに行っちゃった。ちゃらんぽらんな様だけどバッカスの判断は正しいと思う。ハビアさんとアントニーさんはバッカスよりかなり年上、人間年齢で40歳位。バッカスとは違って二人共ちゃんと落ち着いてるし、この二人なら水車小屋の作業も根気良く最後まで付き合ってくれると思う。
 バッカスに北に置いてきた狼女さん達と子供たちを連れて来なくていいのか聞いた所「いま繁殖期に入ったから動きたくないって断られた」って膨れてた。ナンシーに一緒に行って返ってくるまでにはどの道まだこっちに来てもらえそうもないらしい。まあそれでも奥さんのいる狼男さん達は足蹴く北に通っているそうな。

 もう一つ驚いたのが治療院の院長先生。いつの間にか居なくなっちゃってた。テリースさん曰く「いつもの事です」って事だけど院長先生ってそんなフラフラしてていいの?
 黒猫君はなんか一人で怪しいって言って院長先生の部屋とか勝手に探ってたみたいだけど結局何も出て来なかったそうだ。

 タッカーさんは私の申し入れを受けてくれたそうだ。お陰で個人台帳のお仕事の人手が一人増えた。黒猫君は最後まで反対してたけど、仕事の出来る人殺しちゃっても何の得もないと思うよ。

 あれから結局3日掛かっちゃったけど何とか荷馬車も用意出来て旅の間の食料も準備できて、資金を作る為の酒瓶も沢山積んで後は皆で乗り込むだけ。
 今回はキールさんとアルディさんが一緒に行く。アルディさんの隊長職就任とかキールさんの緊急時統治権の事とかで色々とやらなきゃいけない事があるらしい。ナンシーから来ている残りの近衛隊の皆さんも様子を見て呼び寄せるそうだ。
 テリースさんも行きたがったけどキールさんが反対したのと治療院の人手が無くなっちゃうのとであえなく断念してた。そのかわりキールさんに色々お土産頼んでたみたい。
 あとはアルディさんの部下のカールさんが同行するそうだ。カールさんはアルディさんと並んで背が高い。ガッチリした体つきに軍人さん、って感じの短い髪。
 凄く濃くて黒っぽいけど多分緑色……。
 染めてないんだよね、それ。

「それじゃ、出発するか」
「アルディさんとカールさんは城門で合流?」
「ああ。森の入り口でバッカスもな」

 最初はキールさんが御者。城門でカールさんと入れ替わるそうだ。

「それで黒猫君、これはどういう事だろう?」
「どういうって……荷台しか乗るとこないだろ?」
「いや、荷台に乗ってるのはいいよ、そっちじゃなくて。何で私、黒猫君の膝の上?」
「5分待て。それでも文句あるならどこでも好きな所座ればいい」

 5分後、私は頭を下げて黒猫君のお膝を借り続けることにした。
 だってすっごい揺れるのだ。よくある遊園地の乗り物みたいなのを想像してた私はすぐギブアップした。
 って言うか揺れるだけだったらまだしも、この足だと踏ん張れなくて下手したら荷台から転げ落ちそうで怖い。黒猫君はしっかりと私を捕まえておいてくれるのでシートベルト代わりにもなってる。

「悪いな、せめてもう少し荷台に余裕があれば藁でも敷いてやれるんだがお前の旦那が積めるだけ積めって言ってな」

 キールさん、何時の間にかしっかり私達を夫婦扱いだ。まあ、これも慣れたけどね。もうこれは変わったニックネームを付けられたとでも思う事にした。

「それじゃあパット君、テリースさん、それにみなさんも、行って来ます!」
「2週間以内には戻るからな」
「気を付けて~」
「キーロン殿下をよろしくお願いします!」
「行ってらっしゃい」

 こうして私達は街を後にした。
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