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第5章 狼人族
26 狼人族
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「テリース茶を煎れてくれ」
ここはアルディさんの隊長室。なのに注文を付けたのはキールさん。
お話し合いが決まった時点で私たちはここに来たのだ。バッカスに町中を歩かせるわけにもいかないから。
あの後私達は葬儀を先に終わらせてきた。
元々私のお願いでバッカスが一人で出てきていたわけだけど、実はその為に後ろに一族全員待っていたのだ。話し合いが決まった時点で私からキールさん達にそれを説明した。
「葬儀にはみんな出たいって言ってるんだけど」
キールさん達は少し複雑な顔で頷いた。
まあね。ここで殺された人たちは殺した人たちに葬儀に出られてもうれしくないだろうし。
でも結局こういう事なんだと思う。
ちょっとしたかけ違いで沢山の人が死んだけど、その沢山の人を殺してしまった人たちも別に殺したくて殺したわけじゃなかったし殺したことを後悔しない訳でもないのだ。
どんなに居心地が悪くても私は出てもらって良いと思った。
テリースさんが再度葬送の曲を奏でるとぞろぞろと出て来た狼人族の皆さんが丘を埋め尽くした。みるみるうちに増えるその人数に実はキールさんの顔が少し引きつっていたのを私は知ってる。
「皆大人しくね」
私がそう言えば皆静かに黙祷を捧げ始める。
バッカスも私の隣で黙祷していた。
そう言えばバッカス達、宗教あるのかな? 聞いた事なかったわ。
もう誰も邪魔するものもなく厳かに葬送の曲が平原に響いた。
葬送の曲が終わりを迎えテリースさんが葬儀の終わりを宣言すると狼人族の皆さんは勝手に森に帰っていく。バッカスだけが残って私達と一緒に城門へと向かった。
城門のみんなは顔を引きつらせて待っていた。
もうかなり遠くからバッカスが一緒に歩いて来ているのが見えていたらしい。
キールさんが説明してそのまま人目を避ける様にこっそりと兵舎へ案内された。
「それでどうする?」
キールさんの何か少し投げやりな大雑把な質問に、何故かバッカスも疲れた顔で返事をする。
「どうするも何も俺らは森に住めればそれでいい。あとはあんたらが森を荒らさなきゃもうどうでもいい」
キールさんには何の反論もないようで「そうか」とだけ答えてぐったりとしている。
何でみんなそんなに疲れてるかなぁ。
そこで思い出した様に黒猫君が口を挟んだ。
「バッカス、あんたら何でこの街の周りに移ってきたんだ?」
「……俺達の住んでたところが住めなくなったからだ」
バッカスがそう言って顔を曇らせた。
「俺達がいたのはここよりもっと北の森だ。もうどれくらい前か誰も知らないくらい前から俺たちの一族はそこに住んでいた。豊かで深い森だった。俺たちはそこで静かに暮らしてたんだ。なのに」
バッカスの目が少し厳しくなってキールさんを睨む。
「あんたの一族が俺達の森の近くで山を切り崩し始めた」
「俺の一族ってのは王族って事か?」
「そうだ。掘ってる連中がそう言ってた」
「何を掘ってたんだ?」
「何か黒っぽい石だった。なんでもよく燃えるんだとさ」
黒猫君が「石炭か……」と小さく呟いた。
「あいつらが掘り続けるうちにあいつらの切り崩した山の辺りから臭い水が流れ出すようになった。それが川に入ると俺たちの居た森はどんどん枯れていった」
バッカスが辛そうに話を続けた。
「その内あいつら俺たちの仲間を捕まえだした。山の中を掘るのに力のある者が必要だと言って。最初に掴まったのが女どもだった。それを助け出そうと沢山の男どもが死んだ。結果一族はバラバラになって南を目指して逃げて来たんだ」
「え、じゃあバッカスの群れが全部じゃないの?」
「いや、まだ他にもいるはずだ。もっと西の方に流れたやつらが多かった。俺たちの一族の女子供も少し北の森にまだ待たせている。悪い森じゃないが小さいんだ。ここの森程豊じゃないし」
バッカスの言葉に色々な事が思い出されて私も頬を緩めて相槌を打つ。
「確かにあの森、結構資源が豊富だよね。甘い木の実とか、甘いフルーツとか甘いお芋とか」
「……あゆみ、気のせいかお前前より太ってないか?」
「ひっ! な、何てことを!」
決して口に出してはいけない事を言った黒猫君を私は力いっぱい睨みつけた。するとすかさず優しいテリースさんが間に入ってくれる。
「今のはネロ君がいけませんね。あゆみさんは元々細すぎたんです。もう少し太られてもいいと思いますよ」
「テリース、真実を伝えてやるのも親切だぞ」
「黒猫君後で覚えておいでよ」
私たちの漫才みたいなやり取りに呆れながらキールさんが改めてバッカスに向き直った。
「あゆみの事は放っておいて、森の資源の事だが、お前らこの街の連中が森に薪を取りに行ったり木を伐りに行ったりするのは問題にするか?」
「いや、ちゃんと分かってる奴らがやるなら問題ない。森で迷ったり見境なく切り倒すような奴は止めてくれ」
キールさんが頷いている。
そのままキールさんは今後の防衛とか細かい事決めたかったみたいだけどバッカスが全然聞いてないのを見て諦めたみたいだ。
話に飽きたらしいバッカスがそろそろ座ってられなくなってきてる。
そこに黒猫君が水を向けて森の中の狩場について話し合い始めた。
なんかバッカスやたら黒猫君と仲良くなってるし。二人で森の奥で狩の計画とか立ててる。
あ、そうか。この人放っておくと森に行っちゃうのか。私も甘い物食べられるし森の生活もいいかも──
「ネロ、あゆみ、お前らまさか台帳整理の仕事ほっぽって森に逃げたりしないよな」
思いっきりキールさんに釘を刺されてしまった。
「それにネロ、お前は中央の様子が知りたいんだろう?」
キールさんの言葉にふと思案顔になった黒猫君が難しい顔で答え始める。
「ああ。だけどバッカスのいた所の様子もすごく気になる。多分そこで掘り返されてたのは石炭だ。バッカス、切り崩しが始まったのはどれくらい前だ?」
「確か2年ほど前だ。最初は山に穴掘ってるだけだったんだがな」
それを聞いて黒猫君が嫌そうに顔を歪ませた。
「偶然って事はないよな。キールお前は石炭自体は知ってるのか?」
「聞いたことはある。確か北の方の奴らが主に使ってた。ナンシーにも使っている奴がいたがこの辺は森が豊かだから薪を使った方が効率が良い」
キールさんが振り返ってテリースさんからおかわりのお茶を受け取りながら答えた。
「って事はまだ石炭からコークスは出来てないのか」
「コークスってのはなんだ?」
「コークスが何かに関しては後回しだが時期からして中央の奴が関わってる可能性がある。だがもしそいつがコークスを知らないとするとまともな蒸気機関はまだ当分完成しないと考えて大丈夫だ」
そこで言葉を切った黒猫君が少し真剣な顔で今度はバッカスを見やった。
「バッカス、もしよければあんたの刀を見せてもらえないか?」
黒猫君の言葉に一瞬躊躇したバッカスが問いかける様に私を見る。私は頷いてバッカスに答えた。
「黒猫君なら大丈夫だよ。もうバッカスを傷つけるような事はしないから、ね?」
「ああ。お前の目を潰しちまったのは悪かった。だがあん時は他にやりようも無かった。許してくれとは言わないがこれ以上あんたと反目する理由はない」
真っすぐに答えた黒猫君を暫く見つめていたバッカスがふっと息をついてニヤリと笑った。
「謝られる言われはねぇ。俺はあんたらを殺そうとした、あんたらは自分の命を守るために俺を殺そうとした。それだけだ。ほらよ」
そう言ってバッカスは刀を柄ごと引き抜いて黒猫君に投げた。
「サンキュ。ああ、やっぱりな」
柄から刀を引き抜いた黒猫君がバッカスを見ながら口元を緩めた。
「おいバッカス。お前達、製鉄はどうやってる」
バッカスはニヤリと笑って黒猫君を見返す。
「そりゃ一族の秘密だ。俺の一族には女子供だってそれを漏らすような奴はいねえ」
それを聞いた黒猫君がちょっと考えてキールさんに向き直った。
「キール、俺は一度バッカス達がいた森に行くべきだと思う」
「それはナンシーや中央に出るより優先すべき事か?」
「ナンシーはともかく中央に出るよりは先に行ったほうがいいだろうな。中央の奴が間違ってもこいつらの製鉄方法を探り出しちまうとちょっとマズイ」
それを横で聞いていたバッカスが鋭い目線で黒猫君を見てる。そんな二人を見比べてキールさんがため息をついた。
「それに関しては後でもう一度詰め直しだな」
それでちょっと場が静かになったすきに私も一言付け加える。
「キールさん、ちょっとご相談があるんですけど。農村の収穫ってまだですよね?」
「いや、麦の収穫ならもう始まってるぞ」
「え? 本当に? じゃあ無理かなぁ」
「何だ?」
「いえ、あのですね、バッカス達も農作業だったら出来るかなって思ってたんですけど」
「おいあゆみ、何で俺達がそんなのやらなきゃならないんだ?」
私の口から自分の名前が出てきて慌ててバッカスが私をつついた。私はバッカスに向き直って説明する。
「あのねバッカス。街には治療院ってのがあってね。そこでは私なんかとは比べものにならない治療が出来るんだよ。ほらこの前の森で足折っちゃった人。結局私は添え木付けてあげるくらいしか出来なかったでしょ? それがテリースさん達に頼めばちゃんと痛みを抑えたり骨を真っ直ぐにくっつけたり出来るの」
最初ちょっとムッとしてたバッカスも私の話に少し真剣な顔になる。
「でね、出来ればバッカス達が出来る事と引き換えに治療院を使わせてもらえれば良いなって思ってたんだけど」
ちょっと困っている私に黒猫君がすぐに助け船を出してくれた。
「だったらまだまだ仕事はある筈だぞ。まあ貧民街の奴らがある程度は残るって言っていたが」
そこでキールさんも一緒になって考えてくれる。
「ああ、人手はあるに越したことはないが村の奴らがなんて言うか。治療院も街中に彼らを入れるのはすぐには難しいだろう、いっそテリースを送ってやったほうがいいだろうな」
「いいんですか? バッカス、どう?」
私が勢い込んでバッカスの顔を覗き込むとバッカスが不機嫌を装いながらも少し綻んだ口元で答えて来た。
「治療が出来る奴が来てくれるってのを断る理由はない。もし引き換えに手伝う事があるなら引き受けてやっても良い」
「じゃあ細かい事は後で決める事にして取りあえずは合意ってコトだよね?」
喜んでそうまとめた私の言葉を期にキールさんが立ち上がってバッカスに手を差し出した。でもバッカスはそのまま不審そうにそれを見返す。
そっか。バッカスに握手は分からないか。
「バッカス、キールさんはバッカスと握手して欲しいんだと思うよ?」
「握手ってなんだ?」
「握手はお互いが対等な立場で合意したのを確かめるためにする物だ」
バッカスはどうやらキールさんの説明が気に入ったらしく、ちょっとばかり嬉しそうに笑って立ち上がった。
「だったら受けよう」
二人がガッシリと握手を交わして今日のお話し合いは綺麗に終わったかなって思ったんだけど。
そこで突然黒猫君が思い出したようにキールさんに声をかけた。
「キール、俺明日は休むぞ。一度森を見てくる」
途端目を光らせてキールさんが黒猫君を睨む。
「帰ってくるんだろうな?」
「当たり前だ。俺はな」
一度言葉を切った黒猫君がその澄んだ瞳を真っすぐに私に向けて問いかける。
「で、あゆみ、お前はどうする?」
「え? 私?」
「元々キールのランド・スチュワードは一人いればいい話だった。俺が人化した今お前が森に残りたいんだったら俺は止めないぞ」
私はこの時本当に答えたくなかった。
黒猫君はそれでも答えを待ってる。
暫く考えた末、私は答えを絞り出した。
「考えたい」
「そうか」
ぼそりと答えた私に黒猫君が表情を変えずに返事を返した。
「ほらあゆみ、帰るぞ」
私と黒猫君のやり取りを見ていたバッカスが一人立ち上がって私に手を差し出した。でも私はそのままバッカスを見返してお願いをしてみる。
「バッカス、私今日は一晩こっちの部屋で寝たいんだけどいいかな?」
バッカスは少し複雑な顔で私を見つめ返してきたけど、すぐにふいっと顔を反らした。
「分かった。でも忘れるなよ、お前は俺のペットだからな」
その言葉に何故か黒猫君がぎょっとしてる。
バッカスは何のかんの言って私のお願いをちゃんと聞いてくれる。ちょっと安心して私もちゃんとお礼を言う。
「ありがとうねバッカス。明日黒猫君と森に行くからその時ゆっくり話するね」
バッカスは頷いて席を立つ。キールさんやアルディさん、テリースさんも同様に席を立った。
私も立ち上がろうとするとふわっと身体が浮き上がって見上げればまた勝手に黒猫君が私を抱き上げていた。
「悪いがあゆみにはちょっと話がある。先に帰るぞ」
言うが早いか私の返事も待たずにとっとと歩きだしてしまった。
「ちょっと待って黒猫君! 私も歩けるから──」
「そんなの待ってる時間が無駄だ。大人しくしてろ」
私がみんなに挨拶しようとするのも無視して信じらんないスピードでどんどん進んでいってしまう。
慌てて手を振る私をみんな呆れた顔で見送ってくれた。
文句を言ってやりたくても下手に口を開くと舌を噛みそうなので、結局私は一言もしゃべれずにそのまま治療院まで黒猫君に運ばれていったのだった。
ここはアルディさんの隊長室。なのに注文を付けたのはキールさん。
お話し合いが決まった時点で私たちはここに来たのだ。バッカスに町中を歩かせるわけにもいかないから。
あの後私達は葬儀を先に終わらせてきた。
元々私のお願いでバッカスが一人で出てきていたわけだけど、実はその為に後ろに一族全員待っていたのだ。話し合いが決まった時点で私からキールさん達にそれを説明した。
「葬儀にはみんな出たいって言ってるんだけど」
キールさん達は少し複雑な顔で頷いた。
まあね。ここで殺された人たちは殺した人たちに葬儀に出られてもうれしくないだろうし。
でも結局こういう事なんだと思う。
ちょっとしたかけ違いで沢山の人が死んだけど、その沢山の人を殺してしまった人たちも別に殺したくて殺したわけじゃなかったし殺したことを後悔しない訳でもないのだ。
どんなに居心地が悪くても私は出てもらって良いと思った。
テリースさんが再度葬送の曲を奏でるとぞろぞろと出て来た狼人族の皆さんが丘を埋め尽くした。みるみるうちに増えるその人数に実はキールさんの顔が少し引きつっていたのを私は知ってる。
「皆大人しくね」
私がそう言えば皆静かに黙祷を捧げ始める。
バッカスも私の隣で黙祷していた。
そう言えばバッカス達、宗教あるのかな? 聞いた事なかったわ。
もう誰も邪魔するものもなく厳かに葬送の曲が平原に響いた。
葬送の曲が終わりを迎えテリースさんが葬儀の終わりを宣言すると狼人族の皆さんは勝手に森に帰っていく。バッカスだけが残って私達と一緒に城門へと向かった。
城門のみんなは顔を引きつらせて待っていた。
もうかなり遠くからバッカスが一緒に歩いて来ているのが見えていたらしい。
キールさんが説明してそのまま人目を避ける様にこっそりと兵舎へ案内された。
「それでどうする?」
キールさんの何か少し投げやりな大雑把な質問に、何故かバッカスも疲れた顔で返事をする。
「どうするも何も俺らは森に住めればそれでいい。あとはあんたらが森を荒らさなきゃもうどうでもいい」
キールさんには何の反論もないようで「そうか」とだけ答えてぐったりとしている。
何でみんなそんなに疲れてるかなぁ。
そこで思い出した様に黒猫君が口を挟んだ。
「バッカス、あんたら何でこの街の周りに移ってきたんだ?」
「……俺達の住んでたところが住めなくなったからだ」
バッカスがそう言って顔を曇らせた。
「俺達がいたのはここよりもっと北の森だ。もうどれくらい前か誰も知らないくらい前から俺たちの一族はそこに住んでいた。豊かで深い森だった。俺たちはそこで静かに暮らしてたんだ。なのに」
バッカスの目が少し厳しくなってキールさんを睨む。
「あんたの一族が俺達の森の近くで山を切り崩し始めた」
「俺の一族ってのは王族って事か?」
「そうだ。掘ってる連中がそう言ってた」
「何を掘ってたんだ?」
「何か黒っぽい石だった。なんでもよく燃えるんだとさ」
黒猫君が「石炭か……」と小さく呟いた。
「あいつらが掘り続けるうちにあいつらの切り崩した山の辺りから臭い水が流れ出すようになった。それが川に入ると俺たちの居た森はどんどん枯れていった」
バッカスが辛そうに話を続けた。
「その内あいつら俺たちの仲間を捕まえだした。山の中を掘るのに力のある者が必要だと言って。最初に掴まったのが女どもだった。それを助け出そうと沢山の男どもが死んだ。結果一族はバラバラになって南を目指して逃げて来たんだ」
「え、じゃあバッカスの群れが全部じゃないの?」
「いや、まだ他にもいるはずだ。もっと西の方に流れたやつらが多かった。俺たちの一族の女子供も少し北の森にまだ待たせている。悪い森じゃないが小さいんだ。ここの森程豊じゃないし」
バッカスの言葉に色々な事が思い出されて私も頬を緩めて相槌を打つ。
「確かにあの森、結構資源が豊富だよね。甘い木の実とか、甘いフルーツとか甘いお芋とか」
「……あゆみ、気のせいかお前前より太ってないか?」
「ひっ! な、何てことを!」
決して口に出してはいけない事を言った黒猫君を私は力いっぱい睨みつけた。するとすかさず優しいテリースさんが間に入ってくれる。
「今のはネロ君がいけませんね。あゆみさんは元々細すぎたんです。もう少し太られてもいいと思いますよ」
「テリース、真実を伝えてやるのも親切だぞ」
「黒猫君後で覚えておいでよ」
私たちの漫才みたいなやり取りに呆れながらキールさんが改めてバッカスに向き直った。
「あゆみの事は放っておいて、森の資源の事だが、お前らこの街の連中が森に薪を取りに行ったり木を伐りに行ったりするのは問題にするか?」
「いや、ちゃんと分かってる奴らがやるなら問題ない。森で迷ったり見境なく切り倒すような奴は止めてくれ」
キールさんが頷いている。
そのままキールさんは今後の防衛とか細かい事決めたかったみたいだけどバッカスが全然聞いてないのを見て諦めたみたいだ。
話に飽きたらしいバッカスがそろそろ座ってられなくなってきてる。
そこに黒猫君が水を向けて森の中の狩場について話し合い始めた。
なんかバッカスやたら黒猫君と仲良くなってるし。二人で森の奥で狩の計画とか立ててる。
あ、そうか。この人放っておくと森に行っちゃうのか。私も甘い物食べられるし森の生活もいいかも──
「ネロ、あゆみ、お前らまさか台帳整理の仕事ほっぽって森に逃げたりしないよな」
思いっきりキールさんに釘を刺されてしまった。
「それにネロ、お前は中央の様子が知りたいんだろう?」
キールさんの言葉にふと思案顔になった黒猫君が難しい顔で答え始める。
「ああ。だけどバッカスのいた所の様子もすごく気になる。多分そこで掘り返されてたのは石炭だ。バッカス、切り崩しが始まったのはどれくらい前だ?」
「確か2年ほど前だ。最初は山に穴掘ってるだけだったんだがな」
それを聞いて黒猫君が嫌そうに顔を歪ませた。
「偶然って事はないよな。キールお前は石炭自体は知ってるのか?」
「聞いたことはある。確か北の方の奴らが主に使ってた。ナンシーにも使っている奴がいたがこの辺は森が豊かだから薪を使った方が効率が良い」
キールさんが振り返ってテリースさんからおかわりのお茶を受け取りながら答えた。
「って事はまだ石炭からコークスは出来てないのか」
「コークスってのはなんだ?」
「コークスが何かに関しては後回しだが時期からして中央の奴が関わってる可能性がある。だがもしそいつがコークスを知らないとするとまともな蒸気機関はまだ当分完成しないと考えて大丈夫だ」
そこで言葉を切った黒猫君が少し真剣な顔で今度はバッカスを見やった。
「バッカス、もしよければあんたの刀を見せてもらえないか?」
黒猫君の言葉に一瞬躊躇したバッカスが問いかける様に私を見る。私は頷いてバッカスに答えた。
「黒猫君なら大丈夫だよ。もうバッカスを傷つけるような事はしないから、ね?」
「ああ。お前の目を潰しちまったのは悪かった。だがあん時は他にやりようも無かった。許してくれとは言わないがこれ以上あんたと反目する理由はない」
真っすぐに答えた黒猫君を暫く見つめていたバッカスがふっと息をついてニヤリと笑った。
「謝られる言われはねぇ。俺はあんたらを殺そうとした、あんたらは自分の命を守るために俺を殺そうとした。それだけだ。ほらよ」
そう言ってバッカスは刀を柄ごと引き抜いて黒猫君に投げた。
「サンキュ。ああ、やっぱりな」
柄から刀を引き抜いた黒猫君がバッカスを見ながら口元を緩めた。
「おいバッカス。お前達、製鉄はどうやってる」
バッカスはニヤリと笑って黒猫君を見返す。
「そりゃ一族の秘密だ。俺の一族には女子供だってそれを漏らすような奴はいねえ」
それを聞いた黒猫君がちょっと考えてキールさんに向き直った。
「キール、俺は一度バッカス達がいた森に行くべきだと思う」
「それはナンシーや中央に出るより優先すべき事か?」
「ナンシーはともかく中央に出るよりは先に行ったほうがいいだろうな。中央の奴が間違ってもこいつらの製鉄方法を探り出しちまうとちょっとマズイ」
それを横で聞いていたバッカスが鋭い目線で黒猫君を見てる。そんな二人を見比べてキールさんがため息をついた。
「それに関しては後でもう一度詰め直しだな」
それでちょっと場が静かになったすきに私も一言付け加える。
「キールさん、ちょっとご相談があるんですけど。農村の収穫ってまだですよね?」
「いや、麦の収穫ならもう始まってるぞ」
「え? 本当に? じゃあ無理かなぁ」
「何だ?」
「いえ、あのですね、バッカス達も農作業だったら出来るかなって思ってたんですけど」
「おいあゆみ、何で俺達がそんなのやらなきゃならないんだ?」
私の口から自分の名前が出てきて慌ててバッカスが私をつついた。私はバッカスに向き直って説明する。
「あのねバッカス。街には治療院ってのがあってね。そこでは私なんかとは比べものにならない治療が出来るんだよ。ほらこの前の森で足折っちゃった人。結局私は添え木付けてあげるくらいしか出来なかったでしょ? それがテリースさん達に頼めばちゃんと痛みを抑えたり骨を真っ直ぐにくっつけたり出来るの」
最初ちょっとムッとしてたバッカスも私の話に少し真剣な顔になる。
「でね、出来ればバッカス達が出来る事と引き換えに治療院を使わせてもらえれば良いなって思ってたんだけど」
ちょっと困っている私に黒猫君がすぐに助け船を出してくれた。
「だったらまだまだ仕事はある筈だぞ。まあ貧民街の奴らがある程度は残るって言っていたが」
そこでキールさんも一緒になって考えてくれる。
「ああ、人手はあるに越したことはないが村の奴らがなんて言うか。治療院も街中に彼らを入れるのはすぐには難しいだろう、いっそテリースを送ってやったほうがいいだろうな」
「いいんですか? バッカス、どう?」
私が勢い込んでバッカスの顔を覗き込むとバッカスが不機嫌を装いながらも少し綻んだ口元で答えて来た。
「治療が出来る奴が来てくれるってのを断る理由はない。もし引き換えに手伝う事があるなら引き受けてやっても良い」
「じゃあ細かい事は後で決める事にして取りあえずは合意ってコトだよね?」
喜んでそうまとめた私の言葉を期にキールさんが立ち上がってバッカスに手を差し出した。でもバッカスはそのまま不審そうにそれを見返す。
そっか。バッカスに握手は分からないか。
「バッカス、キールさんはバッカスと握手して欲しいんだと思うよ?」
「握手ってなんだ?」
「握手はお互いが対等な立場で合意したのを確かめるためにする物だ」
バッカスはどうやらキールさんの説明が気に入ったらしく、ちょっとばかり嬉しそうに笑って立ち上がった。
「だったら受けよう」
二人がガッシリと握手を交わして今日のお話し合いは綺麗に終わったかなって思ったんだけど。
そこで突然黒猫君が思い出したようにキールさんに声をかけた。
「キール、俺明日は休むぞ。一度森を見てくる」
途端目を光らせてキールさんが黒猫君を睨む。
「帰ってくるんだろうな?」
「当たり前だ。俺はな」
一度言葉を切った黒猫君がその澄んだ瞳を真っすぐに私に向けて問いかける。
「で、あゆみ、お前はどうする?」
「え? 私?」
「元々キールのランド・スチュワードは一人いればいい話だった。俺が人化した今お前が森に残りたいんだったら俺は止めないぞ」
私はこの時本当に答えたくなかった。
黒猫君はそれでも答えを待ってる。
暫く考えた末、私は答えを絞り出した。
「考えたい」
「そうか」
ぼそりと答えた私に黒猫君が表情を変えずに返事を返した。
「ほらあゆみ、帰るぞ」
私と黒猫君のやり取りを見ていたバッカスが一人立ち上がって私に手を差し出した。でも私はそのままバッカスを見返してお願いをしてみる。
「バッカス、私今日は一晩こっちの部屋で寝たいんだけどいいかな?」
バッカスは少し複雑な顔で私を見つめ返してきたけど、すぐにふいっと顔を反らした。
「分かった。でも忘れるなよ、お前は俺のペットだからな」
その言葉に何故か黒猫君がぎょっとしてる。
バッカスは何のかんの言って私のお願いをちゃんと聞いてくれる。ちょっと安心して私もちゃんとお礼を言う。
「ありがとうねバッカス。明日黒猫君と森に行くからその時ゆっくり話するね」
バッカスは頷いて席を立つ。キールさんやアルディさん、テリースさんも同様に席を立った。
私も立ち上がろうとするとふわっと身体が浮き上がって見上げればまた勝手に黒猫君が私を抱き上げていた。
「悪いがあゆみにはちょっと話がある。先に帰るぞ」
言うが早いか私の返事も待たずにとっとと歩きだしてしまった。
「ちょっと待って黒猫君! 私も歩けるから──」
「そんなの待ってる時間が無駄だ。大人しくしてろ」
私がみんなに挨拶しようとするのも無視して信じらんないスピードでどんどん進んでいってしまう。
慌てて手を振る私をみんな呆れた顔で見送ってくれた。
文句を言ってやりたくても下手に口を開くと舌を噛みそうなので、結局私は一言もしゃべれずにそのまま治療院まで黒猫君に運ばれていったのだった。
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伝説の霊獣達が住まう【生存率0%】の無人島に捨てられた少年はサバイバルを経ていかにして最強に至ったか
藤原みけ@雑魚将軍2巻発売中
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