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第13章 ヨークとナンシーと

29 ネイサンの『姉』

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 あゆみたちがネイサンの治療を終えた後、俺たちは遅めの昼食なのか夕食なのか分からない飯を例のテントでとりながら、再度情報交換を始めた。

 調理はいつの間にかあゆみが御者と兵士の連中に頼んでくれていたらしい。
 俺たちがキャンプを離れている間に、やっと蔦から抜け出した近衛隊の馬車もこちらに合流したそうだ。
 おかげで、キールの許可を取った彼らが、隊の物資を使ってまともな料理を準備してくれた。
 充分に柔らかいパンと肉の入ったスープ。
スープには昨日と同じ干し肉も使われているが、ちゃんと調理しただけで味は断然よくなっている。
 色々あったが、こうして座って飯が食えるとやはり心も落ち着いてくる。
 無論、ネイサンは食えないだろうが。

 ネイサンはあのまま気を失い、まだ昏睡状態で眠っている。テリース曰くあとは休養が必要なだけらしい。今もテリースはあちらに付き添っている。話を聞きつけたネイサンの従者たちも同様だ。

「それでネロ、結局どういう経緯でネイサンがああなったんだ?」

 一通り皆が飯に手を付けたところで、キールが口を開いた。

「テッドの野郎、どうやらネイサンの『姉』に雇われてたらしい」

 俺はあの時の様子を思い出しながら、見聞きした内容を端的に話し始めた。

「テッドを追って結構走ったが、あの野郎、俺たちを撒こうとわざわざ見通しの悪い場所ばっか選んで走っていきやがった」
「ああ、この辺りは街道を外れると結構荒れてるからな」

 やはりそういうことか。
馬車から見る分にはどこまでも平地が続いて見えたが、実際に降りて見れば結構な高低差がある荒地だった。
 街道周りだけが均されて馬車が行き来しやすくされていたのだろう。

「別に地形のせいじゃねえ。あれは普通の人間の走れる速さじゃねーだろ。人間一人抱えたまま俺の追走から逃げ続けてたんだぞ」

 俺の説明に、横からバッカスが補足してくる。それに頷いて俺も続けた。

「まあ最初はありえねースピードに俺も焦ったが、こっちはスタミナが尋常じゃないバッカスと聴覚の鋭い俺が一緒だ。撒くなんて最初から無駄なあがき……のはずだったんだよ」

 そう、正直俺も少し侮ってた。
 異常なまでの足の速さだって、もしかしたら特殊な魔法ってこともあり得る世界だしな。

「まあそれで俺たちも一旦距離をとって、あっちが撒けたと思って立ちどまったところに距離をおいて近づいたわけだ」
「ああ、ネイサンが一緒じゃただ追いついてもまたネイサンを人質に取られるからだな」

 キールの言葉に頷いてため息をつく。

「まあ俺たちにはまるっきり気づいてないみたいだったし、本当は隙を見て奇襲かけようと様子を伺ってたんだよ。そしたらあの野郎、ブツブツと意味不明なことを呟きながら、最後はあの刃でネイサンを脅しだした」
「アイツ自分の腹の皮の下からあの刃を引きずりだしてたぞ」

 横から口を挟んだバッカスの言葉に、その場の全員が顔を顰める。だがあの気色の悪さはあの場にいた俺たちじゃなきゃわかんねー。

「ああ、俺も見た。ニヤニヤしながら嬉しそうにやりやがって……。多分ああやって暗器を自分の体中に仕込んでんだろ」
「それはこっちの兵たちが陳謝してたぞ。身体検査をしていながら武器を見逃した上、あの場で縄まで外されたからな」

 キールの言葉には俺も首を振って返す。

「いや、それを言ったら俺も同罪だ。身体検査には俺も付き合ってたしな。正直、あの見るからにほぼ裸みたいな恰好に騙された」
「そんなの、今更後悔したって始まらねぇだろ。単に相手が上手だったってだけだ」

 だが悔しさが滲む俺とキールのやり取りを聞いてたバッカスが、阿保らしいとでも言いたげに割って入った。

 まあ、バッカスの言う通りだな。
 起きたもんを今更後悔したってしかたねえ。

 俺は気を取り直して報告をつづけた。

「とにかく、俺たちが少し離れた場所に身を隠してるのにも気づかずに、テッドがネイサンに身内の話を始めてくれた、わけだが」

 そこでまたため息一つ、俺の口から思わず本音がこぼれ出す。

「俺、これでも結構タフな人生を送ってきたつもりだったが、あれ見て、今まで本気の悪意ってやつを見たことなかったんだって思い知らされたよ。あの野郎は完全なサイコだ。ネイサンを痛ぶってるときのアイツはそれを本気で楽しんでやがった」
「ああ。あれは獲物で遊ぶ魔物とかわりねーな」

 俺の言葉にバッカスも顔を顰めて吐き出した。

「おかげではっきりネイサンに『姉』おねえさまとやらからの伝言を言ってるのが聞こえた」

 まあそれ以外も色々聞こえたが、正直胸糞すぎて思い出したくもねぇ。
あゆみをまるで上等な獲物のように言いやがったときは、バッカスが止めなきゃマジで飛び出すとこだった。

「案の定、ネイサンは俺とあゆみを教会の裁判で『排除』するつもりでいたらしい。だが、ネイサンが『姉』おねえさまと呼ぶ人間はそれを待たずに今回の襲撃で俺たちを消そうとした。いや、俺たちだけじゃないな、ネイサンもだ。テッドがネイサンに伝えた伝言によれば『ご苦労さま、あとは私たちに任せてゆっくりおやすみなさい』だそうだ」

 それを伝えた時の二人の顔色が忘れられない。
顔面蒼白になったネイサンを見るテッドのあれは、まさに娼館で男が見せる恍惚とした顔そのものだ。
それをはっきり思い出してまた吐き気がしてくる。
 俺自身、決して褒められた生き方してきたわけじゃねぇが、案外あそこまで壊れたやつは周りにいなかった。
 ある意味、それもキールの言う通り甘やかされてきたってことなのかもしれない。

「ネイサンも計画自体は知ってたらしい。まあどこかでこの『姉』おねえさまって人間がネイサンにも計画を漏らしたんだろう。ネイサンは反対したらしいが、かといって邪魔する気もなかったんだろうな」

 俺が話を終えると、キールが思わずというように吐き出す。

「一体誰なんだその『姉』おねえさまというのは」
「多分それは義理の姉のシエル様ですね」
「ほう」

 単なる独り言だったはずのキールの問いかけに、期待していなかった答えを返したのは、それまで黙って話を聞いていたタカシだった。

「ネイサン枢機卿はヨークでも旧家のギル家の次男です」

 キールに促されて話し出したタカシに後を任せた俺は、耳だけ向けて飯をかき込むことにした。

「以前もご説明しましたが、ギル家はヨークでも代々枢機卿を輩出してきた有力な貴族家で、今現在でもその権威はヨークで五本の指に入ります」

 教会やヨークの内情はどうやらキールも詳しくないらしく、黙ってそれに耳を傾けてる。

「ギル家はその特殊な立場から領政への直接の権限はありませんが、その資産を基礎に教会内での影響力が強く、追随する貴族は後を絶ちません。そしてネイサン枢機卿が『姉』おねえさまと呼ぶ相手となれば、それは同じギル家の長男、ノア枢機卿の奥方様、シエル様だけのはず──」
「えっ、枢機卿って結婚できるんですか?」

 そこで既に飯を終えていたあゆみが驚いたように尋ねた。

「ええ、出来ますよ」

 話の腰を折ったあゆみに気を悪くすることもなく、タカシが当たり前のように応える。

 まあ教会って言っても初代王を祭ってるくらいだ。
 別にあっちの世界と同じわけねーよな。

「そ、そうなんですね」

 あゆみもどうやら同様に納得したようで、俺の隣で相槌を返した。

 そんなあゆみをチラリと盗み見る。
 俺より先にテントに入ってたあゆみは、今俺のすぐ横に座ってる。
 あんなことがあったにも関わらず、やけに穏やかな様子で飯を食っていた。そんなあゆみにホッとするのと同時に、言いようもない不安が俺の中に降り積もっていく。

「確か以前の君の話ではそのノア枢機卿が今の王都の統合教会を束ねる立場にあるんだったか?」

 キールの問いかけにタカシが頷いて、そして改めてまた口を開く。

「その通りです。王都の統合教会のトップ、シャングリラ教会の現長なわけなのですが、実は問題はもっと複雑で」

 そこで一旦言葉を切ったタカシは、迷うようにして先をつづけた。

「このシエル様も王都の旧家のご出身、という話なのですが。実は未だに誰もその実家がどちらなのか知らないのです」
「そんなことがあり得るのか?」
「いや、それは珍しいな」

 こっちの常識には疎い俺でも違和感を覚えてキールを見れば、キールも同様に驚いた様子だ。
 そんな俺たちを見比べて、タカシが苦笑いをこぼしてる。

「ええ、これはヨークでも特例です。ギル家は宗教に携わり政治に参加しない特殊な貴族家であることから、通常貴族家に課されている規則が当てはまらないのですよ。この結婚もその一つで、聖職者の結婚は領主への申告が必要とされていないのです」

 そう言って肩をすくめたタカシの様子に、どうやらそれがタカシ達にとっても望ましい状況ではないのが見て取れる。

「それじゃあそのシエルって女はノア枢機卿とともに王都にいるってことか?」
「いいえ、王都にはいらっしゃいません」

俺の問いかけに、タカシが首を振って否定した。

「現在、シエル様がヨークのギル家でお過ごしになられているのは分かっています。先ほどあゆみさんに枢機卿でも結婚できるとは言いましたが、元来、聖職者たる教会関係者の結婚は、引退するまでは形だけ、というのが暗黙の約束です。王都にいるノア枢機卿とは表向き離れて暮らし「この結婚は形だけ」という体をとっているのですよ。ですから、今回の件がノア枢機卿の思惑なのか、それともシエル様の背後に他にも誰かいるのか、そしてどんな思惑で行動を起こされたのか……。私にも皆目予想が付きません」

 それを聞いてキールが宙を睨む。

「ネイサンの『姉』おねえさまが誰かは分かったが、結局その真意は分からないままか」
「まあ、行って見りゃ分かるだろ」

 いい加減興味のない話に飽きたのか、頭を悩ます俺たちとは対照的に、バッカスがあっけらかんとした声でそう言ってあくびを漏らした。
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