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第13章 ヨークとナンシーと
28 ネイサン枢機卿の災難4
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「おい! 急いでテリースを呼んできてくれ!」
「あ、は、はい!」
バッカスと二人、慎重にネイサンの身体を運んだ俺たちは、昨日のキャンプの端にたどり着き、そこでちょうど行きあった兵士に向かって大声で叫んだ。
俺の呼びかけに弾かれたように踵を返し、テリースを探しに走り去った兵士を見送って、俺は目前に横たえたネイサンを見下ろした。
ネイサンの首には、今もテッドの薄くて細い刃が刺さったままだ。
テッドの野郎、忍び寄った俺が放った火魔法を背中に受けながらも、その勢いを殺すように前に飛びのきやがった。
確実に狙って撃ったにも関わらず、大した怪我も負わずに素っ裸で逃げていきやがった。
テッドと入れ替わるように滑り込んだ狼姿のバッカスが、器用にネイサンを背で受け止めてなければ、倒れた拍子に刃が抜けて出血が止められなかったかもしれない。
悪趣味なことに、刃は両サイドにノコギリのような細かい逆刃が仕込まれてた。一度刺さると力を込めて引き抜かなければ簡単には落ちないが、抜こうとすれば間違いなく動脈を切り裂いちまう。
抜かなくてもすでにタラタラと出血は続いてた。
こんなだから、尻丸出しで走りさったテッドは、ネイサンの死を確信してたんだろう。
俺とバッカスが追走よりネイサンの救助を選んだのを見てほくそ笑んでやがった。
クソ、あの野郎はいつかゼッテー殺す。
本気で誰かを殺してーと思ったのはこれが初めてかもしれねぇ。
あの野郎、よくも傀儡の件をあゆみにバラしやがって!
あゆみにいらねぇ罪悪感植えつけやがったあいつはゼッテー許さねぇ。
ネイサンにしたって、流石にこの様子を見てれば俺でも不憫に感じる。
ネイサンはこの数十分ですっかり面変わりしちまってた。
顔色はドス黒く、目は真っ赤に充血して焦点が定まらない。
頬はこけ、唇は割れ、半開きの口からは声も出せねえまま、ただ緊張でこわばった体が細かく震えつづけてる。
刃が抜けねーよう慎重にバッカスと二人で運んでは来たが、俺たちにできるのはここまでだ。あとはテリースに任せるしか……そう俺が考えてた矢先。
「どうしました──!」
「黒猫君どうした──っ!」
駆けつけたテリースと、なぜかテリースに抱えられたまま一緒にきちまったあゆみが同時にネイサンに気づいて声を失った。
くそ、あゆみも来ちまったか。
出来れば来てほしくなかった。ここでまたあゆみが無理して魔力暴走を起こしたら、今度はいったいどの記憶をなくしちまうのか。
だけどあとで俺があゆみだけのけ者にしたと思われたら、余計こじれるし、これでよかったのか……。
腕の中のあゆみをゆっくりと下ろしたテリースは、すぐにネイサンに駆け寄って脈をとり、首の状態を見て盛大に顔をしかめた。
「これは酷い。先端が右の動脈を突き破っています。今生きているのはこの刃の返しがたまたま血管に噛み付いているのと、ネイサン枢機卿の血管が非常に丈夫だったおかげです」
そこで眉根を寄せたテリースが、言いにくそうに先を続ける。
「これではいくら私が治癒魔法をかけても、刃を抜く前に出血が完全に上回ってしまいます」
発見からこっち一言も喋れずにいるネイサンは、気の毒なことにそれでも意識だけははっきりしてるらしい。
今もテリースの言葉を聞いて、無言で唇をわななかせた。
「あゆみさんの治療速度ならあるいは……?」
一縷の望みをかけるようにテリースがあゆみに視線を向けると、あゆみの顔が一瞬でひきつった。
「私……黒猫君を治療した時も、ガイアさんの時も、どうやってちゃんと治療できたのかわかりません。教わった外傷治療と内傷治療以外は本当に手探りで……」
喋りながら徐々にあゆみの顔が俯いていく。
それを見て、俺にもそれがいかに危なっかしい賭けなのか分かっちまった。
ああ、やっぱコイツの場合、ほぼ意地と膨大な魔力のゴリ押しだったんだな。だとすると、やっぱ魔力暴走させずに治療するのはムリなんじゃねえのか?
「待てよ、現時点で教会からしてみればあゆみと俺は容疑者なんだろう。そんな俺たちが枢機卿を治療して失敗したら、それこそ問題になるんじゃねーのか」
不安が胸を締め付けて、思わず言い訳のような文句が口をつく。
「それはサロス長官ご自身に決めていただきましょう。いかがですか長官。あなたが護送中の容疑者に命を預けて治療をお願いしてもよろしいですか?」
チラリとこちらを見たタカシが思案気に首をかしげ、落ち着いた口調でネイサンに問いかけた。
タカシの問いかけに、ネイサンの両目からにじみ出た涙がこぼれていく。声一つ出せないネイサンは、それでもはっきりと視線でうなずいてみせた。
「治療を望まれるそうです。ご安心ください、僕も長官の従者としてこの判断の証人になりましょう」
そう言って俺を見たタカシの視線はあまりに真っすぐで、俺のほうが余計な負い目を感じてしまう。
「時間がないんですよね。やるしかないんですよね」
そんな俺とは裏腹に、すぐ横であゆみが自分を追い込むように独り言を呟いた。それが俺の焦りを助長する。
「そんなやつ、救ってやってもまた文句しか言わねーぞ」
思わずイライラして言っちまったが、流石に後悔した。でもそんな俺を、あゆみが苦笑いしながら見返してる。
「別に文句言うのやめてほしいから治療するんじゃないもの。それは黒猫君だってわかってるんでしょ?」
分かってる。ただ、わかりたくないだけだ。
「ネイサンさんがいいのであれば、私も治療魔法で協力してみます」
だが俺がそれ以上口を挟む暇もなく、あゆみが決意を秘めた目で治療を始めようと手を伸ばす。
それを聞いた自分の顔が勝手に歪むのが分かっちまう。
目前で死にかけている男がいるのに、俺はやっぱりあゆみの記憶が失われるほうが怖いんだ。
そんな自分が情けなくて、それ以上何も言えずに唇を嚙んでると、
「あゆみ、無暗になんでもかんでも何とかしようとするな」
すぐ俺の後ろから厳しい声が飛んできた。
「お前の場合、魔力のコントロールが甘すぎる。一旦治療を始めたらどうせ加減がなくなるだろう、前もって出来ることはやっておけ」
見ればデカい甲冑姿のキールが肩で息しながらこちらに歩いてくる。
どうやら聞きつけて、ここまで走って来てくれたらしい。
そのまま今にも治療を始めようとしていたあゆみの腕を掴まえて、先をつづけた。
「いいか、まずはテリースと手を繋いでみろ。そして両手になるべく同程度の魔力を流すんだ。魔力階位が低いとは言え、テリースにも中級以上の魔力はある。よっぽどのことがなければ壊れたりしない」
「いいですね、それで試してみましょう。もし私が魔力酔いで倒れたら、ネロさん、その時はあゆみさんをお願いします」
「安心しろ、その時は俺が代わる」
「ああ、それはありがたい。確か以前魔力の止め方わかんなかった時もそうしてたもんな」
多分俺じゃ魔力ありすぎて意味ねーが、バッカスはほとんど魔力がねーから、いいストッパーにはなりそうだ。
結局、俺がネイサンの身体を固定して、あゆみとテリースが手を繋ぎつつ、二人で慎重に治癒魔法をかけることになった。
「おいおっさん。お前も頑張れよ。支えててやるから動くな」
俺の言葉に、視線だけで頷くおっさん。
そしてあゆみたちの治療が始まった。
血は結構流れた。
逆刃のついた刃を引き抜くのは、かなり痛みを伴うらしい。苦痛にネイサンが身じろぐたびに出血が増え、治療どころではなくなってしまう。
結局引き抜くのは諦めて、内傷魔法に押し出されるのを待つことにした。
それでも逆刃が一つ押し出されるごとに、結構な血が噴き出してくる。
驚いたことに、それを浴びてもあゆみはまるっきり怯まない。
こっち来たばかりの頃、鳩一匹殺してあんなに泣きじゃくってたくせに、すっかり強くなったもんだよな。
治療が始まって五分もたたずにテリースが倒れた。
どうやらあゆみの魔力に充てられたのと、同時に魔力の使い過ぎらしい。
それを兵士たちがすぐに起こしあげて端に引きずっていった。
すぐにバッカスと手をつなぎなおして治療を進めていく。
内傷治療は俺たちにはまるっきり何が起きてるのか分からない。
それでも内側から治療が進んでいるのか、刺さっていた刃が徐々に押し出されてくる。
結局、十分ほどの治療の結果、あゆみが魔力を暴走させることもなく、刺さっていた刃がポロリと抜けて地面に落ちた。
血だらけですっかり顔色が青白くなってはいたが、ネイサンは一応生きている。目を覚ましたテリースによれば後は体力さえ戻せば回復できるそうだ。
「おつかれさま」
そう言って、キールがあゆみを俺に預ける。
同じく疲れた様子のあゆみを抱えた俺は、ただ深く安堵のため息を吐いた。
「あ、は、はい!」
バッカスと二人、慎重にネイサンの身体を運んだ俺たちは、昨日のキャンプの端にたどり着き、そこでちょうど行きあった兵士に向かって大声で叫んだ。
俺の呼びかけに弾かれたように踵を返し、テリースを探しに走り去った兵士を見送って、俺は目前に横たえたネイサンを見下ろした。
ネイサンの首には、今もテッドの薄くて細い刃が刺さったままだ。
テッドの野郎、忍び寄った俺が放った火魔法を背中に受けながらも、その勢いを殺すように前に飛びのきやがった。
確実に狙って撃ったにも関わらず、大した怪我も負わずに素っ裸で逃げていきやがった。
テッドと入れ替わるように滑り込んだ狼姿のバッカスが、器用にネイサンを背で受け止めてなければ、倒れた拍子に刃が抜けて出血が止められなかったかもしれない。
悪趣味なことに、刃は両サイドにノコギリのような細かい逆刃が仕込まれてた。一度刺さると力を込めて引き抜かなければ簡単には落ちないが、抜こうとすれば間違いなく動脈を切り裂いちまう。
抜かなくてもすでにタラタラと出血は続いてた。
こんなだから、尻丸出しで走りさったテッドは、ネイサンの死を確信してたんだろう。
俺とバッカスが追走よりネイサンの救助を選んだのを見てほくそ笑んでやがった。
クソ、あの野郎はいつかゼッテー殺す。
本気で誰かを殺してーと思ったのはこれが初めてかもしれねぇ。
あの野郎、よくも傀儡の件をあゆみにバラしやがって!
あゆみにいらねぇ罪悪感植えつけやがったあいつはゼッテー許さねぇ。
ネイサンにしたって、流石にこの様子を見てれば俺でも不憫に感じる。
ネイサンはこの数十分ですっかり面変わりしちまってた。
顔色はドス黒く、目は真っ赤に充血して焦点が定まらない。
頬はこけ、唇は割れ、半開きの口からは声も出せねえまま、ただ緊張でこわばった体が細かく震えつづけてる。
刃が抜けねーよう慎重にバッカスと二人で運んでは来たが、俺たちにできるのはここまでだ。あとはテリースに任せるしか……そう俺が考えてた矢先。
「どうしました──!」
「黒猫君どうした──っ!」
駆けつけたテリースと、なぜかテリースに抱えられたまま一緒にきちまったあゆみが同時にネイサンに気づいて声を失った。
くそ、あゆみも来ちまったか。
出来れば来てほしくなかった。ここでまたあゆみが無理して魔力暴走を起こしたら、今度はいったいどの記憶をなくしちまうのか。
だけどあとで俺があゆみだけのけ者にしたと思われたら、余計こじれるし、これでよかったのか……。
腕の中のあゆみをゆっくりと下ろしたテリースは、すぐにネイサンに駆け寄って脈をとり、首の状態を見て盛大に顔をしかめた。
「これは酷い。先端が右の動脈を突き破っています。今生きているのはこの刃の返しがたまたま血管に噛み付いているのと、ネイサン枢機卿の血管が非常に丈夫だったおかげです」
そこで眉根を寄せたテリースが、言いにくそうに先を続ける。
「これではいくら私が治癒魔法をかけても、刃を抜く前に出血が完全に上回ってしまいます」
発見からこっち一言も喋れずにいるネイサンは、気の毒なことにそれでも意識だけははっきりしてるらしい。
今もテリースの言葉を聞いて、無言で唇をわななかせた。
「あゆみさんの治療速度ならあるいは……?」
一縷の望みをかけるようにテリースがあゆみに視線を向けると、あゆみの顔が一瞬でひきつった。
「私……黒猫君を治療した時も、ガイアさんの時も、どうやってちゃんと治療できたのかわかりません。教わった外傷治療と内傷治療以外は本当に手探りで……」
喋りながら徐々にあゆみの顔が俯いていく。
それを見て、俺にもそれがいかに危なっかしい賭けなのか分かっちまった。
ああ、やっぱコイツの場合、ほぼ意地と膨大な魔力のゴリ押しだったんだな。だとすると、やっぱ魔力暴走させずに治療するのはムリなんじゃねえのか?
「待てよ、現時点で教会からしてみればあゆみと俺は容疑者なんだろう。そんな俺たちが枢機卿を治療して失敗したら、それこそ問題になるんじゃねーのか」
不安が胸を締め付けて、思わず言い訳のような文句が口をつく。
「それはサロス長官ご自身に決めていただきましょう。いかがですか長官。あなたが護送中の容疑者に命を預けて治療をお願いしてもよろしいですか?」
チラリとこちらを見たタカシが思案気に首をかしげ、落ち着いた口調でネイサンに問いかけた。
タカシの問いかけに、ネイサンの両目からにじみ出た涙がこぼれていく。声一つ出せないネイサンは、それでもはっきりと視線でうなずいてみせた。
「治療を望まれるそうです。ご安心ください、僕も長官の従者としてこの判断の証人になりましょう」
そう言って俺を見たタカシの視線はあまりに真っすぐで、俺のほうが余計な負い目を感じてしまう。
「時間がないんですよね。やるしかないんですよね」
そんな俺とは裏腹に、すぐ横であゆみが自分を追い込むように独り言を呟いた。それが俺の焦りを助長する。
「そんなやつ、救ってやってもまた文句しか言わねーぞ」
思わずイライラして言っちまったが、流石に後悔した。でもそんな俺を、あゆみが苦笑いしながら見返してる。
「別に文句言うのやめてほしいから治療するんじゃないもの。それは黒猫君だってわかってるんでしょ?」
分かってる。ただ、わかりたくないだけだ。
「ネイサンさんがいいのであれば、私も治療魔法で協力してみます」
だが俺がそれ以上口を挟む暇もなく、あゆみが決意を秘めた目で治療を始めようと手を伸ばす。
それを聞いた自分の顔が勝手に歪むのが分かっちまう。
目前で死にかけている男がいるのに、俺はやっぱりあゆみの記憶が失われるほうが怖いんだ。
そんな自分が情けなくて、それ以上何も言えずに唇を嚙んでると、
「あゆみ、無暗になんでもかんでも何とかしようとするな」
すぐ俺の後ろから厳しい声が飛んできた。
「お前の場合、魔力のコントロールが甘すぎる。一旦治療を始めたらどうせ加減がなくなるだろう、前もって出来ることはやっておけ」
見ればデカい甲冑姿のキールが肩で息しながらこちらに歩いてくる。
どうやら聞きつけて、ここまで走って来てくれたらしい。
そのまま今にも治療を始めようとしていたあゆみの腕を掴まえて、先をつづけた。
「いいか、まずはテリースと手を繋いでみろ。そして両手になるべく同程度の魔力を流すんだ。魔力階位が低いとは言え、テリースにも中級以上の魔力はある。よっぽどのことがなければ壊れたりしない」
「いいですね、それで試してみましょう。もし私が魔力酔いで倒れたら、ネロさん、その時はあゆみさんをお願いします」
「安心しろ、その時は俺が代わる」
「ああ、それはありがたい。確か以前魔力の止め方わかんなかった時もそうしてたもんな」
多分俺じゃ魔力ありすぎて意味ねーが、バッカスはほとんど魔力がねーから、いいストッパーにはなりそうだ。
結局、俺がネイサンの身体を固定して、あゆみとテリースが手を繋ぎつつ、二人で慎重に治癒魔法をかけることになった。
「おいおっさん。お前も頑張れよ。支えててやるから動くな」
俺の言葉に、視線だけで頷くおっさん。
そしてあゆみたちの治療が始まった。
血は結構流れた。
逆刃のついた刃を引き抜くのは、かなり痛みを伴うらしい。苦痛にネイサンが身じろぐたびに出血が増え、治療どころではなくなってしまう。
結局引き抜くのは諦めて、内傷魔法に押し出されるのを待つことにした。
それでも逆刃が一つ押し出されるごとに、結構な血が噴き出してくる。
驚いたことに、それを浴びてもあゆみはまるっきり怯まない。
こっち来たばかりの頃、鳩一匹殺してあんなに泣きじゃくってたくせに、すっかり強くなったもんだよな。
治療が始まって五分もたたずにテリースが倒れた。
どうやらあゆみの魔力に充てられたのと、同時に魔力の使い過ぎらしい。
それを兵士たちがすぐに起こしあげて端に引きずっていった。
すぐにバッカスと手をつなぎなおして治療を進めていく。
内傷治療は俺たちにはまるっきり何が起きてるのか分からない。
それでも内側から治療が進んでいるのか、刺さっていた刃が徐々に押し出されてくる。
結局、十分ほどの治療の結果、あゆみが魔力を暴走させることもなく、刺さっていた刃がポロリと抜けて地面に落ちた。
血だらけですっかり顔色が青白くなってはいたが、ネイサンは一応生きている。目を覚ましたテリースによれば後は体力さえ戻せば回復できるそうだ。
「おつかれさま」
そう言って、キールがあゆみを俺に預ける。
同じく疲れた様子のあゆみを抱えた俺は、ただ深く安堵のため息を吐いた。
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