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第5章 狼人族

17 パット

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 僕が震えながら目を覚ましたのは真っ暗でホコリ臭い場所だった。どこからも光が差し込まず、周りを見回してもほとんどなにも見えない。
 ちょっと動こうとしたら、すぐに柔らかい物が身体がぶつかった。
 僕のすぐ隣にもう一人倒れてる。
 ペタペタと触っているうちに、右足がないのでそれがあゆみさんだと分かった。

 そこでやっと貧民街での出来事が脳裏によみがえって来た。
 慌ててあゆみさんを起こそうとしたけど、どんなにゆすってもあゆみさんは目を覚ましてくれない。それどころかぐったりして全然反応してくれない。死んでるんじゃないかって怖くなって、途中から半泣きでゆすり続けた。
 でもそのうちあゆみさんの身体がまだ温かいのに気がついた。慌てて心音を確かめるたらちゃんと定期的な鼓動が聞こえて来て、僕はホッとしてその場で脱力してしちゃった。

 それでやっと少し落ち着いた僕は、その部屋を少しずつ探り始めた。どこか開かないかとそこら中を叩いたり、蹴ったり飛び跳ねたりもしてみた。でもそこは狭い物置みたいなスペースで、歩き回れるほど広くなかったし、開けられるような扉はどこにも見つけらなかった。誰か気付いてくれないか、そう思って叫んでみたけど誰も来ない。
 他にどうしようもくなった僕は、結局眠っているあゆみさんの横にまた戻ってきて、寄り添うようにして座り込んだ……

『狼人族と交渉が始まるってどういう事ですか?』

 部屋が暗いのと叫び疲れたのとで、いつの間にかあゆみさんの横でうたた寝しちゃったらしい。突然すぐ近くから響いてきた男の怒声で飛び起きた。

 タッカーさんの声だ!
 すぐそう気づいた僕は、なんとか話を聞きとろうと耳を澄ました。

『どうやら今日の交渉は昨日のうちに決まってたらしい。俺は全然聞かされていなかったんだ。こいつらを攫ってきたあと兵舎に戻ったらもう準備が始まってて驚いて知らせに来てやったんだぞ』
『そ、そんな! じゃあこの二人をどうするんですか?』
『さあ? こいつらが森に連れていかれたって言えば流石のあの坊ちゃん皇子も森に攻めに行くんじゃねぇか?』

 ダンカンさんの軽い答えにタッカーさんがイライラした声で返す。

『そんな単純な話じゃありません! もうすぐ「連邦」が飼いならしてた「犬」がこの二人を引き取りに来るんですよ? 交渉なんか始まってしまったらあの二人を連れて行かせても、こちらの思惑通りなぶり殺しにしてくれるか分かりません! あちらの族長が憎悪を募らせている今だからこそ意味があったんです!』
『俺に怒鳴るな。そんなこと俺が知るか。だったらこいつらを交渉の場所で引き渡してやったらどうだ?』

 ダンカンさんの投げやりな声と何か飲み下す音が聞こえる。
 どうやらタッカーさんは考え込んでいるみたいで、しばらく沈黙が続いた。

『いいでしょう。計画を変更します。あなたはこの二人が攫われそうになった所を救った、と言うことにしましょう。この二人を襲った狼人族の死体でもあれば完璧です。交渉の場で双方にそれを見せつけてやれば、流石にどちらも交渉などやってられなくなるでしょう』
『……なあ、だったらこの二人を生かしておく必要はねーんじゃねーのか?』

 ダンカンさんの冷酷な問に震え上がった僕は、もう少しで声を上げそうになって、慌てて自分で自分の口を抑えた。そのまま沈黙が流れて、まさか今これからダンカンさんがここに殺しに来るのかと心臓がバクバクいい始めた時、タッカーさんの冷静な声が響いてきた

『……いいえ。目の前で狼人族がこの二人を手に掛けてくれた方が効果抜群です』

 ダンカンさんはしばらくブツブツ文句を言っていたけど、タッカーさんが意見を変える気がないのを見て諦めたようだった。
 自分たちを殺すか否かって話を冷や汗垂らして聞いてた僕は、タッカーさんの答えを聞いてその場にへたりこみそうになった。

『ではダンカン、東門の外の待ち合わせ場所に行って「犬」を殺して死骸を持ち帰って来てください。ああ、死骸は集まって来ている貧民街の「有志」の皆さんにもお見せしましょう。そうすれば頼まなくても一緒に交渉場所の草原までついて来てくれるでしょう』

 タッカーさんの言葉が切れるとダンカンさんが訝しそうな声で尋ねた。

『何であんな奴ら連れて行くんだ? 護衛なら俺とここの奴らでも連れて行きゃいいだろう。あんな奴ら足手まといにしかならねぇ』
『だから連れて行くのですよ。きっとあの皇子の良い足かせになってくれるでしょう。それでいっそ皇子が殺されてくれれば一番いいのですが。まあ生き残ったとしても狼人族が「有志」の皆さんを沢山殺してくれれば、それを餌に皆様を焚きつけて「連邦」側になびかせるのは簡単でしょう』

 こんな計画を話しているのに、話すタッカーさんの声はすごく淡々としてた。いつものタッカーさんそのままの優しい声音に、ゾッとして背筋を冷たい物が伝い落ちていく。

『昔っから思ってたがお前、そう言う悪だくみだけは良く頭が回るよな』

 ダンカンさんも同じことを感じたのか、少し固い声でタッカーさんを揶揄した。それに応えるように小さなため息をついて、タッカーさんもダンカンさんに言う。

『あなたは昔から直情型で押さえが利きませんが腕っぷしだけは確かですね。ほら、急ぎましょう。「連邦」の皆様ももうすぐ到着される予定なんですから』

 そう言ってタッカーさん達が立ち上がる音がして、すぐに二人の声は遠ざかってまたなにも聞こえなくなった。

 静けさを取り戻した部屋に一人置いてけぼりになった気がした僕は、またあゆみさんを起こそうとゆすぶったけどやっぱり全然起きてくれない。
 起きてくれないあゆみさんに苛立って涙がポロポロとこぼれて来た。
 これは怖くて泣いてるんじゃない。あゆみさんが起きてくれないから泣いてるんだ、そう自分に言い聞かせる。僕はその場で静かにしゃくりあげながらグズグズと考えはじめた。

 あゆみさんを撒き込んじゃった。こんなひ弱で優しい人を、こんな凶事に巻き込んでしまった。
 せめて攫われたのが僕一人だったら……

 でもそこではたと気づいた。
 違う。多分あの二人が本当に攫いたかったのは僕じゃなくてあゆみさんだったんだ。だって僕なんかさらったって誰もそんなに心配するはずがない。
 それを考えれば、彼らにとって僕はおまけで邪魔なだけなんだ。

 それでも。せめて僕がここに一緒にいることが、あゆみさんのなにかの役に立つかもしれない。
 あの二人の話だと、僕とあゆみさんは昨日計画していた草原での交渉に連れ出さて行かれるみたいだ。
 だけどもしそうなったら、色々知っている僕たちはきっと邪魔にならないようにクスリを飲まさせられるか気絶させられるんだろう。そしたらもう僕にはなにも言えないし、なにも出来ない。非力な僕じゃ、彼らとやりあうのも無理だ。
 じゃあせめて、あゆみさんのを守れるものはなにかないだろうか?
 僕は辺りを手で触って使える物がないか探してみた。するとすぐに指が半分あゆみさんの下敷きになってる細い木の棒に突き当たった。

 これ、あゆみさんの杖だ!

 僕は急いでそれをあゆみさんの身体の下から引き抜いた。
 あゆみさんにとってこの杖だけは絶対に手放したくない物のはずだ。それにこれは一応木で出来ているし、上手くすれば少しは防御の役に立つかもしれない。
 僕は杖を折り畳み部分でポキポキと外しながら、あゆみさんのお腹に巻き付けるようにして折っていった。ちょっと不格好だけどないよりはましだと思う。
 他にもなにかないかと探し回ったけど目ぼしい物はなにも見つからず、僕は仕方なくまたあゆみさんの横に戻ってきてジッと座って時間をやり過ごした。
 することがなくなると、自分の愚かさが思い出されてまた涙が滲んでくる。

 なんとかしてあゆみさんを守りたい。
 なんとかしてみんなの元に戻したい。

 僕はジッと動かないまま、祈るように繰り返し繰り返し考えていた。


 * * * * *


「じゃあ、あの二人はやはり最初っから俺たちを嵌めるつもりで動いていたわけか」

 パットが話し終えるとキールが胸の内に溜まった汚濁を吐き出すように呟いた。

「はい。あれからずっと考えていたんですけど、多分あゆみさんを狼人族に引き渡して、彼らに殺されたあとで僕たちに上手く発見させるつもりだったんじゃないでしょうか」

 パットが青い顔でそう付け足した。俺は気になったことをまず聞いてみる。

「キール、さっきパットが言っていた『連邦』ってのはなんだ?」

 俺の質問にキールが顔を顰めた。

「……『連邦』ってのは裏社会を牛耳っている組織の通称だ。元々は確か『地方連邦軍』の略称で初代王がこの大陸を統合統治するまで最後まで争っていた反乱軍がその始祖だと聞いたことがある」

 げぇ、また初代の仕業かよ。あゆみがいれば絶対いらないチャチャを入れてるところだ。
 そう考えた途端、なにかどうしようもなく胸が苦しくなる。俺はそれを振り切ってキールに問いかけた。

「裏社会の奴らはお前が締めたって言ってなかったか?」
「ああ。あいつらのここの元締めは目立つ奴だったからな。教会がことを起こしてすぐ、馬鹿みたいに目立つ騒動起こしたんで簡単にハメられた。軍として正式な手続きを取った立派な縛り首だ」

 ……なんのかんのでこいつ、必要になれば手段を選ばないよな。そんなことを脳裏で考えながらも質問を続ける。

「じゃあなんで今更裏社会の連中が出てくるんだ?」
「『連邦』の組織の中心は王都にあるからな。多分まだここに残ってたやつらが王都の奴らと繋がってるんだろう。頭は潰したから残った雑魚どもは放っておいたんだが……」
「タッカーはどうもその雑魚の一人みたいだぞ」
「ああ。ちょっと見くびっていたな。だが、あいつらが『連邦』関係なら目的はここの統治権か。面倒だな」

 キールが厳しい目つきで考え込んでいる。

「キーロン殿下、どうか貧民街の皆さんを助けて下さい……」

 俺達の会話を大人しく聞いていたパットが、いても経ってもいられないと言うように口を挟んだ。

「パット、なんでお前がそんなにあいつらの肩を持つんだ?」

 訝しそうに問うアルディに、俯いたパットがぎこちなく答えた。

「……僕も……貧民街の出ですから」

 パットの言葉にアルディが一瞬顔を顰めたのには驚いた。それを見たパットが辛そうに顔を歪ませるのを見て、俺の口から思わず言葉が出る。

「貧民街の出ってのはそんなに悪いのか」
「いえ、悪いということではありません。単に……普通は行き来しないんですよ」

 アルディが気まずそうに答えた。

「その通りです」

 苦しそうにアルディの言葉を肯定したパットは、いい加減休ませようとするテリースを制して先を続ける。

「あそこから抜け出して生活を立てるのは……簡単ではありませんでした。僕たちは生まれた時から台帳に載っていません。そして台帳に載っていない者を普通に雇ってくれるところはほとんどありません……」

 体の問題だけではなく、パットが苦しそうに息をつく。

「例え雇われても……日雇いや……僕のように頼み込んで……幼い時から奴隷のような扱いを受け……それを耐えてやっと見習いになるんです。そして……運良く誰かの目に止まれば……保証人を引き受けてもらって……台帳に載せてもらうんです……」

 俺はふと気づいてパットに聞いた。

「お前もしかして、台帳に載ってないのか?」
「僕はまだ……」

 そう言って苦しそうに喘ぐ。

「ここの求人では聞かれませんでしたので……黙っていてすみません」

 涙ぐんでいるパットに俺は言葉をかけるよりも先に隣へ行ってその小さな頭を撫でていた。
 こいつを雇ったのは俺だ。俺がもっと早く気づいてやるべきだったんだ。

「すまない。心配するな、お前は俺が雇ったんだ。今更それを覆す気はない」

 俺の言葉にパットは大きく息を呑んだ。そしてとうとうその頬を涙が伝い落ちた。
 唇を噛みしめ嗚咽を呑み込んだパットは、力を振り絞るようにぐっと顎を引いてキールを振り返る。

「キーロン殿下、貧民街にもちゃんと貧民街なりの秩序はあります……交渉すべき人がいます……。必ず僕が連れてきますから……どうか話し合いの場を持ってください……」

 言葉を切ったパットはテリースの腕の中からキールを見上げた。

「パット、お前の言い分はよく分かったからもう休め」
「分かったって……?!」
「明日の朝、貧民街の奴らとの交渉を始めよう」
「ほ、本当ですか!」

 キールはパットに頷きながらテリースに目で合図する。

「狼人族と交渉しようとした俺たちが貧民街の奴らと交渉しないわけないだろう。明日、テリースと共にその人物を連れて来るためにも今日はもう休んでくれ」

 パットも流石にそう言われれば諦めもついたようで、ゆっくりと頷いて目を閉じた。そのままスッと眠りに落ちたのは多分テリースの魔術なのだろう。
 テリースがパットを二階の病室に連れて行くのを待って、俺とキールは黙々と明日の交渉に備えて準備を始めた。

 そして俺たちの長い一日は結局そのまま終わることなく次の日へと続いていった。
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