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第7章 変動

閑話: タッカー

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 全く。
 全てが上手くいかない。

 真面目だけが取り柄の様な俺が長年奉公を続け、やっと正規の商人として取り立てられてこれからだ、って時に女が病気になった。金が必要で、つい店の金に手を出した。見つかるはずのない手段だったはずだった。なのになぜかそれに「連邦」の奴らが気づきやがった。まるで甘い汁にたかる蟻のように執拗に俺を脅し始めた。結局最後には「連邦」にそそのかされて長年勤めた店の商店主を騙し、巻き上げるだけ金を巻き上げて店を潰した。
 そうやって取った金もほとんどは「連邦」にかすめ取られあっという間に消え去った。見習いの時から務めてきた店を失い、台帳にもまだ名前の載ってなかった俺はこの年で無職の上に行く当てが無くなった。どんなに頑張っても台帳に名前のない俺なんかに道は開けない。結局俺は俺を嵌めた「連邦」に巣くうしか他に道はなかった。

 金勘定が出来た俺は直ぐにあいつらにとっても美味しい存在になった。この小さな街でなんとか金を巻き上げる手法を編み出しては実績を積み、堅実にのしあがった俺に中央の幹部が目をとめ、次の入れ替え時には中央に引き抜かれる事になっていた。裏社会とは言え大した出世だ。もうこんなしなびた街にしがみつく必要もない。
 しばらくして「中央の幹部からの要請でここにいる王族の第5皇太子を片付けなきゃなんねぇ」と大将が愚痴り始めた。どうやらあの城門にいる隊長がその皇太子らしい。噂には聞いていたが本当だったのか。それでも俺には関係のない話だと後は適当に聞き流していた。
 やがて幹部の通達通り狼人族が南下し、そこに大将が街のチンピラを仕掛けて街と敵対関係に持っていった所までは悪くなかった。大将の計画では後は砦にノコノコ現れる皇太子の一隊に狼人族をけしかけて相討ちになって終いのはずだった。

 ところが街を出る前の一仕事、とでも言うようにその坊ちゃん皇太子がうちの大将をいとも簡単に吊し上げちまった。皮肉な事に罪状は俺が一緒に潰したあの店の件だった。
 別に感慨はわかなかった。もう恨みはとうの昔に薄れ、かと言って親しみも思い入れも無かった。ちょっと面倒な事になったとは思ったが、まあ下準備は済んでたし放って置いても砦で皇太子が殺されるのには変わりない。中央からいらっしゃる「連邦」幹部の皆様には別に大将が居なくてもそれで十分足りる話だろうし俺には関係ないと放置した。
 中に潜んでいる子飼いの犬が仲間をけしかけて上手い事砦に夜襲を掛けたにも関わらず、肝心の皇太子を取り逃がした、という知らせが来ても俺はさほど驚きはしなかった。あの大将が立てた計画だ、どうせ詰めが甘かったのだろう。だが死に損なった皇太子が片足の無い娘を森から連れ帰ってきた辺りで全てが変な方向に向かい始めた。

 しばらくして第5皇太子が人を集めていると下っ端が街で聴き込んできた。大将が死んじまった後、なし崩しにこの街の連邦を仕切っていた俺は顔をしかめた。嫌な予感がする。下っ端の話に舌打ちしながら様子を見に治療院に行ってみれば案の定思いもよらない事態になっていた。この坊ちゃん皇太子が正式にこの街の施政を始めるとぬかしやがる。
 冗談はやめてくれ。
 このままここは政治を空白状態にして街の奴らが疲弊した所に中央の「連邦」幹部が沢山の土産物を持って現れ両手を上げて受け入れてもらうってのが上が書いてたシナリオだ。こんな所で皇太子が成功しちまったら下手すりゃ俺の中央行きが潰れるだけじゃ済まない。
 俺は即座に求人に飛び込んだ。こんな物、中から見なけりゃ何が起きてるのかも分からない。

 入ってみりゃ実情はお子様の王様ごっこにしか見えなかった。
 しかも昔なじみのダンカンまでいる。あいつの姉ちゃんは俺の所で働いてるんだ、あいつに嫌は言えない。直ぐに脅し透かしてダンカンをこちらに引き入れた。
 こんなおままごとみたいな施政、ちょっと中から手を加えてやりゃ直ぐに崩れ去るだろうと邪魔をしていたが、思いもしない奴が俺のやっていることに気づきやがった。あのパットとかいうガキだ。ガキのくせにやけにカンが良く頭が回る。結局俺は大したダメージも残せないままダンカンに後を任せて姿をくらませた。
 どうやら皇太子が狼人族と戦うどころか交渉しようとしているらしい、という話をダンカンが持ち帰ったのはその直後だった。次から次へと冗談じゃない。これじゃあいつまで経っても皇太子が死なないじゃないか。幹部連中は皇太子が死んでる事を前提に、もうこちらに向かっているはずだ。あの方々が到着する前に何としても大将のやり残した仕事を片付けちまわなけりゃならない。
 追い込まれた俺は柄にもなく一計を案じた。あそこで働いた数日で直ぐに分かった。こいつ等の弱点はこの片足の女だ。逃げも隠れも出来ず、足手まといな上に頭も弱い。ちょっとダンカンに手紙でも持たせれば喜んで出てくるだろう。
 案の定頭に花の咲いたこの娘はパットを引き連れてホイホイと誘いに乗ってやってきた。俺の家で迎えたが、まさか俺の女がまだ喋れるとは思わなかった。

 こいつは何をかんがえてるんだ? あゆみに逃げろだと?
 まあいい。俺に捨てられると思っての事だろう。事実俺が中央に移る時には置いていくしかない。

 二人の身柄を手に入れ娼館の隠し部屋に監禁し終えた俺は、下っ端を呼んで今日落ち合う予定の子飼いの犬にこの女を引き渡すように言いつけた。後は狼人族があいつらを殺すなり嬲り者にするなり好きにしてくれればいい。子飼いの犬がその証拠でもこっちに送ってくれば正義面した皇太子が勝手に争いを始めてくれるだろう。
 自室に戻って仕事に掛かろうといつも通り書類に向き合うと、なぜかペンを持つ手に突然あのあゆみと言う女の細い首の感触が戻ってきた。途端手が勝手に震えだす。

 何を今更! こっちだってもう後がないんだ、とっとと忘れて次に移るだけだ。

 頭からアイツラの事を追い出そうと躍起になって金勘定してる俺の所に城門に戻ったはずのダンカンが飛び込んで来た。人目を盗んで俺を引っ張って隠し部屋まで来ると、今日の午後皇太子共が狼人族との交渉を始めるらしいという。今日の今日では狼人族に向かわせるのには時間が足りない。
 畜生、折角いいコマを手に入れたのにこれじゃ意味がない。
 俺の計画が立てる側から破綻して行く。一体どうなってるんだ?
 苛立つ俺にヤケクソでダンカンがよこした案を俺なりに捻り上げる。悪くない。これならここ数日、施政官の立場を利用してコツコツと積み上げた保険が役にたつ。
 俺は貧民街で集めた「有志」の連中を引き連れてあゆみとパットを袋に詰め、東門を抜けてて平原へ向かった。

 皇太子たちの後ろから現れた俺は大声で芝居をうちながらしっかりこの第5皇太子の立場を狼人族に印象付け、皇太子にも薬でグッタリとしているあゆみとパットを見せつけてやる。双方いい感じで怒りを増してきたところにダンカンが持ち帰った子飼いの犬の死骸を晒せば、案の定、あっという間に交渉どころか殺し合いが始まった。皆が熱くなって取っ組み合いを始めたところで俺はダンカンに守られながら人知れず静かに東門へと走り出していた。後は勝手にやってくれ、俺は巻き込まれるのはゴメンだ。

 あれで死んでくれれば楽だったんだがそれでも坊っちゃん皇太子は生きて戻って来やがった。つくづく運の良い奴だ。まあいい、おかげで十分準備は整った。
 貧民の奴等に坊っちゃん皇太子の目の前で草原に連れ出した奴等の最後を説明させる。これで今度こそこいつの施政は崩れ落ちるだろう。このまま手も足も出せない所に救済の金と食料を携えた幹部の皆様をお連れすればいい。たとえ皇太子が生き延びていても結果的に幹部の皆様がこの街を手に入れられれば後は彼らが自分たちで始末してくれるさ。

 ところが娼館で幹部の到着を待ちわびていた俺の所に現れたのは……なぜか貧民街のドンだった。
 俺が話始めるよりも早く殴り飛ばされて頭に麻布をかけられて縛り上げられた。どうやら俺の計画はまたも何処かで狂っちまったらしい。ここまで運が向かないんじゃもうどうしょもない。
 それに引き換えあの坊っちゃん皇太子は……流れに乗るっていうのはこういうんだろうな。俺の人生とは雲泥の差だ。
 俺は……暴れる気も抗う気も無くされるがままに引きづられていった。

 ダンカンは一暴れしてどうも逃げ切ったようだ。周りの話から察するに東門を抜けて到着する幹部に合流するつもりなのだろう。馬鹿な奴だ。失敗した者など許してくれる相手じゃなのが分かっていない。まあこうなったらあいつも俺も死ぬのが遅いか早いかの違いしかないだろうが。
 周り中から小突き回された挙句、跪かされて被り物を外されたのは思った通りあの坊っちゃん皇太子の目の前だった。
 何の苦労もなくその皇太子って立場に守られ、自分の実力を棚に上げてこんな田舎で威張り散らしてる坊っちゃんが俺に話を聞きたいと言いやがる。俺を見下ろすそのお綺麗な顔に、この結果がお前の実力などではなく単に運と勢いが俺になかったのだと最後の皮肉を返してやった。

 なのに。あの変な人間モドキが。俺の聞きたくもない話を向けて来やがる。聞きたくもない。そんな正論は聞きたくもない。貧民街から自力で這い上がってきた俺にそんな正論を振るんじゃない。
 だから俺は相手を傷つける為だけの嘘を吐いた。あのあゆみという女が慰み物になり殺された、と。
 ただただこいつらを苦しめる為だった。なんせ、俺の人生もう、終わりがみえちまったからな。せめて一緒に少しでも長く地獄を見ればいいさ。
 俺はほくそ笑みながらふと思った。妻も同じように俺に少しでも苦しみを与えたかったのかと。自分が逝く前に。
 はは。似た物夫婦だったってわけだ。
 笑っているはずなのになぜか頬が濡れた。


 兵舎の牢獄に入れられてから数回に渡って尋問が行われた。適度に痛めつけられ、お互いもう知っている同じ話を何度も繰り返した。
 あと何日俺は生きるのだろう。死はもうそこまで来ている筈なのに未だ処刑日は知らされず、だから俺も何か嘘のように穏やかに牢の中の生活を送っていた。

 処刑日を言い渡されるのを待つだけの俺の所に想像もしなかった者が現れた。
 あゆみとパットだった。
 こいつら生き残ったのか。運の強い奴らだ。これまた俺とは大違いだな。
 あの人間モドキは牢の外で見張っている。一瞬だけ顔を見せて釘を指すようにこちらを睨んでから姿を隠した。
 しっかりと拘束され床に繋ぎ止められている俺を確認してこいつらだけ中に入れたのだろう。牢屋に一つだけの寝台に繋がれたまま腰掛ける俺を立ったままのあゆみが真っ直ぐに見下ろした。どう詰られるのか。どうせ何を言われたってあの世に片足突っ込んだ俺には関係ない。そう思っていた。

 だがあゆみは何も言わなかった。
 代わりに俺の目の前に一房の髪の束を差し出した。白髪の混じった赤茶けた髪だった。
 俺は急に視界が狭まって歪みだしたのに驚いて顔を上げた。
 
「ごめんなさい。何もしてあげられなかったの。痛み止めも、薬も、治療もしてあげられなかった。私知ってたのに間に合わなかった」

 何だ? なんでこの女は泣いてるんだ?

「近所の皆さんが看取ってくれたそうです。最後は苦しまなかったって。タッカーさんが置いていった薬飲んでたって……」

 ボロボロ泣いてやがる。まるで俺の目から出きれない涙を代わりに流してやがるみたいだ。

「タッカーさんの名前、呼んでたそうです。最後まで……」

 何故騙したのかと。
 なぜそんな事が出来たのかと。
 そんな事を言われると思ってた。言われたかった。それなら処刑されるまで聞き続けたって平気で聞き流せた。

「これ、リゼルさんのお茶碗。こっちなんでしょ? だから私に飲ませる薬はもう一方に入れたんですよね。後で間違ってリゼルさんが飲まされないように」

 あゆみが俺の手の中にあいつの茶碗をおいた。端の欠けた茶碗。入れる名前なんて台帳に無かった俺達のたった一つの夫婦の印。

「タッカーさんが私にした事やパット君にした事を私は絶対許しません。でも私は別にタッカーさんに死んでほしくない。リゼルさんだってタッカーさんに死んで欲しいかったはずない。だってリゼルさん、私に逃げてって言いながら、でも私の手を掴んでたの。タッカーさんが持ってきたもう一つのお茶碗を愛おしそうに見つめながら。リゼルさんをそこまで追い詰めちゃったタッカーさんに、だからこのまま死んでなんか欲しくない」

 この女は。頭に花咲かせてる癖になんでそんな目で俺を見るんだ。真っ白な目でまっすぐ俺を見つめてきやがる。
 恨みも、怒りも、悲しさも、哀れみも。何にも無い。何も混じってない。
 ただ真っ直ぐ俺を見る。
 それが本当に痛くて。刺さる気がして。俺は目を背けた。
 だからまさかまだ続きがあるなんて思ってもみなかったんだ。こいつの話に。

「だからここで働いてください」
「……はあ?」

 予想だにしない言葉を上から掛けられて俺は馬鹿みたいな声を漏らしちまった。

「一生、ここで働いてください。もちろん無報酬です。折角使える頭があるんでしょう? 今まで通り施政官の仕事をしてもらいます。こちらで割り振ってここにお持ちしますから起床から就寝まで頑張ってください」
「あなた、何を考えてるんですか? 私に殺される所だったって本当に理解できてますか?」
「当たり前です。でもね、私、生き残っちゃいましたよ。ほら、パット君も。案外思い通りに行かないでしょ?」

 そう言って俺を見て笑う。

 「だからいいんです。私もパット君もいっぱい自由に生きていきます。それでもってタッカーさんはここで一日中お仕事です。お休み無しです。ひどいでしょ?」

 俺は呆れて声が出ない。
 そこにヒョイっとあの人間モドキが顔を出す。

「俺は反対したんだぞ。お前なんか首吊りにしたって足りないってな。でも被害者が二人してお前を殺すなって言うんだ。キールも俺も諦めるしかねぇ。まあ、あんたが殺してくれって言うならいつでも処刑命令出すって言ってたけどな」
「ダメだって言ったでしょう。私のやり方のほうがよっぽどキツイんだから。タッカーさんにはずっと苦しんでもらうの。奥さんの所に行くまで」

 俺は……

 俺はもうこいつらを見てらんなかった。
 聞いてらんなかった。

 どんだけ緩いんだよ。
 何でそんなこと言えちまうんだよ。
 聞きたくねぇんだよ。
 そんなの聞いちまったら。
 あんまりに自分が惨めじゃないか。
 だから俺はうつむいて無言を通した。
 それは多分俺の最後の矜持だったのだろう。

 しばらくすると諦めたのかあゆみたちは静かに立ち去った。
 あゆみたちの姿が見えなくなるのを待って俺はようやくその場に突っ伏して耳を塞いで目をつぶって誰も居ない独房で声も無く涙を流した。
 俺がやっと泣き止んだ頃。静かに夕日の射す独房には他に誰もいなかった。
 だけど俺の手の中で俺の涙をしっかりと吸ったリゼルの髪とあいつの茶碗がそっと俺を見返している気がした。
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