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第5章 狼人族
24 葬儀
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「始めろ」
キールの一言で葬儀が始まった。アルディとキール、そして俺が平原に大きな穴を掘って辺りに散らばっている死体を埋めていく。本来ならばあの日のうちに戻って行うはずだったのだが貧民街の奴らの騒ぎと刈り入れのせいでとうとうここまで伸びてしまっていた。
この一週間の間に死体は全て腐敗が進んでいた。最初はその臭いの強烈さに俺には耐えられないと思っていたが、テリースが低度の痛覚隔離で知覚をごまかしてくれた。
ダーレンに頼まれてあの日治療院の前で亡くなったじいさんの遺体もここに埋葬するために持ってきている。
俺達が埋葬を行っている間にテリースが自作の笛で葬送曲を奏で始めた。この葬送の曲は狼人族の物なのだそうだ。
刈り入れの間も俺達はこの葬儀に乗じて何とか狼人族に再度決闘のやり直しを挑めないかと画策していた。テリースはこの曲を聞けば少なくとも一人狼人族の者が出てくるだろうと言った。
平原で死んだのは何も貧民の男たちだけではない。あの日狼人族も一人死んでいるのだ。
そして無論信じたくも信じるつもりもないが。
もしタッカーが言っていたことが真実だったならあゆみも既に死んでいるのかもしれない。
俺は未だにそれを信じるつもりはなかったが、キールはどうやらある程度信じているようで、葬送曲を奏でる事であちらから何らかの反応が返ってくるかもしれない、と言葉を濁した。もしかすると狼人族があゆみの死体だけでも返してくれる事を期待して言っているのかもしれない。もう口論してもかみ合う事のないこの点についてこいつと言い合う気にはなれなかった。
今振り返って見れば結局あの日の出来事は殆どがこちら側の問題だった。
狼人族があゆみたちを攫おうとしていたなどと言う事実はなかったし、あそこに貧民街の奴らを連れ出したタッカーも街の者だ。立場だけで言うならば俺達は彼らのあの時の対応に文句をつけられない。
たとえあゆみが生きていなくても──
またズクンと胸が痛み、焦りで胃が焼け付く。
なんで俺はこいつらの様に割り切ってしまえないのだろう。ただ亡くしたことを悲しむ事が出来るならばその方が楽かもしれない。なのに俺は相変わらずあいつが死んだとは思えず、救いにいけない事に焦り続け、ただひたすらどうやって救い出せるかを考え続けていた。
もしこの葬儀で上手く呼び寄せられなかったら。
こいつ等には悪いがもう決闘なんて待ってられない。俺はのこのこ出てきた奴を人質に取ってでも森に攻め込んであいつを救い出すまで戦うつもりだ。
暫く俺がふつふつとそんな事を考えていると、テリースが言っていた通り遠くから一人の狼人族の男が近づいて来るのが見えた。
近づいてくるにつれ、そいつの腕の中に抱えられている何か小さなものが目に入ってズキンと音を立てて俺の心臓が軋む。
近づけば近付くほど見たくもない物がしっかり目に入ってしまい俺は自分の胃が引きつるのを感じた。
俺達から10歩と離れていない所で一旦立ち止まった狼人族の男が腕に抱えていたのはグッタリとして動かないあゆみの身体だった。
駆けだしたくなるのを無理やり押さえ込んで男がすぐ近くにくるのをそのまま待った。
「葬送の曲が聞こえた」
狼人族の男はそう言ってテリースを見やる。それはバッカスと呼ばれていたあの時の隻眼の男だった。
「ああ。ここで死んだ者の魂を慰めるために奏でている」
キールは目に入ったあゆみの姿に一瞬顔を歪ませながらもすぐに感情を押し殺して返事を返した。それに小さく頷いたバッカスが近づきながら続ける。
「ここにも一人葬儀に参加すべき奴がいる」
そう言ってバッカスは無表情のまま自分の腕に抱えていたあゆみの身体を俺達の目の前の地面にゆっくりと横たえた。
地面に寝かされ固く目を閉じたあゆみの身体は失われた足のせいなのかやけに小さく見えた。
その顔はまるでまだ息があるとしか思えない程最後に見た時と変わりなく思えた。
だが俺達がどんなに待ってもその身体は凍り付いた様に動かない。
起き出す事のないあゆみの身体を目の辺りにして、まるで時が止まってしまったようにしばらく誰もその場を動けなかった。
「嘘だろ? あゆみ……本当に、本当に死んじまったのか……?」
「…………」
俺は……限界だった。
誰も騒がない。誰もが当たり前の様に目の前のあゆみの死を受け入れちまってる、それが許せなかった。
俺は最初はノロノロと一歩踏み出し、それが崩れるように次の足が出てそのまま駆け寄ってあゆみの身体を抱き上げた。ぐったりとしたあゆみの身体が悪夢を思い出させる。
体を起こしあげ、その弛緩した身体を揺さぶりながら叫んだ。
「なんでだ? どうして……?」
勝手にあふれてくる涙が止まらない。
怒りではなく悲しみが胸を押しつぶし、口を突いて出てくる言葉にはもう意味がなかった。
嗚咽を上げているのかくぐもった悲鳴を上げているのかも自分でも分からない。
視界にはキールとテリースがやはり苦しそうな嗚咽を上げているのが見えていたがそこに共感は湧かなかった。
バッカス達への怒りや憎しみなんかより、腕の中でぐったりと力無く横たわるあゆみへのどうにかしたくてもどうすることも出来ない感情の爆発だけが虚しく繰り返されていた。
虚無のように意味をなさないこの今の現状の中で、今目の前にあるあゆみの悪夢から抜け出したような冷たい身体だけが俺の心を締め上げていた。
冷たい体だけが。
冷たい……
冷た……
…………
……くないぞ。
「…………」
「…………」
「……おい」
肩を震わせながら呟いた俺の言葉に、キール達が怪訝そうな顔でこちらを見る。
よく見ると俺の腕の中のあゆみは顔を赤らめて小刻みに震えてる。
バッと顔を上げてよくよく見れば目の前のバッカスも俯きながら肩を震わせてる。
こ、こいつらぁ~~~!!!
俺は怒りのあまり腕の中のあゆみの体をポイッと地面に投げ出した。
「え!」「あ!」
突然の俺の行動に一体何をするんだっと焦ったテリースとアルディが駆け寄ろうとして、でも地面に落ちる寸前で体制を整えたあゆみを見てぎょっと驚いて目を見開いた。
「……いい加減にしろよっ!」
俺は思いっきりドスの効いた超絶不機嫌な声で唸った。
「あ、あれ? ばれた?」
それを聞いていたあゆみは少し赤い顔でむっくりと起き上がってちょっと失敗ってな軽い調子で答えやがった。
俺は、俺はまだ目の端に垂れちまってた何かを無理やり乱暴に袖口で拭った。
「くそ、この馬鹿やろう! お前っ! 何考えてんだ、お、俺たちがどんなに心配したと思って……」
胃痛を通り越して何かマズい感じのすっぱいものが口の中にせり上がってくるのを感じながら、俺は唾を飛ばしてあゆみに怒鳴り散らした。
「えー、何考えてるって言われましても……」
対して答えるあゆみはしれっとしたものでちょっと目元を顰めて頬をぷっくりと膨らませてこっちを見返す。さっきまでのぐったりしてたのは一体何だったんだ、と叫びたくなる。
大体この前まで俺の顔を見ただけで怯えてたやつはどこに行った? こんだけ俺に凄まれて怒鳴られても何で何ともないんだ?
怒りに震える俺の前で頬を膨らませたあゆみがブチブチと言い訳を始めた。
「だって黒猫君もキールさんも誰も来てくれなかったじゃないですか」
「「…………」」
怒鳴り散らした俺と呆れかえっているキールの顔を交互にみてからしれっとした顔であゆみが言う。
「だからせめて死んだふりでもして少しぐらい心配させてやろうってバッカスに一芝居お願いしたの」
この一週間で溜まりに溜まっていた苛立ちがここに来てピークを迎えた。
怒鳴り散らしたいのに余りに高ぶりすぎて気持ちがなかなか言葉にならない。それでも何とか無理やり吐き出そうと口を開いた。
「お、おま、お、俺たちが一体どんな思いで……」
「あ、黒猫君、それずるいからね。私だってこの一週間ずっと一人で頑張ってたんだから。黒猫君たちが何してたのか知らないけどそれはお互い様」
沸騰しきった俺の気持ちが籠った渾身の文句を、あゆみの奴はそのど真ん中で思いっきり遮りながら覆いかぶせる様に言葉をかけてきた。
しかも人の話の腰を思いっきり折っておいてここで絶妙な間を取って目を潤ませて呟く。
「でもね、私、これでも一応待ってたんだよ?」
あゆみの最後の一言に俺は出かけていた100の文句をグッと口の中で噛み殺した。キールも他の二人も同様に言葉に詰まっている。
ふと見るとバッカスが一人クツクツと後ろで笑ってやがった。
反応を返せない俺たちを他所にあゆみがさっきよりも本気で拗ねた様に唇を尖らせてダラダラと世間話の様な文句を垂れ流し始めた。
「まあ確かに私は私で狼人族さん達の所でもそれなりになんとか快適に過ごし始めてはいたんだけどね。話してみれば気のいい人ばっかりだし。美味しい物も食べさせてくれるし。あれっと思ったら一週間たっちゃってるし。でもいくら私は大丈夫だって言ったって流石にこのまま連絡もなしにこっちに滞在し続けるのはマズイかなって思ってる所にお葬式の曲がかかってるって言うじゃん。なんかとうとう私の生存も諦められて私このまま死んだ事にされちゃうのかって最初は嘆いたりもしたけどさ、聞いてるうちに段々頭にき始めたんだよね。結局一度も来ないどいて葬式なんだもん。だったらもういっそ救えなかった事を勝手に後悔してろって気分になってたけどね」
こ、こいつっ。
あゆみのあまりにも緊張感のない言葉の端端からこいつの一週間の捕虜生活が一体どんなものだったのか薄っすらと見えて来た。そんなんだったらもう一生こいつらの所に居やがれ! と叫び出したくなるのをぐっと我慢して問いかける。
「……じゃあ何で今更出て来たんだ?」
「……だって、黒猫君たちが申込んだ決闘ってまだ終わってないでしょ?」
「はぁ?」
何でここで決闘が出てくるんだ?
「バッカスに聞いたの。黒猫君たちバッカスたちに決闘を申し込んでおいて大人数で待ち伏せにしたんだって?」
「ま、待てそれは違うぞ!」
「あ、いいの。多分大体予想は付くし」
焦って反論しようとするキールをあゆみが押しとどめる。
「それでね。バッカス達はバッカス達で決闘一つ堂々と出来ないような連中信じられないとか言うのよね。もうお話し合いでいいじゃんって言ったんだけど聞かないし。でしょうがないからバッカスとも相談したんだけどさ、だったらやっぱりちゃんと決闘やればいいじゃんて事なの」
「「「……はあ???」」」
多分あゆみの言ってることに付いていけてないのは俺だけじゃない。キールだってテリースだって横で呆けている。どうもバッカスもきちんと理解しているわけではない様だ、ぼーっと周りを見回している。
そんな俺達を置き去りにあゆみが一人で話を進めていった。
「事情はともかく、黒猫君たちが前回の決闘を台無しにしちゃったんだよね。だから今回は私が全部決めるって事でよろしく」
「あゆみさん、すみませんちょっと待ってください、何か色々理解できないんですが?」
「あゆみ落ち着け、ちょっとこっちの話も聞け」
どんどん進めてしまうあゆみに焦ってテリース達が止めようとするが俺は今なんか引っかかった。
取りなそうとするキールとテリースをパっと手を広げて制してあゆみに問いかける。
「待てあゆみ、何でお前が決めるんだ?」
「ええ? だってそれは……」
俺の問いかけに横からバッカスがひょいっと割って入ってニヤリと笑って代わりに答えた。
「何故ならこいつが俺たちの『交渉人』ってやつだからだ」
キールの一言で葬儀が始まった。アルディとキール、そして俺が平原に大きな穴を掘って辺りに散らばっている死体を埋めていく。本来ならばあの日のうちに戻って行うはずだったのだが貧民街の奴らの騒ぎと刈り入れのせいでとうとうここまで伸びてしまっていた。
この一週間の間に死体は全て腐敗が進んでいた。最初はその臭いの強烈さに俺には耐えられないと思っていたが、テリースが低度の痛覚隔離で知覚をごまかしてくれた。
ダーレンに頼まれてあの日治療院の前で亡くなったじいさんの遺体もここに埋葬するために持ってきている。
俺達が埋葬を行っている間にテリースが自作の笛で葬送曲を奏で始めた。この葬送の曲は狼人族の物なのだそうだ。
刈り入れの間も俺達はこの葬儀に乗じて何とか狼人族に再度決闘のやり直しを挑めないかと画策していた。テリースはこの曲を聞けば少なくとも一人狼人族の者が出てくるだろうと言った。
平原で死んだのは何も貧民の男たちだけではない。あの日狼人族も一人死んでいるのだ。
そして無論信じたくも信じるつもりもないが。
もしタッカーが言っていたことが真実だったならあゆみも既に死んでいるのかもしれない。
俺は未だにそれを信じるつもりはなかったが、キールはどうやらある程度信じているようで、葬送曲を奏でる事であちらから何らかの反応が返ってくるかもしれない、と言葉を濁した。もしかすると狼人族があゆみの死体だけでも返してくれる事を期待して言っているのかもしれない。もう口論してもかみ合う事のないこの点についてこいつと言い合う気にはなれなかった。
今振り返って見れば結局あの日の出来事は殆どがこちら側の問題だった。
狼人族があゆみたちを攫おうとしていたなどと言う事実はなかったし、あそこに貧民街の奴らを連れ出したタッカーも街の者だ。立場だけで言うならば俺達は彼らのあの時の対応に文句をつけられない。
たとえあゆみが生きていなくても──
またズクンと胸が痛み、焦りで胃が焼け付く。
なんで俺はこいつらの様に割り切ってしまえないのだろう。ただ亡くしたことを悲しむ事が出来るならばその方が楽かもしれない。なのに俺は相変わらずあいつが死んだとは思えず、救いにいけない事に焦り続け、ただひたすらどうやって救い出せるかを考え続けていた。
もしこの葬儀で上手く呼び寄せられなかったら。
こいつ等には悪いがもう決闘なんて待ってられない。俺はのこのこ出てきた奴を人質に取ってでも森に攻め込んであいつを救い出すまで戦うつもりだ。
暫く俺がふつふつとそんな事を考えていると、テリースが言っていた通り遠くから一人の狼人族の男が近づいて来るのが見えた。
近づいてくるにつれ、そいつの腕の中に抱えられている何か小さなものが目に入ってズキンと音を立てて俺の心臓が軋む。
近づけば近付くほど見たくもない物がしっかり目に入ってしまい俺は自分の胃が引きつるのを感じた。
俺達から10歩と離れていない所で一旦立ち止まった狼人族の男が腕に抱えていたのはグッタリとして動かないあゆみの身体だった。
駆けだしたくなるのを無理やり押さえ込んで男がすぐ近くにくるのをそのまま待った。
「葬送の曲が聞こえた」
狼人族の男はそう言ってテリースを見やる。それはバッカスと呼ばれていたあの時の隻眼の男だった。
「ああ。ここで死んだ者の魂を慰めるために奏でている」
キールは目に入ったあゆみの姿に一瞬顔を歪ませながらもすぐに感情を押し殺して返事を返した。それに小さく頷いたバッカスが近づきながら続ける。
「ここにも一人葬儀に参加すべき奴がいる」
そう言ってバッカスは無表情のまま自分の腕に抱えていたあゆみの身体を俺達の目の前の地面にゆっくりと横たえた。
地面に寝かされ固く目を閉じたあゆみの身体は失われた足のせいなのかやけに小さく見えた。
その顔はまるでまだ息があるとしか思えない程最後に見た時と変わりなく思えた。
だが俺達がどんなに待ってもその身体は凍り付いた様に動かない。
起き出す事のないあゆみの身体を目の辺りにして、まるで時が止まってしまったようにしばらく誰もその場を動けなかった。
「嘘だろ? あゆみ……本当に、本当に死んじまったのか……?」
「…………」
俺は……限界だった。
誰も騒がない。誰もが当たり前の様に目の前のあゆみの死を受け入れちまってる、それが許せなかった。
俺は最初はノロノロと一歩踏み出し、それが崩れるように次の足が出てそのまま駆け寄ってあゆみの身体を抱き上げた。ぐったりとしたあゆみの身体が悪夢を思い出させる。
体を起こしあげ、その弛緩した身体を揺さぶりながら叫んだ。
「なんでだ? どうして……?」
勝手にあふれてくる涙が止まらない。
怒りではなく悲しみが胸を押しつぶし、口を突いて出てくる言葉にはもう意味がなかった。
嗚咽を上げているのかくぐもった悲鳴を上げているのかも自分でも分からない。
視界にはキールとテリースがやはり苦しそうな嗚咽を上げているのが見えていたがそこに共感は湧かなかった。
バッカス達への怒りや憎しみなんかより、腕の中でぐったりと力無く横たわるあゆみへのどうにかしたくてもどうすることも出来ない感情の爆発だけが虚しく繰り返されていた。
虚無のように意味をなさないこの今の現状の中で、今目の前にあるあゆみの悪夢から抜け出したような冷たい身体だけが俺の心を締め上げていた。
冷たい体だけが。
冷たい……
冷た……
…………
……くないぞ。
「…………」
「…………」
「……おい」
肩を震わせながら呟いた俺の言葉に、キール達が怪訝そうな顔でこちらを見る。
よく見ると俺の腕の中のあゆみは顔を赤らめて小刻みに震えてる。
バッと顔を上げてよくよく見れば目の前のバッカスも俯きながら肩を震わせてる。
こ、こいつらぁ~~~!!!
俺は怒りのあまり腕の中のあゆみの体をポイッと地面に投げ出した。
「え!」「あ!」
突然の俺の行動に一体何をするんだっと焦ったテリースとアルディが駆け寄ろうとして、でも地面に落ちる寸前で体制を整えたあゆみを見てぎょっと驚いて目を見開いた。
「……いい加減にしろよっ!」
俺は思いっきりドスの効いた超絶不機嫌な声で唸った。
「あ、あれ? ばれた?」
それを聞いていたあゆみは少し赤い顔でむっくりと起き上がってちょっと失敗ってな軽い調子で答えやがった。
俺は、俺はまだ目の端に垂れちまってた何かを無理やり乱暴に袖口で拭った。
「くそ、この馬鹿やろう! お前っ! 何考えてんだ、お、俺たちがどんなに心配したと思って……」
胃痛を通り越して何かマズい感じのすっぱいものが口の中にせり上がってくるのを感じながら、俺は唾を飛ばしてあゆみに怒鳴り散らした。
「えー、何考えてるって言われましても……」
対して答えるあゆみはしれっとしたものでちょっと目元を顰めて頬をぷっくりと膨らませてこっちを見返す。さっきまでのぐったりしてたのは一体何だったんだ、と叫びたくなる。
大体この前まで俺の顔を見ただけで怯えてたやつはどこに行った? こんだけ俺に凄まれて怒鳴られても何で何ともないんだ?
怒りに震える俺の前で頬を膨らませたあゆみがブチブチと言い訳を始めた。
「だって黒猫君もキールさんも誰も来てくれなかったじゃないですか」
「「…………」」
怒鳴り散らした俺と呆れかえっているキールの顔を交互にみてからしれっとした顔であゆみが言う。
「だからせめて死んだふりでもして少しぐらい心配させてやろうってバッカスに一芝居お願いしたの」
この一週間で溜まりに溜まっていた苛立ちがここに来てピークを迎えた。
怒鳴り散らしたいのに余りに高ぶりすぎて気持ちがなかなか言葉にならない。それでも何とか無理やり吐き出そうと口を開いた。
「お、おま、お、俺たちが一体どんな思いで……」
「あ、黒猫君、それずるいからね。私だってこの一週間ずっと一人で頑張ってたんだから。黒猫君たちが何してたのか知らないけどそれはお互い様」
沸騰しきった俺の気持ちが籠った渾身の文句を、あゆみの奴はそのど真ん中で思いっきり遮りながら覆いかぶせる様に言葉をかけてきた。
しかも人の話の腰を思いっきり折っておいてここで絶妙な間を取って目を潤ませて呟く。
「でもね、私、これでも一応待ってたんだよ?」
あゆみの最後の一言に俺は出かけていた100の文句をグッと口の中で噛み殺した。キールも他の二人も同様に言葉に詰まっている。
ふと見るとバッカスが一人クツクツと後ろで笑ってやがった。
反応を返せない俺たちを他所にあゆみがさっきよりも本気で拗ねた様に唇を尖らせてダラダラと世間話の様な文句を垂れ流し始めた。
「まあ確かに私は私で狼人族さん達の所でもそれなりになんとか快適に過ごし始めてはいたんだけどね。話してみれば気のいい人ばっかりだし。美味しい物も食べさせてくれるし。あれっと思ったら一週間たっちゃってるし。でもいくら私は大丈夫だって言ったって流石にこのまま連絡もなしにこっちに滞在し続けるのはマズイかなって思ってる所にお葬式の曲がかかってるって言うじゃん。なんかとうとう私の生存も諦められて私このまま死んだ事にされちゃうのかって最初は嘆いたりもしたけどさ、聞いてるうちに段々頭にき始めたんだよね。結局一度も来ないどいて葬式なんだもん。だったらもういっそ救えなかった事を勝手に後悔してろって気分になってたけどね」
こ、こいつっ。
あゆみのあまりにも緊張感のない言葉の端端からこいつの一週間の捕虜生活が一体どんなものだったのか薄っすらと見えて来た。そんなんだったらもう一生こいつらの所に居やがれ! と叫び出したくなるのをぐっと我慢して問いかける。
「……じゃあ何で今更出て来たんだ?」
「……だって、黒猫君たちが申込んだ決闘ってまだ終わってないでしょ?」
「はぁ?」
何でここで決闘が出てくるんだ?
「バッカスに聞いたの。黒猫君たちバッカスたちに決闘を申し込んでおいて大人数で待ち伏せにしたんだって?」
「ま、待てそれは違うぞ!」
「あ、いいの。多分大体予想は付くし」
焦って反論しようとするキールをあゆみが押しとどめる。
「それでね。バッカス達はバッカス達で決闘一つ堂々と出来ないような連中信じられないとか言うのよね。もうお話し合いでいいじゃんって言ったんだけど聞かないし。でしょうがないからバッカスとも相談したんだけどさ、だったらやっぱりちゃんと決闘やればいいじゃんて事なの」
「「「……はあ???」」」
多分あゆみの言ってることに付いていけてないのは俺だけじゃない。キールだってテリースだって横で呆けている。どうもバッカスもきちんと理解しているわけではない様だ、ぼーっと周りを見回している。
そんな俺達を置き去りにあゆみが一人で話を進めていった。
「事情はともかく、黒猫君たちが前回の決闘を台無しにしちゃったんだよね。だから今回は私が全部決めるって事でよろしく」
「あゆみさん、すみませんちょっと待ってください、何か色々理解できないんですが?」
「あゆみ落ち着け、ちょっとこっちの話も聞け」
どんどん進めてしまうあゆみに焦ってテリース達が止めようとするが俺は今なんか引っかかった。
取りなそうとするキールとテリースをパっと手を広げて制してあゆみに問いかける。
「待てあゆみ、何でお前が決めるんだ?」
「ええ? だってそれは……」
俺の問いかけに横からバッカスがひょいっと割って入ってニヤリと笑って代わりに答えた。
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