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第5章 狼人族

8 話し合い

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 結局、その日の魔術鍛錬はそれでおしまいになってしまった。
 気は重いけど執務室に戻ろうと思ってたら扉の前でキールさんに呼び止められた。

「悪かった」
「え?」
「昨日の今日で君に頼むのは負担が大きかっただろう」

 無表情のままそう言うキールさんに、ちょっと戸惑いながらも返事を返す。

「いえ、別に魔力的な負担は感じてませんよ?」
「いや、そういうことではなく。君はネロが人間の形になるのにかなり抵抗があるようだったから」

 見抜かれてしまった。

「て、抵抗があるっていうか。黒猫君、もう人間じゃないと思ってずっと一緒にいたんでどうにも戸惑ってしまっただけです」

 見た目にドキドキさせられたなんて絶対言えない。思い出して上気してくる顔を抑えながらごまかすように続けた。

「でもよくわかりましたね?」

 私がそう言うとキールさんがはぁーっと小さくため息を突いて私に向き直った。

「あゆみ、君はどうも自分では気づいていないみたいだが、君の態度はあからさまで誰から見ても分かりやすかったぞ。あれじゃあネロが少し可哀想だ」
「え?」

 驚く私を他所に、キールさんが黒猫君の待っている私たちの執務室のほうを見ながら言葉を続けた。

「あいつだってもちろん君に魔法を試して欲しかっただろう。なのに今朝それが言い出せなかったのも多分、君の昨日と今日の態度を見てだと思うぞ」
「え、だって、黒猫君、私を捕まえて今まで通りの態度を取れって言ったから、私、気を付けてそうしてたと思うんですけど」
「そういうことじゃない」

 またもため息を突かれてしまった。

「あゆみ、君はあいつが人間の形になった途端怯えながらあいつを避けただろう」

 え! そんなつもりはなかったんだけど。

「しかもあいつが猫に戻った途端、今日はやたら嬉しそうにあいつをかまってた」

 ……自覚がなかった。

 ショックで言葉の出ない私を少し目を細めて見つめながら、キールさんがぼそりと呟く。

「まあ、どうも俺が思ってたほど悪い意味ではなかったみたいだがな。君の真意はともかくとして、避けられたりあからさまに猫に戻ったのを喜ばれたんじゃ、あいつだってそりゃ傷ついてるだろうよ。一度ちゃんとあいつにお前が人型のあいつをどう思っているのか説明してやったほうがいいと思うぞ」

 それはまたすごくハードルの高いことを。説明が出来ないからこそ昨日は避けまくってたのに。

「忠告はしたからな」

 そう言ってキールさんは自分の執務室に戻って行ってしまった。


 執務室に戻ってからも、さっきキールさんに言われたことが頭を占めていて黒猫君の顔が見れない。全然悪気はなかったんだけど、もしかすると私黒猫君にすごくひどい態度を取ってたのかもしれない。
 私は手元の台帳を睨みつけながら、なんとか覚悟を決めようと必死だった。

「あんまり気にするな」

 ぼそりと黒猫君が呟いた。

「上手くいかなかったのはお前のせいじゃない。前回人型になれたのが変だったんだ」

 私の挙動不審な様子を勘違いしたらしい黒猫君の言葉に、私はグッと胃の辺りに痛みを覚えた。
 何だろう。私、凄く苦しい。胃の辺りにずっしりと詰まってしまってる苦しさを取り除こうと、私はなんとか言葉を絞り出した。

「ごめんね」

 一言いうと、ちょっと胃の痛みが減る。

「今キールさんに言われた。昨日私そんなに黒猫君を避けてた?」

 私の質問に、いくら待っても黒猫君は返事をしてくれない。

「私、別に黒猫君を避けてるつもりじゃなかったんだけど」

 そう言った途端、胃がもっと痛くなった。う、今のはずるいよね。

「う、避けてはいたかも……しれないけど。絶対人間の黒猫君が怖かったとか嫌いだったからとかじゃないから」

 早口に一気に言ってしまう。

「……は?」

 まるで聞き取れなかったと言うように、黒猫君がゆっくりとこちらを見上げた。

「……お前、俺のあの顔が怖かったんじゃないの?」
「へ? え? なんで? 別に怖くはなかったよ、ほんとに」

 キールさんの言葉は正しかったらしい。どうも黒猫君、私の態度を完全に誤解してたみたい。
 驚いてる黒猫君に、そこだけは変に誤解されないようにきちんと否定しとく。

「じゃあなんで避けてたんだ?」

 いや、真っすぐに見上げられてそんなこと言われても答えられないよ。

「別に黒猫君が怖かったから避けてたんじゃなくて、その色々と私のほうに事情があっただけで……」

 ごにょごにょと語尾をごまかしておく。

「きょ、今日だって別に黒猫君が猫に戻っちゃったのが嬉しかった訳じゃなくて。単に昨日みたいな態度を取るのが申し訳なくて、それをしなくてよかったから嬉しかっただけで」

 お、おかしくないよね? 嘘じゃないし。胃も痛くならないし、大丈夫みたいだ。

「……お前だいじょうぶか? また顔が赤くなってるぞ。一度テリースに見てもらったほうがいいんじゃねーか?」

 うわ、そっか顔に出てたか。

「そ、そうだね。ちょっと行ってくる!」

 黒猫君から顔を隠してそう言った私は、出来るだけ急いで立ち上がってそそくさと部屋から逃げ出した。

 ひぃ~、危ない所だった。
 なんだか知らないけど黒猫君の質問に押されて危なく心にもないこと、べらべらしゃべりだしちゃうところだった。
 逃げ出してきちゃったけどどうしよう。まさかテリースさんに本当に見てもらうわけにもいかない。
 仕方ないので厨房に向かうことにした。この時間なら、上手くすれば今日も火を点けるお手伝いさせてもらえるかもしれないし。

 厨房に入ると今日もトーマスさんの後姿が目に入った。大きな背を小さく丸めて、なにやら忙しく手を動かしている。

「トーマスさん、もう戻ってたんですか?」

 後ろから掛けた私の言葉にパッと明るい顔を上げたトーマスさんが答えてくれる。

「ああ、あいつらを引きずって今帰ってきたところだ」

 うん、トーマスさんはいつもニコニコしてて本当にお話しやすい。

「じゃあ、薪にまだ火を点けてませんよね?」
「……悪いがもう夕食は出来てるぞ」
「え?」

 そう言ってトーマスさんは昨日のラムをパンにはさんだサンドイッチの山を見せてくれた。さっきトーマスさんが手を動かしていたのも最後のサンドイッチを詰めてるところだったみたい。

「昨日は肉がかなり残ったからな。無駄にも出来ないだろう」

 残念ながら、今日私の火魔法の出番はないらしい。

「そう言えば骨が残ったんだがネロはこれ食うと思うか?」
「……それ、絶対ネロ君には言わないであげてくださいね」

 私の答えに、なんでだ?って顔をしながらトーマスさんが続けた。

「あいつ変わってるよな。俺の食い残しにも見向きもしねーし」

 ……そっか。残飯あげてた兵士さんて、もしかしてトーマスさんだったのか。ここはトーマスさんにもちゃんと黒猫君の正体をばらしてあげておこう。

「あ、あの、黒猫君、ああ見えて実は人間なんです」
「はぁ?」
「昨日会いませんでしたか? ほら、食堂で私を連れて行った……」
「え? ああ、あの猫耳のアクセサリを付けた奴のことか? 変な野郎だと思ってはいたが……」
「あれが、人になった時の黒猫君です」
「……じゃあなんで今は猫なんだ?」

 グッとまた私の胃の辺りが痛くなる。

「そ、それは……私のせいかもしれません」

 ポロリと愚痴が零れた。

「私、ちょっと思っちゃってたんです。黒猫君が猫に戻ってくれないかなって」

 私がなに言ってるのか分からないだろうに、優しいトーマスさんは黙って私の話を聞いてくれる。それに甘えて、私は胃の中に詰まっていた重たいナニカをボロボロと零し始めた。

「黒猫君、きっと人間の形に戻れてうれしかったはずなのに。私、黒猫君の顔を見るのが辛くて」
「そんなに酷い顔だったか?」

 思い出すように呟くトーマスさんにそこはきっちり否定する。

「ううん、違うんです。そうじゃなくて。黒猫君の顔、ちょっと好きすぎて」
「……はぁ?」

 あ、さすがに変な奴と思われてしまったかな。

「いえ、別に黒猫君が好きとかじゃなくて、たまたま彼の顔が正に私の好みのど真ん中で」

 私ははーぁっと小さくため息を突く。

「考えてみれば本当に失礼な話ですよね。そんな理由で避けるなんて」

 でも自分でもどうしていいか分からなかったんだし。もう手遅れって話もある。まあ、少なくとも誤解だけは解けたみたいだからいっか。
 溜まっていた胸の内をトーマスさんに聞いてもらって、ちょっと心が軽くなった気がする。
 私は振り切るように顔を上げ、トーマスさんに微笑んだ。

「ありがとうございました。トーマスさんに聞いてもらったおかげでちょっと落ち着きました」

 そう言って私が会釈すると、トーマスさんがハッとした顔でこちらに向き直った。

「トーマスさんてほんと優しいですね。なんか……いいお父さんてこんな感じなんでしょうか?」

 私の言葉に何故かトーマスさんがカチンっと音を立てて固まった。

「あ、あ、すみません、凄く失礼なこと言っちゃって。トーマスさんまだ若いのに。私、自分の父とはあまり上手くいっていなかったのでつい……忘れてください!」

 私は慌ててもう一度頭を下げて謝って、それから挨拶をして厨房を後にした。
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