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第4章 執務
閑話:ある一兵士の物語
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「お忙しい所ちょっとすみません……」
やけにオドオドとした声に振り返れば、そこにはあゆみさんが立っていた。
声につられて振り返る瞬間、俺の身体に押されて少しフラつく。
それを支えてあげるのは、決して下心からなんかじゃない。
片足のないあゆみさんを間違っても倒してしまわないように、だ。
「あの、まだ暖炉に火を入れてませんよね?」
「ああ、まだ入れてませんが、それが何か?」
何かマズい物でもあったんかと彼女を見返すと、ちょっと赤くなってもじもじとし始めた。
な、なんだ?
「あの、実はちょっとお願いがありまして。あの、兵士さん、つかぬことを伺いますがお名前は?」
「お、俺か? 俺はトーマス……です」
「トーマスさん、トーマスさんは魔法はお使いになりますか?」
「はぁ? 魔法? 残念ながら使えないなぁ……いや使えないです。まあ、王都まで行けば結構な人数が使えるらしいが、この辺りでは100人に一人くらいしか使える奴はいないぞ。何か必要だったのか?」
こんな辺境生まれの俺には、キーロン殿下やテリースのような上品なやり取りは無理だ。何とか丁寧に返事しようとしてもボロが出るだけだ。
俺の少し乱暴な受け答えに嫌な顔を一つせず、それどころか目を丸くして驚いたあゆみさんは直ぐに気を取り直して言葉を続けた。
「そ、そんなに少なかったんですか。じゃあ本当に感謝しなきゃ。あ、あのですね、今日、私初めて火魔法が使えるようになったんです」
「おう、そりゃ凄いじゃないか。おめでとう」
俺の答えにポッと頬を染めて「ありがとうございます」っと小さく頭を下げた。
おお、これが皆が噂していたあゆみさんの反応か。
この辺りの女は皆、下手したら男より豪胆で元気だけが取り柄だ。あゆみさんのやけに慎ましい反応はとても新鮮で、実は兵士の間で噂の的になっていた。
「そ、それでですね。今日の夕食を作るお手伝いは出来ないんですけど、せめて薪に火を点けるお手伝いくらいはしたいなぁと思いまして」
「ああ、そういうことか。だが、別にこの『マッチ』があるから大丈夫だぞ?」
俺の言葉にあゆみさんがバキンと音を立てて凍りつく。
「『マッチ』が……あるんですか?」
「あ? 見た事なかったのか。ほらこれだ」
俺はポケットから『マッチ』を取り出した。
それは魔晶石に木の枝が付いた代物だ。結構な値段がするが、まあそこそこ長く使えるので仕方ない。
「そ、それ、それが『マッチ』……ですか?」
「そうだ。使ってみるか?」
「え? え……はい」
彼女はちょっと残念そうに、でも複雑そうな顔で俺からマッチを受け取った。
「これどうやって使うんですか?」
「こうやって何か硬い物の上を擦り上げるんだ」
そう言って俺はテーブルの淵で『マッチ』をすり上げて火を点けて見せる。
「うわー、凄い。なんか私のあの努力は一体なんだったんでしょうねぇ……」
俺がマッチの使い方を見せると何故かあゆみさんは涙を流しながら棒読みの感動の言葉をこぼしてどっぷりと落ち込んでしまった。
な、なんだ? 何が悪かったんだ?
驚き慌てふためいてた俺をよそに、バッと顔を上げたあゆみさんが俺ににじり寄りながら鬼気迫る顔つきで続ける。
「で、でも、魔法で火が付けられたらもっと便利ですよね? マッチいらないし。そうですよね?」
杖を突いたあゆみさんが、その不安定な身体で俺ににじり寄るのに気圧されて一歩引いてしまった。
これは反論しちゃいけないやつだ、っと思いながら「ああそうだな」と適当に相槌を打つ。
「そうですよね。折角覚えたんだし悪い事はないはずですよね」
そう言ってホッと一瞬それまでの緊張を緩め、またもすぐ顔を引き締めて、真剣そのものの様子で俺に再度にじり寄る。
気圧された俺はまたも一歩後ろに引いてしまった。
普段度胸だけが取り柄の兵士をやっている俺が、なぜこんな簡単に引かされているんだ?
「それでですね、トーマスさん。私にどうか、今日の火を点けさせてもらえませんか?」
「んぁ? 別にいいけどよ、いいのか? そんなこと頼んじまって」
「もちろんですよ。折角魔法が使えるようになったんですしね。やります。いえ、是非やらせて下さい!」
突然あゆみさんが深々と頭を下げる。
そんな不安定な身体で無茶な。
思った通り、直ぐにフラついた彼女を慌てて支えようとしたその瞬間、ガバッと勢いをつけて頭を上げた。
あ。思ったほど不安定ではないみたいだ。
「ペコペコすんな、ほら好きにするといい」
そう言って薪の前からどいてやれば、パッと顔をほころばして前に出て来た。
薪の前に据え置かれている椅子にゆっくりと腰かけて薪に手を伸ばす。
ああ、そうか、しゃがめないもんな。
邪魔な椅子だと思ってたが、これは彼女の為だったのか。
あゆみさんは薪の下に手を入れてポッと炎を灯す。
乾ききっていなかったのか、薪はしばらく燻ってから、やがて徐々に炎を上げ始めた。
「つきました! 火が……こんな簡単に……」
「いいから早く手を抜かないと火傷するぞ」
やたら感動していた彼女は炎の上がる薪を掴みかねない勢いだった。慌てて彼女の肩を引いて上体を引き上げさせた。
「あ、ありがとうございます。魔法、凄いですよね。一発ですよ」
肩を掴んでいる俺を見上げながら、眦に涙を溜めた彼女が一人感動を噛みしめてる。
うお。なんだこの眩しいのは!?
強烈な恥ずかしさが襲ってきた。
魔術なんて出来る奴らは、下手したら傲慢な奴が多い。
それがどうだ。あゆみさんはその身体のせいかいつも低姿勢で俺たち兵士にも必ず挨拶を忘れない。
しかもこんなに小さなことで涙流して喜んでる。
ふと考える。
こういう彼女の一人でもいれば、俺だって日々やる気が出るってもんだ。
そんな事を考えればずっと先まで想像は飛んでく。
家にいるあゆみさん。
行ってらっしゃいを言うあゆみさん。
お帰りなさいと顔を輝かせるあゆみさん。
ご飯にしますか、お風呂にしますか、と尋ねるあゆみさん。
想像が妄想へと発展しかけたその時──
「お邪魔しちゃってすみませんでした。また火が必要でしたらいつでも言ってくださいね。喜んで点けに来ます!」
あゆみさんは元気よく杖を突いて立ち上がり、厨房のドアに向かってしまっていた。
ああ、しまった。
今なら自然に部屋まで腕に抱えて送ることが出来たのに!
「あ……ああ、ありがとう」
俺は出ていくあゆみさんを見て思うのだ。
兵士たちの間でもあゆみさんの人気は高い。
ただ、彼女に直接声を掛ける勇気のある奴はまだ誰もいない。
いつもキーロン殿下やテリースがまとわりついてて、そんな機会はまず訪れないのだ。
次は逃さないぞ。
そう心に誓いつつ、テリースが持ち帰った羊の足を食糧庫から引っ張り出して、今夜の丸焼きの準備に取り掛かったのだった。
────
作者より:
本編がちょっと行き詰ってるので書いてしまいました。
トーマス、初の名前付き兵士さんです。
この後、良い所で黒猫君にあゆみをかっさわれました。
今後間違いなく当て馬人生を送る事となります。
次の章は何とか来週末に出していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
やけにオドオドとした声に振り返れば、そこにはあゆみさんが立っていた。
声につられて振り返る瞬間、俺の身体に押されて少しフラつく。
それを支えてあげるのは、決して下心からなんかじゃない。
片足のないあゆみさんを間違っても倒してしまわないように、だ。
「あの、まだ暖炉に火を入れてませんよね?」
「ああ、まだ入れてませんが、それが何か?」
何かマズい物でもあったんかと彼女を見返すと、ちょっと赤くなってもじもじとし始めた。
な、なんだ?
「あの、実はちょっとお願いがありまして。あの、兵士さん、つかぬことを伺いますがお名前は?」
「お、俺か? 俺はトーマス……です」
「トーマスさん、トーマスさんは魔法はお使いになりますか?」
「はぁ? 魔法? 残念ながら使えないなぁ……いや使えないです。まあ、王都まで行けば結構な人数が使えるらしいが、この辺りでは100人に一人くらいしか使える奴はいないぞ。何か必要だったのか?」
こんな辺境生まれの俺には、キーロン殿下やテリースのような上品なやり取りは無理だ。何とか丁寧に返事しようとしてもボロが出るだけだ。
俺の少し乱暴な受け答えに嫌な顔を一つせず、それどころか目を丸くして驚いたあゆみさんは直ぐに気を取り直して言葉を続けた。
「そ、そんなに少なかったんですか。じゃあ本当に感謝しなきゃ。あ、あのですね、今日、私初めて火魔法が使えるようになったんです」
「おう、そりゃ凄いじゃないか。おめでとう」
俺の答えにポッと頬を染めて「ありがとうございます」っと小さく頭を下げた。
おお、これが皆が噂していたあゆみさんの反応か。
この辺りの女は皆、下手したら男より豪胆で元気だけが取り柄だ。あゆみさんのやけに慎ましい反応はとても新鮮で、実は兵士の間で噂の的になっていた。
「そ、それでですね。今日の夕食を作るお手伝いは出来ないんですけど、せめて薪に火を点けるお手伝いくらいはしたいなぁと思いまして」
「ああ、そういうことか。だが、別にこの『マッチ』があるから大丈夫だぞ?」
俺の言葉にあゆみさんがバキンと音を立てて凍りつく。
「『マッチ』が……あるんですか?」
「あ? 見た事なかったのか。ほらこれだ」
俺はポケットから『マッチ』を取り出した。
それは魔晶石に木の枝が付いた代物だ。結構な値段がするが、まあそこそこ長く使えるので仕方ない。
「そ、それ、それが『マッチ』……ですか?」
「そうだ。使ってみるか?」
「え? え……はい」
彼女はちょっと残念そうに、でも複雑そうな顔で俺からマッチを受け取った。
「これどうやって使うんですか?」
「こうやって何か硬い物の上を擦り上げるんだ」
そう言って俺はテーブルの淵で『マッチ』をすり上げて火を点けて見せる。
「うわー、凄い。なんか私のあの努力は一体なんだったんでしょうねぇ……」
俺がマッチの使い方を見せると何故かあゆみさんは涙を流しながら棒読みの感動の言葉をこぼしてどっぷりと落ち込んでしまった。
な、なんだ? 何が悪かったんだ?
驚き慌てふためいてた俺をよそに、バッと顔を上げたあゆみさんが俺ににじり寄りながら鬼気迫る顔つきで続ける。
「で、でも、魔法で火が付けられたらもっと便利ですよね? マッチいらないし。そうですよね?」
杖を突いたあゆみさんが、その不安定な身体で俺ににじり寄るのに気圧されて一歩引いてしまった。
これは反論しちゃいけないやつだ、っと思いながら「ああそうだな」と適当に相槌を打つ。
「そうですよね。折角覚えたんだし悪い事はないはずですよね」
そう言ってホッと一瞬それまでの緊張を緩め、またもすぐ顔を引き締めて、真剣そのものの様子で俺に再度にじり寄る。
気圧された俺はまたも一歩後ろに引いてしまった。
普段度胸だけが取り柄の兵士をやっている俺が、なぜこんな簡単に引かされているんだ?
「それでですね、トーマスさん。私にどうか、今日の火を点けさせてもらえませんか?」
「んぁ? 別にいいけどよ、いいのか? そんなこと頼んじまって」
「もちろんですよ。折角魔法が使えるようになったんですしね。やります。いえ、是非やらせて下さい!」
突然あゆみさんが深々と頭を下げる。
そんな不安定な身体で無茶な。
思った通り、直ぐにフラついた彼女を慌てて支えようとしたその瞬間、ガバッと勢いをつけて頭を上げた。
あ。思ったほど不安定ではないみたいだ。
「ペコペコすんな、ほら好きにするといい」
そう言って薪の前からどいてやれば、パッと顔をほころばして前に出て来た。
薪の前に据え置かれている椅子にゆっくりと腰かけて薪に手を伸ばす。
ああ、そうか、しゃがめないもんな。
邪魔な椅子だと思ってたが、これは彼女の為だったのか。
あゆみさんは薪の下に手を入れてポッと炎を灯す。
乾ききっていなかったのか、薪はしばらく燻ってから、やがて徐々に炎を上げ始めた。
「つきました! 火が……こんな簡単に……」
「いいから早く手を抜かないと火傷するぞ」
やたら感動していた彼女は炎の上がる薪を掴みかねない勢いだった。慌てて彼女の肩を引いて上体を引き上げさせた。
「あ、ありがとうございます。魔法、凄いですよね。一発ですよ」
肩を掴んでいる俺を見上げながら、眦に涙を溜めた彼女が一人感動を噛みしめてる。
うお。なんだこの眩しいのは!?
強烈な恥ずかしさが襲ってきた。
魔術なんて出来る奴らは、下手したら傲慢な奴が多い。
それがどうだ。あゆみさんはその身体のせいかいつも低姿勢で俺たち兵士にも必ず挨拶を忘れない。
しかもこんなに小さなことで涙流して喜んでる。
ふと考える。
こういう彼女の一人でもいれば、俺だって日々やる気が出るってもんだ。
そんな事を考えればずっと先まで想像は飛んでく。
家にいるあゆみさん。
行ってらっしゃいを言うあゆみさん。
お帰りなさいと顔を輝かせるあゆみさん。
ご飯にしますか、お風呂にしますか、と尋ねるあゆみさん。
想像が妄想へと発展しかけたその時──
「お邪魔しちゃってすみませんでした。また火が必要でしたらいつでも言ってくださいね。喜んで点けに来ます!」
あゆみさんは元気よく杖を突いて立ち上がり、厨房のドアに向かってしまっていた。
ああ、しまった。
今なら自然に部屋まで腕に抱えて送ることが出来たのに!
「あ……ああ、ありがとう」
俺は出ていくあゆみさんを見て思うのだ。
兵士たちの間でもあゆみさんの人気は高い。
ただ、彼女に直接声を掛ける勇気のある奴はまだ誰もいない。
いつもキーロン殿下やテリースがまとわりついてて、そんな機会はまず訪れないのだ。
次は逃さないぞ。
そう心に誓いつつ、テリースが持ち帰った羊の足を食糧庫から引っ張り出して、今夜の丸焼きの準備に取り掛かったのだった。
────
作者より:
本編がちょっと行き詰ってるので書いてしまいました。
トーマス、初の名前付き兵士さんです。
この後、良い所で黒猫君にあゆみをかっさわれました。
今後間違いなく当て馬人生を送る事となります。
次の章は何とか来週末に出していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
応援ありがとうございます!
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