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第4章 執務

11 固有魔法

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 あれから何度も試してみた。何度試しても、基本魔術は出せるのにそれ以上につながらない。

「本来は魔力量を乗せてから他の魔術もリピートしていくんですが……」

 そう言って言葉に詰まったテリースさんは気を取り直して黒猫君を振り返る。

「そうですね、ネロ君のこともありますし、今日はこのまま固有魔法のテストに移りましょうか」
「……固有魔法ですか?」

 かなり深く落ち込んでいた私も、テリースさんが出してきた新しいキーワードが気になって、ちょっとだけ顔を上げた。

「はい。魔術には基本要素を元にした系統ごとの魔術の他に、時にその人特有、または種族特有の魔力がある場合があります。これによって放出される魔法を総して『固有魔法』と呼ぶのです」

 そこでキールさんが言葉を付け足す。

「そしてそれこそがテリースを手放せなかったもう一つの理由だ。テリースはハーフ・エルフだから一部エルフ特有の固有魔法が使える」
「え? そうなんですか?」

 キールさんと私の視線を受けてテリースさんがちょっと恥ずかしそうに頷いた。

「私の固有魔法は医療に特化しています。いわゆる『癒し』です。決して外傷や体内の問題を解決するような目に見える治療ではないのですが。少し心を安らげることが出来ます」

 あ。

「もしかして……」
「はい。お二人には砦にいた頃になん回か使わせて頂きました」

 黒猫君と二人で顔を見合わせてしまった。言葉が出ない。
 あの時あれだけ酷い状況で、それでも思っていた以上に早く立ち直って気が狂うこともなかった。どこまでが自分の胆力でどこからがテリースさんのお陰かは分からないけど、リハビリの間中、確かに私の心はいつも落ち着いていた。

「ありがとう」

 黒猫君の方が立ち直りが早かった。私も慌てて言葉を絞り出す。

「ありがとうございます」

 でも言葉では伝えきれない感謝が心に残った。

「そう言うことだ。だからこいつには無理をさせてもつい戦場に来てもらうことになってしまう」

 ああ、そうか。確かに、酷い状況になればなるほど縋りたくなる素晴らしい能力だもんね。

「さて、鍛錬に戻りましょう」

 キッパリと話をそこで切り捨ててテリースさんが黒猫君の様子を伺う。

「固有魔法は通常自分に合った系統魔法に関連するものが多いのです。今の所ネロ君の魔術がどのような系統なの全く分かりませんが、固有魔法を試してみればもしかするとネロ君の系統に当たりを付けられるかもしれません」

 そう言って、でも私を振り返る。

「とは言え、全く予想の付かないネロ君は後にして、まずはあゆみさんから行ってみましょう」

 そう言うテリースさんが庭先に出したのは桶一杯の水だった。

「あのテリースさん、これで一体私に何をしろと?」

 戸惑う私に、さも当たり前のようにテリースさんが手を広げた。

「水に手を浸してテストの時と同じように魔力を流せばいいんです」

 後ろにいつの間にか来ていたアルディさんが補足してくれた。

「このお二人はどちらも自分に必要なかったので教えるってことができないんですよ」

 呆れたようにアルディさんが小さく呟く。

「わ、分かりました、では早速」

 私は座ったまま屈み込んで両手を水に浸した。

「これでいいんでしょうか?」

 しばらくすると水面がざわざわと波立ち始めた。が、それ以上、何も起きない。

「ええ。通常固有魔法があれば、ここで発現するはずなのですが……よっぽど見えにくいのでしょうか?」
「あゆみは結構魔力があるって言ってなかったか?」
「はい。おかしいですねぇ」

 キールさん、テリースさん、アルディさん共に桶の中を覗き込んでる。パット君も隙間から一緒になって覗き込んでた。

「おいあゆみ! 今すぐそれ止めろ。なんかすげえマズい気がする」

 突然黒猫君が後ろから叫んだ。

「お前ら少しは周りを見ろ!」

 黒猫君の少しくぐもった声に慌てて周りを見回すと。

 うわ。確かに凄いことになっていた。

 まず庭の草が私たちの周り1メートルくらいの所だけ膝丈まで伸びてる。
 そんでもって治療院に絡まってた蔦草が育ちに育って治療院の壁も窓も見えない。私の部屋の前の木は、いつの間にか枝を伸ばして庭の半分くらいを覆い隠していた。

 そして一番問題なのは。

「お前誰だ?」
「…………」

 黒猫君が立っていた。2本足で。

「黒猫君……だよね?」

 私の声がちょっと震えてる。
 だって──

 狼人族は頭が狼だった。体は人みたいだったけどちゃんと毛だらけだった。
 でもそこに立っていたのは。
 まるっきり人間にしか見えない『あの人』だった。
 ただ黒猫君の名残なのか、ちゃんと黒い耳と尻尾が残っている。
 ついでに言えば、余計なお世話だが黒猫君は真っ裸。あ、前は自分で隠してる。

「おい、あゆみはあっち向いてろ!」

 真っ赤になった黒猫君が怒鳴りつけるのを聞いて、自分が今まで見つめなくていい物を見つめていたことに気付いて慌てて180度顔を背けた。

「お前、本当にネロなのか?」
「それ以外誰がいる! ちょっと誰か服を貸してくれ!」

 私の後ろでガタガタと人が動き出した。どうやらテリースさんが予備のローブを貸してくれたらしい。
 やっとお許しが出て振り返れば、少しブカブカの白いローブを羽織った元・黒猫君がイライラと貧乏ゆすりしながら腕組してこちらを睨んでた。
 ああ、元・黒猫君のほうがテリースさんより背が低かったのか。

「あゆみ、これぜってぇお前のせいだよな」

 そう言って元・黒猫君がこっちを睨んでいる。

「やっぱりそうなのかな?」

 私はなんか目のやり場に困って、そっぽを向きながら答えた。

「おい、どこ見て話してる」

 元・黒猫君が余計イライラしている様子で、耳をピクピクさせながらこちらを睨んできた。
 あ。あの耳動くんだ。さ、触りたい……

「どうする。このままだと人目につくな」
「そうですね。ハーフエルフならまだしも、獣人となると周りがどんな反応をするか分かったもんじゃないですしね」
「まあ、そうでなくても狼人族の件があるからな。だがこれは一体本当に獣人なのか? 耳と尻尾だけなんて聞いたことないぞ」
「おい、触るな!」

 興味津々と言った感じで元・黒猫君の耳を触ろうと手を伸ばしたキールさんの手を、元・黒猫君の前足……じゃなかった手が素早く叩き落とした。

「ああ。なんだ、動きは猫のままなんだな」

 そう言ってキールさんはからかうように元・黒猫君の目の前に指を付き出す。
 いやそれは流石に……と思ったら何と元・黒猫君、ガマンしきれないって感じにクンカクンカとキールさんの指の先の臭いを嗅いでた。バッと真っ赤になってすぐにそっぽ向いちゃったけど。

「……あゆみさん、大丈夫ですか?」
「は、はい。何とか」

 黙り込んでいる私を心配して声を掛けてくれたのはテリースさんだ。なんとか返事だけは返したけど、なんとも気不味い。

「仕方ない。訓練は一時中止して一度中に入ろう」

 そう言って動き出したキールさんを先頭に、私たちは皆で私と元・黒猫君の執務室へ戻ったのだった。
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