上 下
40 / 406
第3章 始動

13 夕食

しおりを挟む
 今日の夕食の準備は信じられないほど楽だった。って言うか、ほとんど何もしてない。
 あの場を逃げるようにして厨房に戻った私たちは、だけど私の足の遅さのせいですぐに見つかってしまった。治療院の中に入り込んでいた面接希望者がそのまま厨房の入り口に長い列を作る。
 その入り口に一番近い椅子にチョコンと座った黒猫君が外を威嚇気味に睨んでた。

「それでこれどうするんだ?」

 アリームさんと二人で食事の準備をしてくれてたピートルさんが私たちの後ろから声を掛けてきた。一人で、しかも片手だけじゃやっぱり出来ないことも多かったみたいで、途中からはアリームさんにも手伝ってもらったのだそうだ。
 お願いしてた通り野菜は全て洗ってあるし麦も挽いてあった。暖炉はきれいに掃除されて次の薪が積み上げられている。
 木製のボールには新たに挽かれた粉が入っていて、その横の小さなスープカップにはボコボコと泡が浮いたドロドロの液体が入ってた。

「黒猫君、これ本当にどうするの?」
「悪いけどこっちの相手もしなきゃいけないからこっから指示する通りに進めてくれるか?」

 黒猫君がこちらを振り返りもせずに答えてくれた。

「なんせ初めてのイーストだからな。どれくらい膨らむかも分からないしオーブンもない。一発勝負で無駄にしないぞ」

 そう言いおいて指示を出してく。
 粉と塩とさっきのドロドロを、ボールの中で混ぜてまとめて捏ねて丸めてから、先に粉を振っておいた鍋に入れる。今日のお鍋は昨日のより一回り小さい。それでも私の家にあった中華なべより大きいと思う。
 そのまましばらく放置して、平らに広げてあった生地が倍以上に膨らんできたのを見て私は大喜び。
 そこに指でツンツンいくつも穴を空けて、黒猫君が道中見つけてきてくれたハーブを短く切って穴に刺していく。そしてアリームさんとピートルさんが気絶しそうな様子で見守る中、溶かしバターを薄ーく上全面に塗って、鍋の蓋をしてそのまま薪の上にポン。

「なんでバターなんかあるんだよ! 他の街や王都への輸出用にしか作ってないって聞いたぞ!?」
「ある所にはあるんだよ」

 ピートルさんのドスのきいた質問に、黒猫君が肩越しにぶっきらぼうな返事を返す。
 その間に上にかけられた鍋にはたっぷりのお湯が沸いてて、そこはに数々の野菜と、そして今日は小さいながら豚の骨付き肉が入ってた。黒猫君曰く、今日のテリースさんの給料だそうだ。

 骨付き肉はあばらの辺りらしく、骨から三枚肉を通して皮まで一続きで塩漬けになってた。豚さんの脇腹の様子が想像できてちょっと怖い。
 これを水で塩を流してから鍋に入れ、一度水を捨てて後はもう一度茹でて野菜を入れるだけ。さっきの香草をここでも入れる。この辺りでアリームさんとピートルさんが放心したように鍋を掻きまわしてた。
 さて、説明はしたけど、私ほとんど何もしてない。だってアリームさんとピートルさんが率先して全部やってしまったのだ。
 私がやったのはパンを捏ねるのと指で穴を付ける所だけ。私がどうしてもやりたがったので二人が譲ってくれた。あ、あと野菜のみじん切りも途中で変わってもらった。二人が片手ずつで押さえたり切ったりしているのが見ててあまりにも怖かったから。

 その間も黒猫君はその横で面接を続けてく。びっちり直立した偉そうなおじ様たちが、椅子にちょこんと座った黒猫君から質問を受けて冷や汗を掻いてる図は何ともシュールだった。
 黒猫君の質問は多岐に渡ってた。側でなんとなく聞いている私にはなぜそんなこと聞くのか分からない質問もある。
 例えば分かりやすい質問は暗算の問題。

「5に100を掛けて30を引いて20足して110引いて4で割って……」

 どこまでも続く計算の末に答えだけを聞かれてる。ところが何回かに一回「じゃあ最初の数字は何だった?」なんて意地悪もあり。
 かと思えば「今月何回パンを食った?」とか「普段食ってる物を羅列しろ」とか「狼人族をどうするべきだと思う?」と言った聞き取り調査的な物もある。
 それから本当に意味不明なのが「白と赤どっちがあったかい?」とか「空と海どっちが青い?」とか。聞いてどうするのってこっちが聞きたい。
 あと、黒猫君は時々同じ質問を違う聞き方で繰り返す。ちょっとしつこい。

 長い列も料理が仕上がる頃には終わりが見えてきた。やっと一通り全員の面接が終わったかなって思ったところに、一人遅れて駆け込んできた。どう見ても私より年下の男の子だ。

「手伝いならもういらないぞ」

 黒猫君の冷たい言葉にもめげずに元気よく答える。

「遅くなってすみません。店主が中々休憩に出してくれなくて。俺もどうか面接を受けさせてください」

 そう言ってペコペコと何度も頭を下げた。

「おっけい。時間が勿体ないから質問を始める」

 そう言って今までと同じように質問を繰り返していくのだが、珍しくいつまでも質問と答えの応答が続いていく。しばらくして黒猫君が一度息をのんで続けた。

「それじゃ最後の問題だ。あんたエルフをどう思う?」
「え、エルフですか。そうですねぇ。あったことはありませんが是非綺麗なお姉さんならお会いしてみたいと思います」
「合格だ。あんた明日から俺たちの補佐な」
「え? 商取引の手伝いの面接と聞いてきたんですけど僕……」
「今更『嫌だ』はなしだ。これからこっちはやりたくもない仕事で滅茶苦茶忙しくなりそうだってのに、俺たちが使えるやつは誰もいなかったんだ。明日は夜明けからここに来てくれ。そんでもってここに引っ越してこい」

 黒猫君の横暴に彼は目に涙を溜め始めた。
 見かねて私が口をはさむ。

「ねえ、黒猫君、彼の意見も少しは聞いてあげたほうが良くない?」
「何言ってるんだ、これはお前の為でもあるんだぞ」

 そう言って尻尾を伸ばしながらトンっとテーブルに飛び上がって私に歩み寄ってくる。

「えっと君名前なんて言うの?」
「パットです」
「パット君。この通り黒猫君は言い方がちょっと乱暴だけど、普段は必要なことじゃなきゃこんなふうに言わないんだけど。今回はどうにもちょっと強引な気がするの。多分私も巻き込まれた仕事に私の足のことも考えて言ってくれてるんだとは思うんだけど、もし君が本当に嫌なんだったら私は仕方ないと思うよ」

 パット君は今の言葉で初めて私の足が片方ないのに気づいたみたいだ。ちょっと顔を赤くしてこちらに振り向いた。

「い、いえそんな、凄く嫌とかそう言うのではないんですけど。ただ、これでも商店の小間使いと見習いをもう7年以上勤めてきたんです。いずれは商人になりたくて頑張ってきたんですが、今の仕事場ではどうしてもこのまま見習いから抜け出せる機会が来そうにないんです。ですから、ここで働かせて頂いて箔をつけて、それから他の商会に引き抜いて欲しいと思って応募したんです」
「それだったら俺たちの補佐をやってたほうがよっぽどいい箔が付くはずだぞ」
「え、だってお二人はここの厨房で働いてるんですよね」
「……お前あの騒動を見損ねたな」

 どうやらパット君は黒猫君がキールさんのスチュワードであることを知らなかったらしい。道理で最初っから口調も軽かったわけだ。
 ま、黒猫君、見た目は猫だしね。

「商取引の手伝いもしてもらうぞ。ただ現場で監督するだけじゃなくそれの取りまとめを手伝ってもらう。安心しろ、三人でやれば多分、寝る時間くらいはあるだろうから」
「え? それってもしかして私も頭数に入ってるの?」
「当たり前だろ。あゆみは大学も行ってたんだもんな。計算くらい出来るだろ」
「うう」
「因みにあゆみ、お前専攻はなんだったんだ?」
「言いたくない」
「はぁ?」
「絶対に言いたくない。もういいじゃん。どうせこの世界では関係ないんだから。計算ならちゃんとするからいいでしょ」

 私の専攻はこの世界で最も役に立たない物の一つだと思う。恥ずかしくて今更言えない。

「ま、いいか。アリーム、ピートル、夕食の準備はどうだ?」
「ああ、こっちも終わった所だ」
「じゃあ、パンの蓋を開けてみろよ」

 ピートルさんがお鍋の蓋を開けた途端、ホワリと焼き立てのパンの匂いが部屋に広がった。そのにおいだけでお腹が鳴ってしまう。

「良し、夕食にするぞ。パットはまた明日な」

 鍋の中身を涎を垂らさんばかりの物欲しそうな目で見てたパット君は、それでも殊勝に頭を下げてトボトボと帰っていった。
しおりを挟む
感想 30

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜

犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。 馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。 大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。 精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。 人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

処理中です...