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第3章 始動

2 黒猫の交渉

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 夜明け前に治療院を出発してテリースを農家に売り込みに行ってきた。
 まさか俺に売られるとは思っていなかったテリースが情けない悲鳴を上げていた。
 別に変な意味じゃない。肉体労働力・魔術労働力としてだ。長年軍隊でも働いてきたテリースは、見かけによらず体力がある。農作業も結構手馴れていた。300年も生きているのならどこかでやったことがあったのかもしれない。

 農村は街の南に位置し、街を取り囲む内壁を出たすぐ外側にもう一回り巡らされた外塀との間にあった。治療院が街の中心辺りなので歩いて30分ほどかかる。
 人気の少ない内壁の南門を抜けると、そこには突然見通しのいい農地が広がってた。人の背丈の3倍近くある内壁とは違い、外壁は申し訳程度のしろ物で、高い所でも人の肩ほど、低い所ではひざ丈の所もあるようだった。
 その向こう側に広がるのは俺たちが逃げて来たのと同じ平原と、所々に森や丘陵が見えるだけ。要は完全な壁の外。道理で人が行き来しない訳だ。

 俺たちが向かった農村には何件かの農家が寄り添うように建ってた。どの農家も茅葺きで何か懐かしい感じがする。
 まずは今まで治療院が食材を購入していた農家を訪ねた。まだ明け方だったが流石は農家、家人はすでに起きて朝の支度をはじめていた。
 ここでは俺は普通の猫の真似だ。何を尋ねて欲しいか前もってテリースに説明してある。
 突然のテリ-スの訪問に最初は驚いていた親父さんだったが、テリースが人のよさそうな笑顔で挨拶し、真摯に話を聞くうちに、塀の外の畑を一部諦めたせいで収穫が減ってしまいるとこぼし始めた。そこに来て、いつもならば隣町から来る出稼ぎが今年は季節になっても全く来なかったのだと言う。
 折角少しは実りがあっても収穫の人手が追いつかず、収穫して市場に持っていっても物価が上がってしまってて買える人が少ない。堂々巡りで収入も減って困りきっているらしい。他の農家も似たりよったりだそうだ。
 状況は大体俺が予想していた範疇だった。

 そこで予め準備していた提案をする為に、親父さんに村長の家まで連れて行って貰った。村長の家は同じ茅葺きでも二棟続きの大きなものだった。元々かなり景気は良かったのだろう。

「おお、テリース様、今日は誰かの診察でもありましたでしょうか?」
「いえ、実は折り入ってお話したい件がございまして……」

 そこで、もう治療院には現金がなく、食材費を払えないとテリースが正直に伝えた。
 聞けば、普通は仲買を通す食材の買い取りがなぜか治療院にだけ直接卸されていたのは、やはり以前に治療院にお世話になった農家の親父さんやこの農村の皆からの心配りからだった。毎朝市場に卸に来る途中で分けてくれているらしい。
 テリースが治療院の困窮と支払いができないことを告げると、思ってた通り村長が「支払いなどいらないから、これからは皆で出せるだけ出す」と言い出した。

「そんな訳には参りません。皆様の収入の糧を分けて頂くのに全く支払わないなど……」
「テリース、止めておけ。払えないのは事実だし、払われてるこの村だって実は迷惑だろう」
「え?」
「ほぇ?」
「わぁ!?」

 俺が喋りだしたことで一旦場がパニックになり、テリースがまた端折った説明をして皆を黙らせた。

「ああ、こちらネロ君です。昨日から治療院に来ました。住み込みで厨房の面倒をお願いしています」

 ニッコリとそうテリースに言い切られては、どうにも皆それ以上突っ込めない。
 皆が座っているテーブルに飛び乗った俺は、一応皆に小さくコクリと頷いてみせ、すぐにテリースを見上げて言葉を続けた。

「あのなテリース。お前が一体幾らここに支払ってきたのかは知らないが、どうせ物価が上がっても支払う額をそのままにしてたんじゃないか?」

 それを聞いてテリースが顔を赤くする。

「お、おっしゃる通りです」
「ここにいる連中にしてみれば、お前に恩があるからこそ今までもそれでも出せるだけの物を出してくれていたんだろう。だがお前が支払いを続ける限り、こいつらだって物価からそうかけ離れた量を入れるわけには行かないんだ。なんせ治療院にいるのは市井の連中だからな」

 俺の言葉にも村長は顔色一つ変えなかったが、ここに連れてきてくれた農夫の親父が大きく俯いてた。

「お前が支払いが出来ず、これを治療院への志で出すと言えばここの連中だって気兼ねはしないで済む。だがそうするとお前が納得行かないんだろう?」
「は、はい、そこまでして頂くほどのことをして差し上げた覚えもありませんし」
「待ってください、それは……」
「どうせ俺達と同じだろ、兵役中だったからってやつ」
「あ! はい、そうなんです」
「細かいことはどうでもいい。まず、治療院には食料が必要だ。そしてここには作物が育ってるが人手が足りない。加えて、これ以上銅貨ばかり増えても困る。違うか?」

「そ! そうなんです!」
「こ、こら!」

 親父さんが我が意を得たりっと俺に力強く頷くのを隣に座ってる村長が窘める。
 今度はテリースが分からないって顔をした。

「分からないか? ここでは税は穀物または貨幣で支払うんじゃなのか?」
「はい、そうですが」
「そうだろうと思った。で、作物の作付けに対して一定の税が決められてる。それは徴税人が来た時点で計算され時価で払わさせられる」

 親父さんと村長が難しい顔になって唸っている所を見るに俺の説明は正しいらしい。

「ところが銅貨の価値はどんどん下がるばかりだ。折角収穫した食物も今銅貨に変えてしまうと何もしなくても税を支払う時点で減ってしまう」

 二人の顔が苦々しく歪む。

「物が穀物ならまだ良いが、野菜なんかそう長くは持たない。徴税時期まで取っておくと言うわけにもいかない訳だ。じゃあどうするか? 物を必要以上に高く売って秋の徴税時期の時価に合わせるしかない。それだって市場でのバランスがあるから勝手に吊り上げる訳にもいかない。違うか?」

 そこでやっと村長が話し始めた。

「良く事情をご存じのようですな。この村では農家全体で金額を決めて不公平が出ないギリギリの金額で取引に出してますじゃ」

 ちょっと引っかかった。

「他にもこんな農村があるのか」
「はい。ここは外塀の中でも一番西になりますじゃ。ここの他にも内塀を囲むように東に向けてもう3村ありますじゃ。皆同じようなもんで、時々集まっては値段についても相談してますじゃ」

 談合か。ま、この状態じゃ仕方ないな。

「さて、これから治療院はここに金が払えない。だがテリースはタダで頂く訳にはいかないと言う。そこで相談なんだが、テリースを今後ここで働かせてやってくれないか? コイツには治療院の仕事もあるから、毎日今日と同じくらいの時間から昼過ぎまでの半日でどうだ? 少しはマシな食い物を入れてもらえるか? ま、それは今日コイツがどんな仕事をするか見てもらってからでも構わないが」

 俺の言葉に村長と農家の親父が二人で顔を見合わせた。

「も、もちろん歓迎します! 是非そうしてください!」

 二人共すぐに飛び上がらんばかりの勢いで答えを返してきた。よっぽど人手が足りていないらしい。
 二人の機嫌が良くなったところで今日の本題に入る。

「じゃあ本題だが、村長さん、あんたはここ以外の村の連中をまとめられるか?」
「一応村長連ではわしがまとめ役をしてますじゃ」
「そいつは良かった。じゃあまずこの村の麦はどれくらい貯蓄がある?」

 折角機嫌良さそうだった村長の顔が警戒に引き締まった。

「ありませんじゃ、ここの者が今年いっぱい食う分だけですじゃ」
「ジイさん、それは嘘だよな。まず去年の税金分が残ってるだろ」
「!」

 俺の一言で、一気に村長の顔が青くなった。引っかかってくれたか。じゃあもう一押しだ。

「それにこの辺りの家の作りからして冬は結構冷えるんじゃないのか? って事はここの麦は秋撒きだろう。だったらもう前年の種付けはしてあるんじゃないのか。いや、しないわけには行かなかったはずだ」
「よ、よくご存知で」

 村長がとうとう額の汗を拭きながら同意した。

「因みに、あんたらが農作業をしている間、あいつらは襲ってきたか?」

「いえ、それが。今までも最低限の畑仕事には出ていますが今の所襲われた者はいませんのじゃ。大体ここは内塀の外で外壁など我々の腰ほどの高さしかありませんのじゃ。いつ奴らが襲ってきてもおかしくはないのに。一体どういうことなんですじゃろ」
「やはりそうか」

 俺の隣でテリースが一人寂しそうな顔をしている。
 やっぱりこいつ知ってやがったな。
 とりあえず今はテリースの反応は無視して、もう一度村長に向き直った。

「安心しろ、村長さん。税のことなら多分上手く行く」

 汗ぐっしょになってこちらの顔色を伺っていた村長さんを安心させるためにも、まずは優しい言葉を掛けておく。

「詳しいことは言えないが、税に関しても麦の刈り入れに関しても、近い内に何とかなるようにしてやる。だからその為にも正しい情報を俺に提供してくれ。今の所この村の麦の貯蓄はどのくらい有る?」
「……今まで農村の税率は4割でしたじゃて。残りの6割はこの半年ですでに使い切ってしまいましたわい。去年の税金はまだ手を付けていないですじゃが、昔、隣町から麦を仕入れ始める前なら、ここいらの住人がほんの3か月ほどで食いきってしまった量ですわい」
「今は人も減っているしもう少し持つか。芋はどうだ? ジャガイモも作ってるだろう」
「ああ、あれはカブと一緒に中央から回ってきたんで作っておりますじゃが人気がありませんでのう」
「……あんたら畑はどうしてる? ちゃんと輪作してんのか?」
「勿論ですじゃが。1年作っては1年休ませてますじゃが」

 あー。4輪作どころか3輪作さえもここにはたどり着いていなかったらしい。
 カブやジャガイモと牧草、それにクローバーなんかをローテーションで植えて畑の栄養素を高めるのが本来一番友好的な麦の輪作なんだけどな。
 輪作に使う作物だけはすぐ来ても、それを使いこなす知識が渡ってくるのにはもっと時間がかかるのか。いわゆる農業革命を今やっちまっていいのか分からないし、これは後でまた考えなきゃだな。

「因みにあんたらはジャガイモをどうやって食ってるんだ?」
「丸ごと茹でて塩で食べるか火にくべて塩で食べるかですな」
「バターはないのか?」
「ありますが?」
「……バターくらい乗せろよ、美味いから」
「バターは輸出用に作ってたんですがのう」
「どの道当分その余裕もないだろ。後でもうちょっとマシな食い方も教えてやるよ。それで塀の外の麦の刈り入れはいつの予定だ?」
「このまま行けば後2週間ってとこですじゃ。とは言え刈り入れは人手がないですから無理でしょうなぁ」
「いや、人手は確保してやる。買い手もだ。心配するな。その代わり今日は多分、少し前借りすることになる」
「前借り……ですか?」

 そうして、喜びと戸惑い半分半分の村長を前に俺は「前借」について説明した。
 すぐに村の連中が集められ、より詳しい話をしてくれる。話し合いの結果、俺の「前借り」は午後の出荷に合わせて運んでくれることになった。

 その後は時間が許す限りテリースとそれぞれの家を回って短いながらも収穫を手伝った。
 テリースが農作業をしている間に、俺は一日なんちゃってコンサルタントをして回る。海外でボランティアやってる奴らが良く取っていた手法だ。平均的な毎日の収穫量、税率、そして必要な人手。逆に街から欲しい物を教えてもらう。
 聞いてみればやはりどの農家も出荷しても買い手が付かず、売れ残るからまた値段を上げると言う悪循環にはまってた。

 特に厳しいのは麦の栽培と酪農をしている農家だった。どちらも収穫時期が決まっているのに人手が全く足りない。特に麦は収穫するべき時に収穫しないと味が落ちる。
 ここでは収穫期を過ぎると短いながら雨季が来るらしい。穂をつけた麦は一度雨に打たれたらおしまいだ。穂についたままでもすぐに芽が出ちまう。
 酪農家も飼料や秋の収穫の見込みが付かない上、屠殺しても捌ききれないから豚も牛も村で食う分しか殺していないらしい。お陰で今ある肉類のストックも出すに出せないでいる。ミルクも高騰し過ぎて売れないし、どちらもここしばらく全く市場に出回らなくなってるらしい。

 テリースは収穫のお手伝いの合間に村人の身体の検診までしているようだ。さっきも一緒に取り入れしていたばーちゃんの腰に湿布をやって代わりに野菜を一山貰って来た。
 これを繰り返し、主だった農家を回って沢山の「給料」を手に入れた俺らは、ようやく帰途に着いたのだった。

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