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第3章 始動

4 キール

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「それで何を話してくれるって言うんだ?」

 少し遅れて部屋に入ってきたキールさんが自分の椅子に座るなり、興味半分、疑い半分と言った顔で聞いてきた。
 今、私たちは黒猫君の提案を一緒に聞くためにキール隊長の隊長室に入れてもらってる。狭い兵舎の中のことだからここもご多分に漏れず充分な広さはなくて、3人と一匹だけでも窮屈だ。
 それでもなんとか全員座るだけのスペースはかろうじてあった。キールさんが窓際、黒猫君が机の上。私とテリースさんが机を挟んで反対側に並んで座ってる。
 でもちょっと暑い。窓は開け放してるけど、これだけ人口密度が高いとちょっとキツい。
 黒猫君は机の前でキールさんを真っすぐ見据え、軽く見上げながら声を掛けた。

「まず最初に。あそこの院長に教えられた。俺の命を救ってくれたのはキール、お前だったんだってな。本当に感謝してる。ありがとう」

 キールさんがなんの話だっとでも言うように一瞬無表情を取り繕って、でもすぐに顔をしかめながら「気にするな」と呟いた。
 ぶっきらぼうな言葉のわりに耳が赤くなってるよ、キールさん。

 そんなキールさんの反応を茶化すわけでもなく黒猫君が先を続けた。

「それでだな。俺はあんたに命を救われた。このあゆみもテリースに命を救われた」

 その言葉に私も感謝を込めて軽く二人に会釈をする。

「俺たちのいた国じゃ兵士だろうがなんだろうが、命を救ってくれたやつには当たり前の感謝を表す。ただ、それは必ずしも金銭や物品、労働でとは限らない。時にその感謝を表す方法は信頼であったり、友愛だったりする」

 黒猫君は揺るぎない瞳でキールさんを見据えて言葉を続けた。

「だから今日、俺たちはあんたら二人を信用して必要なことを隠さず話すことにした」

 キールさんの目付きが少し変わった。

「多分、あんたらも分かっているんだろうが、俺たちはこの世界とは全く違う所からなぜかここに落とされた。これは俺たちにとっても全くの事故で事情は俺たちも知らない」

 キールさんがちょっと不審そうに目を細めた。

「だから俺たちがする話には、あんたらにとって理解しづらいことや信じがたいことがあるかもしれない。またあんたらの話にも俺たちが知らなかったり理解できないこともあるかもしれない」

 キールさんの細められた目を、全くひるむことなく黒猫君が見返してる。

「だが、それでも信じてほしい。俺たちはここで命を救ってくれたあんたらに嘘をつく気も必要も全くないってことを、まずは知っておいて欲しい。そのうえで、これを少しでもお互い実りのある話し合いにする為に、出来ればあんたらにも同様の信用と信頼をお願いしたい。別に難しいことや無理を言うつもりはない。言えない事情がある時は事情があるから話せないと言ってくれればいい。だが、嘘はつかないで欲しい」

 黒猫君が話を終えてもキールさんは無表情のまま、真っ直ぐ黒猫君を見つめ返してた。しばらくそのまま考えて、そして首を横に振りながらハッキリと答えた。

「いや、それはおかしいだろう」

 黒猫君が少し身構えたのが分かる。

「そういうことなら俺たちも君たちと同じ条件で話すべきだ。要は、ネロは俺たちと腹を割って話したいと言うんだな?」
「……ああ」

 キールさんのさっぱりとした返事を聞いて、黒猫君がホッと少しだけ緊張を解いた。
 ああ、キールさんて。こういうのなんて言うんだろう?
 気風きっぷが良いっていうのかな? 度量があるっていうのかな?
 少しも気負わずに素直に受け入れてくれるの、ほんとに凄い。

 私と黒猫君の反応を確かめたキールさんが改めて座り直し、真剣な面持ちで私たちに向き直る。

「分かった。それでどっちから話すんだ?」
「まずは俺が理解したここの現状をあんたの認識と擦り合わせたい」
「いいだろう」

 腕組みしながらそう答えたキールさんが視線で黒猫君を促した。

「まず俺の端的な意見を言えばこの街はすでに詰んじまってる」

 ハッキリと言い切った黒猫君の言葉に、テリースさんの顔色が変わる。だけどキールさんは無表情のままだ。

「根拠は?」

 ぼそりと聞き返したキールさんの前で、黒猫君が得意そうに猫の手を前に上げながら「ひとーつ……」と声を上げようとした。
 待て待て。それは──
 握り込んだ猫の手から指を一本だけ立てようとした黒猫君、だけど一本だけじゃなく全部一緒に立っちゃった猫の手を見つめてハーっとため息をつく。
 うん、やっぱり無理だったか。
 がっくりと撫で肩を落としながらも、黒猫君が気を取り直してもう一度力なく続けた。

「一つ。現在ここで使われている通貨に通貨としての価値が全くなくなってる。これはこの通貨を支える政治母体の経済的破綻を証明している」

 あ、代わりに尻尾を振りだした。左にピッと上がった尻尾をスッと右に動かしながら言葉を続ける。

「二つ。この地域の統治管理機関が欠落している。俺の理解が正しければ現在軍事管理機関、要はあんたがここの街の機能を代行している」

 スッと黒猫君の真っ直ぐに伸びた尻尾が左に振れた。

「三つ。流通の停滞って言うか断絶。すでに隣町までも行けない。これは狼人族の波勢に負けた結果だ」

 また右に。

「四つ。食物、特に主要穀物の不足。これは安易に主要穀物を他地域からの入手に切り替えた結果だな。そしてそれに伴う物価の上昇が、すでに停滞していた流通をほとんど窒息させてる」

 あ、今度は真ん中。

「そして五つ目。現状認識の欠如。これが一番問題な上に原因が分からない。なんでまだここにいる連中がパニックに落ちいっていないんだ? とは言えこういう例は以前にも見たことがある。予想するに好景気後の急激な下落に人心が追い付いていないのか、誰かが現状を隠しているのか」

 そう言葉をきって、黒猫君が意味あり気にキールさんを見上げた。
 しばらく二人で静かに睨み合ってたけど、やがてキールさんがはぁっと大きなため息をついた。

「その両方だ。テリースを見れば分かるだろう。狼人族とやりあったコイツでさえまだ現状はどうにかなると信じてる。今まで長い年月この地域の経済は街道の恩恵で安定してたし、実際、狼人族は以前からたまに出没してたが、その時点では景気になんの影響もなかった」

 そう言ってテリースさんにちょっと目を向けるとテリースさんが驚いたように目を見開いた。

「それが3年ほど前から通貨の著しい下落が中央から波紋を広げるように始まった。俺達が気づいた時には近隣の大きな街は揃って物資の買い占めに走ってて通常こちらに回ってくる流通が一気に減ってしまった。それが落ち着いた時にゃこの街にあった貨幣はクズ同然に成り果てて、数少ない供給元は足元を見て値段を釣り上げてきた」

 憎憎しげに宙をにらんでキールさんが続ける。

「それでもここは今までの好景気のお陰で物資の貯蔵もそこそこあったし、加えてウイスキーの産地として最低限の麦の生産が続けられていたお陰で蔵元にも穀物の蓄積がまだあった」

 キールさんはそこで一度言葉を切って、より一層苦々しそうに顔を歪めて先を続けた。

「その時点で俺達は残る穀物の蓄積を全て買い取り、市場に流し始めた。ところがこの買い占めを仲買した教会の連中は俺達から金貨と銀貨をせしめて時価の銅で供給元に支払い、その金貨と銀貨を持って街を出ちまった。ゴタクはともかく中央には向かったのだろうがあの状態で森を抜けて隣町まで辿り着けたのかは五分五分だな」

 うわ、教会の人たち、命よりお金に目がくらんじゃったんだ。

「お前らはそれを黙って見てたのか?」
「そりゃ出来るもんなら切り捨てでも止めたさ。だがあの当時、まだ奴らには一応この街の統治権が中央政府から委ねられてた。正式には手を出せない相手だった」

 そこで黒猫君が猫の手でテーブルをタンっと叩いた。

「嘘はなしって言ったよな」
「…………」
「取り戻せたのか?」
「……半分だけだ」

 テリースさんと私は最後のやり取りの意味を掴みかねて首をひねった。でもまたもやため息をついたキールさんが説明してくれた。

「あの時、無論あの司教共が家財を積んだ幌馬車で逃げ出そうとしているって情報は掴んでた。しかも為替損をこの街に押し付けて一抜けしようとしてるってこともな。だから俺たちは後をつけた。何せ勝負は五分五分だったからな」

 まだ意味がわからない私とは裏腹に、テリースさんの顔色が真っ白になってきた。

「あいつらが森を半分ほど抜けた所で狼人族が襲いかかった。司教のやつ、仲間の司祭共を置き去りにして一人だけ馬に乗って逃げ去った。置き去りにされた司祭共が狼人族の急襲で全滅したのを確認して、そこに居た狼人族を一掃した。結果、金の半分は司教が持ったまま見事逃げ切っちまったって訳さ」
「キール、私はそんな話聞いていませんよ!?」

 テリースさんが憤るのを、耳の穴を小指でほじくりながら視線をはずしたキールさんが面倒臭そうに返事を返す。

「ほらそうやってお前が怒るのが目に見えてたから言わなかったんだ」

 えっと、キールさんは司教と司祭さん達が襲われる可能性があるのを分かってて……違う、実際襲われるのを目撃しながらも、あえて手を出さないでやられるまで見守ってたってこと……

「テリース、キールを責めるのは後にしてくれ。それでキール、その教会の連中が逃げた後、ここの統治を代行する機関はあんたらの他になかったのか?」
「2つあった。ただ、これを説明するには結構色々長い説明が入る。悪いがまずはその前に門の様子を確認してきたい」
「じゃあ俺達も一旦治療院に戻って昼を準備するぞ」

 そう言って黒猫君とキールさんはこの会議に一時の休憩を宣言したのだった。
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