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第2章 基盤

10 テリース

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 テリースさんの言葉に、黒猫君でさえすぐには言葉が出なかった。

「……今、『元』って言ったよな?」
「はい。お陰様で今は奴隷契約から抜け出せています」
「それが給金の交渉とどうつながるんだ?」
「それは。元々私があの兵舎で働いていたのが奴隷契約の一部だったからです」
「まて、ちょっとまて。お前が奴隷だった時の主人は誰だ?」
「……キール隊長です」
「ええ!?」

 私が驚きの声を上げる。なんかそれって私が今まで見てきたキール隊長の性格と全然一致しない。

「どういう経緯だったんだ?」

 黒猫君も同じことを考えたらしい。事情を聞きたいらしく少し身をのり出した。

「キール隊長ご自身のお話は勝手に出来ないので詳しくはお話しできませんが、決してキール隊長から酷い扱いを受けたというようなことはありません。それどころか、キール隊長は私を奴隷にすることで私を守ってくれたんです。そして、あの兵舎での兵役を5年勤め上げた時点で私の給料代わりに奴隷契約を破棄してくださいました」

 ああ、それなら確かになんとなくわかる気がする。

「ただ、その時点で私の奴隷契約を破棄させる為に私の雇用契約を書いてしまい、それが奴隷時代に作成されていた為に変更が利かなくなってしまいました」

 そこでテリースさんがはぁっとため息を吐く。

「しかもここ一年程は中央政府と全く連絡が付きませんし。軍関連の連絡も途絶えてしまっています」
「ちょっと待て。それは不味くないのか?」
「多分不味いと思います」

 今度は私が分からない。それを見かねてテリースさんが説明してくれる。

「中央政府はお金が絡まなければこのような地方とわざわざ連絡を取らなくなることも良くありますが、軍は普通あり得ません」
「下手をすると国がなくなってるかもな」
「ええ?! それは流石にないでしょ、そんなことになってたら流石に誰か教えてくれるんじゃないの?」
「誰が?」

 そう言われてハタと気づく。そっか、テレビもニュースもない。インターネットもスマホもない。情報は人伝だけ。

「しかもここ半年は隣の町からの伝令も止まっています。狼人族の行動範囲が広がってこちらからも人を送れないままでいますし。あの砦も、あそこを拠点になんとか隣町まで人を送ろうとしていたんですよ」
「それで失敗に終わってしまったと」
「それどころかこのままですと、いつ彼らがここを襲ってくるかわかりません」
「……じゃあこの街は今、陸の孤島状態じゃないか」
「そう言えるかもしれませんね。ただ、ここ最近はここを抜ける人も減っていましたから、それにも慣れてしまっているんですが」

 顔をしかめた黒猫君が決意したようにテリースさんに告げた。

「……明日キールとも話がしたい。一緒に兵舎に行ってもいいか?」
「構いませんが隊長が忙しければそれも出来ないかもしれませんよ」
「それは俺が自分でなんとかする」
「そうですか。そうですね、ではあゆみさんもお連れしましょう」
「え?」
「ああ、多分あゆみにも関わることだ」
「でも私が一緒だと遅くなっちゃう……」
「大丈夫です。明日は私が抱えさせて頂きます」

 うえ、やっとそれはしてもらわなくても自分で動けるようになったと思ったのに。

「あゆみ時間が勿体ない、文句はなしな。農場の後にここに寄るから支度して待ってろ」
「うう、はぁい」

 仕方なくうなずいた。

「それでは明日は忙しくなりますからここら辺でお話は一旦切り上げて休むとしましょう」
「ああ」
「あゆみさん今日は疲れたでしょう、上までお連れしますよ」
「え? でも自分で歩けますよ」

 階段を上がるのはかなり大変だけど、もう床に座っちゃえば上がれるのが分かってしまった。ようは這って動くことを気にしなければ結構なんでも出来るのが今日一日で嫌って程分かった。

「今日くらいは許してください。そうでないと流石に自分が許せませんから」

 テリースさんはそれでもそう言って、まだ文句を言おうとしていた私の杖を折りたたんで腕に下げ、スッと私を椅子から抱え上げてしまった。
 黒猫君が無言でそれを見上げている。すぐになんか不機嫌そうにぷいっと先に行ってしまった。

「ネロ君を怒らせてしまったかもしれませんね」
「?」

 訳が分からないと見上げた私にテリースさんが優しく微笑んでくれる。

「ネロ君だってそれはあゆみさんを助けてあげたかったんじゃないですかね」

 猫なのに?

「さあ、ここの後片付けは後で私がしますから上に行きましょう」

 私の問いかける視線はしっかり無視してテリースさんが歩き出した。テリースさんに抱えられて階段を上がるのはすごく楽だけど、やっぱりちょっと悔しい。悔しいけど疲れ切っていた私にはもう文句を言う気力もなかった。

 部屋に着くと黒猫君がベッドの下で丸まってた。

「おい、あゆみ。身体乾かないぞ」
「ありゃ、やっぱり」

 テリースさんにベッドにおろしてもらって黒猫君を見やれば、確かにまだ毛が少しぺったりしてる。

「これくらいなら私がお手伝いしますよ」

 そう言ってテリースさんが部屋の戸棚にいつの間にか置いてあった手拭いで黒猫君を拭いてくれる。よく見るとその手拭いの他にも数枚の手拭いと私が今着ているのと同じ服が2枚おいてあった。
 ベッドのリネンらしきものもある。

「テリースさん、これ……」
「ああ、キール隊長が私の看病の給料替わりとして渡しておいて欲しいと言っていました」
「そんな、私なんのお役にも立てなかったのに……」
「いえ、貴方の見張りはパーフェクトだったそうです。その証拠に私が一度もベッドから逃げ出しませんでしたから」

 そう言ってテリースさんが笑った。

「そう言えば、今更だがあの矢傷は大丈夫なのか? もしかしてあれ、お前の身体に合わないもんでも入ってたんじゃないのか?」

 黒猫君の言葉にテリースさんが目を見開いた。

「どうして分かったんですか?」
「そんなことはどーだっていいよ」

 あ、本か何かの知識なのかな?

「ええ。あの矢は芯が鉄製でした」
「鉄の傷に弱いのか」
「ええ。純血のエルフほどではありませんが、鉄の傷は治るのに人より沢山の血液が必要になります。だから切り合いの戦場ではほとんど役立たずなんですよ」
「そんなんでよく砦に行ったな」
「給金が……三倍だったんです」

 三倍って言ったってたった銅貨105枚、約1050円くらいだよ??
 それであの砦に行くのはあまりに割に合わない気がするんだけど。

「それで明日からの食料を調達しようと思っていましたので……」
「……お前も本当に追い込まれてたんだな」
「はい」

 そうでなくても優しいテリースさんの眉が下がっちゃってすごく情けなさそうな顔になってる。
 そうしてテリースさんは私たちに就寝の挨拶をして、静かに部屋を出て行った。
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