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第1章 始まり

閑話 黒猫のぼやき

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 俺の名前は森谷もりたに隆二りゅうじ

 フリーターだ。
 いや、フリーターだった。

 今は……猫だ。

 異世界ものなんて本や漫画で嫌って程出てるし、俺だって見たことがなかったわけじゃない。
 だが、猫に生まれ変わらせるってありですか?

 生き残ったことを喜ぶべきか嘆くべきか。
 嘆かわしいことにこの体、健康そのものの完全な猫だ。
 四つ足で歩くのもすり寄るのも、全て本能がどうすべきか教えてくれる。

 救いはオスだったこと。
 これでメスだったら間違いなく自殺するか考えてただろう。

 そしてこれも良かったと言うべきかどうか、もう一人生き残りがいた。
 あゆみと言うそうだ。
 最初はむかっ腹が立った。
 俺は無理やり猫に生まれ変わらされてんのにあっちは向こうと同じ身体だってんだから。
 俺、そんな運命に弄ばれるような酷いことしてきましたか?
 あ。したかもな。

 それにしても最初がいけなかった。
 初日なんとなくあゆみの部屋に入った時点で、俺はまだ言葉を発せなかった。そんな俺を、あゆみは普通の猫だと思い込んで愚痴をこぼしまくっちまった。
 今更「俺、実は元日本人です」とは言いづらく、仕方なく猫のふりを続けている。
 いや、本当に猫なんだが。

 この事故のせいであゆみは右足を太腿から失った。
 その治療の為に俺よりも気がつくのも遅かったし、まだ部屋から出られないでいる。
 そのせいかあゆみはこの世界に恐怖と興味を同時に持ったようだ。
 毎日様子は見に行くが、やけに弱弱しく、俺に愚痴ばかり垂れている。

 俺はと言えばこの体のお陰で先に外を見れている。
 これは結構ヤバい世界に来ちまった気がする。

 この『砦』と呼ばれている場所は、俺に言わせれば単なる洞穴だ。
 それを掘り返して最低限人が暮らせる程度の場所を確保してある。

 食料も少ない。
 元々あゆみや俺を引き入れる予定がなかったせいもあるだろうが、それにしたって今いる十五人の兵士を養うならニ週間も持たないんじゃないか?

 武具は中世ヨーロッパの物に近いようだ。鉄はあるようなのにほとんどの者が薄手の皮の鎧を付けている。
 武器も良く手入れされてはいるようだが、かなり年季が入ってるみたいだ。
 戦っている間にポッキリいったらどうするつもりなんだ?

 言語チートはあるらしく言葉は全て通じている。
 所々言葉が古かったり、外国語が混じってる気はするが。

 字に関してはまだ見る機会がないので分からない。
 その内確認してみよう。

 洞穴の中の兵士たちはずっとピリピリしている。
 猫になったせいか、以前よりそういう空気が敏感に感じ取れる。
 しかも洞穴の入り口辺りをうろつくと、時々髭がビリビリいって毛が逆立つ。
 何かヤバい物が周りにいる気がする。

 あゆみは俺を猫だと信じて疑わない。
 毎日のように愚痴を続けられるとこっちまで参ってきちまう。
 でも自分以外にも同じ元いた世界を覚えている奴がいるのは少し頼もしい。仕方ないので毎日愚痴を聞きに行ってやる。

 時折あゆみが勝手に俺の前で服を着替え始める。
 ぼりぼりと尻をかいたり、下着をずらしたり。

 まずい。
 俺、これでも一応オスなんですけど。
 ……でも猫だな。
 なんも出来ね。
 雌猫でも探すか?


 しばらくしてやっぱりヤバい奴らが襲ってきた。
 狼人族とか言ってたな。
 あの隊長、流石に強ぇ~。
 ばっさばっさ倒してた。

 俺はと言えばあゆみと一緒に逃げるしかなかったが、テリースがやられてあゆみが動けなくなった時はマジ焦った。
 追いついてきた狼人族と敵対した瞬間、本能のせいで俺の身体は縮みあがった。

 猫弱ぇ~。

 だが、狼人族が声を掛けるより早く、あゆみが訳わかんねぇ啖呵切りやがった。
 女って切れると怖ぇ~。

 でもやられるより殺せってのは頂けない。
 生きてられてるだけ感謝しろよ。

 考えるより先に体が前に飛び出してた。
 狼人族の蹴りは、俺の猫の目には充分ゆっくりしたものに捉えられた。
 どうも、この猫の身体はかなり性能がいいみたいだ。

 そのまま思いっきり相手の体を駆け登って、両目に思いっきり爪を突き立てる。
 これまでの鬱憤が一気に噴き出した気分だった。
 殆ど八つ当たり。

 いくら巨体の狼人でも、両目をやられては流石に直ぐには動けないらしく、呻きながら地面を転げまわる。
 敵がボトリと取り落とした刀を相手の手の届かない場所に避けようと、必死で咥えて引きずった。

 あゆみもすぐに気づいて這いずり始める。
 俺がそのまま刀をあゆみの手元まで持っていくと、あゆみが無意識に柄を掴んでくれた。
 それと狼人族があゆみの足首を掴むのが同時だった。
 あゆみは自分が掴んだのが刀だと気づかない。

 畜生、仕方なく俺はあゆみに戦えと叫んだ。

 当たり前だが俺だってあゆみだって現代日本人だ。
 こんな状況になったって、戦闘やら死体やらに耐性なんてない。
 あゆみは気丈に敵に刃を突き立てたが、すぐに震えて刀を取り落とし、俺もそれを見て一瞬腰が引けた。

 それでも俺に叱咤されてあゆみは森を這いずり続ける。
 テリースを引きずりつつ、ゆっくり、でも着実に進むあゆみを見送って、俺はキールとかいう隊長を探しに戻った。


 戦場は酷いありさまだった。
 そこら中、血と臓物の匂いが立ち込めていて、猫の嗅覚では吐き気が抑えられない。
 何度かえづいて胃の中の物を吐き出した。

 隊長すげぇ。
 隊長の周りには狼人族の死体が正に山になっていた。
 その隊長の周りには最後に生き残った数人の兵士が背中を合わせるようにして立ってる。
 まるで戦記物の一場面でも見ているようだった。

「おい、あいつらはどうなった?」
「あゆみがテリースを引きずって森を抜けようとしてる。こっちは?」
「あらかた片付いた。新手が来る前に森を抜けるぞ」

 隊長に促され、隊長たちを先導して今来た道を急ぎ戻る。
 森を抜けると月光を浴びてこちらを凝視しているあゆみの姿が目に入った。思わず飛び出してあゆみの膝に飛び乗った。

 あ。畜生、やっぱ猫の本能には勝てね。
 俺があゆみにすり寄っている間に隊長たちは準備を整えて走り出す。この身軽な体のお陰で俺も楽々ついていける。今ならフルマラソンも出来そうだな。

 街に着くと少しは文明らしい生活水準が見れてほっとした。
 やはり城壁っていうのはこんな世界じゃ必須だと痛感させられる。
 中に入った時の安心感はもう言葉に尽くしがたい。

 与えられた部屋であゆみにとうとう自分が元日本人であることを告白した。
 あゆみの反応は、まあ、そこそこ予想はしていたが。
 真っ赤になって丸くなってた。
 なるべく刺激しないように気遣ってたら、これからも黒猫呼ばわりされるのが決定してた。まあこれはもう仕方ねーな。


 部屋に戻ってきた隊長は、あゆみにテリースの面倒を見るように言いつけて、洞穴で毎夜削って作っていた杖を何も言わずに手渡した。
 この隊長、いい奴だがなんか素でモテ男臭い。

 テリースの怪我は大したことないようだ。
 ただ、元々血が薄いのにかなり出血したせいで顔色が悪い。
 そこで今後の生活の話になった。

 あゆみも賛同して、王都には向かわずにまずはこの街で基盤を作ることになった。
 とは言え、俺はペットとしてだが。

 いっそ本でも書いて売るか。『俺は猫である』とか。
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