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第1章 始まり
3 新しい人生
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「目が覚めましたか?」
やっと意識の浮上し始めた私のすぐ上から、どこか聞き覚えのある声が落ちてきた。眠りから覚めて、夢と現実が混ざったような、不確かな意識がぐらりと揺れる。
あれ、この声どこで聞いたんだっけ?
すぐに名前と結びつかない、でも確かに聞き覚えのある、自分にとって縋るべき声。
「ああ、まだ起き上がらないでください」
そう言って優しく肩を押し戻されて、開いた目の焦点がゆっくりとその手に合って、それが大きくて白い男性の手であると認識して。
途端、「こんな人知らない」っと意識がはっきりと覚醒する。
驚いて視線を上げれば、白いローブをゆったりとまとった金髪の男性が無言で見下ろしていた。
長いサラサラの金髪は後ろで束ねられ、金髪のせいで少し薄い眉は優しく弧を描いてる。その下には湖のように静かなエメラルド・グリーンの瞳が輝いてた。
これはまた、綺麗な顔立ちの人だなぁ。
決して私の好みではないけど、美人と言ったほうが似合うような中性的な顔立ちの男性だ。男性だと確信が持ててるのは、その少しゴツゴツとした手と大柄な身体と声の低さからだ。
「貴方は事故に巻き込まれて身体の一部をひどく損傷されています。今は治療のお陰で痛みが引いていますが、あまり動くといつまた激痛が戻ってしまうか分かりません」
彼の言葉で、最後に意識を失うまでに起きた幾つものやり取りが怒涛のように脳裏に浮かび上がった。
一瞬で戻ってきた強烈な恐怖に喉が引きつる。
思わず口から悲鳴がこぼれそうになったところで、目の前の男性が一本の指を立てて私の唇を塞いだ。
「叫ぶのも良くありません。心を落ち着かせて。もうこれ以上貴方を傷つけるようなことは起きません。ゆっくり息を吸って、吐いて」
彼の優しい瞳はしっかりと私を見つめ、動揺して叫びだしそうだった私に動じることもなく、ただ静かに話しかけ続ける。そんな彼の様子を見てるうちに、少しだけ心に余裕が戻ってきた。
言われた通り息を吸って、吐いてみる。
生きてる。
突然実感した。
なにか酷いことが起きたのは分かった。なんかすごく考えたくもないようなことが起きた。
でも私、生きてる。
一呼吸ごとにその実感が心に積み重なって、重くて、せつなくて苦しくて、気が付くと目元が涙で濡れていた。
私は生き残った。
だけど、ただそれだけじゃなかった。私はどうやらとんでもない状況に落っことされたようだ。
やっと落ち着きを取り戻した私が周りを見回すと、そこは見たこともない場所だった。
いや、知らない場所、って意味じゃない。
部屋が、私が知りうるどんな部屋とも違ってた。
壁が天井とつながって全部、岩だった。薄暗いと思っていたのは、この部屋に窓が一つもないからだった。
部屋と言うか、これ洞穴?
それでも壁の一か所には木製の扉がはまってる。
室内にはランプらしい光源があるのだけど、丸い球体のそれはまるで石から削り出されたようで、一体どうやって光っているのか全く分からない。
私が寝かされていたのもベッドと言うよりは布を集めて敷き詰めただけの場所だった。その下はまさかの冷たい岩の床。
さっきっから私に話しかけてくれていた男性はテリースと名乗った。
テリースさんから、私が森に突然湧いて出た沢山の奇怪な鉄片と死体の中から見つけ出されたのだと教えてもらった。その森からさほど離れていない、ここは砦の一つだという。
ええっと。
ちょっと待った。
私は都心の駅から自宅に帰るための電車に乗ってたはずだ。
思い出すと胃が引きつるけど、なんとか今の事態を把握しないとこれからどうするのかも考えられない。
電車が浮き上がったのを覚えてる。
その後、すごい音がして。
あ。
あの男性の死体を見た。
思い出した途端、勝手に胃がせりあがって、なにか吐き出そうとしたのに、吐けない。胃がひっくり返りそうになって痙攣して、えづくだけえづいて不快感だけが残った。
「どうしました? 大丈夫ですか? 痛みが戻ってきましたか?」
「っふぅ、い、いいえ、違います。胃が……締め付けられて、吐きたかったんですけど何も出てこなくて」
「ああ、貴方が発見されてから二日ほど眠ってらしたので胃が空なのでしょう」
「ふ、二日も?」
「ええ。あれだけの精気を失ったのですから仕方ありません」
よく分からないけど、どうやら自分は結構ひどい状態だったらしい。ふと気づいて聞いてみる。
「私の他に生き残った方は?」
「残念ながらそのままの姿で生き残られたのは貴方だけです」
「?」
テリースさんの説明が分かりづらいのか、私の頭がはっきりしてないのか、どうにもよく理解できない。それでもまずは現状をもっと知りたかった。
「あの、私の足は……どうなりましたか?」
一番知りたかった、そして一番知りたくなかったことを聞いてみた。どうやったってどこかで知らざるを得ないのだ。
「残念ながら、再現は不可能でした。太腿から下の部分は失損したままです」
スッと血の気が引いた。
足を、私片足をなくしたんだ……
実はさっきっから、身体にかけられた大きなコートのようなものの裾のほうを見ないように気をつけてたのだ。見てしまったら心が壊れそうで。
でも知ってしまったら、見ないわけにはいかない。
恐る恐る視線をそちらに移す。
コートが厚手なのではっきりしないけど、腰から下の、右側だけがやけにぺしゃんとしてる。
本当にない。
「実感が……ないんですけど。だって痛くないし、なんかあるような気がするし」
「それは幻覚です。まだ足がなくなったことを貴方の意識が認識しきれていないんです。ついでに痛みに関しては私が抑えています」
「テリースさんが?」
「はい。私はこのすぐ近くの町で救護師をしています。不幸中の幸いにも、たまたま町のすぐ外の砦に移動になった私と数人の兵士が、貴方が放り出された辺りを通りかかったんです」
そこでテリースさんが目を軽く伏せる。
「そして、生存者が貴方だけだった。もし他にも生存者がいらしたら、治療その他で貴方一人につきっきりで痛覚の隔離をかけ続けて差し上げることは出来なかったでしょう」
さっきっから一つ、なんとか自分をごまかして目を向けないようにしてきた事実があるんだけど。流石にそろそろ無視しきれなくなってきた。
さっき兵士って言ったよね。
それに救護師。
部屋は砦の中で、くり抜かれた岩の壁。
痛覚を隔離って……多分……
「あの、今私が痛みを感じないのはテリースさんが、その、『痛覚の隔離』をしてくださってるおかげなんですよね。それって、もしかして、『魔法』とか言います?」
テリースさんがキョトンとした顔で私を見つめる。すぐにちょっと眉をひそめて言葉を返した。
「勿論そうですが? 魔術を受けてはいけない何か宗教的な束縛でもお持ちでしたか?」
やっぱり。
あー、こういうのって、なんて言うんだっけ?
転生は死んでからするんだよね?
じゃあこれは転移?
でもってここは異世界ってやつ?
どちらにしても、どうやら知らない世界に飛んできちゃったのだけは確かみたいだ。別に中二病を患うような歳じゃないけど、かといってこの状況を否定しまくるほど頭の硬くない私は「あ、そうですか」程度に納得した。
正直事故のほうが強烈すぎて、今のところここに来ちゃったのは状況的にはおまけ程度にしか感じられない。
さて、もう一つの聞かなければいけない事。
「因みに、あの現場から生き残ったのは本当に私だけだったんですか?」
「ええ。死体は全部で五体発見されました。うち一人だけは精神の転移が成功したのでこちらで引き受けています」
「精神の転移?」
「それはまた後程。まずは体力を戻されるのが先決です。ちょっとお待ちください、今何か食べられるものをお持ちしましょう」
そう言って私を安心させるように優しく微笑んだテリースさんは、私を残してこの部屋のたった一つの扉から出ていってしまった。
やっと意識の浮上し始めた私のすぐ上から、どこか聞き覚えのある声が落ちてきた。眠りから覚めて、夢と現実が混ざったような、不確かな意識がぐらりと揺れる。
あれ、この声どこで聞いたんだっけ?
すぐに名前と結びつかない、でも確かに聞き覚えのある、自分にとって縋るべき声。
「ああ、まだ起き上がらないでください」
そう言って優しく肩を押し戻されて、開いた目の焦点がゆっくりとその手に合って、それが大きくて白い男性の手であると認識して。
途端、「こんな人知らない」っと意識がはっきりと覚醒する。
驚いて視線を上げれば、白いローブをゆったりとまとった金髪の男性が無言で見下ろしていた。
長いサラサラの金髪は後ろで束ねられ、金髪のせいで少し薄い眉は優しく弧を描いてる。その下には湖のように静かなエメラルド・グリーンの瞳が輝いてた。
これはまた、綺麗な顔立ちの人だなぁ。
決して私の好みではないけど、美人と言ったほうが似合うような中性的な顔立ちの男性だ。男性だと確信が持ててるのは、その少しゴツゴツとした手と大柄な身体と声の低さからだ。
「貴方は事故に巻き込まれて身体の一部をひどく損傷されています。今は治療のお陰で痛みが引いていますが、あまり動くといつまた激痛が戻ってしまうか分かりません」
彼の言葉で、最後に意識を失うまでに起きた幾つものやり取りが怒涛のように脳裏に浮かび上がった。
一瞬で戻ってきた強烈な恐怖に喉が引きつる。
思わず口から悲鳴がこぼれそうになったところで、目の前の男性が一本の指を立てて私の唇を塞いだ。
「叫ぶのも良くありません。心を落ち着かせて。もうこれ以上貴方を傷つけるようなことは起きません。ゆっくり息を吸って、吐いて」
彼の優しい瞳はしっかりと私を見つめ、動揺して叫びだしそうだった私に動じることもなく、ただ静かに話しかけ続ける。そんな彼の様子を見てるうちに、少しだけ心に余裕が戻ってきた。
言われた通り息を吸って、吐いてみる。
生きてる。
突然実感した。
なにか酷いことが起きたのは分かった。なんかすごく考えたくもないようなことが起きた。
でも私、生きてる。
一呼吸ごとにその実感が心に積み重なって、重くて、せつなくて苦しくて、気が付くと目元が涙で濡れていた。
私は生き残った。
だけど、ただそれだけじゃなかった。私はどうやらとんでもない状況に落っことされたようだ。
やっと落ち着きを取り戻した私が周りを見回すと、そこは見たこともない場所だった。
いや、知らない場所、って意味じゃない。
部屋が、私が知りうるどんな部屋とも違ってた。
壁が天井とつながって全部、岩だった。薄暗いと思っていたのは、この部屋に窓が一つもないからだった。
部屋と言うか、これ洞穴?
それでも壁の一か所には木製の扉がはまってる。
室内にはランプらしい光源があるのだけど、丸い球体のそれはまるで石から削り出されたようで、一体どうやって光っているのか全く分からない。
私が寝かされていたのもベッドと言うよりは布を集めて敷き詰めただけの場所だった。その下はまさかの冷たい岩の床。
さっきっから私に話しかけてくれていた男性はテリースと名乗った。
テリースさんから、私が森に突然湧いて出た沢山の奇怪な鉄片と死体の中から見つけ出されたのだと教えてもらった。その森からさほど離れていない、ここは砦の一つだという。
ええっと。
ちょっと待った。
私は都心の駅から自宅に帰るための電車に乗ってたはずだ。
思い出すと胃が引きつるけど、なんとか今の事態を把握しないとこれからどうするのかも考えられない。
電車が浮き上がったのを覚えてる。
その後、すごい音がして。
あ。
あの男性の死体を見た。
思い出した途端、勝手に胃がせりあがって、なにか吐き出そうとしたのに、吐けない。胃がひっくり返りそうになって痙攣して、えづくだけえづいて不快感だけが残った。
「どうしました? 大丈夫ですか? 痛みが戻ってきましたか?」
「っふぅ、い、いいえ、違います。胃が……締め付けられて、吐きたかったんですけど何も出てこなくて」
「ああ、貴方が発見されてから二日ほど眠ってらしたので胃が空なのでしょう」
「ふ、二日も?」
「ええ。あれだけの精気を失ったのですから仕方ありません」
よく分からないけど、どうやら自分は結構ひどい状態だったらしい。ふと気づいて聞いてみる。
「私の他に生き残った方は?」
「残念ながらそのままの姿で生き残られたのは貴方だけです」
「?」
テリースさんの説明が分かりづらいのか、私の頭がはっきりしてないのか、どうにもよく理解できない。それでもまずは現状をもっと知りたかった。
「あの、私の足は……どうなりましたか?」
一番知りたかった、そして一番知りたくなかったことを聞いてみた。どうやったってどこかで知らざるを得ないのだ。
「残念ながら、再現は不可能でした。太腿から下の部分は失損したままです」
スッと血の気が引いた。
足を、私片足をなくしたんだ……
実はさっきっから、身体にかけられた大きなコートのようなものの裾のほうを見ないように気をつけてたのだ。見てしまったら心が壊れそうで。
でも知ってしまったら、見ないわけにはいかない。
恐る恐る視線をそちらに移す。
コートが厚手なのではっきりしないけど、腰から下の、右側だけがやけにぺしゃんとしてる。
本当にない。
「実感が……ないんですけど。だって痛くないし、なんかあるような気がするし」
「それは幻覚です。まだ足がなくなったことを貴方の意識が認識しきれていないんです。ついでに痛みに関しては私が抑えています」
「テリースさんが?」
「はい。私はこのすぐ近くの町で救護師をしています。不幸中の幸いにも、たまたま町のすぐ外の砦に移動になった私と数人の兵士が、貴方が放り出された辺りを通りかかったんです」
そこでテリースさんが目を軽く伏せる。
「そして、生存者が貴方だけだった。もし他にも生存者がいらしたら、治療その他で貴方一人につきっきりで痛覚の隔離をかけ続けて差し上げることは出来なかったでしょう」
さっきっから一つ、なんとか自分をごまかして目を向けないようにしてきた事実があるんだけど。流石にそろそろ無視しきれなくなってきた。
さっき兵士って言ったよね。
それに救護師。
部屋は砦の中で、くり抜かれた岩の壁。
痛覚を隔離って……多分……
「あの、今私が痛みを感じないのはテリースさんが、その、『痛覚の隔離』をしてくださってるおかげなんですよね。それって、もしかして、『魔法』とか言います?」
テリースさんがキョトンとした顔で私を見つめる。すぐにちょっと眉をひそめて言葉を返した。
「勿論そうですが? 魔術を受けてはいけない何か宗教的な束縛でもお持ちでしたか?」
やっぱり。
あー、こういうのって、なんて言うんだっけ?
転生は死んでからするんだよね?
じゃあこれは転移?
でもってここは異世界ってやつ?
どちらにしても、どうやら知らない世界に飛んできちゃったのだけは確かみたいだ。別に中二病を患うような歳じゃないけど、かといってこの状況を否定しまくるほど頭の硬くない私は「あ、そうですか」程度に納得した。
正直事故のほうが強烈すぎて、今のところここに来ちゃったのは状況的にはおまけ程度にしか感じられない。
さて、もう一つの聞かなければいけない事。
「因みに、あの現場から生き残ったのは本当に私だけだったんですか?」
「ええ。死体は全部で五体発見されました。うち一人だけは精神の転移が成功したのでこちらで引き受けています」
「精神の転移?」
「それはまた後程。まずは体力を戻されるのが先決です。ちょっとお待ちください、今何か食べられるものをお持ちしましょう」
そう言って私を安心させるように優しく微笑んだテリースさんは、私を残してこの部屋のたった一つの扉から出ていってしまった。
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