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第13章 ヨークとナンシーと
10 黒猫君の災難
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シアンさんが見守る中、無心で渡された石に魔力を込めてた部屋に、突然パーンっといい音が響いた。驚いて振りむけば、開かれた襖の向こうから黒猫君が飛び込んできた。
「シアン! お、お、お前!」
でも待って、真っ赤な顔で叫び始めた黒猫君、上だけ脱いだ半裸状態なんだけど!?
「黒猫君、どうしたの? なにがあったの?」
「あ、あ、あ、あれはねーだろ!」
心配で聞いてるのに、こちらをチラリと見た黒猫君はさも我慢出来ないって様子で頭を掻きむしる。そんな黒猫君を面白そうに見返して、お茶を啜りながらチラリと私に視線を送ったシアンさんが問い返した。
「あら、なにがないのかしら?」
しれっと聞き返したシアンさんに、黒猫君は真っ赤な顔をより赤くして、パクパクと何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し。
そして──
「し、信じらんねーーー!!!」
──なぜかそれだけ大声で叫んだっきり、口をつぐんでしまった。
なのにシアンさん、そんな黒猫君をニヤニヤ笑いを浮かべて見返してる。
どうやらシアンさんは黒猫君が叫んだ文句の意味を理解してるっぽい。
訳が分からないのは私だけ?
ん? あれ?
そこで突然思い出して黒猫くんに問いかける。
「あれ、サリスさんは?」
見回してみても、後ろからサリスさんが来る様子もない。
キョロキョロしながら尋ねる私に、黒猫君がやけに感情の籠もらない声でぶっきらぼうに答えてくれる。
「……風呂場で気絶してる」
「え!? ちょ、ちょっと待って、誰か襲ってきたの?」
「襲ってきたのはあいつで、気絶させたのが俺だ」
不機嫌に返した黒猫君の説明の意味が全然分からない。
「ええ? サリスさんが襲って、黒猫君がサリスさんを気絶させたって……え、それサリスさんと喧嘩しちゃったってこと??」
あんなに仲良くお風呂いったのに、一体なにがあったの!?
驚く私を放っておいて、黒猫君がまたもイライラと髪を掻きむしる。
「シアン、これゼッテーわざとハメただろ!」
「なんのことかしら?」
「しらばっくれるな、なんで前もってあいつの趣味を言わねぇんだよっ!」
つばを飛ばす勢いで怒鳴った黒猫君を冷たい視線で見返して、シアンさんが冷淡に言い返す。
「あら、ちゃんと言いましたでわ。長命のエルフなのに、サリスはこの歳までずーっと独身だったって。ちょっと想像力を働かせれば彼が女性に興味がないことくらい、分かりきった結果でしょう」
「そんなんで分かってたまるかっっっ!!」
あーあ、そういうことか。
どうやら黒猫君、サリスさんに迫られちゃったみたい。そう言えば黒猫君、前にも男性に好意を持たれた経験があるって言ってたもんね。
ああ、だったらサリスさんが夕食の時、黒猫君を見て何度も赤くなってたのもそのせいだったのかな?
そっか、黒猫君って男性にもモテるのか……
ちょっと複雑。これは一種の三角関係?
だけど相手は男性だし、黒猫君はそちらの趣味はないって言ってたし。
黒猫君、それなのに男性を虜にしちゃうとか、罪だよね。
そんなことをのほほんと考えてた私を、黒猫君が恨みがましい目でギロリと睨んだ。
「あゆみ、あいつがしてきたの、お前が想像してるような平和なもんじゃねーからな。マジで殴り殺さなかったのを感謝されてーぞ」
え、なにその怖い目。今にも誰か殺しちゃいそうだよ?
黒猫君の態度を見るに、どうやら手加減なしに殴っちゃったのが予想できて、思わずサリスさんの身のほうが心配になってきた。
「シアンさん、お風呂場で気絶なんて危ないですし、ちょっと様子を見にいったほうがいいのでは?」
「放っておいて大丈夫よ、サリスは岩石蜂なみにしぶといですから殺そうとしたって簡単には死にません。ああ見えて武道の心得もしっかりありますもの。そのうち目を覚まして自分で部屋に戻るでしょう」
こちらは本気で心配してるのに、シアンさんは全然気にした様子もない。それどころかなんか恨みの籠もった声音でそう言ったっきり、何事もなかったかのように涼しげにお茶を啜ってる。
一方黒猫君はやり場のない怒りを溜めまくって、またも髪が抜けそうな勢いでかきむしってた。
え、このカオス状態、このまま放置しちゃっていいのかな。
不機嫌な黒猫君とまるっきり平常運転のシアンさんのあいだで、私は一人どうしたものかとため息をついた。
* * *
「外で水浴びてくる」
結局全く反応を返さないシアンさん相手に苛立ちが収まらない黒猫君、それだけ言って部屋を出てっちゃった。
慌ててシアンさんに一声かけて、杖を片手に私も黒猫君を追いかける。
どこに行ったのかとちょっと探したけど、すぐに外から水音が聞こえはじめて。
音のするほうに向かえば、黒猫君が井戸端で下着姿のまままだ水浴びしてるのが見えた。
「黒猫君、大丈夫?」
「…………」
よっぽど気がたってるのか、私の声で一瞬動きを止めた黒猫君は、だけど返事もせずにまた桶に入った水を頭から被った。
水に濡れた黒猫君の精悍な身体が月光を照らし返してて、見惚れちゃうほど綺麗。
思わずその場で立ち尽くして、黒猫君が水を浴びるのをしばらく眺めてしまった。
「悪い。ちょっとまだムリだ」
数回水を浴びてから、桶を手に黒猫君がこちらも見ずにそう呻いた。
ブルリと一瞬身震いしたかと思うと、またいそいそと井戸から水を汲んでは被る。
十数回もそれを繰り返す頃には、見るからに黒猫君の身体に鳥肌が立ってるのが見てとれた。
いくら夏の夜とは言え、冷たい井戸水をかぶり続けてたらそうなるよね。
流石にそろそろ止めようと、私も黒猫君の横に向かったんだけど……
慎重に乾いてる場所を選んで歩いてたのに、すぐ横まで来たところで、黒猫君が被った水で思わぬ場所がぬかるんだ。そこにハマった杖がツルリと滑って、一瞬でバランスを崩して声が出た。
「うわっ!」
「なにやってんだよ!」
驚いた黒猫君が、声よりも早く腕を伸ばして私を支えてくれる。
焦った~!
黒猫君の反射神経がよくてホントに助かった。黒猫君に支えられながら体勢を整えた私は、一息ついて口を開く。
「黒猫君もうやめよう? 身体冷え切ってるでしょ」
心配する黒猫君に、私も心配で問い返した。なのに黒猫君ったら、まだダメとばかりに私から視線を逸らす。
うーん、どうしてくれよう。
「いつまでたっても気がすまないんだったら、私も一緒に浴びてれば諦めつく?」
黒猫君がさっき浴びた釣瓶を井戸に落とそうと手を伸ばしながら問えば、黒猫君が慌てて私の腕を掴んで止めようとする。
「危ないだろ、そうじゃなくてもここ滑るんだぞ。ちゃんと杖掴んでろよ」
杖を脇で挟みつつ両手で釣瓶を掴んだから、私がまたバランスを崩すと思ったのかな。
でもそんなことないんだよね、これが。
「黒猫君が思うほど、私もう不安定じゃないよ。最近じゃ片足でも結構長い時間しばらく立ってられるし」
言い返しながら黒猫君をじっと見上げてると、根負けしたのか、黒猫君が諦めたように大きなため息をついた。
「風呂行くぞ」
ぶっきらぼうにそう言った黒猫君は、いつものように私を抱きあえげてスタスタと歩きだ。
だけどもう気が済んだのか、少しは落ち着いたみたい。
本当はシアンさんと一緒にお風呂行くはずだったけど、まあ仕方ないよね。
それにしても、水に濡れた黒猫君はなんだかやけに色っぽい。黒猫君の腕に包まれてちょっと気恥ずかしい私は、そのまま無言で黒猫君に運んでもらうことにした。
* * *
黒猫君に連れてきてもらったお風呂場は、旅館のファミリーサイズのお風呂場くらいはあるゆったりしたスペースだった。
前回も黒猫君が色々あって、何気にここのお風呂を使うのは初めてだったりする。
だから実は今日、黒猫君と一緒に入れないのが少し残念だったんだけど。
思わぬ経緯で一緒にお風呂に入れるのが嬉しくて思わず顔が緩んじゃう。
黒猫君いわく、さっき置き去りにしたところにサリスさんの姿はないらしい。
良かった、サリスさん自力で帰れたらしい。
「今日はもうお風呂だけ入ってゆっくり寝ちゃおう」
湯気の立つ湯船を前に私がそう言えば、やっと黒猫君が笑顔を向けて呟いた。
「ゆっくり寝れるかはこの後次第だな」
意味深な黒猫君のそのセリフは、被ったお湯の音と重なって聞こえなかったことにした。
「シアン! お、お、お前!」
でも待って、真っ赤な顔で叫び始めた黒猫君、上だけ脱いだ半裸状態なんだけど!?
「黒猫君、どうしたの? なにがあったの?」
「あ、あ、あ、あれはねーだろ!」
心配で聞いてるのに、こちらをチラリと見た黒猫君はさも我慢出来ないって様子で頭を掻きむしる。そんな黒猫君を面白そうに見返して、お茶を啜りながらチラリと私に視線を送ったシアンさんが問い返した。
「あら、なにがないのかしら?」
しれっと聞き返したシアンさんに、黒猫君は真っ赤な顔をより赤くして、パクパクと何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し。
そして──
「し、信じらんねーーー!!!」
──なぜかそれだけ大声で叫んだっきり、口をつぐんでしまった。
なのにシアンさん、そんな黒猫君をニヤニヤ笑いを浮かべて見返してる。
どうやらシアンさんは黒猫君が叫んだ文句の意味を理解してるっぽい。
訳が分からないのは私だけ?
ん? あれ?
そこで突然思い出して黒猫くんに問いかける。
「あれ、サリスさんは?」
見回してみても、後ろからサリスさんが来る様子もない。
キョロキョロしながら尋ねる私に、黒猫君がやけに感情の籠もらない声でぶっきらぼうに答えてくれる。
「……風呂場で気絶してる」
「え!? ちょ、ちょっと待って、誰か襲ってきたの?」
「襲ってきたのはあいつで、気絶させたのが俺だ」
不機嫌に返した黒猫君の説明の意味が全然分からない。
「ええ? サリスさんが襲って、黒猫君がサリスさんを気絶させたって……え、それサリスさんと喧嘩しちゃったってこと??」
あんなに仲良くお風呂いったのに、一体なにがあったの!?
驚く私を放っておいて、黒猫君がまたもイライラと髪を掻きむしる。
「シアン、これゼッテーわざとハメただろ!」
「なんのことかしら?」
「しらばっくれるな、なんで前もってあいつの趣味を言わねぇんだよっ!」
つばを飛ばす勢いで怒鳴った黒猫君を冷たい視線で見返して、シアンさんが冷淡に言い返す。
「あら、ちゃんと言いましたでわ。長命のエルフなのに、サリスはこの歳までずーっと独身だったって。ちょっと想像力を働かせれば彼が女性に興味がないことくらい、分かりきった結果でしょう」
「そんなんで分かってたまるかっっっ!!」
あーあ、そういうことか。
どうやら黒猫君、サリスさんに迫られちゃったみたい。そう言えば黒猫君、前にも男性に好意を持たれた経験があるって言ってたもんね。
ああ、だったらサリスさんが夕食の時、黒猫君を見て何度も赤くなってたのもそのせいだったのかな?
そっか、黒猫君って男性にもモテるのか……
ちょっと複雑。これは一種の三角関係?
だけど相手は男性だし、黒猫君はそちらの趣味はないって言ってたし。
黒猫君、それなのに男性を虜にしちゃうとか、罪だよね。
そんなことをのほほんと考えてた私を、黒猫君が恨みがましい目でギロリと睨んだ。
「あゆみ、あいつがしてきたの、お前が想像してるような平和なもんじゃねーからな。マジで殴り殺さなかったのを感謝されてーぞ」
え、なにその怖い目。今にも誰か殺しちゃいそうだよ?
黒猫君の態度を見るに、どうやら手加減なしに殴っちゃったのが予想できて、思わずサリスさんの身のほうが心配になってきた。
「シアンさん、お風呂場で気絶なんて危ないですし、ちょっと様子を見にいったほうがいいのでは?」
「放っておいて大丈夫よ、サリスは岩石蜂なみにしぶといですから殺そうとしたって簡単には死にません。ああ見えて武道の心得もしっかりありますもの。そのうち目を覚まして自分で部屋に戻るでしょう」
こちらは本気で心配してるのに、シアンさんは全然気にした様子もない。それどころかなんか恨みの籠もった声音でそう言ったっきり、何事もなかったかのように涼しげにお茶を啜ってる。
一方黒猫君はやり場のない怒りを溜めまくって、またも髪が抜けそうな勢いでかきむしってた。
え、このカオス状態、このまま放置しちゃっていいのかな。
不機嫌な黒猫君とまるっきり平常運転のシアンさんのあいだで、私は一人どうしたものかとため息をついた。
* * *
「外で水浴びてくる」
結局全く反応を返さないシアンさん相手に苛立ちが収まらない黒猫君、それだけ言って部屋を出てっちゃった。
慌ててシアンさんに一声かけて、杖を片手に私も黒猫君を追いかける。
どこに行ったのかとちょっと探したけど、すぐに外から水音が聞こえはじめて。
音のするほうに向かえば、黒猫君が井戸端で下着姿のまままだ水浴びしてるのが見えた。
「黒猫君、大丈夫?」
「…………」
よっぽど気がたってるのか、私の声で一瞬動きを止めた黒猫君は、だけど返事もせずにまた桶に入った水を頭から被った。
水に濡れた黒猫君の精悍な身体が月光を照らし返してて、見惚れちゃうほど綺麗。
思わずその場で立ち尽くして、黒猫君が水を浴びるのをしばらく眺めてしまった。
「悪い。ちょっとまだムリだ」
数回水を浴びてから、桶を手に黒猫君がこちらも見ずにそう呻いた。
ブルリと一瞬身震いしたかと思うと、またいそいそと井戸から水を汲んでは被る。
十数回もそれを繰り返す頃には、見るからに黒猫君の身体に鳥肌が立ってるのが見てとれた。
いくら夏の夜とは言え、冷たい井戸水をかぶり続けてたらそうなるよね。
流石にそろそろ止めようと、私も黒猫君の横に向かったんだけど……
慎重に乾いてる場所を選んで歩いてたのに、すぐ横まで来たところで、黒猫君が被った水で思わぬ場所がぬかるんだ。そこにハマった杖がツルリと滑って、一瞬でバランスを崩して声が出た。
「うわっ!」
「なにやってんだよ!」
驚いた黒猫君が、声よりも早く腕を伸ばして私を支えてくれる。
焦った~!
黒猫君の反射神経がよくてホントに助かった。黒猫君に支えられながら体勢を整えた私は、一息ついて口を開く。
「黒猫君もうやめよう? 身体冷え切ってるでしょ」
心配する黒猫君に、私も心配で問い返した。なのに黒猫君ったら、まだダメとばかりに私から視線を逸らす。
うーん、どうしてくれよう。
「いつまでたっても気がすまないんだったら、私も一緒に浴びてれば諦めつく?」
黒猫君がさっき浴びた釣瓶を井戸に落とそうと手を伸ばしながら問えば、黒猫君が慌てて私の腕を掴んで止めようとする。
「危ないだろ、そうじゃなくてもここ滑るんだぞ。ちゃんと杖掴んでろよ」
杖を脇で挟みつつ両手で釣瓶を掴んだから、私がまたバランスを崩すと思ったのかな。
でもそんなことないんだよね、これが。
「黒猫君が思うほど、私もう不安定じゃないよ。最近じゃ片足でも結構長い時間しばらく立ってられるし」
言い返しながら黒猫君をじっと見上げてると、根負けしたのか、黒猫君が諦めたように大きなため息をついた。
「風呂行くぞ」
ぶっきらぼうにそう言った黒猫君は、いつものように私を抱きあえげてスタスタと歩きだ。
だけどもう気が済んだのか、少しは落ち着いたみたい。
本当はシアンさんと一緒にお風呂行くはずだったけど、まあ仕方ないよね。
それにしても、水に濡れた黒猫君はなんだかやけに色っぽい。黒猫君の腕に包まれてちょっと気恥ずかしい私は、そのまま無言で黒猫君に運んでもらうことにした。
* * *
黒猫君に連れてきてもらったお風呂場は、旅館のファミリーサイズのお風呂場くらいはあるゆったりしたスペースだった。
前回も黒猫君が色々あって、何気にここのお風呂を使うのは初めてだったりする。
だから実は今日、黒猫君と一緒に入れないのが少し残念だったんだけど。
思わぬ経緯で一緒にお風呂に入れるのが嬉しくて思わず顔が緩んじゃう。
黒猫君いわく、さっき置き去りにしたところにサリスさんの姿はないらしい。
良かった、サリスさん自力で帰れたらしい。
「今日はもうお風呂だけ入ってゆっくり寝ちゃおう」
湯気の立つ湯船を前に私がそう言えば、やっと黒猫君が笑顔を向けて呟いた。
「ゆっくり寝れるかはこの後次第だな」
意味深な黒猫君のそのセリフは、被ったお湯の音と重なって聞こえなかったことにした。
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