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第11章 北の森

45 報告会6:梯子

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「本当にお前だけで子供たちを救えるんだな」

 先ほどバッカスと喧嘩していた狼人はディアナと言うそうです。バッカスの元婚約者なのだとアントニーがバッカスの背の上から紹介してくれました。

「大丈夫だろ。あゆみにも確認してきた」

 ……さっき出がけにバッカスがあゆみさんに直接相談してたのは何か重要な内容だったのでしょうか。そう言うことは僕にもちゃんと説明しておいてほし──

「飛ぶぞ」

 文句を言おうとした途端、バッカスの声に合わせて黒い影が続々と崖を飛びおり始めました。咄嗟に僕の前に座るヴィクの身体を支えようと腕を伸ばすと、彼女の方が先に跳躍に合わせて腰を浮かせてました。全く、あゆみさんのようにとは言いませんが、たまには僕にもエスコートが出来る機会があればいいんですがね。
 いつの間にそんなに森を登っていたのか、突然ある所から丘を転げ落ちるように僕たちは下へ下へと向かい、その勢いに振るい落とされないよう掴まってるのにやっとで、自分たちがいつの間にか先ほどより大量の狼たちの群れに囲まれていることにしばらく気づきませんでした。群れは徐々に大きくなって、砦に着くころには最初の5倍近くになっていました。

「アルディ、いいか何があっても攻撃はするなよ!」

 遠くに砦の柵の先端が見えてきたところで、身構える僕の目の前にバッカスがこちらに振り向く形で突然声をかけてきました。一体何をっと考えた矢先、とんでもないものが目に入りました。

「マズい全員戦とう──」
「ダァーーッ! だからやめろって言っただろ!」

 火魔法を放出しながら攻撃を指示しようと手を振り上げた僕のすぐ横で、バッカスがその大きな口を開き、牙を剥いて僕を威嚇してきました。思わず反射的にそちらに向かって攻撃しそうになり、慌てたヴィクに腕を抑えられ、情けないながらそのままため息とともに腕をおろして続けました。

「全員待機」

 ああ、なんとも締まらない。大体、あれを見て戦闘準備しない方がおかしい。誰だって、目の前でドラゴンがとぐろを巻いてたら──

「おいルディンこの馬鹿野郎!」

 ──と! 言われた通り戦闘態勢を解いた僕の目の前で、何を思ったのかバッカスがそのままスピードを落とさずに真っ直ぐルディンと呼ばれたドラゴンに駆け寄ります。

「す、すまん、ついな」
「ついなじゃねえんだよ! あんだけしっかりネロと計画を確認しといたのに全部おじゃんにしやがって」

 そのまま躊躇いもなくドラゴンの頭に飛び乗ったバッカスがそこで流れるように人化して両腕で角を掴んでぶら下がりました。正にドラゴンの目の間、鼻っ面から間近にドラゴンの顔を睨みつけ、その鼻の付け根の辺りをゲシゲシと何度も蹴り上げてます。
 ……あれ、攻撃じゃないんでしょうかね?

「そ、そんなこと言ったってだな、あのあゆみという娘がやけに可愛らしい顔でワシを見上げて嬉しそうな声上げおってな」
「惚けてんじゃねえよ、この馬鹿ドラゴン。ありゃネロの嫁だ」
「ああ、そうらしいな。悪い悪い。最近ワシをあんな目で見てくれる者もすっかりいなくなっておったからな。つい──」
「お前のついは聞き飽きた。ネロも愚痴ってたぞ、なにが「蹴散らす」だ。出来るもんなら最初っからやれよ、だとさ」
「あれはただ、あの場の勢いというか、言葉のあやでな」
「あんたにそんなこと出来ねえのは分かってんだよ。だから俺もネロも必死で……マジもう少しで崖から……。お陰でディアナには噛みつかれるわ……。せめてネロの穴はキッチリ埋めてもらうぞ」

 最後はなぜかくぐもる声で文句を言うバッカスにゲシゲシと蹴られつつも、ドラゴンはイヤイヤと言うように首を振るだけでまるで反抗する様子がありません。一体このドラゴン、いつの間にネロ君やバッカスと知り合ったのやら……

「おい、アルディ、時間ねえから行くぞ」

 僕が詳細を尋ねる間もなく、ドラゴンの鼻っ面にしがみついてたバッカスの指示で、ルディンと呼ばれたドラゴンがその大きな頭をもたげ上げ、のっそりと柵を超えて反対側に首を下ろし……え、まさかこれは。

「ワシ、これでも一応ドラゴンなんだがな」
「ああそうだな。ネロが梯子やれって言ったんだ、それくらい役に立てよ」
「いや、一応翼もあるんだが」
「んな目立つもん出すな! そんで動くな!」

 完全に冗談にしか見えないその光景に僕ら全員が毒気を抜かれてる間に、次々と狼たちがドラゴンの背を駆けあがっていきます。僕を乗せた狼も、最後尾を守るようにしてその背を駆けあがりました。こんな事で悲鳴を上げるような者は僕の隊にはいません……あ、ケインはしっかり気絶してますね。流石に戸惑っているのか前に座るヴィクの身体が少しばかり強張ってます。この事態の説明要求はこの際少し横に置いておき、僕はほんの少し必要以上にしっかりとヴィクの腰を後ろから抱えて、ドラゴンの背を駆け上る狼の背に足を食い込ませました。


 ──────


「ええええ! じゃあ、あのドラゴンさんを梯子にしちゃったの!?」
「当たり前だ。あのバカのせいで俺がいけなくなっちまったんだから」

 黒猫君はそんな事いうけど、いくら何でもそれはドラゴンさんに失礼だったんじゃないのかな。なんて私が考えてるのを見透かしたように黒猫君がこちらをギロリと睨む。

「言っとくがな、あいつが打合せどおり上空から脅しを続けてれば、お前があんな威嚇射撃する必要も、俺が一晩中あいつらの相手してる必要もなかったんだぞ。ついでに言えば、俺が行けてたらあんな柵、風魔法で二本ぐらい切り倒して楽に入れてたんだ。ルディンにはその責任取らせただけだからな」

 フンっと鼻息も荒く黒猫君が言い切った。そっか、確かに黒猫君が行けてたらもっと楽だったもんね。ただ「……そんであんな馬鹿なジャンプする必要もなかったんだ」ってバッカス見ながら涙目になってるの、それはなぜ?

「そこからはそれぞれ別行動になりましたから、僕もすべては把握していません。僕はそのまま隊の者とシモン、それにケインに手伝ってもらって、農民の皆さんを次々と狼姿の皆さんに括りつける作業に追われてましたから」
「私はあゆみさんとの約束通り、最低限治療が出来るものは治療を施していました」

 二人の言葉に残りの兵士さんたちもそれぞれ頷きあってる。

「アントニーには一緒に他の一族の説得を任せた。そんで俺とディアナで子供たちの救出に向かったわけだが」

 そう言ったバッカスの顔は、なぜかなんとも言い難いむずがゆそうなものに見えた。
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