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第11章 北の森

42 報告会3:農民の宿舎

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「そんでニコラス達には当座の話は終えて農民のほうに向かったんだけどな」

 俺は、そっからどう説明したもんかとあゆみを見た。隠し事はしない、そう言ってたが、果たして本当に事実を全ていう必要があるんだろうか。
 はぁ~っとため息一つ、俺はあゆみの顔色を窺いつつ、そこから俺たちが見た地獄絵図を説明し始めた。



 ──ネロとバッカスの偵察3(黒猫君の回想)──


 結局ニコラスたちは答えを保留した。どうも俺たちが子供たちを助け出すってのを信じられねえらしい。まあ、仕方ねえだろうな。俺もそれ以上は諦めて、聞き出せることから聞いていく。これ以上遅くなる前にそれぞれの状況を確認しちまいたい。

「じゃあその話は後回しにして、あんたらのガキどもと、それから農民たちの居場所を教えてくれ」
「ああ……農民たちはそこだ」

 俺の問いかけに、ニコラスが気乗りしなそうに答えてくれた。どうやらこの洞窟のすぐ目の前の建物が農民たちの宿舎らしい。穴から顔をだして外を見ると、積み上げられた土砂の向こうにサッカー場が入るほど広い木造の建物が見えた。よくある農村の畜舎みたいだが、どうやらあれがそうらしい。

「あの土砂はなんで放置してるんだ?」
「あれか。あれも、このすぐ横の丘も、全部鉱山から出てきた廃土だ。もう最近は外に運び出す余裕がなかったんでな」

 最初の内こそ土砂を砦の外まで捨てに行かせてたが、逃げ出す奴が出てからは囲い込んだ砦の中に積み上げて済ますようになったそうだ。しかも、あれだけ無理やり人手を連れてきて鉱山を開いたにも関わらず、ここ数週間はもう立って働きに行ける者も、それを見張ることの出来る兵士も大して残っていなかったらしい。
 狼人族以外はオークの肉を処理する者、食べて食中毒を起こした者とその看病に当たってる者だらけのようだ。
 そんな大量の食中毒って、ま、まさか、コレラとかじゃねえだろうな?
 以前アジアの某国のホテルで蔓延して酷いことになってたのを思い出す。あゆみの治療魔法はコレラにも効くのか? いや確か内服的な処置は基本無理だって言ってなかったっけか?
 こうなるとどうか伝染病じゃねえことを祈るしかねえ。

 子供たちが捕まってるのはどうやらこの砦の一番反対端らしい。砦の柵に沿って農民の宿舎、兵舎、食糧庫が続き、その一番向こう側、水路近くにあるという。もともと鉱山街との取引をしていた関係上、水路はこの村に昔からあったのだそうだ。掘り出した石炭を送り出すためにもそれを使っていて、川に向かって何段もの水門で荷物を上げ下ろししてきたらしい。
 本来はより北から送られてきた鉱物もここで取引を行ってその水路からナンシーへと出荷してたらしいが、この鉱山を開くのに無理やり山を切り開いちまったからもう北へ通じる道は崩れて通れないって事だった。
 それ……かなりやべえよな? 魔石だの魔晶石だのは本来もっと北から来てたらしいし、鉄、金、銀もここより北のものの方が多かったようだ。
 金と銀はここでも取れてたらしいが、石炭を掘るためにそちらより浅い部分を掘り広げたせいで水がわいて金や銀を取っていた場所には入りづらくなってるらしい。
 他の鉱石はともかく、鉄鉱石がまるっきり手に入らなくなっちまうと遠くないうちにナンシーも詰んじまう。どうしてこう次から次へ、問題しか出てこねーんだよ。

 まあ、いいニュースもあった。ニコラスの言ってた通り、こいつら、鉱山から出した土を砦の中に捨てて済ませちまってる。お陰で砦の中はあちこち土が山積みになってて見通しが悪く、身を潜めて行動するのは容易そうだった。折角の見張り台ももうほとんど機能してねえが、とうの昔に砦の壁を超えて脱走出来るような体力のあるやつは残ってねえから気にしてねーんだろうな。

 そこまで確認した俺とバッカスはニコラスに後でまた来ると宣言して、廃土の山の影を伝って目の前の農民の宿舎に忍び込んだ。

 中に入らなくても宿舎に近づく前から今までの狼人族の洞穴とはまた全く別の悪臭が俺の鼻を刺激してた。間違いねえ、死臭だ。一度覚えたら忘れられねえこの臭い。バッカスも俺も顔をしかめずにはいられない。
 兵舎とは一番遠い角に空いた小さな木の戸を静かに開くと、ムワリと中からさっきまで漂っていた死臭がまるで絹の壁を押し出すように顔を包みこむ。
 最悪だ。あまりの強烈さに吐き気どころか頭がクラクラしてきた。

 薄暗がりの宿舎の中は、ひでえもんだった。
 そのただっぴろい建物中は床もなく、畜舎同然に土床に藁が散らばってる。多分、最初はそれでもそれぞれ自分用の居場所を作って寝てたのだろう、枯れ葉やボロキレが所々に固まって落ちていた。
 だが、現実にはそれを今使っている者はほとんどいない。そこにいる、いやある・・のは死体なのか骸骨なのか見わけもつかない、やせ細った大量の人間だった。
 確か肉が手に入るようになってまだ一週間ほどっつってたか?
 どうやらニコラスたちはオークの肉でもそれほど問題がなかったようだが、やっぱり人間の体には合わないのだろう、そこここに転がったまま垂れ流しつつくたばってるやつまでいる。
 その中に、それでもまだ立ち動いて人の周りをまわってるやつが数人、俺たちの姿に気づいてこちらを見てた。

「おい、ここの代表者のヤツ、誰だ?」

 俺の問いかけに、一人の男が無表情にこちらに歩みよってきた。年のころは多分キールくらいか?
 だがその身体は見るも無残なものだった。昔アジアの貧民街でも見たことがある。食いつめた肉体労働者の身体。筋と筋肉、そして骨。髪が薄く、皮膚が老人のように縮れてる。本気でどれだけ食わないで来たんだこいつら。目にも精力がまるっきりない。生きてるのが不思議なくらいだ。

「あんた、誰だ? なんで狼人なんか連れてる?」

 それでも男は苦々しそうに顔を歪めて俺に問いかけてきた。

「コイツはバッカス。俺の仲間だ。ナンシーの街で戴冠したキール、じゃなかったキーロンの指示で農民をそれぞれの街に連れ戻しに来た」
「キール? キーロンってあの、中央の奴らを動かした第五皇太子ってやつか?」

 やっぱりか。俺がキールの名前を出した途端、男の顔つきが変わった。またも酷い噂が広がってるらしい。だが、すぐに男の後ろからもう独り、少し年配の男が近寄ってきた。

「待て、今キールって言ったか? そりゃ、あのキール隊長のことか?」
「ああ、キールが隊長やってた頃を知ってんのか。ああ、そのキールだ。第五皇太子ってのは事実だが、ここに人を送ったのはあいつじゃない」

 若い方の男は疑い深そうに見返すが、もう一人の年配の男が先に口を開いた。

「もし、キーロン皇太子ってのがキール隊長のことなら昔噂には聞いたことがある。なんでも王子の端くれなのに中央で問題起こして飛ばされて来たって。いや、悪い人じゃない、以前オークの襲来から俺たちの村を救ってくれたのもあのキール隊長の部隊だったからな」

 途中、若い男が文句を言おうとするのを制して年配の男が説明を続けた。

「俺たちがここに連れてこられる前、キール隊長の隊がウイスキーの街に向かったって聞いてたが。確か狼人族の被害を確認してくださるって話だったはずだ」

 そう言ってバッカスを睨む。だが睨まれたバッカスのほうは別に気にしてる様子もない。

「その通りだ。その途中で俺もキールたちと知り合ったし、実際このバッカスの群れとはしばらくやりあってたんだ。だが、全て誤解も解けて、今は一緒にここの連中を何とかそれぞれの場所に返すためにナンシーからきたんだがな」
「そうなのか?」

 俺の言葉に返事を返した年配の男は、だがまだバッカスを見てる。バッカスも今度はじろりと見返して、小さく嘆息して口を開いた。

「キールは間違いなくウイスキーの街で俺たちとやりあった。だが、俺もキールが俺たちのいた森を荒らし、俺の仲間たちを鉱山に送り込んだ元凶だって聞かされてたからの話だ。だが、こいつとその嫁の算段で実際にキールに会ってみりゃ、鉱山のことなんかまるっきり知らねえし、それどころか俺たちから街を守ってただけだった」

 そう言って俺を指さす。ああ、よく考えたら最初に騙されてた奴、コイツだったな。

「コイツがゼッテー俺の仲間を助け出すって約束したからここまでついてきてる。そのあと、キールにもこいつらにも、色々借りも貸しも出来ちまったし、ケインとも約束しちまった。だから俺はあんたらも助け出すつもりでここに来た」

 バッカスはまるっきり隠し事をしねえ。全部丸っと説明して、それでも人を説得しちまう。それがコイツの美点であり、族長としての才能なのだろう。今も目の前の二人の顔から緊張がスッと引いていっちまった。

「話を聞かせてくれ」

 数秒の間をおいて、今度は若い男が答えた。そして二人は俺とバッカスを建物の端、人の転がってない場所へと案内してくれた。
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