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2章 新しい風
40 春の嵐は突然に ― 3 ―
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式典が終わるとすぐにそのまま教会内は謁見と祝賀の場になった。
アーロンはあっという間に沢山の貴族に囲まれてしまった。カール様やピピン様の前にも長い謁見の列が出来ている。
アーロンを取り囲むお貴族様に女性が多い気がするのは気のせいじゃないと思う。
私はと言えば知り合いもいないこの場で一人取り残されてちょっと困ってしまった。
あ、そうだ。修道院長様に挨拶に行けばいいんだ!
私が見回して修道院長様を見つけたのと後ろから声を掛けられるのがほぼ同時だった。
「アエリア様でいらっしゃいますか?」
声の主を振り返って息がつまった。そこに立っていたのは今まで見たことも無いほど美しい女性だった。けむるほど豊かな波打つ金髪を緩やかに結い上げ、真っ白い肌に熟れた果実の様にぷっくりと赤い唇。
美しい翡翠色の瞳は教会に差し込む日差しにキラキラと輝いてまるで宝石の様だ。
その小柄で華奢な身体は、しかしながら必要な部分にはしっかりと女性らしい丸みを帯びていて、胸元の大きくあいたドレスがうらやましい程よく似合っていた。
見とれて声も上げられない私にまるで勝ち誇る様な笑みを向けながらゆっくりと微笑んで言葉を続けた。
「私、レシーネと申します。この度はご成人おめでとうございます」
そう言ってちょっと顔を曇らせる。
「ただ、私の力不足でアエリア様にこの様に不必要な重責を一時的にでも負わせてしまう事になってしまった事をお詫びさせてください」
「?」
レシーネさんの言っている事の意味が分からなくて返事を出来ないでいると、悲しそうに微笑みながらこちらを伺う。
「だって、アーロン様は私と婚約が決まってますもの。いくら一時的とは言え、平民でのアエリア様に婚約者の苦労を押し付けるだなんて、アーロン様も酷いお方ですわ」
最後の一言で私の心臓が凍り付いた。
ああ、この方がアーロンに結婚を申し込んできた姫様なんだ。
やっと合点がいった私は、大きく一息深呼吸した。孤児院にいた時に理不尽な扱いには結構慣れた。このくらい言われても何とも思わない。貴族の皆様は私たちの事なんてごみの様にしか思っていないのが普通なんだから。
返事一つしない私に少し苛立ちを現したレシーネさんがでもすぐに綺麗な笑顔でそれを覆い隠して言葉を続けた。
「こうしてお会いできたのもいい機会ですわ。どうぞ私の客室にいらして。アーロン様の事を伺いたいわ」
私は何とか無難な断り文句を考えようとしたのだけれど、普段お貴族様とのお付き合いなんて無い私にそれは無理だった。見回しても誰も助けてくれそうな人もいない。
仕方なく私が頷くと、宜しい、と言うようにレシーネさんが軽く頷いて歩き出した。
▽▲▽▲▽▲▽
彼女に先導されるままに教会の横の通路から細い廊下を抜けて螺旋階段を降りていく。
「何方に行くんでしょうか」
結構な距離を歩いた気がするのだが広い城内ではこれが普通なのかもしれない。
ちょっとだけ不安になって後ろから声をかけるとレシーネさんはドレスの裾を翻して一つの扉の前で立ち止まった。
「ここですわ」
レシーネさんが開けてくれた扉を抜けて部屋に入るとそこは客室と言うには余りにもみっともない、どちらかと言えば仮眠室の様な部屋だった。
簡易ベッドと低いテーブル、壁際に木製の椅子とクズ籠。部屋にはそれだけで壁にも窓一つ無い。
気のせいか少しすえたような汗の匂いがする。
「あの、本当にここで……」
私が振り返るとレシーネさんが後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた。
「これで誰にも邪魔されずにお話ができますわね。アエリア」
「え?」
「ずっと貴女に会える機会を探っていたのよ。情報は中々入ってこないし手間を取らせてくれるわ」
さっきまでの清楚な微笑みをかなぐり捨て、『女』の顔をしたレシーネさんが私を睨めつける。
「田舎娘の癖に大層に飾り立てて。アーロン様も貴方なんかの何処がお気に召したのやら?」
そう言った彼女は手を振り上げ詠唱を始める。
強い魔力がそこから私に向けて放出され、徐々に強くなっていく。
固定魔法だ! この人も魔術師なんだ!
気付いて慌てて対抗して魔力を放出し始めるが首輪のせいで魔力が制御されて思うように出て来ない。
「あら、やっぱり大したことないじゃない。この程度の魔力でアーロン様の一番弟子だなんて笑わせるわ。しかも婚約者だなんてどうやって取り入ったのかしら?」
首輪のせいで魔力が全然出せない!
彼女の魔力に押さえつけられ固定魔法が完了し身体を動かすのもままならなくなる。
「さて私の媚薬でも落ちて下さらなかったアーロン様をどうやってあなたがたぶらかしたのか、しっかり調べさせてもらうわよ」
そう言って固定魔法で動けなくなっている私をベッドに押し倒し、ローブの中から取り出した拘束具で私の手を戒めベッドの足に括り付けてしまう。
抗えない魔力差の下で私は声を上げる事さえままならない。
「ほら、手間をかけさせないでまずはその口を開けて」
絶対に開けるものかと歯を食いしばる私に彼女の顔が嬉しそうに歪む。
「あら、抵抗する気? でも無駄よ」
そう言った彼女はその爪を私の顎の付け根辺りに軽く押し付けた。途端、甘いしびれが口元まで広がって、私はもう口を引き結ぶこともできなくなった。
緩んだ私の口元を無理やり片手で押し開いたレシーネさんは自分の指先を私の開いた口のすぐ上に伸ばした。そこからまるで魔力が液体化するようにねっとりとした薄いピンクの液体が私の口の中に滴る。それはむせるほど甘いイチゴの様な味がした。途端、私の視界がゆっくりと歪んでいく。
これって麻薬?
まるで幻覚でも見ている様に世界が虹色に縁どられて、体がフワフワとして気持ちよくなってくる。
「もういいかしら?」
そう言うと彼女はその細い指で私の頬を軽く撫で上げた。
それがまるでスイッチだったかの様に突然身体が燃え上がった。
「い…ぁぁぁ!」
「どう? 初めての媚薬のお味は。それでこそ普通の反応なのよ。なのにアーロン様ときたら私を眠らせて平気な顔で去ってしまわれて」
ブツブツと文句を言いながらも優しく私の顔を撫でまわす。
喉の奥でくぐもった悲鳴が上がる。
「そろそろあちらも準備出来たかしら?」
彼女が扉の外を伺うと一人の長身の男性がするりと部屋に忍び込んで来た。肩ほどのウェーブをかく金髪を後ろで束ね、少し来ずるそうな瞳を細めて私を見下ろす男性の顔に嫌悪が走る。
「いい感じに準備が整った様ね。喜びなさい。今日貴方は大人になれるわよ。『成人の儀』ではなく、本当の『大人の女』にね」
そう言って真っ赤な唇を綺麗に吊り上げてその男性に場所を譲った。
「良い恰好だな。あんたの素性にぴったりだ。孤児は孤児らしく俺たちの食い物になってりゃいいんだ」
私を見下ろした金髪の男性は吐き捨てる様に言った。
全く見も知らない人たちに散々に言われ続けて私は良いも悪いも無く落ち込んでくる。すると、薬の影響なのか、世界自体も暗く感じ始めた。
グルグルと周りが回っているような錯覚を覚える中、いやらしい光を目に称えたその金髪の男が私にゆっくりと近づいてきた。
「じゃあアエリア、後はごゆっくり。せいぜいその男に可愛がってもらいなさい」
嬉しそうに真っ赤な唇を歪めて私の顔を最後に覗き込んだレシーネさんは私を金髪の男と一緒に置き去りにして、ヒラヒラと手を振って扉を開いて出ていってしまった。
途端、目の前の男が騎士の上着を脱ぎ捨てて私に覆いかぶさる様にベッドに上がってくる。
拒否したくてもまだ身体は痺れていて頭もホワホワして回らない。近づいてくる顔に嫌悪を覚えながらも悲鳴一つ上手く出てこない。
嫌だよ、やっと師匠に優しくしてもらえるようになったのに。
こんな所でこんな知らない男に変な事されるのは絶対にやだ!
私は身体の熱に浮かされながら涙を零して出ない声を振り絞ってアーロンを呼んだ。
「師匠……! 助けて……!」
するとまるで私の悲鳴を聞き付けたかの様にバンッと大きな音を立てて扉が開かれた。
驚きで首がぎこちなく傾くとそこには見慣れたアーロンの顔があった。
途端、私の上に伸し掛かっていた男が小さく悲鳴を上げて飛び退った。
「お前、何をしている! アーノルド、この部屋に誰も入れるな! 部屋の前に歩哨を立てろ」
私の状況を見て取ったアーロンが矢継ぎ早に命令を下す。
開かれた扉が誰かの手でバタンと閉じられると、アーロンが怒りに燃え滾る瞳で金髪の男を睨みつけながら私ににじり寄って来た。
「アエリアに何をした?」
私を庇うように間に割って入ったアーロンの恐ろしく暗い一言を聞いた途端、ベッドの横に震えながら立っていた男が頭を抱えて座り込み叫び出した。
「ひぃ、ひっ、嫌だぁ! どっかいけ!」
顔を顰めたアーロンがそれを放っておいて私に向き直る。
「アエリア、何があった?」
「し、師匠、なんか変です、身体、痺れてて、頭がフワフワして、何か熱くて燃えちゃいそう、助けて」
アーロンは私の途切れ途切れの言葉を聞いて全身を見回し、少し苦しそうにため息を吐き出すと自分の黒いローブを外してそれを私の身体に掛けてくれる。
「待て、いま拘束を外す」
アーロンが指を近付けただけでガチャンッと割れる様な音を立てて拘束具が外される。
「アーノルドここはマズイ。一旦俺の部屋に移るぞ。この男を拘束し尋問を開始しろ。後から執務室で落ち合う。エリーはアエリアの着替えと入浴の用意を」
黒いローブごと私を抱え上げたアーロンはそこまで命令を叫ぶとシュンっと転移魔法を発動する。
その間も私は熱に浮かされて抱え上げてくれたアーロンの腕にしがみついている。
部屋が色彩をなくし、また違う景色が目の前で再生されると、そこは小奇麗な寝室だった。
決して広くはないが室内には清潔なベッドとワードローブ、それしかない。
アーロンはそのベッドに私を下してくれた。
「アエリア、お前の身体の状態は分かっているが、説明しろ。何が起きた?」
「む、り、です。胸が熱くて痛いの。師匠、もうだめ」
さっきまではただフワフワあったかだったのがアーロンに抱え上げられたころから突然胸の中心が熱くなってきていた。もうあまり思考らしい思考が構成できない。
「直ぐに楽にしてやるが、その前にどうしても聞いておかなきゃならないんだ」
「いや。どうにかして。一緒にいて」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を歪ませながらアーロンの腕にしがみついた。
あの女の言っていた言葉が蘇る。
『せいぜいその男に可愛がってもらいなさい』
あんな見も知らない男になんて絶対触られたくない。
でもそれがアーロンなら。
それでも構わない。
この燃え上がる胸の内を何とかしてくれるなら。
懇願を目に浮かべて私が見つめているのに、アーロンは悲しそうな目で私を見つめ、片手を私の額に乗せて私の目を瞑らせた。
▽▲▽▲▽▲▽
カクンっと落ちた夢の世界で私は胸の内にあったあの燃える様な焦燥感から少し解放されて、今は柔らかいまどろみの中でフワフワと心地よい波に揺られている。
師匠……
ここにいて……
最後に叫んでいた言葉が呪文の様に頭の中をグルグル回る。
師匠……
助けて……
残り火の様な焦燥感が身体の中心で燃え続ける。
師匠……
どこにもいかないで……
助けてくれるならアーロンがいい。
奪われるのもアーロンになら許せる。
他の誰かは嫌だ。
師匠……
アーロン……
お願い……
私を……
誰かの指が私に触れる。
触れた所から光の様に私を癒す心地よい波が広がる。
あふれ出る情愛が私の中の足りない場所を埋める。
もっと、もっと欲しい。
少しずつ波が高くなってきた。
身体が浮き上がってくる。
身体をいくつもの光が貫き、意識が千切れ飛んで一定の思考を保てなくなる。
気持ちいい。
思考と引き換えに快感が少しずつ積み重なり、身体がどんどん楽になる。
はぁー。
私はやっと満たされた気持ちで今度はもっと深い眠りに落ちて行った。
▽▲▽▲▽▲▽
「……一体誰がこんな幼い子供に媚薬など……」
「手段を択ばずにコイツを排除しようとしたんだろ」
「それにしたって他にやりようがいくらでも」
「それ相応の必要性があったんだろうな」
「やはり婚約を正式に発表された方がいいのでは?」
「そのくらいで手をひくような連中だといいが」
ぼんやりと意識が戻ってくると、隣の部屋から人の話し声が聞こえてきた。
気が付けば私は知らないベッドの上に寝かされている。
ポロリと涙が零れた。
あれ? なんで涙がでたんだっけ?
またポロリと零れる。
下を見れば、黒いローブの下から中途半端にはだけ乱れたドレスが目に入った。
「いやーーーー!」
反射的に悲鳴が口をついて出た。
バタバタと足音がしてアーロンが部屋に飛び込んでくる。
「アエリア、安心しろ。大丈夫だ」
そう言ってアーロンがローブの上から私を抱きしめてくれた。
アーロンはあっという間に沢山の貴族に囲まれてしまった。カール様やピピン様の前にも長い謁見の列が出来ている。
アーロンを取り囲むお貴族様に女性が多い気がするのは気のせいじゃないと思う。
私はと言えば知り合いもいないこの場で一人取り残されてちょっと困ってしまった。
あ、そうだ。修道院長様に挨拶に行けばいいんだ!
私が見回して修道院長様を見つけたのと後ろから声を掛けられるのがほぼ同時だった。
「アエリア様でいらっしゃいますか?」
声の主を振り返って息がつまった。そこに立っていたのは今まで見たことも無いほど美しい女性だった。けむるほど豊かな波打つ金髪を緩やかに結い上げ、真っ白い肌に熟れた果実の様にぷっくりと赤い唇。
美しい翡翠色の瞳は教会に差し込む日差しにキラキラと輝いてまるで宝石の様だ。
その小柄で華奢な身体は、しかしながら必要な部分にはしっかりと女性らしい丸みを帯びていて、胸元の大きくあいたドレスがうらやましい程よく似合っていた。
見とれて声も上げられない私にまるで勝ち誇る様な笑みを向けながらゆっくりと微笑んで言葉を続けた。
「私、レシーネと申します。この度はご成人おめでとうございます」
そう言ってちょっと顔を曇らせる。
「ただ、私の力不足でアエリア様にこの様に不必要な重責を一時的にでも負わせてしまう事になってしまった事をお詫びさせてください」
「?」
レシーネさんの言っている事の意味が分からなくて返事を出来ないでいると、悲しそうに微笑みながらこちらを伺う。
「だって、アーロン様は私と婚約が決まってますもの。いくら一時的とは言え、平民でのアエリア様に婚約者の苦労を押し付けるだなんて、アーロン様も酷いお方ですわ」
最後の一言で私の心臓が凍り付いた。
ああ、この方がアーロンに結婚を申し込んできた姫様なんだ。
やっと合点がいった私は、大きく一息深呼吸した。孤児院にいた時に理不尽な扱いには結構慣れた。このくらい言われても何とも思わない。貴族の皆様は私たちの事なんてごみの様にしか思っていないのが普通なんだから。
返事一つしない私に少し苛立ちを現したレシーネさんがでもすぐに綺麗な笑顔でそれを覆い隠して言葉を続けた。
「こうしてお会いできたのもいい機会ですわ。どうぞ私の客室にいらして。アーロン様の事を伺いたいわ」
私は何とか無難な断り文句を考えようとしたのだけれど、普段お貴族様とのお付き合いなんて無い私にそれは無理だった。見回しても誰も助けてくれそうな人もいない。
仕方なく私が頷くと、宜しい、と言うようにレシーネさんが軽く頷いて歩き出した。
▽▲▽▲▽▲▽
彼女に先導されるままに教会の横の通路から細い廊下を抜けて螺旋階段を降りていく。
「何方に行くんでしょうか」
結構な距離を歩いた気がするのだが広い城内ではこれが普通なのかもしれない。
ちょっとだけ不安になって後ろから声をかけるとレシーネさんはドレスの裾を翻して一つの扉の前で立ち止まった。
「ここですわ」
レシーネさんが開けてくれた扉を抜けて部屋に入るとそこは客室と言うには余りにもみっともない、どちらかと言えば仮眠室の様な部屋だった。
簡易ベッドと低いテーブル、壁際に木製の椅子とクズ籠。部屋にはそれだけで壁にも窓一つ無い。
気のせいか少しすえたような汗の匂いがする。
「あの、本当にここで……」
私が振り返るとレシーネさんが後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた。
「これで誰にも邪魔されずにお話ができますわね。アエリア」
「え?」
「ずっと貴女に会える機会を探っていたのよ。情報は中々入ってこないし手間を取らせてくれるわ」
さっきまでの清楚な微笑みをかなぐり捨て、『女』の顔をしたレシーネさんが私を睨めつける。
「田舎娘の癖に大層に飾り立てて。アーロン様も貴方なんかの何処がお気に召したのやら?」
そう言った彼女は手を振り上げ詠唱を始める。
強い魔力がそこから私に向けて放出され、徐々に強くなっていく。
固定魔法だ! この人も魔術師なんだ!
気付いて慌てて対抗して魔力を放出し始めるが首輪のせいで魔力が制御されて思うように出て来ない。
「あら、やっぱり大したことないじゃない。この程度の魔力でアーロン様の一番弟子だなんて笑わせるわ。しかも婚約者だなんてどうやって取り入ったのかしら?」
首輪のせいで魔力が全然出せない!
彼女の魔力に押さえつけられ固定魔法が完了し身体を動かすのもままならなくなる。
「さて私の媚薬でも落ちて下さらなかったアーロン様をどうやってあなたがたぶらかしたのか、しっかり調べさせてもらうわよ」
そう言って固定魔法で動けなくなっている私をベッドに押し倒し、ローブの中から取り出した拘束具で私の手を戒めベッドの足に括り付けてしまう。
抗えない魔力差の下で私は声を上げる事さえままならない。
「ほら、手間をかけさせないでまずはその口を開けて」
絶対に開けるものかと歯を食いしばる私に彼女の顔が嬉しそうに歪む。
「あら、抵抗する気? でも無駄よ」
そう言った彼女はその爪を私の顎の付け根辺りに軽く押し付けた。途端、甘いしびれが口元まで広がって、私はもう口を引き結ぶこともできなくなった。
緩んだ私の口元を無理やり片手で押し開いたレシーネさんは自分の指先を私の開いた口のすぐ上に伸ばした。そこからまるで魔力が液体化するようにねっとりとした薄いピンクの液体が私の口の中に滴る。それはむせるほど甘いイチゴの様な味がした。途端、私の視界がゆっくりと歪んでいく。
これって麻薬?
まるで幻覚でも見ている様に世界が虹色に縁どられて、体がフワフワとして気持ちよくなってくる。
「もういいかしら?」
そう言うと彼女はその細い指で私の頬を軽く撫で上げた。
それがまるでスイッチだったかの様に突然身体が燃え上がった。
「い…ぁぁぁ!」
「どう? 初めての媚薬のお味は。それでこそ普通の反応なのよ。なのにアーロン様ときたら私を眠らせて平気な顔で去ってしまわれて」
ブツブツと文句を言いながらも優しく私の顔を撫でまわす。
喉の奥でくぐもった悲鳴が上がる。
「そろそろあちらも準備出来たかしら?」
彼女が扉の外を伺うと一人の長身の男性がするりと部屋に忍び込んで来た。肩ほどのウェーブをかく金髪を後ろで束ね、少し来ずるそうな瞳を細めて私を見下ろす男性の顔に嫌悪が走る。
「いい感じに準備が整った様ね。喜びなさい。今日貴方は大人になれるわよ。『成人の儀』ではなく、本当の『大人の女』にね」
そう言って真っ赤な唇を綺麗に吊り上げてその男性に場所を譲った。
「良い恰好だな。あんたの素性にぴったりだ。孤児は孤児らしく俺たちの食い物になってりゃいいんだ」
私を見下ろした金髪の男性は吐き捨てる様に言った。
全く見も知らない人たちに散々に言われ続けて私は良いも悪いも無く落ち込んでくる。すると、薬の影響なのか、世界自体も暗く感じ始めた。
グルグルと周りが回っているような錯覚を覚える中、いやらしい光を目に称えたその金髪の男が私にゆっくりと近づいてきた。
「じゃあアエリア、後はごゆっくり。せいぜいその男に可愛がってもらいなさい」
嬉しそうに真っ赤な唇を歪めて私の顔を最後に覗き込んだレシーネさんは私を金髪の男と一緒に置き去りにして、ヒラヒラと手を振って扉を開いて出ていってしまった。
途端、目の前の男が騎士の上着を脱ぎ捨てて私に覆いかぶさる様にベッドに上がってくる。
拒否したくてもまだ身体は痺れていて頭もホワホワして回らない。近づいてくる顔に嫌悪を覚えながらも悲鳴一つ上手く出てこない。
嫌だよ、やっと師匠に優しくしてもらえるようになったのに。
こんな所でこんな知らない男に変な事されるのは絶対にやだ!
私は身体の熱に浮かされながら涙を零して出ない声を振り絞ってアーロンを呼んだ。
「師匠……! 助けて……!」
するとまるで私の悲鳴を聞き付けたかの様にバンッと大きな音を立てて扉が開かれた。
驚きで首がぎこちなく傾くとそこには見慣れたアーロンの顔があった。
途端、私の上に伸し掛かっていた男が小さく悲鳴を上げて飛び退った。
「お前、何をしている! アーノルド、この部屋に誰も入れるな! 部屋の前に歩哨を立てろ」
私の状況を見て取ったアーロンが矢継ぎ早に命令を下す。
開かれた扉が誰かの手でバタンと閉じられると、アーロンが怒りに燃え滾る瞳で金髪の男を睨みつけながら私ににじり寄って来た。
「アエリアに何をした?」
私を庇うように間に割って入ったアーロンの恐ろしく暗い一言を聞いた途端、ベッドの横に震えながら立っていた男が頭を抱えて座り込み叫び出した。
「ひぃ、ひっ、嫌だぁ! どっかいけ!」
顔を顰めたアーロンがそれを放っておいて私に向き直る。
「アエリア、何があった?」
「し、師匠、なんか変です、身体、痺れてて、頭がフワフワして、何か熱くて燃えちゃいそう、助けて」
アーロンは私の途切れ途切れの言葉を聞いて全身を見回し、少し苦しそうにため息を吐き出すと自分の黒いローブを外してそれを私の身体に掛けてくれる。
「待て、いま拘束を外す」
アーロンが指を近付けただけでガチャンッと割れる様な音を立てて拘束具が外される。
「アーノルドここはマズイ。一旦俺の部屋に移るぞ。この男を拘束し尋問を開始しろ。後から執務室で落ち合う。エリーはアエリアの着替えと入浴の用意を」
黒いローブごと私を抱え上げたアーロンはそこまで命令を叫ぶとシュンっと転移魔法を発動する。
その間も私は熱に浮かされて抱え上げてくれたアーロンの腕にしがみついている。
部屋が色彩をなくし、また違う景色が目の前で再生されると、そこは小奇麗な寝室だった。
決して広くはないが室内には清潔なベッドとワードローブ、それしかない。
アーロンはそのベッドに私を下してくれた。
「アエリア、お前の身体の状態は分かっているが、説明しろ。何が起きた?」
「む、り、です。胸が熱くて痛いの。師匠、もうだめ」
さっきまではただフワフワあったかだったのがアーロンに抱え上げられたころから突然胸の中心が熱くなってきていた。もうあまり思考らしい思考が構成できない。
「直ぐに楽にしてやるが、その前にどうしても聞いておかなきゃならないんだ」
「いや。どうにかして。一緒にいて」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を歪ませながらアーロンの腕にしがみついた。
あの女の言っていた言葉が蘇る。
『せいぜいその男に可愛がってもらいなさい』
あんな見も知らない男になんて絶対触られたくない。
でもそれがアーロンなら。
それでも構わない。
この燃え上がる胸の内を何とかしてくれるなら。
懇願を目に浮かべて私が見つめているのに、アーロンは悲しそうな目で私を見つめ、片手を私の額に乗せて私の目を瞑らせた。
▽▲▽▲▽▲▽
カクンっと落ちた夢の世界で私は胸の内にあったあの燃える様な焦燥感から少し解放されて、今は柔らかいまどろみの中でフワフワと心地よい波に揺られている。
師匠……
ここにいて……
最後に叫んでいた言葉が呪文の様に頭の中をグルグル回る。
師匠……
助けて……
残り火の様な焦燥感が身体の中心で燃え続ける。
師匠……
どこにもいかないで……
助けてくれるならアーロンがいい。
奪われるのもアーロンになら許せる。
他の誰かは嫌だ。
師匠……
アーロン……
お願い……
私を……
誰かの指が私に触れる。
触れた所から光の様に私を癒す心地よい波が広がる。
あふれ出る情愛が私の中の足りない場所を埋める。
もっと、もっと欲しい。
少しずつ波が高くなってきた。
身体が浮き上がってくる。
身体をいくつもの光が貫き、意識が千切れ飛んで一定の思考を保てなくなる。
気持ちいい。
思考と引き換えに快感が少しずつ積み重なり、身体がどんどん楽になる。
はぁー。
私はやっと満たされた気持ちで今度はもっと深い眠りに落ちて行った。
▽▲▽▲▽▲▽
「……一体誰がこんな幼い子供に媚薬など……」
「手段を択ばずにコイツを排除しようとしたんだろ」
「それにしたって他にやりようがいくらでも」
「それ相応の必要性があったんだろうな」
「やはり婚約を正式に発表された方がいいのでは?」
「そのくらいで手をひくような連中だといいが」
ぼんやりと意識が戻ってくると、隣の部屋から人の話し声が聞こえてきた。
気が付けば私は知らないベッドの上に寝かされている。
ポロリと涙が零れた。
あれ? なんで涙がでたんだっけ?
またポロリと零れる。
下を見れば、黒いローブの下から中途半端にはだけ乱れたドレスが目に入った。
「いやーーーー!」
反射的に悲鳴が口をついて出た。
バタバタと足音がしてアーロンが部屋に飛び込んでくる。
「アエリア、安心しろ。大丈夫だ」
そう言ってアーロンがローブの上から私を抱きしめてくれた。
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