悪魔な魔法使いの弟子はじめました。(R15版)

こみあ

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2章 新しい風

25 二人の朝 ― 3 ―

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「何人か使用人が欲しい」

 執務室に飛んだ俺はピピンの執務机に向かうでもなく、そこにあったソファーに腰を掛けながら声を掛けた。

 俺の珍しい静かな言葉にピピンがおやっと眉を上げた。

「もうアエリア様を保護しなくてもいいんですか?」
「いや、保護は続けるが、昨日アイツとも少し話し合った。このままアイツに使用人のまねごとなどいつまでもさせておくわけにもいかない」

 大体、もっと早くこうしていればよかったんだ。
 アエリアの面倒など誰かそれが出来る人間に任せればよかった。

 それなのになぜかそれが凄く躊躇われる。
 これは独占欲なのだろうか?

 アイツは別に大して特別な相手でもないはずなんだがな。

 今までの俺は一々誰か他人に煩わされた事など無かった。特に女性関係と言えるようなものは全くない。

 いつも周りが新しい女が出来たり女を買ったりする度になぜそんな無駄な時間を過ごすしたがるのか分からなかった。
 女に振られ、袖にされ家を叩き出されてもまだ未練たらしくその女の事で管を巻く奴らをくだらないとこそ思わない物の理解出来ないと思っていた。

 なのにどうも最近自分でもおかしい気がする。

 アエリアを構ってはつい虐めてしまうし、かすかな微笑みに心を乱し、逃げられては落ち込んで、拒否されては心をかきむしられる。

 昔の俺ならば一時の気の迷いと放ったらかす事も出来た。
 面倒なら放り出せばいい、そうやって生きていくはずだった。

 8年前までは。

 この8年アエリアを返してやる為の古代魔法の再現を目標に帰りたくも無い古巣に帰って魔術を高め、会いたくも無かった母親を頼って新しい立場も作り、8年前に大公弟を押し付けたピピンを使って修道院を管理させ、古代魔法再現の援助を出させる代わりに魔導騎士団の総師団長も引き受けた。

 そこまでしていても俺はまだアエリアに会いに来なかった。来れなかった。

 置き去りにした俺を恨んでいてもおかしくないアイツの顔を見るのが怖かったのもあるし、また『帰りたい』と望むアエリアに送り返せないと言わなければならないのが辛かった。

 だが昨日、記憶があったと分かったアイツに覚悟を決めて再度望みを聞いたのに、アエリアは『アチラに帰りたい』とは一言も言わなかった。

 俺は卑怯にももうアチラの話はせずにこのままアイツをこちらに引き留めようとしている。

 もっと普段のように取り繕って接してやればいいだけなのにそんな簡単な事が何故か出来ない。したくない。
 アエリアの一挙手一投足が俺の心をかき乱す。

 つい今朝のアエリアの事を思い出してしまった。

 目を開けた途端、アエリアが俺の髪を指に絡めて俺を覗き込んでいた。

 一瞬夢かと思った。
 とうとう夢にまで見始めたのかと。

 それが夢でも何でもなく本物だとわかった途端。

 このまま逃したくないという気持ちが燃え上がった。
 気づいたら引き寄せて腕の中に取り込んでいた。
 いつまでも自分の腕の中にいて欲しかった。

 理由なんかホントは何でも良かった。
 きっかけさえあれば。

 アイツの細い首が目前にあって。

 つい唇を押し当てれば真っ赤になったアエリアが目の前にいた。

 俺が今にも目まいを起こしそうな事などお構いなしに思いっきり拒絶されてしまった。

 アイツがあそこで叫んでくれなければあの後自分でも何をしていたか分からない。

 穏やかな朝のひと時の中、俺は心の中で一つの決心をした。

 距離を置こう。

 正しいはずのその考えが俺の心を絶望で染め上げた。

「……アーロン様、先程からずっと無言で座ったままこちらを睨んでらっしゃいますがどうかしたんですか?」

 深い思考の海を漂っていた俺をピピンの声が引き戻した。

 前言撤回だ。

 きっかけはコイツだった。
 今考えればコイツが悪い。

 またもや完全な八つ当たりだが関係ない。

「お前が悪い。お前のせいで俺はもう少しで……何でもない」

 ピピンは今まで顔も上げずソファーの俺を無視していた訳だがここに来て「おや?」と顔を上げた。

「アーロン様にしては珍しく歯切れの悪い物言いですな。どうされました? アエリア様を押し倒しでもされましたか?」

 ギョッとして顔を上げればピピンがニコニコと嬉しそうな顔で俺の方を見ている。

「5日とは早かったですな」
「……なぜそんな事がお前に分かる?」
「これでも私はあなた様より5歳ほど年上ですしもう結婚もしています」

 そう言って余裕の笑みを浮かべる。

「距離を……置こうと思う」

 数分の逡巡しゅんじゅんの末そう切り出した。

「そうですな。少し落ち着いてご自分の行動を省みるのは非常に良いと思いますよ」

 そう返され、自分から切り出したにも関わらず心が沈む。

「とは言え別にご自分からアエリア様を避ける必要はないと思いますよ」

 そう言いながらピピンが執務机を立って自分の後ろのカップボードの扉を開き、グラスを二つ取り出して酒を注ぎ、俺の座っているソファーの前に回り込んで一杯差し出す。

 それを受け取って暫く眺める。

 長く一緒にやってきたがコイツから酒を差し出されたのは初めてじゃないか?

 普段昼間っから酒を飲む奴じゃないし晩酌しているのを見た事もない。
 俺が怪訝そうに見上げるとピピンは俺の前のソファーに腰をおろしゆっくりとグラスを掲げた。

「アーロン様の初恋を祝して」

 そう言って気障に笑って杯を干した。

 俺はあっけにとられていた。

 初恋。

 え?

 これはそんな甘ったるい物なのか?

 呆然とする俺をしっかりと見ながらピピンがゆっくりと諭すように続けた。

「アーロン様は今まで長い困難な修行を経てその強大な魔力を勝ち取り、現在の立場になられてからも数々の優秀な業績を残され、そして今も重責を担い、日夜古代魔法の再現に尽くされています」

 そう言ってグラスをテーブルに置く。

「その全てを私は陰ながら見て参りました。さて、その長い年月は元々誰の為でしたかな?」

 ピピンの言葉がゆっくりと俺の中に浸透し何かがカチリと音を当てて噛み合う。

「だが俺はアイツを返したくない」
「好いた相手と離れがたく思うのは当然です」

 否定してほしかった俺の欲望をピピンが是定する。

「アエリア様をお返しするかどうかは古代魔法が再現できるまで保留なさい。今考えても仕方がございません。それよりもご自分がアエリア様にこの8年恋し続けていたとをご自覚なさい。向き合ってご自分が本当に望んでいるのが何なのか良く考えてご覧なさい」

 俺の思考が空回りし、同じ言葉が頭をグルグルと巡る。

 俺が本当に望む事。

 ……アイツに笑っていて欲しい。

 簡単な事だ。

 俺はアイツに苦しい思いも悲しい思いもさせたくない。
 アイツにいつも笑っていて欲しい。

「とは言え、そんな思春期真っ只中の言動をなさるアーロン様をお一人でアエリア様と置いておくのはみすみす子鹿をオオカミの前に放り出す様なもの」

 そう言ってピピンはソファーを立って執務机に向かう。
 いつもの定位置に戻ってこちらを見ながら言葉を続けた。

「丁度いいタイミングでしたな。こちらでも王宮に務める女性の使用人のうち信用のおける者数人に声をかけておりました。一人は厨房を任せられる者です。タイラーを差し上げる事は出来ませんが時々そちらの様子を伺いに行くついでに指示を出させるくらいなら構わないでしょう」

 驚きを隠しきれない俺を他所に、タイラーと3人の使用人が部屋に入ってくる。

「アーロン様、この者たちに禁則魔法を施して下さい。もうそれぞれには言い渡してございます。アエリア様に決して危害を加えない事。そして今後どの様な事態になってもそちらのお屋敷で見た事は他言しない事」

 タイラーの申し出にハッとしてピピンを振り返る。

「ご心配なのでしょう? この者たちは既に納得の上で希望を出した者達です。安心して禁則魔法をおかけ下さい」
「すまない」

 俺は一言3人の使用人に言葉をかけてから禁則魔法を設置した。

 これは俺の生命を糧にかける魔法だ。俺が生きている限り有効となる。

 こうしてピピンに説得されタイラー共々3人の新しい使用人を連れて俺が屋敷に戻ったのは既に夕方近い時間だった。
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