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2章 新しい風

27 新しい波 ― 2 ―

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 アエリアの奴いつまで時間がかかるんだ?

 エリーに引き渡されたアエリアは売られた子牛の様な目で俺を見ながらすごすごとエリーに連れられて二階へ上がっていった。
 もうあれから一時間は経っている。

 俺はダイニングでアエリアの準備が整うのを待っているのだが女性の支度に時間がかかる事をすっかり忘れていた。

 タイラーはタイラーでさっきっから凄い目付きでこちらを睨んでいる。

 この空間にタイラーの不機嫌と俺自身の不機嫌が充満して息が詰まりそうだ。

 タイラーは絶対に自分から喋りだすことはない。
 そういうやつだ。
 俺が根負けして話し出すのを待っているのだろうが俺だって話したくもない話をわざわざこちらから振る気はない。

 暫くしてやっとアエリアの準備が整いダイニングに降りてきた。

 扉を開けてエリーに先導されて入って来たアエリアを見て息が止まった。

 髪を結い上げてドレスを着込んだアエリアはもうそこら辺の小娘には見えなかった。

 洋服を気にしながら席についたアエリアが俺に話しかけてくる。

「師匠、一体どうなっちゃったんですか? 私こんなドレス着たことないですよ! しかもなんかテーブル遠くて話しにくいし」

 俺達は正式なダイニング用の8人掛けテーブルの両端に座っている。これでも今日は二人だけの為に短くして使っているのだ。

 口を開けばいつも通りのアエリアだ。

「お前の声は十分通るからうるさいぐらいよく聞こえる」
「え? 私は師匠の声あまりよく聞こえません」

 アエリアはちょっと不安そうに声を上げる。
 そんなアエリアの様子に気づいたタイラーがそれでしたら、と言ってアエリアの席を俺のすぐ横に移動した。

「本来のマナーではあまり宜しくありませんが夕食をお楽しみ頂けないのでは意味がありませんからね」

 そうタイラーがアエリアに優しく話しかける。

「それでは本日のメニューですが、前菜はグレースワンのパテ、主菜はアンドリュー牛のキャセロールになります。お飲み物をいかが致しましょうか?」
「俺には赤ワイン、コイツにはぶどうジュースにしてくれ」

 アエリアが口を挟む前に俺が指示を出す。
 この前ので懲りたおれはもうアエリアに酒は飲まさないことにした。

 夕食が運び込まれ前菜が終わる頃アエリアが情けない声を上げた。

「師匠、ドレスがキツくてもう食べられません」

 俺は大きなため息をつく。

 コイツは思ったよりちゃんとマナーを守って食べてはいたが、よっぽどパテが気にいったたらしくパテどころか付け合せのパンまでおかわりしていた。
 通常ディナードレスは女性に見た目の美しさを提供する代わりに少食を要求する。

「タイラー、申し訳ないがアエリアは体調が優れない様だ。部屋に帰って自室で食べられる様にしてやってくれ」
「かしこまりました」

 キョトンとするアエリアをエリーが部屋に先導する。
 これで自室でゆっくり食べられるだろう。

 はぁー、ともう一度ため息をつきながらタイラーを振り返る。

「タイラー、今後来客がない限り食事はフォーマルでなくてもいいだろう」
「そうですね。そうしないとアーロン様はもう二度とアエリア様と最後まで一緒にお食事できそうもありませんから」

 タイラーが笑いを堪えながらそう答えた。

 俺は一人で夕食を終わらせ、タイラー達を城に送ってから自室に戻った。
 使用人達の部屋はまだ準備が整っていないので明日以降人手を出して整えるつもりらしい。

 明日はスチュワードもこちらに来るそうだ。
 どんどん俺の居場所が無くなる気がする。

 今日は結局アイツとまともに話もできなかった。
 まあ、距離を置こうと思っていたのだからこれで良いと思うべきなのだろうが。

 食事を終えて部屋に引き上げ、着替えを済ませてベッドに横になった頃。

 アエリアの部屋に繋がるドアをノックする音がする。

 驚いて上半身を越し、空耳かとじっと待っているとゆっくりと扉が開いてアエリアが顔を覗かせた。

「あ、師匠まだ起きてましたね。良かった。ノックしても返事が無いんで寝てるかと思いました」

 返事が無かったら普通開けないんじゃないか?

「まだ起きているが何か用か?」

 思いがけずアエリアの顔が見れて踊り上がる心とは裏腹にぶっきらぼうな声が出る。

「まだ寝てらっしゃらないなら少しお話がしたいんですが」

 そう言って俺が許可を出すよりも早く部屋に入ってくる。
 見ればすでに着替え終えてやけに薄手のネグリジェを着ている。

 そんな格好で何を考えて俺の部屋に来るんだコイツは!

 部屋に入り込んだアエリアはソファーと俺のベッドを交互に見てちょっと迷った末、なんと俺のベッドに来て寝転がっていた俺の隣にちょこんと座った。

「今日はいっぱいお話しておきたい事があるんです」

 そう言ってベッドの上で俺に膝を詰めてくる。

「お、お前、何を考えてそんな格好で俺のベッドに上がってくるんだ?」

 焦る気持ちをなんとか隠しつつアエリアの挙動の意味を探ろうとつい詰問口調になってしまう。
 ところが驚いたことにアエリアはそこでベッドに手をついて頭を下げた。

「師匠、あの部屋は本当に私が頂いていいんですか?」
「ああ。今朝も言ったがあれはお前の部屋だ。好きに使え」
「だってあれってもうどう考えても使用人の部屋じゃないですよ?」

 そこまで言って上目遣いにこちらを見る。
 俺の心臓が早鐘を打ち始める。

 コイツまさか計算ずくでこんな挙動をしてんじゃないだろうな。

 何故か俺の方がベッドの上で静かに追い詰められ逃げ場を無くされてる気がする。

「言っただろう。お前を使用人として使う気はない。エリー達が逆にお前の世話をしてくれるはずだ」
「……それからあのワードローブに沢山洋服が入っていたのですが。あのお洋服も全て私が頂いてしまっていいんですか?」
「お前が使うだろうと思って用意させたが気に入らなければ……」
「あ、ありがとうございます!」
「うわ!?」

 俺に飛び付いてきたアエリアに押されて後ろにひっくり返る。

「私まさかこんなに優しくして頂けるなんて思っても見ませんでした。使用人どころか綺麗な部屋に、勉強机、あんなに素敵な洋服までいっぱい。しかもエリーさんが全部手伝ってくれて。いつもいつもピピンさんにばかり感謝してた私が馬鹿でした。師匠が一番優しいです」

 アエリアの言葉がズサズサと心に刺さる。

 部屋を整えると言い出したのはタイラーだ。
 洋服も俺はピピンに注文しただけだ。
 エリーだってピピンが揃えた使用人だし結局タイラーとピピンが主に感謝される相手のままだ。

 まさかこんなに喜ぶとは。

 アエリアを喜ばす事をしてやりたかったのに俺は結局こいつの事をあいつら程も考えてなかったって事か。

 抱きつかれたアエリアから香水の様な匂いが沸き立ち慌ててアエリアを引き剥がす。

「アエリア、分かったから離れろ」

 俺に諭されて、バッと後ろに引いて小さくごめんなさいと言ったアエリアの目の端にはちょっとだけ涙が滲んでいる。

 そんなに嬉しかったのか。

 途端俺は馬鹿みたいにこれからコイツに買い与える物を頭の中で羅列し始めた。
 そんな俺を他所よそにアエリアが言葉を続けた。

「それから素敵なディナーを途中退席してしまって本当に申し訳ありません」
「その事だが……」

 俺よりも早くアエリアが続ける。

「それでですね、夕食を部屋で頂いて分かったんですが、私、申し訳無いんですが素敵なディナーより師匠と普通に夕食ができる方が嬉しいです」

 俺の胸がドキンと音を立てて鳴った。

 冷静になれ、コイツは単に一人で食べるのが寂しいだけだ。

「分かった。タイラー達にそう伝えておこう」
「良かった、もうこれから毎日部屋で一人で食べる事になるのかと」

 やっぱり。

「それで話は全部か?」

 そう言って俺は何とかこれ以上心を乱されてまた取り返しがつかない事をしてしまわないよう話を切り上げようとする。

「はい。で、ですね。その。これからはこのベッドで一緒に寝てもいいですか?」
「はぁ?!」

 何を言い出すんだコイツはっ。

 今まで以上に焦る俺の横でアエリアは既に片手を布団に掛けてめくりあげようとしている。

「よく考えたら2部屋分薪を朝までくべて置くのは非常に無駄が多いなと。それに私、師匠ともっとちゃんと一緒にいてみようと思うんです」

 そう言ってアエリアは俺の布団に潜り込んだ。

「師匠がどうして時々意地悪をするのか分かりませんが私どうやら全部が全部嫌じゃないみたいです」

 何が起きているんだ? これは夢か?

 アエリアが俺を嫌いじゃないという。
 それどころか自分から俺のベッドに来て一緒にいたいという。

 自分の生唾を飲む音が聞こえる。

 コイツは自分が言っている事がどういう事かを本当に理解しているのか?

「師匠を理解する様努力しますし、頑張って魔術も勉強します。だから師匠、当分お礼はやっぱりツケでお願いします」

 そう言って俺の横でぺこりと頭を下げたアエリアは、勝手にゴソゴソと自分の居場所を確保する。

「ちょっと待てツケってなんだ」
「えっとですから師匠の要求する『お礼』はちょっと私にはお答えできそうもありませんし、当分はやっぱり借りにしておいて下さい」
「……いつまで借り続けるつもりだ?」
「え……それは師匠にちゃんとお礼が出来る日まで?」

 なんだ今の疑問形は。

「……俺が意地悪したらどうする?」
「……少しは我慢します」
「少しじゃなくなったらどうする?」
「師匠、師匠も少しは我慢してください」

 とんでもないやつだ。

 俺の布団に入り込んで、少しならいいがそれ以上は駄目だと言いやがる。

 まさに生殺しだ。

 だが、どうしても出て行けとは言えない。言えるか!

 大体、少しって何だ? お前の少しはどこまでなんだ?

「それじゃあ師匠、おやすみなさい」

 俺の心の中の葛藤など全くお構いなしにアエリアは俺のすぐ横でこちらに顔を向けたまま丸くなって寝に入りやがった。

 分かっている。
 俺がしたいのは意地悪なんかじゃない。

 直ぐに寝息を立て始めたアエリアを見下ろしながら考える。

 今日髪を結い上げていたコイツは一端の令嬢に見えた。

 だがこうやって眠る顔はまだ幼く、いくら俺だってこのまま襲いかかろうとは思えない。

 だがそれでも同時にきっかけ一つでどこまでも抑えの効かない自分がいる事も分かっている。

 俺は寝息を立て始めたアエリアの髪に手を伸ばしすいてみる。
 エリーが整えてやったのだろう、ボサボサで艶のなかった髪がスルリと指が通るほどつややかになっている。
 そのまま数回頭を撫でて俺も横になった。

 これは昔やったあれだ。修行だ。

 俺は枕を抱きしめ目を瞑り、心を無にして自分に催眠魔法をぶっかけた。
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