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1章 思い出は幻の中に
20 思い出は後悔の中に
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身体がダルくて重い。
何か固い箱のようなものに押し込まれ誰かに額を突かれる。
一体どういう拷問だ?
眉根の間を柔らかい何かが突き続ける。
脳を食らう触手生物か?
不快な夢から徐々に思考が浮き上がり目の前にはっきりアエリアの興味深そうな顔が映った。
「おい、馬鹿弟子、なにをしてた?」
不機嫌に尋ねた俺に慌てて自分の手を引っ込ませながらアエリアが答えた。
「……いえ、ナニも」
横目で睨みつけながらあちこち痛む身体を少しづつ伸ばしていく。
あの不快な夢はこのせいか。
結局アエリアに手を掴まれたままソファーにもたれて眠ってしまったらしい。
「師匠、なんで床で寝てるんですか? そんな所で寝たら体痛くなっちゃいますよ?」
「誰のせいだ!」
俺の寝不足の頭と体中の痛みを他所に呑気な質問をしてくるこのアホをどうしてくれよう。
「耳元で叫ばないで下さい、頭に響くんです」
アエリアは俺の怒声が頭に響いたようで頭を抱えこんで唸っている。いいきみだ。
「自業自得だ」
そう言いながら庭から差し込む日の光に目をしかめて直ぐにハッと思い出す。
「今何時だ? 何時の鐘が最後だ?」
「私も今起きた所なので知りません」
チクショウ、コイツに聞いてどうする。
何時も何もない、これだけ日が昇っているのだ、もう今日の教練(きょうれん)は始まっているに違いない。
今日はアエリアの今後の訓練に関する話をスチュワードと詰めるため予備団員の教練に顔を出す約束だった。
「マズイ」
そう言って俺は慌ててピピンの執務室に飛び込んだ。
「すまん、教練に出られなかったんだがスチュワードがどこにいるか分かるか?」
「これはアーロン様、お久しぶりです」
俺の言葉に直接ピピンの右に立って控えている男が返事を返した。
「よくお休みになれましたかな?」
そう言ってピピンは執務机からクマのできた目で俺を見上げた。
そう恨めしそうに見ないで欲しい。俺だってまだ大して寝てないのだ。
「今日の教練はアーロン様がお見えになられなかったので早めに終了し、こちらでピピン様と今後の打ち合わせを始めていたのですよ」
そう言ってスチュワードはいくつかの羊皮紙を俺に差し出す。
「ピピン様から伺った内容を元に大まかな今後の教育計画を建てさせていただきました」
羊皮紙に目を通すとこの国の初等教育過程で完了する魔術指導の延長と中級、高等魔法への導入、高等魔法の基礎となる事象及び精霊界の基礎、魔法陣及び薬学から調合まで全般を並行して3年計画で完了する様に設定されている
俺が過去にこなしたものに比べればマシだが結構ハードなスケジュールだ。
流石餅は餅屋だな。
「事象の辺りは多分必要ないだろう。変わりに魔法陣と調合の過程を早めに始めさせておけ」
「かしこまりました」
そう言ってスチュワードは羊皮紙を一旦引き上げる。
「それで今スチュワードとも話していたのですが来週辺りから週に一日そちらに行って指導を始めさせようと思うのですが?」
「何だ、思ったよりかなり早いじゃないか」
「ピピン様からアーロン様が認める才能をアエリア様がお持ちと聞いて大変興味を惹かれました。是非早くお会いしたいと思っております」
そう言って微笑む。
俺はコイツが怒ったり怒鳴ったりするのを見たことがない。教育者として鏡の様なやつだが、その甘い微笑みは男色と知っていなければ完全にアウトだ。
俺達は昼食を取りながら今後のスケジュールを詰めていった。
スチュワードが去った後も引き続き師団長達を呼んで合同練習後の最終報告と事務をピピンの執務室で終わらせる。
俺の総師団長としての執務室も魔術騎士団総括棟にあるのだが実は殆ど使った事がない。
大概は訓練の指揮に出ているかここで事務を終わらせピピンを交えた決定に沿って渉外に出ているかだ。
ふと思い出したようにピピンが尋ねた。
「アエリア様のお食事はいかがなさいましたか?」
「……まだ考えてなかったな」
「いい加減になさいませ! アエリア様を餓死させるつもりですか!」
「まあ、後で何か見繕ってくれ」
「後ではなく今すぐお戻りください! 今後のことも考えて食料品をお送りいたします。アーロン様がいらっしゃらなくともせめてご自分で何とかされるでしょう」
それからもピピンは俺に再三召使を送って片付けさせろとしつこく食い下がったがそれは断固として拒否した。
館の執務室に戻れば直ぐにアエリアがキッチンの掃除が完了したことを告げに来た。
いいタイミングだ。
暖炉に魔晶石を送ってキッチンの準備が整ったことをピピンに告げてアエリアを連れて下に降りる。
キッチンに入ればそこは溢れんばかりの食料品と何に使うのか知らないが料理の道具らしきものが全ての空いている空間を埋め尽くすように所狭しと並べられていた。
「……あいつ、暇なのか?」
「ここまで準備してくださったメッシーさんに何って事を!」
俺が呆れてこぼしたらアエリアが間髪入れず訳の分からない返事をする。
「メッシーさんって誰?」
しまった! とはっきりアエリアの顔に書かれているのを見て俺は少し警戒を強める。
「あ、あの、昨日から師匠がパッとやる度に向こうで色々準備してくださっている、名前も知らない召使の方に、私からの感謝と親しみを込めてメッシーさんと……」
「はぁ?!」
アエリアは今なんて言った?
腹の底から何かドス黒い感情が湧き上がる。
……俺の事は師匠師匠と軽く呼び捨てる癖に。
相手はあのピピンだ。ピピンなのだ。
なのに俺の神経がピリピリと音が出そうなほど逆立つ。
俺が持て余す程の自分の中に膨れ上がったドス黒い感情に言葉も出せないでいるとアエリアは慌てて言葉を続けた。
「いや、あの、馴れ馴れしいかとは思ったんですが、その、名前がですね、分からなかったので仕方ないかと、いや、無論私の心のうちだけですし、」
「俺が呼び捨てでなんであいつに『さん』付けなんだ、おい!」
俺の中で何かがブチ切れそうになっている。
脳内でピピンが数回死んだ。
「ニックネームにしかも『感謝』と『親しみ』、だと??!!」
俺はアエリアの小さな頭を鷲掴みにして固定し怒りに任せて詰め寄った。
「お前は俺ではなくたかが使用人に『感謝』と『親しみ』だ、と!」
俺が自分で聞いてもかなりドスの効いた声で詰め寄るとアエリアは身をよじって俺の視線から逃げようと身をよじり、白い顔を真っ赤にしながらあたふたと続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、師匠にもいっぱい感謝してます。ちゃんと心の中でお師匠様、アーロン様と唱えて毎日お祈りしています。朝ご飯くれて、お昼ご飯くれて、夕ご飯くれて、ヤツの退治方法教えてくれて、魔術訓練してくれてありがとうございます。感謝感激で声も出ません」
そこまではまだ良かった。
「脅されてるとか監禁されてるとか思ってません。意地悪されて恨んだりしてません。家に帰せこの野郎とか絶対思ってません」
一旦少し引いた炎が再燃する。
「奴隷なんてひどいとか、ゆっくり寝たいとか、私の事覚えてないくせにとか、絶対思ってないです」
「……今何って言った?」
俺は耳を疑った。
……まさか。
まさかコイツ覚えていたのか?
俺はちょっと離れてアエリアの表情を読もうとする。
アエリアは自分の言葉の何が俺を豹変させたのか分からず戸惑うばかりだ。
俺は確かめるようにつぶやいた。
「お前、覚えてたのか?」
「え?」
「あんなちっこかったのに」
「え? え?」
「ボロボロになって、下っ端の兵隊どもに放っとかれて」
アエリアは呆然と俺の顔を見つめてくる。
やはり記憶はあったらしい。
「俺が声かけても、泣くばっかりで手を引かれるままに付いてきた」
アエリアの呆然とした表情に歓喜とも失望とも取れる驚きが広がる。
「怒鳴っても泣きやまなくて、抱きしめて食い物を口に入れて、やっと静かになった」
瞬きもせずに俺を見つめるアエリアの瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれだす。
「忘れてはいない」
俺はそんなアエリアを安心させてやりたくて。
アエリアの涙を手の甲で拭い、ふと視線のはしにあった酒のボトルとグラスを掴み、呆然としているアエリアを引き連れてキッチンを後にした。
▽▲▽▲▽▲▽
またいつもの応接間だ。まるでこの大きな屋敷の中でここだけが俺達の居場所のようだ。
俺は持ってきた酒をグラスに注いでグイッとあおる。
酒なしで話すにはちょっと苦しい。
紡ぎ出す言葉を選びながら俺は無意識に暖炉に薪をくべ、火かき棒で意味もなくかき回す。
やっと決心をつけた俺はアエリアに向き直り紡ぎ始めた。
俺の後悔と懺愧の記憶を。
「お前はどこまで覚えている? お前は覚えていないかもしれないが、あれは今から8年前の冬だった」
▽▲▽▲▽▲▽
当時俺は都合よくピピンにルトリアス公国大公の養子になる件を押し付けて自由を満喫していた。
ルトリアス公国はもともとアレフィーリア神聖王国から領地を割譲された公国だ。
継子がいなくなれば直ぐにアレフィーリアに吸収されてしまう。
その為継子の数が少ない代にはアレフィーリアから適当な養子を受け入れて継子を絶やさない様に備えるのが常だった。
煩わしいい王室での一年を過ごし、邪魔者を追い出すように隣国の養子に送り出された時には流石に焦ったが一緒に送り出されたピピンをうまく替え玉にして難を逃れた。
俺はやっと以前の様に自由気ままな旅に出た所だった。
王都から目立たないようにこの辺境を通って隣国のアレフィーリアに峠を抜けて戻るつもりだった。
一日中町をぶらつき峠越えに必要な物を物色した。
通りは人で沸き返っていて久しぶりの旅情をかき立てる。
何処かで子供の親を呼ぶ鳴き声が響く。
……迷子か。
うるさい。
早く誰か面倒を見てやれ。
俺は大して気にも止めずにその日は町中の宿で一泊した。
次の日峠超えの支度を終えて国境に向かって歩いていると、国境門近くの兵舎から子供の声が響いて来た。
やけに耳につくその声についそちらを振り向いた。
見れば幼い子供が外牢に入れられている。
大方親が見つけやすい様に保護した迷子を一時的に入れたのだろう。乱暴な扱いだが辺境警備では仕方あるまい。
中に一緒に入っている兵士の困り果てた様子からして迷子の世話を押し付けられたのだろう、直に子供を置き去りにして自分の仕事に戻っていく。
子供は暗がりに座って俯いているので良く見えないが、やけに珍しい黒っぽい髪をしている気がした。
横目でそれを見るともなしに見てはいたのだがまさかアイツがこんな辺境にいる訳もない。
ただの迷子だろうとそのまま兵舎の前を通り過ぎた。
「まって、そこの人まって、」
聞き覚えのある声が後ろで響き、俺が振り返るよりも早く誰かが俺のローブの端を掴んで引っ張った。
そして俺が振り返り目があった途端、顔を真っ赤にして火がついたように泣き出した。
驚いたことにそれは間違いなくアエリアだった。
何とか話を聞き出そうとどんなに宥めても全く効果がない。
慌てた俺はまるで場末の人さらいの様にアエリアの口を塞いで人気の少ない物陰に走りこんだ。
「おい、泣くな」
そう言って頭を撫でても一向に泣き止む気配がない。
ふとさっき気まぐれで買ったリンゴを思い出し、崩れた石塀の上にアエリアを座らせて取り出したリンゴをナイフで半分に割ってアエリアに差し出した。
全く反応を返さないアエリアにしびれを切らせ、結局自分が代わりに座ってアエリアを抱え込み再度リンゴをアエリアの小さな口に押し当てる。
「ほら、取りあえず食え」
おずおずとリンゴにかぶりつき始めたアエリアにほっと胸をなでおろしアエリアが食べやすいように角度を変えながらリンゴを食べさせる。
目にいっぱいの涙を貯めながらも一生懸命リンゴをかじるアエリアの横顔に自然と微笑みがこぼれる。
……また会えるとは思わなかった。
そして今度こそ離したくない。
そんな思いが俺の胸を満たし、締め付けた。
何か固い箱のようなものに押し込まれ誰かに額を突かれる。
一体どういう拷問だ?
眉根の間を柔らかい何かが突き続ける。
脳を食らう触手生物か?
不快な夢から徐々に思考が浮き上がり目の前にはっきりアエリアの興味深そうな顔が映った。
「おい、馬鹿弟子、なにをしてた?」
不機嫌に尋ねた俺に慌てて自分の手を引っ込ませながらアエリアが答えた。
「……いえ、ナニも」
横目で睨みつけながらあちこち痛む身体を少しづつ伸ばしていく。
あの不快な夢はこのせいか。
結局アエリアに手を掴まれたままソファーにもたれて眠ってしまったらしい。
「師匠、なんで床で寝てるんですか? そんな所で寝たら体痛くなっちゃいますよ?」
「誰のせいだ!」
俺の寝不足の頭と体中の痛みを他所に呑気な質問をしてくるこのアホをどうしてくれよう。
「耳元で叫ばないで下さい、頭に響くんです」
アエリアは俺の怒声が頭に響いたようで頭を抱えこんで唸っている。いいきみだ。
「自業自得だ」
そう言いながら庭から差し込む日の光に目をしかめて直ぐにハッと思い出す。
「今何時だ? 何時の鐘が最後だ?」
「私も今起きた所なので知りません」
チクショウ、コイツに聞いてどうする。
何時も何もない、これだけ日が昇っているのだ、もう今日の教練(きょうれん)は始まっているに違いない。
今日はアエリアの今後の訓練に関する話をスチュワードと詰めるため予備団員の教練に顔を出す約束だった。
「マズイ」
そう言って俺は慌ててピピンの執務室に飛び込んだ。
「すまん、教練に出られなかったんだがスチュワードがどこにいるか分かるか?」
「これはアーロン様、お久しぶりです」
俺の言葉に直接ピピンの右に立って控えている男が返事を返した。
「よくお休みになれましたかな?」
そう言ってピピンは執務机からクマのできた目で俺を見上げた。
そう恨めしそうに見ないで欲しい。俺だってまだ大して寝てないのだ。
「今日の教練はアーロン様がお見えになられなかったので早めに終了し、こちらでピピン様と今後の打ち合わせを始めていたのですよ」
そう言ってスチュワードはいくつかの羊皮紙を俺に差し出す。
「ピピン様から伺った内容を元に大まかな今後の教育計画を建てさせていただきました」
羊皮紙に目を通すとこの国の初等教育過程で完了する魔術指導の延長と中級、高等魔法への導入、高等魔法の基礎となる事象及び精霊界の基礎、魔法陣及び薬学から調合まで全般を並行して3年計画で完了する様に設定されている
俺が過去にこなしたものに比べればマシだが結構ハードなスケジュールだ。
流石餅は餅屋だな。
「事象の辺りは多分必要ないだろう。変わりに魔法陣と調合の過程を早めに始めさせておけ」
「かしこまりました」
そう言ってスチュワードは羊皮紙を一旦引き上げる。
「それで今スチュワードとも話していたのですが来週辺りから週に一日そちらに行って指導を始めさせようと思うのですが?」
「何だ、思ったよりかなり早いじゃないか」
「ピピン様からアーロン様が認める才能をアエリア様がお持ちと聞いて大変興味を惹かれました。是非早くお会いしたいと思っております」
そう言って微笑む。
俺はコイツが怒ったり怒鳴ったりするのを見たことがない。教育者として鏡の様なやつだが、その甘い微笑みは男色と知っていなければ完全にアウトだ。
俺達は昼食を取りながら今後のスケジュールを詰めていった。
スチュワードが去った後も引き続き師団長達を呼んで合同練習後の最終報告と事務をピピンの執務室で終わらせる。
俺の総師団長としての執務室も魔術騎士団総括棟にあるのだが実は殆ど使った事がない。
大概は訓練の指揮に出ているかここで事務を終わらせピピンを交えた決定に沿って渉外に出ているかだ。
ふと思い出したようにピピンが尋ねた。
「アエリア様のお食事はいかがなさいましたか?」
「……まだ考えてなかったな」
「いい加減になさいませ! アエリア様を餓死させるつもりですか!」
「まあ、後で何か見繕ってくれ」
「後ではなく今すぐお戻りください! 今後のことも考えて食料品をお送りいたします。アーロン様がいらっしゃらなくともせめてご自分で何とかされるでしょう」
それからもピピンは俺に再三召使を送って片付けさせろとしつこく食い下がったがそれは断固として拒否した。
館の執務室に戻れば直ぐにアエリアがキッチンの掃除が完了したことを告げに来た。
いいタイミングだ。
暖炉に魔晶石を送ってキッチンの準備が整ったことをピピンに告げてアエリアを連れて下に降りる。
キッチンに入ればそこは溢れんばかりの食料品と何に使うのか知らないが料理の道具らしきものが全ての空いている空間を埋め尽くすように所狭しと並べられていた。
「……あいつ、暇なのか?」
「ここまで準備してくださったメッシーさんに何って事を!」
俺が呆れてこぼしたらアエリアが間髪入れず訳の分からない返事をする。
「メッシーさんって誰?」
しまった! とはっきりアエリアの顔に書かれているのを見て俺は少し警戒を強める。
「あ、あの、昨日から師匠がパッとやる度に向こうで色々準備してくださっている、名前も知らない召使の方に、私からの感謝と親しみを込めてメッシーさんと……」
「はぁ?!」
アエリアは今なんて言った?
腹の底から何かドス黒い感情が湧き上がる。
……俺の事は師匠師匠と軽く呼び捨てる癖に。
相手はあのピピンだ。ピピンなのだ。
なのに俺の神経がピリピリと音が出そうなほど逆立つ。
俺が持て余す程の自分の中に膨れ上がったドス黒い感情に言葉も出せないでいるとアエリアは慌てて言葉を続けた。
「いや、あの、馴れ馴れしいかとは思ったんですが、その、名前がですね、分からなかったので仕方ないかと、いや、無論私の心のうちだけですし、」
「俺が呼び捨てでなんであいつに『さん』付けなんだ、おい!」
俺の中で何かがブチ切れそうになっている。
脳内でピピンが数回死んだ。
「ニックネームにしかも『感謝』と『親しみ』、だと??!!」
俺はアエリアの小さな頭を鷲掴みにして固定し怒りに任せて詰め寄った。
「お前は俺ではなくたかが使用人に『感謝』と『親しみ』だ、と!」
俺が自分で聞いてもかなりドスの効いた声で詰め寄るとアエリアは身をよじって俺の視線から逃げようと身をよじり、白い顔を真っ赤にしながらあたふたと続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、師匠にもいっぱい感謝してます。ちゃんと心の中でお師匠様、アーロン様と唱えて毎日お祈りしています。朝ご飯くれて、お昼ご飯くれて、夕ご飯くれて、ヤツの退治方法教えてくれて、魔術訓練してくれてありがとうございます。感謝感激で声も出ません」
そこまではまだ良かった。
「脅されてるとか監禁されてるとか思ってません。意地悪されて恨んだりしてません。家に帰せこの野郎とか絶対思ってません」
一旦少し引いた炎が再燃する。
「奴隷なんてひどいとか、ゆっくり寝たいとか、私の事覚えてないくせにとか、絶対思ってないです」
「……今何って言った?」
俺は耳を疑った。
……まさか。
まさかコイツ覚えていたのか?
俺はちょっと離れてアエリアの表情を読もうとする。
アエリアは自分の言葉の何が俺を豹変させたのか分からず戸惑うばかりだ。
俺は確かめるようにつぶやいた。
「お前、覚えてたのか?」
「え?」
「あんなちっこかったのに」
「え? え?」
「ボロボロになって、下っ端の兵隊どもに放っとかれて」
アエリアは呆然と俺の顔を見つめてくる。
やはり記憶はあったらしい。
「俺が声かけても、泣くばっかりで手を引かれるままに付いてきた」
アエリアの呆然とした表情に歓喜とも失望とも取れる驚きが広がる。
「怒鳴っても泣きやまなくて、抱きしめて食い物を口に入れて、やっと静かになった」
瞬きもせずに俺を見つめるアエリアの瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれだす。
「忘れてはいない」
俺はそんなアエリアを安心させてやりたくて。
アエリアの涙を手の甲で拭い、ふと視線のはしにあった酒のボトルとグラスを掴み、呆然としているアエリアを引き連れてキッチンを後にした。
▽▲▽▲▽▲▽
またいつもの応接間だ。まるでこの大きな屋敷の中でここだけが俺達の居場所のようだ。
俺は持ってきた酒をグラスに注いでグイッとあおる。
酒なしで話すにはちょっと苦しい。
紡ぎ出す言葉を選びながら俺は無意識に暖炉に薪をくべ、火かき棒で意味もなくかき回す。
やっと決心をつけた俺はアエリアに向き直り紡ぎ始めた。
俺の後悔と懺愧の記憶を。
「お前はどこまで覚えている? お前は覚えていないかもしれないが、あれは今から8年前の冬だった」
▽▲▽▲▽▲▽
当時俺は都合よくピピンにルトリアス公国大公の養子になる件を押し付けて自由を満喫していた。
ルトリアス公国はもともとアレフィーリア神聖王国から領地を割譲された公国だ。
継子がいなくなれば直ぐにアレフィーリアに吸収されてしまう。
その為継子の数が少ない代にはアレフィーリアから適当な養子を受け入れて継子を絶やさない様に備えるのが常だった。
煩わしいい王室での一年を過ごし、邪魔者を追い出すように隣国の養子に送り出された時には流石に焦ったが一緒に送り出されたピピンをうまく替え玉にして難を逃れた。
俺はやっと以前の様に自由気ままな旅に出た所だった。
王都から目立たないようにこの辺境を通って隣国のアレフィーリアに峠を抜けて戻るつもりだった。
一日中町をぶらつき峠越えに必要な物を物色した。
通りは人で沸き返っていて久しぶりの旅情をかき立てる。
何処かで子供の親を呼ぶ鳴き声が響く。
……迷子か。
うるさい。
早く誰か面倒を見てやれ。
俺は大して気にも止めずにその日は町中の宿で一泊した。
次の日峠超えの支度を終えて国境に向かって歩いていると、国境門近くの兵舎から子供の声が響いて来た。
やけに耳につくその声についそちらを振り向いた。
見れば幼い子供が外牢に入れられている。
大方親が見つけやすい様に保護した迷子を一時的に入れたのだろう。乱暴な扱いだが辺境警備では仕方あるまい。
中に一緒に入っている兵士の困り果てた様子からして迷子の世話を押し付けられたのだろう、直に子供を置き去りにして自分の仕事に戻っていく。
子供は暗がりに座って俯いているので良く見えないが、やけに珍しい黒っぽい髪をしている気がした。
横目でそれを見るともなしに見てはいたのだがまさかアイツがこんな辺境にいる訳もない。
ただの迷子だろうとそのまま兵舎の前を通り過ぎた。
「まって、そこの人まって、」
聞き覚えのある声が後ろで響き、俺が振り返るよりも早く誰かが俺のローブの端を掴んで引っ張った。
そして俺が振り返り目があった途端、顔を真っ赤にして火がついたように泣き出した。
驚いたことにそれは間違いなくアエリアだった。
何とか話を聞き出そうとどんなに宥めても全く効果がない。
慌てた俺はまるで場末の人さらいの様にアエリアの口を塞いで人気の少ない物陰に走りこんだ。
「おい、泣くな」
そう言って頭を撫でても一向に泣き止む気配がない。
ふとさっき気まぐれで買ったリンゴを思い出し、崩れた石塀の上にアエリアを座らせて取り出したリンゴをナイフで半分に割ってアエリアに差し出した。
全く反応を返さないアエリアにしびれを切らせ、結局自分が代わりに座ってアエリアを抱え込み再度リンゴをアエリアの小さな口に押し当てる。
「ほら、取りあえず食え」
おずおずとリンゴにかぶりつき始めたアエリアにほっと胸をなでおろしアエリアが食べやすいように角度を変えながらリンゴを食べさせる。
目にいっぱいの涙を貯めながらも一生懸命リンゴをかじるアエリアの横顔に自然と微笑みがこぼれる。
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