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1章 思い出は幻の中に

15 アーロンのまたも孤独な戦い ― 3 ―

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「いやー、実に一時はどうなる事かと思いましたよ」
「今回は流石に肝が冷えましたな」
「私は本当に肝を潰されるところでした」

 カールス、アーノルド、そしてフレイバーンの辺境警備隊隊長マークが国境近くに設営した仮設陣営で火を囲んでいる。
 アーノルドは甲冑を外し自分のシャツをはだけて鍛え上げられた腹筋に巻き付くように付いた赤黒い跡をさすりながらこぼしている。

「それはお前の空間魔法がちゃんと固定出来ていなかったからだ」
「アーロン総師団長、ご自分を基準に我々に要求をされるのは死ねと言っているのと同じ事だとご理解いただきたい」

 涙を滲ませているアーノルドをカールスが不憫そうに同情を込めた目で見やっていた。

「いやあ、アーロン総師団長殿の実力は噂以上でしたな」

 マークはその綺麗に整えられた髭を擦りながら我々の会話に言葉を挟んだ。

「いえ、今回も例年からの備えがあったお陰で凌ぐ事ができましたがマーク殿が早々に水道橋の補強に走ってくださらなかったらどうなっていた事か」

 内心の疑惑は完全に押し隠して返答を返す。

 俺達が海竜の駆除を始めてすぐ、国境に展開していたフレイバーンの一隊は対岸に展開していたカールスの小隊に伝令を寄越し水道橋の合同補強作業を申し入れてきたのだ。

 余りにタイミングが良すぎる。

 どうやらフレイバーンには『目』の良い者が居るらしい。
 おおかたこちらの対応が迅速でかつ効果的であると判断した時点で恩を売る方に方針を変更したのだろう。

 食えない親父だ。

 それがマークの第一印象だった。

 俺達が駆除を終え、水門の周りの片付けを終えた頃カールスから伝令が届き、マークからの面会の申し入れが伝えられた。隊の殆どは本営に戻し、準備されていた糧食と今回に限り城の食料庫から取り寄せた酒樽を与えて置いてきた。
 師団長3人とそれぞれの護衛数名だけでこちらに面会用のフレイバーンが建てた陣営を訪れたのである。
 ある意味越境してしまっている訳だが両陣営同意の上なので問題ない。

 途中俺も一度屋敷に戻ったがアエリアはとうの昔に寝てしまっていた様で残念ながら顔だけ見てとんぼ返りで戻ってきた。

「マーク殿から我々に夜食と寝所の提供を申しだされておりますが?」

 アーノルドが俺に報告する。

「それはありがたいが本営の管理に戻らねばならないので本日の所はこれで失礼しようと思います」

 そう言って断りを入れるがマアマアと言って引き止められる。

「こんな遅くにわざわざこちらまでおいで頂いたのです。今回の合同補修作業を機に是非今後とも両隊の親睦を深めたいと思っているのですよ。どうぞこちらで用意いたしました寝所でごゆるりとお休みになられてはいかがでしょう?」

 そう言いながら間近ににじり寄られ、俺は面倒になって申し出を受ける事にした。
 まあ、アーノルドの顔色が戻りきっていないのも気がかりだ。ここで俺の治癒魔法を使う訳にも行かないしゆっくりと横になれるならばその方が良いだろう。

「それではお言葉に甘えましょう」

 そう言うとマークは直ぐに後ろに控えていた兵士を呼びつけそれぞれの寝所へ案内するよう手配した。

 俺達はそれぞれ個別のテントに、そして護衛について来ていた者達はすぐ近くの大振りのテントに案内される。
 俺が入ったテントは野営用のテントとは全く異なる貴族向けの外行用に作られた物だった。

 中に入ると入り口を除く全ての面がきらびやかなタペストリーで飾られ、床も毛足の短い毛皮で埋め尽くされている。
 その真ん中には低いソファーの様な円形の褥が用意され横に置かれた小テーブルには軽食と酒が準備されていた。

 あのタヌキ親父、辺境警備隊長とか抜かしてたがフレイバーンの爵位持ちだな。何を企んでやがる?

 俺が思考を巡らせながらとりあえずその褥に腰を下ろすとタペストリーの後ろから薄い衣装を身に纏った妙齢の美しい女性が音もなく進み出た。

 波打つ長い金髪を後ろで緩く一つに束ね、その暗い碧眼を俯かせながら遠慮がちに俺の褥の横に跪き酒をグラスに注ぎながら話しかけてくる。

「今夜のお相手を申しつかりました、レシーネと申します。まずはどうぞお食事をお楽しみください」

 そう言って褥の横のテーブルから軽食の乗った銀のプレートを俺に向かって捧げる。

「悪いが今腹は減っていない」

 そう言って彼女が継いだ酒を一口煽る。
 毒は入っていない。俺の嗅覚を誤魔化せる毒はないので断言できる。
 これならカールスとアーノルドも大丈夫そうだ。

 俺の返事を聞いたレシーネと言う女は「それでは」と言い置いて捧げていたプレートを下げて俺から一歩下がるとその場で跪く。

「それでは褥のお手伝いをさせて頂きます」

 そう言うと立ち上がり、その場でゆっくりとしなを作って服をずらしながら薄い服に包まれた豊満な肢体を見せつける様にして少しずつ俺にすり寄ってくる。

 アエリアが館に来てからと言うもの何かに付け馬鹿らしい行動を繰り返していた俺はいい機会なのでいっそこの女に手を出してみるかと考えたのだが。

 いくら待っても心が高揚しない。
 アエリアと一緒にいた時の様に頭に血がのぼる様子もない。

 とうとう俺の目の前まで迫ったレシーネが俺の上に跨って服を脱ぎ捨てるが全く心が動かない。

 どうなってんだ?
 あんなに簡単にアエリアの挙動に踊らされていたのになぜ据え膳でその気が起きない!?

 途方に暮れていると隣のテントから嬌声が響き始める。
 どうやらカールスはすでにお楽しみのようだ。
 これじゃあ俺一人帰るというわけにも行くまい。

 仕方なく俺はレシーネを褥に引き倒し、片手で目を瞑らせて睡眠に落とす。

 これで彼女も夢の中で楽しい一時を送る事だろう。

 俺は半裸のレシーネを褥に突っ込んで隣で仮眠を取る事にした。

 どうせもう直ぐ夜明けだ。
 あいつらが楽しみ終わったらとっとと本営に戻ればいい。

 それにしてもカールスのやつ、鳴かせ過ぎだ。


    ▽▲▽▲▽▲▽


 それぞれが褥から起き出し身支度を整えて本営に帰り着く頃にはもう日が高く上がっていた。

 そして俺達が本営に戻って目にしたのは半裸でイビキをかきながら草原いっぱいに散らばる累々たる屍達だった。

 こいつ等いつまで飲んでたんだ?
 カールスが近場の兵士の尻を蹴飛ばして目を覚ましているがどうもウンウン唸っていて使い物になりそうも無い。

「こいつ等、一度水路にでも突き落としてみるか?」
「それは冗談になりません、ここまで酔っていたらひとたまりもなく溺死します」
「魔道騎士団2隊が祝杯に溺れて溺死なんて笑い話にもなりません」

 はーぁ、と情けないため息をつきながらアーノルドがこぼした。

「あの後仙魚と海竜の肉はどうした?」
「本営に残っていた後援の者に近場の街の商会と話を付けるよう言渡しておきましたがどうなったでしょうね」

 そう言って後援が働いていた辺りに向かって歩を進める。

 中心に向う程酔っぱらい共の躯が重なり合うようにして転がっている。
 中には、どこから呼び込んだのか女が混じって寝ている所もある。

 炊事場辺りには後援で残された者たちが最後までこの酔っぱらい共の面倒を見ていたらしく数人づつ丸くなって寄りかかり合うよにして寝ている。

「こちらに言付けした者が見つかりましたがこれはちょっと起こすのが気が引けますね」

 そう言うアーノルドの足元を見やると二人の年若い兵士が抱き合って眠っている。

「他の奴らに見つかる前に起こしてやった方が親切ってもんだと思うぞ」

 そう言ってカールスが一人を揺り起こす。
 暫く寝ぼけて寝言のようなものをつぶやいていたが、直ぐに自分を見下ろす師団長3人と自分の状況に気が付き青くなって飛び起きた。

「たたた、大変失礼致しました、何か御用でしょうか?」
「そんなに慌てる事は無い。今見た事は師団長の間だけの秘密にしておいてやろう。ところで昨日言いつけておいた仙魚と海竜の買い取りはどうなった?」
「あ、は、はい、今日日が昇ってからこちらまで様子を見に来るとの事でしたが……」

 そう言って辺りを見回しもうとっくに日が昇っていることに気がついて再度青ざめる。

「それならば商人が此方に到着する前にこの酔っ払い共を片付けないといけないね」

 やけに優しい声がアーノルドから聞こえた。
 コイツは俺とは違った意味で荒っぽい。そして無能者には大変シビアだ。

 アーノルドはそのまま後援をしていた者達を一旦起こし、改めて半日の休憩を言い渡すとそれぞれの野営テントに送り出す。

 後援が全てテントに入った途端、水路からまだ海竜の血で濁った水路の水を一区画分全て空間魔法で持ち上げて薄く伸ばし、草原に散らばる酔っぱらい共の上で弾けさせた。

 いくら酔っていたとは言え、この寒空に外で寝転んでいたのだ。
 既に冷え切っていたであろう体に血なまぐさい水路の水をぶっかけられてそこいら中に大の男のものとも思えぬ悲鳴が上がった。

「さあ、皆よく眠れたようですね。とっとと起きて後片付けにかかりなさい。一時間以内に身だしなみを整え集合に来られないものは即刻6ヶ月の減給とします」

 そう言い置いて俺の元に戻って来た。

 その後ろでは男どもがてんやわんやの大騒ぎを繰り広げている。
 いつになくアーノルドの対応が辛辣だ。俺はアーノルドの肩をたたいて声をかける。

「お前、昨日やり損なっただろう」
「あんな青アザ付けてどうやって女を抱けっていうんですか」

 しかめっ面で睨み返された。

 カールスの一人勝ちか。

「まあ、そのうち埋め合わせをしてやろう」

 そう言って俺は二人を引き連れて水門へ向かった。

 思った通り水門は昨日の戦闘の残留物ですっかり塞がっていた。
 まあ、下手に海竜や仙魚の死体が農地に流れ込まなかっただけ良かったと考えるべきだろう。

 死体から流れ出した内臓や血液で水も酷く濁っている。
 目づまりを起こした水門から溢れ出した水は一部森の中に染み出しているようだ。
 余り酷く溢れていないことからも緊急時に渓谷付近の水道橋から溢れる水を渓谷に落とし込む仕掛けが働いているのだろう。

 俺は辟易としながら仙魚が移された生簀も覗いてみる。
 例年に比べれば少し少ないようだがそれでも用意した生簀は全て埋まっていた。

 俺達が様子を見ている所に本営に残っていた副団長の一人がなんとか身繕いを終わらせて合流し、近郊の街からやってきた商人の一隊の到着を告げた。


    ▽▲▽▲▽▲▽


「ですからね仙魚は全て喜んで引き取らして頂きまさぁ。ただ海竜は予定に無かったんすよ。こんなに量があっても捌ききれねぇんですわ」

 そう言って禿頭をボリボリとかくのは商人の一隊を率いてきたここら一帯の商業組合長だ。
 ここ数年ですっかり見覚えの出来た顔だ。

 この親父が決して損得で言っているのではないのだろう事は分かっている。
 なぜなら俺達は海竜の肉に関しては殆ど捨て値で売っぱらおうとしているのだ。

 このまま森の中で海竜の肉の腐敗が進むと次はどんなモンスターを呼び寄せるか分かったもんじゃない。

 それはこの親父も承知の上なのだろう、何とか片付けられないものかと俺達と一緒なって頭を悩ませている。
 何せこれでモンスターが集まってきた日には一番迷惑を被るのはこの周辺の町の住人達なのだ。

「仕方ない。解体だけでも人手を出せないか?」
「そりゃ町の連中に声をかけるくらいはできますがね」
「賃金は出せないが海竜の肉ならいくらでも持ち帰り出来るぞ」
「それでしたらある程度人手は集まりまさぁ。じゃあちょっくら町ぃ周って知らせてきまさぁ」

 出ていったおやじと入れ替わりでカールスが入ってきた。

「総師団長、水門周りの残留物の排除があら方終わりました。そろそろおいで頂けますか?」
「分かった」

 俺はアーノルドに後の交渉を委ねて一旦水門へ向かう。
 毎年最終的にはこの清浄魔術を使って水の浄化を行うのだが今年は過去に例を見ない比類なき汚れっぷりだ。

「清浄魔術が使えるものは全員前へ」

 下位魔法であれば魔力のある者ならばほぼ誰でも使いこなせるが上位魔法になると魔道騎士団内でも得手不得手が出て来る。

 まあ俺に言わせれば浄化のシステムを本能的に理解している者としていない者の違いなのだがそれはコイツラの知るべき所ではない。

 案の定前に進み出したのは普段から清潔を保ち身衣を整えている者ばかりだ。所詮男所体の軍隊だ、その人数はほんの一握りで俺を含め10人に満たない。
 俺以外の全員で水門の上に渡さえた哨戒路に立ち水路を目の前に浄化魔法を発動する。

「総師団長そろそろ限界です」

 やはり今年は師団員だけでは終わらせられなかったか。

 仕方なく俺の浄化魔法を発動する。

 途端、まだ薄黒く濁っていた水が片側から流し込んだように清水の様な色に変色していく。

「おお、流石総師団長の浄化魔法だ。確か3年ぶりか?」
「ああ、3年前はフレイバーン上流の土砂崩れがあって土砂が流れ込んできた時だ」
「やはり総師団長の魔術は別格だな」

 当たり前だ。俺の場合、浄化への理解度がここにいる兵士たちとは違う次元なのだから。

 30分ほどで洗浄を終え水路の水がすっかり綺麗になった所で水門を開き直した。
 この頃には近隣の街の住人が到着し始め、水路のわきや水門の周りから歓声が上がる。

「では手の空いたものから順次海竜の解体に移れ!」

 俺は指示を出してぞろぞろと森の中へ向かう一団を横目に本営のアーノルドのもとへと戻った。
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