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1章 思い出は幻の中に

10 修練は明日への一歩 ― 1 ―

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 結局昨夜は葛藤の末、小汚い毛布にくるまってソファーに丸まって寝た。暖炉の火が殆ど落ちて明け方からの冷え込みで身体が冷えてきて目が覚めた。

 起き上がって見回せばアーロンが横になっていたソファーがいつの間にか空になっている。

 私より早く起きたの?

 気づいて聞き耳を立てても部屋の中どころか屋敷の中には全く人気が感じられない。

 慌てて周りを見回すと庭の方で何か光った気がする。
 ガラス張りの扉の近くに寄るとアーロンの後ろ姿が見えた。

 外で何してるんだろ?

 ガラス張りの扉を開けようとしたが鍵がかかっているようで、ガタガタと音を立ててゆすってみたがどうやっても開かない。
 その音を聞きつけたのか、アーロンが振り返った。

「やっと起きたのか。弟子の癖にいつまで寝てんだ」

 少しむっとした顔でこちらに向かって歩いてくる。

 起き抜けに文句を言われた。

 でも、まあ言われてもしょうがない。
 全ての非常識な契約を除いても、使用人である私がこの屋敷の主人であり、師匠とも呼べるアーロンより遅く起きるのはちょっとこの世界では考えられないほど常識外れだ。

 ただ言わせてもらえば、昨日人生の山と谷を一日で紐なしバンジージャンプした私には睡眠がただ一つの逃げ道だった。
 それでも何とかこの地獄の現実に帰ってきた私を褒めてほしい。

「……申し訳ありません。今すぐ身支度をしてきます」

 そう言ってから、よく考えたら身支度をするような準備は何も持ってきていないことに気が付いた。
 そこから連想ゲームのように、色々と問題が頭に浮かび上がる。

修道院に申請もせず外泊してしまった!

 学校を出て暫く行くあてのなかった私は、いまだ修道院の部屋住みである。

 しかも昨日は面接を終えたら真っすぐ帰る予定だったので、着替えどころか手ぬぐい一つ持っていない。
 とんでもない状態に一瞬で頭を抱えたくなった。

 ガラス張りの扉の所まで来たアーロンに話しかけようとして、ガラス越しで聞こえづらいらしいことに気付く。
 するとアーロンは扉に手をかけ、ブツリと何か一言つぶやいて簡単に鍵を魔法で外して開け放つ。
 気を取り直し、ダメもとで聞いてみる。

「あの、アーロン様、取りあえずどうか一旦修道院に帰らせてください。行先は伝えてありますから皆が心配して捜索しに来ます」

 まあ、たまにいなくなる私をどこまで本当に心配してくれるか分からないが、行先を伝えたのは本当だ。
 このまましばらく姿を消したらさすがに最低限様子を見に誰かよこしてくれるかもしれない。
 そしてあわよくば皆に小言を言われようと罰に食事を抜かれようと、見に来たものに縋り付けばせめてこんな状況から助けてもらえるかも知れない。

 アーロンも忙しい身だ。
 きっと今は私を珍しいおもちゃか変わった野良猫のように閉じ込めて遊ぶつもりかもしれないが、一旦私が目の前からいなくなればそれどころではなくなるだろう。

 私の事など、どうぞ忘れて仕事に戻ってください。

 そう心の中で続けていると、思いがけない答えが返ってきた。

「心配ない。今朝一番で修道院にはお前を引き取るとすでに通達した。お前の身の回りのものは俺が用意する。何も持ち込む必要はない」
「通達って一体何を通達したんですか?!」
「何を言っている? 無論、お前が俺の直属の弟子として採用になり、俺が責任もって王都に連れて行く、とな」
「私、まだここにいます! そんな嘘ばっかり!」
「あんな辛気臭いババーどもにこの辺うろちょろされるとかなわん。王都だろうがここだろうが俺が面倒みることに変わりはない」
「そ、そんな、それじゃ、私の荷物は?」
「勝手に始末するように言い渡した。何やら嬉しそうに買取を呼ぶと言っていたぞ?」
「そ、そんなぁ~!」

 そりゃ確かに数少ない貴重品はいつも持ち歩いてるし、私の私物なんて大したものはなかったけどさ、それでも8年もいて色々愛着のある日常品もあったのに。
 しかも、アーロン直々に通達にいったのでは、だれも私の失踪を疑ったりなどするわけもない。

 ちょっと涙目になっている私などお構いなしにアーロンが続ける。

「取りあえず着替えもろもろ部屋がもう少し片付いてからだな。今持ち込んでも埃だらけになるだけだ。
掃除に必要なものはさっき届いてキッチンに置いてある。水は裏に井戸があるからそこを使え。5分で顔洗って戻って来い」

 横暴な命令に、言い返したい事は山ほどあるけど、結局私が今更何を言ってもアーロンは右から左に聞き流すだけだろう。
 そう分かっていると、言い返す元気もわかない。
 仕方なくすごすごと井戸に顔を洗いに行く。

 井戸の水は凍るように冷たかったが、煮え切っている私の頭を冷やすには丁度いい。
 さっぱりしたのはいいが手ぬぐい一つない。
 ダラダラと水をたらしながら仕方なくそのままキッチンに回るとキッチン・テーブルの上だけ埃一つなく片付いていた。その上にはきちんと折りたたまれた大小の手ぬぐい一式、全く同じ私の着替えが上下数組、エプロン数枚、布きん、雑巾が並び、テーブルの横にはバケツとはたき、大小の箒などが置かれていた。

 これはまた、アーロンの召使さんの手際だろうか?

 ありがとうございます、と、まだ会ったこともない王都の召使さんに心の中でお礼を言って手ぬぐいをまず拝借する。アーロンではないが、これから掃除になるのに、今着替えるのも馬鹿らしい。

 今日はこのまま作業して、せめて数部屋片付いたらそこで着替えよう。

 そんな事を考えていると庭の方からアーロンの叫び声が届く。

「馬鹿弟子! 顔洗うのにいつまでかかってんだ?」
「はい、今行きます」

 慌てて応接室に駆け戻り庭に面したガラス張りのドアから外に出てアーロンの下に向かった。

「これから俺が朝こちらにいる日は俺の日課に合わせてお前の魔術訓練を行う」

 庭に戻った私にアーロンが言い放った思ってもみなかった申し出に、私は一瞬耳を疑った。

 奴隷契約や監禁などのヒドイ契約を交わしたアーロンが、まさか本気で私に魔術を教えてくれる気があるとは思っていなかったのだ。

 完全に騙され、このままここで人知れず朽ち果てるのかと内心諦めていただけに、一気にどん底だった私の心が興奮で上昇していく。

「まずは今のお前の魔力の限界量を見せてもらう。基本魔術を全て順番に最大値で俺に向かって発射してみろ」
「え? だ、大丈夫ですか?」
「構わん。お前程度の魔力は俺の空中に発散させる魔力だけで十分相殺できる」

 そんなこと出来ちゃうんだ。やっぱりケタ違いだな。

 そんなことを考えながら、私は一息吸って深呼吸し、気を引き締めて指先に集中する。

「行きます!」

 そう一言かけて、私は火魔法から順繰りに放出していく。

「ほう、無詠唱か。それは評価できる」

 そうはいったが、それ以外指先一つ動かしているわけでもないのに私の放った魔法は全てアーロンから腕一本程離れた場所で全て霧散してしまう。

 す、すごい。
 こんな簡単に相殺しちゃうなんて。

 確かに私は田舎者のペーペーの魔術師だが、基本魔力量では実は派遣されてきていた魔道教員より既に上に行っていたのだ。
 だからこそ、下積みでもなんでも、まずは魔道騎士団に応募する程度にはうぬぼれていたわけだが。

 無詠唱だって、こんな風に思いっきり放出するだけならいいけどコントロールは全くできない。
 多分、アーロンは今、無詠唱どころか無意識で私の放出量を相殺できる分だけの魔力を発散させている。

 こうやって実力の違いを見せつけられるとさすがにへこむ。

 アーロンはやはり世界随一の魔術師なんだ。
 仕方が無い、これからはちゃんと師匠と呼ばせて貰います。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 一通り基本魔術を放出し終わったところで、私の魔力はほとんど底をつき、軽いめまいと共に息が切れていた。

「どうした、終わりか? まあ、その年だとそんな物か? 仕方ない。まずは魔力量の拡大からだな」

 そう言いながら、アーロンが私の後ろに回り込む。
 私の右手に自分の手を添えながら、私の手を前に突き出して言った。

「俺が流すからそれに合わせろ」

 そう言ってアーロンの流し始めた魔力が私の腕の中を私の魔力を引きずり出しながら一緒に駆けぬける。
 流し込まれる量は私の魔力に合わせてくれているようで決して大量ではないのだが、アーロンの魔力はそれ自体が力強くてもう私には制御できない。指先から先程のように放出し続けているのだが、一部逆流してきている。
 自分じゃない物に侵入される違和感がぞわぞわと腕から這い上がってきた。

「師匠、こっちに流れてきちゃうんですが?」
「それはお前がちゃんと押し出さないからだ。ほら!」

 そう言って、後ろから私を抱きかかえるようにして私の下腹部をもう一本の手で押す。

「ここにしっかり力を込めろ」

 言われるがままにアーロンの手を押し返すように力を込めると、確かに流れがちゃんと外に向かいはじめた。するとアーロンは今度は私の手に添えられていた自分の手を離した。
 先程までアーロンの魔力に引きづられていた私の魔力はそのままの勢いで流れ続けて止まらない。
 とは言っても既にさっき底をついていたのだ、すぐに枯れてきた。

 ここまで魔力を出し尽くした経験が無い私はもう半分アーロンに寄りかかる様にして立っているのが精一杯だ。

「どうした? 勢いが落ちてるぞ」
「もう無理です。魔力がカラカラです」
「まだまだだ」

 そう言ったアーロンは事もあろうに私のお尻を思いっきり叩いた!

「な、なにすんですか!」
「ほら出ただろ」
「へ?」

 言われて見てみれば確かに最後っ屁のような魔力が吹き出した。

 けど、これだけの為に乙女のお尻を触るなんて許せない!

 文句を言ってやろうと身構える私のお尻からパッと手を離しアーロンが私を支えながら話し始めた。

「魔力量を上げられるのは若いうちだけだ。魔力量が上がる時というのは己の魔力が底をつき、危機に際した意識が生存本能を刺激した時だ。これからも毎朝出来る限り一人でも続けてみろ」

 そんなのは屁理屈ですと声が出るなら文句も言いたいがもうヘロヘロで口を開く元気もない。

 それでも一言言ってやりたい!

 心ではそう思いつつもそのまま力尽きてへなへなとその場に崩れ落ちそうになっていた私の身体がふわっと持ち上げられた。
 へ?っと思って目線を上げればアーロンが崩れ落ちた私の身体を優しく抱え込むように跪づき自分の膝に軽く座らせてくれていた。そのまま私の目を覆うように片手をかざしてゆっくりと魔力を注ぎ込んでくれる。

 ふっと目の前がアーロンの大きな手で遮られて暗闇に包まれ、ぶわっと大きな力が体の中に入り込んでくるのが分かった。魔力がカラカラだった私の体がアーロンから与えられる魔力の波に押し流されそうになる。注いでくれている魔力の違いなのか、先程までのようなぞわぞわとする違和感はない。

 なんていうんだろう、この感覚。
 じっくりと染み込むというか、おぼれさせられるというか。
 安心感とも安らぎとも違う、本能的な従属感とでもいうのだろうか。

 私の中にある異物への「抵抗」が呆気なく押し流され、アーロンの魔力でゆっくりと満たされていく。

 半分ほど私の魔力が戻ったところで応接室の窓が中からピカピカと点滅した。
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