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婚姻編
婚姻編1 魔王様から貰ったもの
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「奥方様、朝でございます」
ベッドの天蓋を包むカーテンの横から、メイド長の声が聞こえます。
彼女が薄く開いたカーテンの隙間から、今日もとても明るい朝の日差しが差し込んできました。
「カーティス様、そろそろお帰りくださいませ」
そう言ったのは、私ではなくメイド長です。
はい、カーティスは今日も私の横で寝ています。
私の許可も得ずに。
「なんでまた潜り込んでるのよーー!!!」
「朝からそう大声で叫ぶな。頭に響く」
起き抜けに叫ぶ私の声が部屋に響き、寝ぼけたカーティスが私に追い出されるまでが、ここノーマ家の朝の日課になりました。
メイド長がカーテンを開くと、南西に向いた窓の外には広々とした海と、そしてそこに至るまでの丘陵を埋め尽くす港町の様子が一望に出来ます。
目覚めて最初にみる窓の外の景色がこうも華やかなことに、未だに私は慣れることが出来ません。
ここはカーティスが持つ別邸の一つ、だそうです。
地理的に一体この大陸のどの辺りになるのか、未だに私はよく分かりません。
メイドたちが身の回りを全てこなしてくれるこの朝の支度は、子爵邸にいた頃から変わりませんが、実際に立働く女性たちは皆少し浅黒い肌に薄いお仕着せを着た、この地域の方々です。
「奥様、今日もまたあの同じお洋服をお召しになられるのですか?」
されるがまま、身支度をすすめる私にメイド長が尋ねます。
「ええ、だってあれが私の制服ですもの」
答える私を大変不服そうに見ながら、メイド長が見慣れた薬局のお仕着せを持ってきてくれました。
そして朝のお茶だけを頂いた私は、カーティスを待たずに部屋を出て上階の真ん中の扉へと向かいます。
「では行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
そこでわざわざ見送ってくれる新しいセバスチャンに声をかけて、私はその扉を開きます。
屋敷の上階、私とカーティスの執務室ということになっている、その木製の扉を抜けると。
「ノーラおはよう」
「ああ、おはよう、先にお茶を飲むかい?」
すでにテーブルに座って朝の調薬を始めていたノーラが振り返って返事をしてくれました。
この扉、なぜかその先は、ここ、ノーラの薬局につながっています。
覚えていますか?
以前ノーラの家の中に入ったときにあった、三つの扉のあったあの部屋を。
今私がくぐったのは、その扉の一つです。
あの日、カーティスとの契約を終えた私は、さあ、ノーラの家に部屋をもらおうと思っていたのですが。
それよりも早く、あの部屋に戻ったカーティスに、真っ直ぐあの別荘に連れてこられてしまいました。
「今日からここがお前の家だ。必要なものは何でもそのセバスチャンに言いつけるといい」
当たり前のように宣言するカーティスとニッコリと笑顔で会釈をする年若いセバスチャンに、私は一人度肝を抜かれるはめになりました。
話を総合すると、あの魔法陣から遠く離れることの出来ないカーティスは、あの場所にいろいろな場所への通路を開いているのだそうです。
「俺はともかく、今のノーラは魔力もほぼないからな。こうでもしておかないと、どこにもいけん」
そう言って部屋を案内してくれます。
「じゃあ、ノーラもここに住んでいるの?」
「いや、あいつは俺と住むのはゴメンだと言って、北方の森に庵を建てて、そこをつないで暮らしてる」
ああ、扉はまだ二つあったものね。
そこで気になって聞いてしまいます。
「じゃああと一つ残った扉はどこに繋がってるの?」
私の問にちょっと片眉を上げたカーティスが、
「本当に知りたいか?」
と悪い笑みを浮かべて聞いてくるので、ブンブンと首を振っておきました。
わざわざ知らなくてもいいことに首を突っ込む趣味はございません。
別邸はどうやら同じ大陸とはいえ、全くの別国の海沿いに建っているようです。
別邸のある国では、カーティスは単なる外国の大商人という顔で暮らしてるらしく、お屋敷で働く方々も、そのほとんどがカーティスと私の本当の素性を知りません。
ただ一人、セバスチャンさんを除いては。
「で、お前の寝室なんだが」
「同室はお断りします」
屋敷を周り、上階の大きな扉を通ったところで、やけにニヤついたカーティスが何か言おうとするよりも早く、私は速攻で先回りしてお断りします。
するとクククっと喉で笑ったカーティスが、その大きな扉を素通りして、隣の扉を開けて私を中に入れてくれました。
「ここから見る朝日が一番美しいぞ」
そう言って窓を開くカーティスの後ろから部屋を見れば、そこはまるで私が来ることを事前に知っていて整えたかのように私の自室とよく似た間取りです。
ただ違うのは、調度品が私の部屋のものよりもまた一段と手の混んだものや装飾の美しいものばかり揃えられていて、正直気後れするほどでした。
「そういって部屋を用意してくれたくせに、なんで朝になると勝手に私のベッドで寝てるのかしら」
思い出して思わず文句がこぼれました。
「なに、まだカーティスと別の部屋でくらしてるのかい」
「あ、当たり前でしょ、まだ結婚はしてないんですから!」
私の独り言を聞きつけてからかうノーラに思わず声が大きくなります。
「今日は怪我の膿を減らす薬の調合方法からだったわよね」
それがなんだか恥ずかしくて、急いで後を続け、必要になる薬草や鉱物を取りにいきました。
ノーラは今も魔力がないので、この薬局の薬は全て彼女の知識が作り出すお手製です。ですから私も教えてもらいつつ製薬もお手伝いし始めています。
王城でのゴタゴタと、カーティスとの契約を終えたあれから約ひと月が過ぎ去りました。
一時は一体どうなることかと思いましたが、今日も私はノーラとこの薬局で楽しく働いています。
それはそれは慎ましく、でも毎日が楽しく過ぎていきます……。
まさか、住む場所だけがあんなに全く全然慎ましやかでない場所になるとは思いませんでしたが。
それでも最近は、こことあのお屋敷とを行き来する生活にもすっかり慣れてきました。
そして──
「お姉さま! おはようございます!」
「まあ、ネイサン、今日も来てくれたの?」
「もちろんです、お姉さまのいないお家は寂しくて……」
そう言って、ネイサンが今日の花束を私に差し出してくれました。
そうなんです、あの王城の一件があって私が子爵家を出た後も、毎日のようにネイサンがこの薬局を訪ねてきてくれています。
ネイサンのお土産のお陰で、この寂れた薬局も今では毎日花が絶えません。
ネイサンにもらった花を花瓶にいけて窓辺に飾っていると、今日最初のお客様がいらっしゃいます。
朝は近所のご老人や持病を持ってる患者さんが大半で、ノーラが準備しておいてくれた薬をそれぞれに間違いなく渡していきます。
でも私の本命は主に午後にやってきます。
ご近所の兵舎の皆様は、私がここで働きだしてから競うようにやってきては、分かってか分からずか、素晴らしい筋肉を見せつけてくださいます。
最近ではしっかり口元も締まりを厳しくし、よだれを垂らすこともなく対応できるようになりました。
おかげさまで、夢見た通り、毎日いらっしゃるお客様の顔と筋肉をたっぷり拝見して過ごしています。
ただ一つ誤算だったのは。
「リザ、お前の大切な婚約者様が来てやったぞ」
「ま、また、やったわね!」
そう言って、まるで当たり前の顔で店の扉をくぐって来て私の髪を後ろから引くカーティスに、思わず声が大きくなってしまいます。
あれ以来、あのお屋敷では夕食の席と朝のベッドの上でしかほとんど顔を合わせないカーティスですが、なぜか毎日のようにここへ客として通ってきています。
もう王室お抱えの薬師は廃業したらしく、最近ではすっかり軽装になったカーティスが、薄い中袖のシャツから私好みのしっかり野太い二の腕を存分に見せつけてきます。
しかも、その外腕にはなにをしたのか幾つもの擦過傷が並び、染み出した鮮血がまだ腕を滴り落ちるのを見ていると、思わず自分の頬が熱くなるのを抑えられません。
「ほら、いいのか? お前が診ないなら自分でやるぞ」
「う、うう」
悔しいことに、この悪魔、身体だけはめちゃくちゃ私の好みど真ん中で。
しかも、必ずどこか筋肉がガッツリゴツゴツした部分にたっぷりと血が出る怪我を負ってはここに通ってくるのです。
その傷をまるっきりものともせずに、こうして私に見せつけるカーティスは、簡易治療用の椅子に座って、全く痛がることもなく私が薬を塗る様子を嬉しそうに眺めています。
「お触りしてもいいんだぞ」
「っ!」
とんでもないことを言いながら、血まみれの上腕三頭筋をグイグイ私に押し出してきます。
そうです。
大変困ったことに、このカーティスには私の血まみれ筋肉愛を知られてしまっています。
ただし、あの日、私が思いっきり拒否したせいか、二度と私に無理やり触らせる行為はしていません。
それがちょっと寂しいような……気は絶対してませんから大丈夫です!
「なんせ、俺達は夫婦なんだから遠慮はいらん」
「まだ婚約者です!」
笑うカーティスの声が、一瞬耳元でした気がして、なぜか勝手に身震いが走りました。
なんでしょう、おかしいですね。
そんな私を見るカーティスの目が、さっきまでとは違うなにか熱い色に一瞬輝いた気がして、見直したときにはもう消えてしまいました。
おかしいですね、最近こんなことが時々起きます。
こうして、職場に来るカーティスは、私をからかうだけからかうと、機嫌よく帰って行きます。
だから余計分からないのです。
なぜカーティスが、毎夜毎夜私のベッドに潜り込んでくるのか。
そして、昨夜の彼の言葉の、その真意が。
* * *
至極静かな夕食を一緒に取ったあと、カーティスは必ずどこかへ出かけていきます。
「寝たか?」
そして夜遅くに戻ったカーティスは、私の布団に潜り込む前に必ずこう尋ねます。
最初にこの屋敷に来てからしばらく、カーティスは確かに自分の寝室でも寝ていましたが、数日に一度、真夜中過ぎのこれくらいの時間に、私のベッドに忍び込むようになりました。
最初は気づかず、朝起きて勝手に入り込んでいるカーティスに怒鳴り散らすのを繰り返しましたが、今ではすっかり常習犯になってしまっています。
自分の大きな寝室があるのに、私に怒られるの承知でわざわざ私の隣で寝る必要はないと思うのですが……。
最初は本当にまた悪ふざけかとも思いましたが、朝出ていくカーティスは、全く反論もしなければおかしなことをしてくるわけでもなく、どちらかといえばムスッとして出ていくのです。
ですから、夜這いというような雰囲気でもなく、かと言って間違えて来るはずもなく。
流石にこれが何度も続けば、嫌でもカーティスが訪れたときに目が覚めてしまうこともあります。
そして、私が反応を返さないのを確認してから、半覚醒でうとうとしている私の横に寝そべって、必ず優しく私の頭を撫で始めるのです……。
最初は、あのカーティスがなんで私にこんなことをするのか不気味で戸惑いましたが、どうやら本気で私を心配しての行動らしく、なにをするわけでもなく、ただ、
「……本当にこれでお前は幸せか」
などとたまにそんなことを呟いて、しばらくすると寝てしまいます。
これは悪魔の契約更新行為か何かなのでしょうか?
実は私、あれから結構考えまして。
一応婚約者ですし、そのうち本気で結婚するつもりのようですし、正直、いつこの悪魔に襲われても仕方ないと覚悟してはいるのです。
前世ではR18コンテンツも充分楽しんでいましたから、全く免疫がないわけじゃありません。
そして、自分の実力では、この世界で一人だけで生きていくのは厳しかろうと、王城で言い渡されたときに痛感してしまったのです。
あの日、カーティスが私をここに連れてきてくれた時、実は内心かなりホッとしていました。
だって私、このリザとして育つ間にすっかり甘やかされて、令嬢扱いが身に染みついてしまっているのです。
使用人に助けてもらわずに服を着るのさえ億劫で……いえ、出来なくはないけれども、自信がないのです。
こうなってみると、カーティスは私が求めていた物どころか、本当に必要だった物を全て、当たり前のように与えてくれています。
しかも性格には難がありますが、筋肉だけは私のモロ好み。
普通のトキメキだの愛だのを求められても困りますが、単に夫婦の営みを要求されるのであれば、カーティスが相手ならば、いつか気が向いたらそんなことになっても、ある程度は、きっと、多分、受け入れられないこともないかも、なんて……。
いえ、全てはカーティスが本気でそんなことをしてくるならば、の仮定のお話です。
ですから、カーティスの行為に特に悪意を感じないこともあって、この程度なら気にすることもないかと知らんぷりしていたのですが。
昨夜の晩。
月明かりの下、いつものように私の頭をなでていたカーティスが手を止めて、
「もう俺に笑ってはくれぬのか」
消えそうな声で、思いもかけない独り言をこぼしました。
え?
なんでカーティスがそんな事を気にするのでしょうか?
耳を疑うその言葉は、それっきり紡がれず、ですがゆっくりとカーティスの気配が近づいてきて。
そして微かに、本当に微かに、何かが私の額に触れました。
薄く掠るような、本当にささやかなその感触に、突然私の全身が熱を帯び、抑えようもなく自分の鼓動が音を立てて耳にこだまし始めます。
な、な、な、なに?
今のはなに?
なんでいつもからかう以外私に興味もなさそうなカーティスが、な、な、なんでそんなキスしてくるの?
あまりにも意外過ぎて、反応することもできません。
そしてこの時、即座に反応しなかった自分を、私はこの後でたっぷり後悔するのです。
なぜなら、この日から始まるカーティスの行動を、私はずっと分からないフリで通すしかなくなってしまったのですから。
ベッドの天蓋を包むカーテンの横から、メイド長の声が聞こえます。
彼女が薄く開いたカーテンの隙間から、今日もとても明るい朝の日差しが差し込んできました。
「カーティス様、そろそろお帰りくださいませ」
そう言ったのは、私ではなくメイド長です。
はい、カーティスは今日も私の横で寝ています。
私の許可も得ずに。
「なんでまた潜り込んでるのよーー!!!」
「朝からそう大声で叫ぶな。頭に響く」
起き抜けに叫ぶ私の声が部屋に響き、寝ぼけたカーティスが私に追い出されるまでが、ここノーマ家の朝の日課になりました。
メイド長がカーテンを開くと、南西に向いた窓の外には広々とした海と、そしてそこに至るまでの丘陵を埋め尽くす港町の様子が一望に出来ます。
目覚めて最初にみる窓の外の景色がこうも華やかなことに、未だに私は慣れることが出来ません。
ここはカーティスが持つ別邸の一つ、だそうです。
地理的に一体この大陸のどの辺りになるのか、未だに私はよく分かりません。
メイドたちが身の回りを全てこなしてくれるこの朝の支度は、子爵邸にいた頃から変わりませんが、実際に立働く女性たちは皆少し浅黒い肌に薄いお仕着せを着た、この地域の方々です。
「奥様、今日もまたあの同じお洋服をお召しになられるのですか?」
されるがまま、身支度をすすめる私にメイド長が尋ねます。
「ええ、だってあれが私の制服ですもの」
答える私を大変不服そうに見ながら、メイド長が見慣れた薬局のお仕着せを持ってきてくれました。
そして朝のお茶だけを頂いた私は、カーティスを待たずに部屋を出て上階の真ん中の扉へと向かいます。
「では行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
そこでわざわざ見送ってくれる新しいセバスチャンに声をかけて、私はその扉を開きます。
屋敷の上階、私とカーティスの執務室ということになっている、その木製の扉を抜けると。
「ノーラおはよう」
「ああ、おはよう、先にお茶を飲むかい?」
すでにテーブルに座って朝の調薬を始めていたノーラが振り返って返事をしてくれました。
この扉、なぜかその先は、ここ、ノーラの薬局につながっています。
覚えていますか?
以前ノーラの家の中に入ったときにあった、三つの扉のあったあの部屋を。
今私がくぐったのは、その扉の一つです。
あの日、カーティスとの契約を終えた私は、さあ、ノーラの家に部屋をもらおうと思っていたのですが。
それよりも早く、あの部屋に戻ったカーティスに、真っ直ぐあの別荘に連れてこられてしまいました。
「今日からここがお前の家だ。必要なものは何でもそのセバスチャンに言いつけるといい」
当たり前のように宣言するカーティスとニッコリと笑顔で会釈をする年若いセバスチャンに、私は一人度肝を抜かれるはめになりました。
話を総合すると、あの魔法陣から遠く離れることの出来ないカーティスは、あの場所にいろいろな場所への通路を開いているのだそうです。
「俺はともかく、今のノーラは魔力もほぼないからな。こうでもしておかないと、どこにもいけん」
そう言って部屋を案内してくれます。
「じゃあ、ノーラもここに住んでいるの?」
「いや、あいつは俺と住むのはゴメンだと言って、北方の森に庵を建てて、そこをつないで暮らしてる」
ああ、扉はまだ二つあったものね。
そこで気になって聞いてしまいます。
「じゃああと一つ残った扉はどこに繋がってるの?」
私の問にちょっと片眉を上げたカーティスが、
「本当に知りたいか?」
と悪い笑みを浮かべて聞いてくるので、ブンブンと首を振っておきました。
わざわざ知らなくてもいいことに首を突っ込む趣味はございません。
別邸はどうやら同じ大陸とはいえ、全くの別国の海沿いに建っているようです。
別邸のある国では、カーティスは単なる外国の大商人という顔で暮らしてるらしく、お屋敷で働く方々も、そのほとんどがカーティスと私の本当の素性を知りません。
ただ一人、セバスチャンさんを除いては。
「で、お前の寝室なんだが」
「同室はお断りします」
屋敷を周り、上階の大きな扉を通ったところで、やけにニヤついたカーティスが何か言おうとするよりも早く、私は速攻で先回りしてお断りします。
するとクククっと喉で笑ったカーティスが、その大きな扉を素通りして、隣の扉を開けて私を中に入れてくれました。
「ここから見る朝日が一番美しいぞ」
そう言って窓を開くカーティスの後ろから部屋を見れば、そこはまるで私が来ることを事前に知っていて整えたかのように私の自室とよく似た間取りです。
ただ違うのは、調度品が私の部屋のものよりもまた一段と手の混んだものや装飾の美しいものばかり揃えられていて、正直気後れするほどでした。
「そういって部屋を用意してくれたくせに、なんで朝になると勝手に私のベッドで寝てるのかしら」
思い出して思わず文句がこぼれました。
「なに、まだカーティスと別の部屋でくらしてるのかい」
「あ、当たり前でしょ、まだ結婚はしてないんですから!」
私の独り言を聞きつけてからかうノーラに思わず声が大きくなります。
「今日は怪我の膿を減らす薬の調合方法からだったわよね」
それがなんだか恥ずかしくて、急いで後を続け、必要になる薬草や鉱物を取りにいきました。
ノーラは今も魔力がないので、この薬局の薬は全て彼女の知識が作り出すお手製です。ですから私も教えてもらいつつ製薬もお手伝いし始めています。
王城でのゴタゴタと、カーティスとの契約を終えたあれから約ひと月が過ぎ去りました。
一時は一体どうなることかと思いましたが、今日も私はノーラとこの薬局で楽しく働いています。
それはそれは慎ましく、でも毎日が楽しく過ぎていきます……。
まさか、住む場所だけがあんなに全く全然慎ましやかでない場所になるとは思いませんでしたが。
それでも最近は、こことあのお屋敷とを行き来する生活にもすっかり慣れてきました。
そして──
「お姉さま! おはようございます!」
「まあ、ネイサン、今日も来てくれたの?」
「もちろんです、お姉さまのいないお家は寂しくて……」
そう言って、ネイサンが今日の花束を私に差し出してくれました。
そうなんです、あの王城の一件があって私が子爵家を出た後も、毎日のようにネイサンがこの薬局を訪ねてきてくれています。
ネイサンのお土産のお陰で、この寂れた薬局も今では毎日花が絶えません。
ネイサンにもらった花を花瓶にいけて窓辺に飾っていると、今日最初のお客様がいらっしゃいます。
朝は近所のご老人や持病を持ってる患者さんが大半で、ノーラが準備しておいてくれた薬をそれぞれに間違いなく渡していきます。
でも私の本命は主に午後にやってきます。
ご近所の兵舎の皆様は、私がここで働きだしてから競うようにやってきては、分かってか分からずか、素晴らしい筋肉を見せつけてくださいます。
最近ではしっかり口元も締まりを厳しくし、よだれを垂らすこともなく対応できるようになりました。
おかげさまで、夢見た通り、毎日いらっしゃるお客様の顔と筋肉をたっぷり拝見して過ごしています。
ただ一つ誤算だったのは。
「リザ、お前の大切な婚約者様が来てやったぞ」
「ま、また、やったわね!」
そう言って、まるで当たり前の顔で店の扉をくぐって来て私の髪を後ろから引くカーティスに、思わず声が大きくなってしまいます。
あれ以来、あのお屋敷では夕食の席と朝のベッドの上でしかほとんど顔を合わせないカーティスですが、なぜか毎日のようにここへ客として通ってきています。
もう王室お抱えの薬師は廃業したらしく、最近ではすっかり軽装になったカーティスが、薄い中袖のシャツから私好みのしっかり野太い二の腕を存分に見せつけてきます。
しかも、その外腕にはなにをしたのか幾つもの擦過傷が並び、染み出した鮮血がまだ腕を滴り落ちるのを見ていると、思わず自分の頬が熱くなるのを抑えられません。
「ほら、いいのか? お前が診ないなら自分でやるぞ」
「う、うう」
悔しいことに、この悪魔、身体だけはめちゃくちゃ私の好みど真ん中で。
しかも、必ずどこか筋肉がガッツリゴツゴツした部分にたっぷりと血が出る怪我を負ってはここに通ってくるのです。
その傷をまるっきりものともせずに、こうして私に見せつけるカーティスは、簡易治療用の椅子に座って、全く痛がることもなく私が薬を塗る様子を嬉しそうに眺めています。
「お触りしてもいいんだぞ」
「っ!」
とんでもないことを言いながら、血まみれの上腕三頭筋をグイグイ私に押し出してきます。
そうです。
大変困ったことに、このカーティスには私の血まみれ筋肉愛を知られてしまっています。
ただし、あの日、私が思いっきり拒否したせいか、二度と私に無理やり触らせる行為はしていません。
それがちょっと寂しいような……気は絶対してませんから大丈夫です!
「なんせ、俺達は夫婦なんだから遠慮はいらん」
「まだ婚約者です!」
笑うカーティスの声が、一瞬耳元でした気がして、なぜか勝手に身震いが走りました。
なんでしょう、おかしいですね。
そんな私を見るカーティスの目が、さっきまでとは違うなにか熱い色に一瞬輝いた気がして、見直したときにはもう消えてしまいました。
おかしいですね、最近こんなことが時々起きます。
こうして、職場に来るカーティスは、私をからかうだけからかうと、機嫌よく帰って行きます。
だから余計分からないのです。
なぜカーティスが、毎夜毎夜私のベッドに潜り込んでくるのか。
そして、昨夜の彼の言葉の、その真意が。
* * *
至極静かな夕食を一緒に取ったあと、カーティスは必ずどこかへ出かけていきます。
「寝たか?」
そして夜遅くに戻ったカーティスは、私の布団に潜り込む前に必ずこう尋ねます。
最初にこの屋敷に来てからしばらく、カーティスは確かに自分の寝室でも寝ていましたが、数日に一度、真夜中過ぎのこれくらいの時間に、私のベッドに忍び込むようになりました。
最初は気づかず、朝起きて勝手に入り込んでいるカーティスに怒鳴り散らすのを繰り返しましたが、今ではすっかり常習犯になってしまっています。
自分の大きな寝室があるのに、私に怒られるの承知でわざわざ私の隣で寝る必要はないと思うのですが……。
最初は本当にまた悪ふざけかとも思いましたが、朝出ていくカーティスは、全く反論もしなければおかしなことをしてくるわけでもなく、どちらかといえばムスッとして出ていくのです。
ですから、夜這いというような雰囲気でもなく、かと言って間違えて来るはずもなく。
流石にこれが何度も続けば、嫌でもカーティスが訪れたときに目が覚めてしまうこともあります。
そして、私が反応を返さないのを確認してから、半覚醒でうとうとしている私の横に寝そべって、必ず優しく私の頭を撫で始めるのです……。
最初は、あのカーティスがなんで私にこんなことをするのか不気味で戸惑いましたが、どうやら本気で私を心配しての行動らしく、なにをするわけでもなく、ただ、
「……本当にこれでお前は幸せか」
などとたまにそんなことを呟いて、しばらくすると寝てしまいます。
これは悪魔の契約更新行為か何かなのでしょうか?
実は私、あれから結構考えまして。
一応婚約者ですし、そのうち本気で結婚するつもりのようですし、正直、いつこの悪魔に襲われても仕方ないと覚悟してはいるのです。
前世ではR18コンテンツも充分楽しんでいましたから、全く免疫がないわけじゃありません。
そして、自分の実力では、この世界で一人だけで生きていくのは厳しかろうと、王城で言い渡されたときに痛感してしまったのです。
あの日、カーティスが私をここに連れてきてくれた時、実は内心かなりホッとしていました。
だって私、このリザとして育つ間にすっかり甘やかされて、令嬢扱いが身に染みついてしまっているのです。
使用人に助けてもらわずに服を着るのさえ億劫で……いえ、出来なくはないけれども、自信がないのです。
こうなってみると、カーティスは私が求めていた物どころか、本当に必要だった物を全て、当たり前のように与えてくれています。
しかも性格には難がありますが、筋肉だけは私のモロ好み。
普通のトキメキだの愛だのを求められても困りますが、単に夫婦の営みを要求されるのであれば、カーティスが相手ならば、いつか気が向いたらそんなことになっても、ある程度は、きっと、多分、受け入れられないこともないかも、なんて……。
いえ、全てはカーティスが本気でそんなことをしてくるならば、の仮定のお話です。
ですから、カーティスの行為に特に悪意を感じないこともあって、この程度なら気にすることもないかと知らんぷりしていたのですが。
昨夜の晩。
月明かりの下、いつものように私の頭をなでていたカーティスが手を止めて、
「もう俺に笑ってはくれぬのか」
消えそうな声で、思いもかけない独り言をこぼしました。
え?
なんでカーティスがそんな事を気にするのでしょうか?
耳を疑うその言葉は、それっきり紡がれず、ですがゆっくりとカーティスの気配が近づいてきて。
そして微かに、本当に微かに、何かが私の額に触れました。
薄く掠るような、本当にささやかなその感触に、突然私の全身が熱を帯び、抑えようもなく自分の鼓動が音を立てて耳にこだまし始めます。
な、な、な、なに?
今のはなに?
なんでいつもからかう以外私に興味もなさそうなカーティスが、な、な、なんでそんなキスしてくるの?
あまりにも意外過ぎて、反応することもできません。
そしてこの時、即座に反応しなかった自分を、私はこの後でたっぷり後悔するのです。
なぜなら、この日から始まるカーティスの行動を、私はずっと分からないフリで通すしかなくなってしまったのですから。
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Twitter:こみあ(@komia_komia)
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