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第3章 覚醒
覚醒 ― 2 ― ☆※
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「アーロン様、アエリア様がご気分が優れないと言うことでピエール殿下が下の救護室にお連れするとおっしゃっています」
さっきまでアエリアの座っていた席に目を向けたがそこに彼女の姿はすでになく、かろうじてピエールに肩を支えられながら部屋を出ていこうとしている彼女の後姿が目に入った。いくら何でもそれを見過ごしにはできない。ピエールが席を立っていることにも気付かなかった自分に舌打ちせずにはいられない。
ピエールが何かにつけて俺にばかりかまい続けるので、この席に着いてからもそれを妬むピエールの側近たちにあの手この手で絡まれ続けてた。それを一人一人理由を付けては酒を飲ませ、どうにかいなし回っていたが、やはりそれに気を取られ過ぎてアエリアに気が回ってなかった。
内心焦りながらも、もうほとんど酔いつぶれてる連中に離席の挨拶を手早く済ませ、早足に席を離れる。会場内をなるべく目立たないように抜けた時にはアエリアの姿は階下に消えていた。
まずい、見失ったか。
急いで階段を降りれば廊下の先で部屋に入りながらピエールにお礼を言っているアエリアの姿が目に入った。紳士的に一礼して彼女の手の甲に形だけのキスを残しこちらに戻って来たピエールは、今気づいたと言うようにわざとらしい笑顔を作って段上の俺の顔を見あげた。
「アーロン、君の大切な婚約者殿はちゃんと救護室に届けたよ。もう少し彼女の顔色を気遣ってあげたほうがいいね」
誰のせいで目を離したと思ってやがる。何事も無かった様子に内心ホッとしながらもこの男に言われたことにはカチンと来た。
そんな不機嫌はおくびにも出さずに笑顔で挨拶を返す。
「殿下のように女性を気遣えるよう精進いたします」
スッと視線を外して通り過ぎようとする俺の手を掴んでピエールが言葉を続けた。
「熟れきった果実はあまり放って置かないほうがいい。匂いにつられた誰にかに味見されないようにね」
グラリと腸が煮えた。
一瞬思いがけず殺気が漏れる。
いくら馬鹿でも流石に何かしら感じたのだろう、ピエールは少し顔を青くして俺の手をパッと離して階段を駆けあがっていった。
俺はそれを見届けて今アエリアの入っていった部屋に向かう。
扉を開ける時微かな魔力を感じた。設錠の魔法だろう。このような屋敷の部屋には必ず付けられている。それを割って中に入る。扉を開けるとムンと花の甘い香りが漂ってきた。
「師匠……」
薄暗いランプの明かりの下、声の先にはドレスを脱ぎ捨て、首輪だけ残して何も身につけていない全裸のアエリアが立っていた。
息が詰まり、声が出ない。
一気に頭に血がのぼって頭がクラクラする。
目の前には霞がかかったような不確かな光景。
ある筈のない幻想。
一糸纏わぬ姿に俺の首輪だけが残っているのが余計欲望を駆り立てる。
アエリアはゆっくりと俺に腕を伸ばす。
「師匠……来て……」
俺はアエリアの言葉に操られるように一歩踏み出した。
何が起きているんだ?
何でアエリアが俺を求めるんだ?
何で俺はそれに従っているんだ?
だが一歩踏み出すごとにアエリアから漂う蜜のように甘い香りにやがて俺の中の疑問は形すら留めなくなっていく。
アエリアに触れたい。
アエリアを抱きしめたい。
この腕に包み込んで抱きしだいて抱き潰したい。
その柔らかい肌をくまなく舐めて俺の匂いを染み込ませたい。
かぶりついて、嚙み切って、ぶち込んで、ぶち破って……
凶暴な欲望があとからあとから溢れ出てくる。
理性はどこにもいなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
しばらくすると上で奏でられていた音楽が小さくなり、人々の笑い声も少しずつ遠ざかって行った。誰も私が会場にいないことに気付かないらしい。アーロンやアーノルドさんでもあの女の擬態に気づけないのだろう。私が自分で見ても鏡か等身大のビデオでも見ているかのようにそっくりだった。
しばらくするとお腹の傷はやっぱり血がほとんど出なくなっていた。足の甲も動かさないようにしていれば対して漏れ出さない。ただ飲まされた薬のお陰で痛みがない分、時々気付かずに動かしてしまう。
いっそ固定魔法でもかけてみようかな。そう思いついた私は、身体の内側から染み出させるように固定魔法を発動させた。
お、出来た! これでその内こちらも血が止まるかもしれない、と思ったらピタリと出血が止まった。
そっか、固定魔法が血液にまで効いたんだ。っと考えてすぐにゾッとする。
ちょっと待って、それやばくない? 血液が循環しなくなったら壊死しちゃうんじゃなかったっけ??
見るとみるみるうちに足首から下が青くなってくる。うわ、すごい余計なことしちゃった!
慌てて固定魔法を解く。私の内側からかける固定魔法はとっても危険なことが判明。これは封印しよう。仕方ないので私はさっきっから続けている作業に戻る。
実は私、さっきっから首の後ろに熱魔法を一点集中でかけ続けている。今は痛みがないからいいけど、結構な高温でかけているのであとで酷い火傷に苦しみそうだ。
いいもん、きっと抜け出して師匠に治癒魔法かけてもらうんだから。
自分の肌を犠牲にして何をしているかと言うと。首の後ろに当たっている首輪の留め金を壊そうとしているのだ。
私の今の魔力では首輪の革も私を縛りあげている縄も焼ききれないのが分かった。首輪の革の部分は何か細工がされてるみたいで私の魔力は全く聞かなかった。縄は焼こうとすると魔力が霧散して結局睡蓮に座れてしまう。
そこで肌に接している細い銀細工の留金を溶かしてまずはこの首輪を外したいのだ。これさえ外せば多分一発勝負で縄を焼ききれると思う。あの睡蓮を燃やすのでもいい。今出せる中級程度の火力では全て睡蓮に吸われてしまうのだ。
ただ、痛みがないせいでどのくらいまで熱を自分の肌に放出させればいいのか分からない。しかも首輪のせいで魔力の出力も制限されている。だからさっきっから一点、本当にシャープペンの芯の先のように小さな一点を思い浮かべて熱し続けているのだがやっぱりちょっと怖くて一気に出力が上げられない。だって放出を始めると肉の焼ける美味しそうな匂いが漂うのだ。これが自分の肌がこんがり焼ける匂いだと思うと吐き気がする。
しかもさっきっからやっと少し溶け出した銀が首筋の肌にくっついた気がする。見えなくともとんでもなく酷いことになっている気がして肝が冷えてしまうのだ。
その恐怖を押し殺して作業を再開する。
他にも手はあるのかもしれないけど私には思いつかない。そして私は悩まない。馬鹿な私は一つのことにしか集中出来ないのをよく知っている。だから迷わず作業を続けるしかない。だけど私が再度魔力を出したところで、突然扉が開かれた。
「アーロン様をしばらく引き止めて下さる? 準備を終わらせたいのよ」
「いいでしょう。我々の成功のために」
「いらしたわ……それではピエール殿下、ありがとうございました」
「当然のことをしたまでです。それでは後ほど」
入り口で囁き合う声が聞こえた。すぐに扉が閉まって『私』が入ってくる。『私』はベッドの横で素早く着ていたドレスを器用に全て脱ぎ去り、コルセットやガーターも慣れた手つきで軽々外していく。下着は最初から着けていなかったようだ。全裸になり、カーテンの隙間からこちらに歩み寄る。私の足元の桶に跪き、自分の指先に私の血を掬っては自分の身体のあちこちに塗りつけた。
すると一瞬赤く跡を残した私の血液が吸い込まれるように付いた端から消えていってしまう。
「これでアーロン様は私を愛さずにはいられなくなるわ」
立ちあがった『私』は私の知らない艶妖な笑みを浮かべる。私に化けて私の血を塗り付けたからってアーロンが『私』を愛したりするはずがない。師匠にとって私は単なる愛玩動物のようなものなのだから……
「信じられないって顔ね。すぐに分かるわ」
そう言って『私』の顔をした彼女はまたカーテンの隙間から反対側に抜けて、ベッドの前に立って静かに俯く。すぐに扉が再び開き、アーロンが顔を覗かせた。
師匠!
声が出ないのも忘れて思いっきり叫ぶ。でもアーロンは無論何も気づかず、一歩前に踏み出した。そのアーロンの横顔を見て胸の中が燃えあがる。アーロンは息を呑み、熱い眼差しで目の前の『私』を見つめていた。
私、今まであんな顔のアーロンを見たことない。
「師匠……来て……」
『私』が腕を差し出して私の知らない『私』の艶めいた声で呼べばアーロンは途端欲情に顔を歪め、酔ったような蕩けた眼差しで『私』の裸体を見詰めながらフラフラと歩み寄る。
アーロンは恍惚とした表情で『私』を見つめ、私の目の前で『私』の前に跪いて臍からタップリとした乳房まで舐めあげ彼女の乳房に齧り付いた。『私』の白い腕がアーロンの頭を抱え込む。
「アアァン、師匠、もっと……」
私の知らない『私』の声で嬌声を上げる。彼女の声に私の胸の中に激しい怒りとドス黒い感情が湧きあがり渦を巻き始めた。知らず知らずのうちに髪が逆立ってくる。今まで感じたことのない輝くような純粋な怒りと胸焦がすような黒い感情が私の全身を焼き尽くす。
と、突然アーロンが動きを止めた。見る見る内に顔色が青くなる。
私、許せない。
許さない。
こんなの絶対絶対許さない。
ピンと立った意識をスッと首の後ろに向けるとおかしい程簡単に首輪の止め金が弾け飛んだ。途端魔力が全身を駆け巡り肌が発光し始める。まるであの鍾乳洞で見たアーロンのようだ。
足に刺さったダガーナイフを見下ろす。スッと意識しただけで足から押し出されるようにナイフが抜け落ちた。
自分を戒めている縄を見る。見ただけで消し炭のようになりすぐに白い灰になって崩れ去った。
身体が一瞬宙に浮いてゆっくりと地面に降り立つ。痛みはどこにもない。
カーテンが勝手に開く。アーロンが私を見て目を丸くするのが目の端に捉えられた。
その前で『私』の姿の彼女が私に目を向けてガタガタと音を立てて恐怖に震えながら硬直していた。
殺せ。
あれを殺せ。
あれは敵。
敵は殺せ。
勝利を掴め。
私は「正義」。
歯向かうものは全て薙ぎ払え。
耳の中で何かが私に囁きかける。
それは『正しい』何か。
『絶対』な何か。
私は手を伸ばし戦闘魔法を詠唱し始めた。
「アエリア、押さえつけろ! 意識を手放すな!」
アーロンの声が聞こえる。でも私は詠唱を終え、冷静に狙いを定めてアーロンを抱き寄せていた『私』の片腕を切り落とす。
「ギャァァァ!」
スパッと切り落とされた二の腕の先から血飛沫が上がった。じきに出血は勢いを落としてダラダラと流れ落ちるだけになる。床に落ちた腕の切り口から白い骨が少しだけ飛び出している。
オークやあのあと戦ったトロールに比べて格段に綺麗な赤い血とピンクの筋肉。皮も薄くて簡単に破ける。
勿体ない。オークのご飯にあげたいな。そんな気持ちが湧きあがる。
その間も『私』は狂ったように悲鳴を上げながらその場に座り込んで、今落とされた自分の腕に震えながら手を伸ばしている。その光景と彼女の悲鳴が私の中にある炎の燃料になって余計強く燃えあがる。
次は反対の腕。そして最後はお腹を切り裂いてオークたちのように腸を引き摺って歩かせる。
どこまで意識を保ってくれるだろう。どこまで私を楽しませてくれるだろう。
「アエリア!」
アーロンの声がどこかでする気がする。
アーロンがいた気がする。
アーロンはここに来て何をしたんだっけ?
アーロンはそう、『私』の胸に齧り付いていた。
じゃあ、あの胸も切り落とさなくっちゃ。
「アエリア、しっかりしろ。自分を手放すな」
ふと何かが私に抱きついた。
温かい。
懐かしい匂い。
アーロンの匂い。
アーロンの顔。
アーロンの声。
「アーロン……師匠?」
アーロンが泣いてる。恐怖で顔を真っ青にして私を見ている。
怖いのは私?
怖いのは……
ゾッとした。私、今何したっけ?
「アエリア、駄目だ見るな」
アーロンが私の目を覆う直前。私は自分の行動の結果の惨状をしっかりと目に焼き付けた。
両腕を失い、2つの乳房のあった場所に大きな赤い穴が開き、ダラリと腸をだらしなく左右にこぼして血まみれでビクビクと小さい痙攣を繰り返している死にかけの『私』の身体を。
意識が飛んだ。
さっきまでアエリアの座っていた席に目を向けたがそこに彼女の姿はすでになく、かろうじてピエールに肩を支えられながら部屋を出ていこうとしている彼女の後姿が目に入った。いくら何でもそれを見過ごしにはできない。ピエールが席を立っていることにも気付かなかった自分に舌打ちせずにはいられない。
ピエールが何かにつけて俺にばかりかまい続けるので、この席に着いてからもそれを妬むピエールの側近たちにあの手この手で絡まれ続けてた。それを一人一人理由を付けては酒を飲ませ、どうにかいなし回っていたが、やはりそれに気を取られ過ぎてアエリアに気が回ってなかった。
内心焦りながらも、もうほとんど酔いつぶれてる連中に離席の挨拶を手早く済ませ、早足に席を離れる。会場内をなるべく目立たないように抜けた時にはアエリアの姿は階下に消えていた。
まずい、見失ったか。
急いで階段を降りれば廊下の先で部屋に入りながらピエールにお礼を言っているアエリアの姿が目に入った。紳士的に一礼して彼女の手の甲に形だけのキスを残しこちらに戻って来たピエールは、今気づいたと言うようにわざとらしい笑顔を作って段上の俺の顔を見あげた。
「アーロン、君の大切な婚約者殿はちゃんと救護室に届けたよ。もう少し彼女の顔色を気遣ってあげたほうがいいね」
誰のせいで目を離したと思ってやがる。何事も無かった様子に内心ホッとしながらもこの男に言われたことにはカチンと来た。
そんな不機嫌はおくびにも出さずに笑顔で挨拶を返す。
「殿下のように女性を気遣えるよう精進いたします」
スッと視線を外して通り過ぎようとする俺の手を掴んでピエールが言葉を続けた。
「熟れきった果実はあまり放って置かないほうがいい。匂いにつられた誰にかに味見されないようにね」
グラリと腸が煮えた。
一瞬思いがけず殺気が漏れる。
いくら馬鹿でも流石に何かしら感じたのだろう、ピエールは少し顔を青くして俺の手をパッと離して階段を駆けあがっていった。
俺はそれを見届けて今アエリアの入っていった部屋に向かう。
扉を開ける時微かな魔力を感じた。設錠の魔法だろう。このような屋敷の部屋には必ず付けられている。それを割って中に入る。扉を開けるとムンと花の甘い香りが漂ってきた。
「師匠……」
薄暗いランプの明かりの下、声の先にはドレスを脱ぎ捨て、首輪だけ残して何も身につけていない全裸のアエリアが立っていた。
息が詰まり、声が出ない。
一気に頭に血がのぼって頭がクラクラする。
目の前には霞がかかったような不確かな光景。
ある筈のない幻想。
一糸纏わぬ姿に俺の首輪だけが残っているのが余計欲望を駆り立てる。
アエリアはゆっくりと俺に腕を伸ばす。
「師匠……来て……」
俺はアエリアの言葉に操られるように一歩踏み出した。
何が起きているんだ?
何でアエリアが俺を求めるんだ?
何で俺はそれに従っているんだ?
だが一歩踏み出すごとにアエリアから漂う蜜のように甘い香りにやがて俺の中の疑問は形すら留めなくなっていく。
アエリアに触れたい。
アエリアを抱きしめたい。
この腕に包み込んで抱きしだいて抱き潰したい。
その柔らかい肌をくまなく舐めて俺の匂いを染み込ませたい。
かぶりついて、嚙み切って、ぶち込んで、ぶち破って……
凶暴な欲望があとからあとから溢れ出てくる。
理性はどこにもいなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
しばらくすると上で奏でられていた音楽が小さくなり、人々の笑い声も少しずつ遠ざかって行った。誰も私が会場にいないことに気付かないらしい。アーロンやアーノルドさんでもあの女の擬態に気づけないのだろう。私が自分で見ても鏡か等身大のビデオでも見ているかのようにそっくりだった。
しばらくするとお腹の傷はやっぱり血がほとんど出なくなっていた。足の甲も動かさないようにしていれば対して漏れ出さない。ただ飲まされた薬のお陰で痛みがない分、時々気付かずに動かしてしまう。
いっそ固定魔法でもかけてみようかな。そう思いついた私は、身体の内側から染み出させるように固定魔法を発動させた。
お、出来た! これでその内こちらも血が止まるかもしれない、と思ったらピタリと出血が止まった。
そっか、固定魔法が血液にまで効いたんだ。っと考えてすぐにゾッとする。
ちょっと待って、それやばくない? 血液が循環しなくなったら壊死しちゃうんじゃなかったっけ??
見るとみるみるうちに足首から下が青くなってくる。うわ、すごい余計なことしちゃった!
慌てて固定魔法を解く。私の内側からかける固定魔法はとっても危険なことが判明。これは封印しよう。仕方ないので私はさっきっから続けている作業に戻る。
実は私、さっきっから首の後ろに熱魔法を一点集中でかけ続けている。今は痛みがないからいいけど、結構な高温でかけているのであとで酷い火傷に苦しみそうだ。
いいもん、きっと抜け出して師匠に治癒魔法かけてもらうんだから。
自分の肌を犠牲にして何をしているかと言うと。首の後ろに当たっている首輪の留め金を壊そうとしているのだ。
私の今の魔力では首輪の革も私を縛りあげている縄も焼ききれないのが分かった。首輪の革の部分は何か細工がされてるみたいで私の魔力は全く聞かなかった。縄は焼こうとすると魔力が霧散して結局睡蓮に座れてしまう。
そこで肌に接している細い銀細工の留金を溶かしてまずはこの首輪を外したいのだ。これさえ外せば多分一発勝負で縄を焼ききれると思う。あの睡蓮を燃やすのでもいい。今出せる中級程度の火力では全て睡蓮に吸われてしまうのだ。
ただ、痛みがないせいでどのくらいまで熱を自分の肌に放出させればいいのか分からない。しかも首輪のせいで魔力の出力も制限されている。だからさっきっから一点、本当にシャープペンの芯の先のように小さな一点を思い浮かべて熱し続けているのだがやっぱりちょっと怖くて一気に出力が上げられない。だって放出を始めると肉の焼ける美味しそうな匂いが漂うのだ。これが自分の肌がこんがり焼ける匂いだと思うと吐き気がする。
しかもさっきっからやっと少し溶け出した銀が首筋の肌にくっついた気がする。見えなくともとんでもなく酷いことになっている気がして肝が冷えてしまうのだ。
その恐怖を押し殺して作業を再開する。
他にも手はあるのかもしれないけど私には思いつかない。そして私は悩まない。馬鹿な私は一つのことにしか集中出来ないのをよく知っている。だから迷わず作業を続けるしかない。だけど私が再度魔力を出したところで、突然扉が開かれた。
「アーロン様をしばらく引き止めて下さる? 準備を終わらせたいのよ」
「いいでしょう。我々の成功のために」
「いらしたわ……それではピエール殿下、ありがとうございました」
「当然のことをしたまでです。それでは後ほど」
入り口で囁き合う声が聞こえた。すぐに扉が閉まって『私』が入ってくる。『私』はベッドの横で素早く着ていたドレスを器用に全て脱ぎ去り、コルセットやガーターも慣れた手つきで軽々外していく。下着は最初から着けていなかったようだ。全裸になり、カーテンの隙間からこちらに歩み寄る。私の足元の桶に跪き、自分の指先に私の血を掬っては自分の身体のあちこちに塗りつけた。
すると一瞬赤く跡を残した私の血液が吸い込まれるように付いた端から消えていってしまう。
「これでアーロン様は私を愛さずにはいられなくなるわ」
立ちあがった『私』は私の知らない艶妖な笑みを浮かべる。私に化けて私の血を塗り付けたからってアーロンが『私』を愛したりするはずがない。師匠にとって私は単なる愛玩動物のようなものなのだから……
「信じられないって顔ね。すぐに分かるわ」
そう言って『私』の顔をした彼女はまたカーテンの隙間から反対側に抜けて、ベッドの前に立って静かに俯く。すぐに扉が再び開き、アーロンが顔を覗かせた。
師匠!
声が出ないのも忘れて思いっきり叫ぶ。でもアーロンは無論何も気づかず、一歩前に踏み出した。そのアーロンの横顔を見て胸の中が燃えあがる。アーロンは息を呑み、熱い眼差しで目の前の『私』を見つめていた。
私、今まであんな顔のアーロンを見たことない。
「師匠……来て……」
『私』が腕を差し出して私の知らない『私』の艶めいた声で呼べばアーロンは途端欲情に顔を歪め、酔ったような蕩けた眼差しで『私』の裸体を見詰めながらフラフラと歩み寄る。
アーロンは恍惚とした表情で『私』を見つめ、私の目の前で『私』の前に跪いて臍からタップリとした乳房まで舐めあげ彼女の乳房に齧り付いた。『私』の白い腕がアーロンの頭を抱え込む。
「アアァン、師匠、もっと……」
私の知らない『私』の声で嬌声を上げる。彼女の声に私の胸の中に激しい怒りとドス黒い感情が湧きあがり渦を巻き始めた。知らず知らずのうちに髪が逆立ってくる。今まで感じたことのない輝くような純粋な怒りと胸焦がすような黒い感情が私の全身を焼き尽くす。
と、突然アーロンが動きを止めた。見る見る内に顔色が青くなる。
私、許せない。
許さない。
こんなの絶対絶対許さない。
ピンと立った意識をスッと首の後ろに向けるとおかしい程簡単に首輪の止め金が弾け飛んだ。途端魔力が全身を駆け巡り肌が発光し始める。まるであの鍾乳洞で見たアーロンのようだ。
足に刺さったダガーナイフを見下ろす。スッと意識しただけで足から押し出されるようにナイフが抜け落ちた。
自分を戒めている縄を見る。見ただけで消し炭のようになりすぐに白い灰になって崩れ去った。
身体が一瞬宙に浮いてゆっくりと地面に降り立つ。痛みはどこにもない。
カーテンが勝手に開く。アーロンが私を見て目を丸くするのが目の端に捉えられた。
その前で『私』の姿の彼女が私に目を向けてガタガタと音を立てて恐怖に震えながら硬直していた。
殺せ。
あれを殺せ。
あれは敵。
敵は殺せ。
勝利を掴め。
私は「正義」。
歯向かうものは全て薙ぎ払え。
耳の中で何かが私に囁きかける。
それは『正しい』何か。
『絶対』な何か。
私は手を伸ばし戦闘魔法を詠唱し始めた。
「アエリア、押さえつけろ! 意識を手放すな!」
アーロンの声が聞こえる。でも私は詠唱を終え、冷静に狙いを定めてアーロンを抱き寄せていた『私』の片腕を切り落とす。
「ギャァァァ!」
スパッと切り落とされた二の腕の先から血飛沫が上がった。じきに出血は勢いを落としてダラダラと流れ落ちるだけになる。床に落ちた腕の切り口から白い骨が少しだけ飛び出している。
オークやあのあと戦ったトロールに比べて格段に綺麗な赤い血とピンクの筋肉。皮も薄くて簡単に破ける。
勿体ない。オークのご飯にあげたいな。そんな気持ちが湧きあがる。
その間も『私』は狂ったように悲鳴を上げながらその場に座り込んで、今落とされた自分の腕に震えながら手を伸ばしている。その光景と彼女の悲鳴が私の中にある炎の燃料になって余計強く燃えあがる。
次は反対の腕。そして最後はお腹を切り裂いてオークたちのように腸を引き摺って歩かせる。
どこまで意識を保ってくれるだろう。どこまで私を楽しませてくれるだろう。
「アエリア!」
アーロンの声がどこかでする気がする。
アーロンがいた気がする。
アーロンはここに来て何をしたんだっけ?
アーロンはそう、『私』の胸に齧り付いていた。
じゃあ、あの胸も切り落とさなくっちゃ。
「アエリア、しっかりしろ。自分を手放すな」
ふと何かが私に抱きついた。
温かい。
懐かしい匂い。
アーロンの匂い。
アーロンの顔。
アーロンの声。
「アーロン……師匠?」
アーロンが泣いてる。恐怖で顔を真っ青にして私を見ている。
怖いのは私?
怖いのは……
ゾッとした。私、今何したっけ?
「アエリア、駄目だ見るな」
アーロンが私の目を覆う直前。私は自分の行動の結果の惨状をしっかりと目に焼き付けた。
両腕を失い、2つの乳房のあった場所に大きな赤い穴が開き、ダラリと腸をだらしなく左右にこぼして血まみれでビクビクと小さい痙攣を繰り返している死にかけの『私』の身体を。
意識が飛んだ。
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