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第2章 新しい風

新しい波の行方 ― 3 ―

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「アエリア様、これで今日の実力測定は終了です」

 そう言ってスチュワードさんは満足そうにノートを置いた。

「アーロン様がおっしゃっていた通り、事象関連は非常に造詣ぞうけいが深くてらっしゃるようですのでこちらで準備した教材で間に合いそうですね」

 今日はあれからスチュワードさんと外で基本魔術の測定を行ったり、質問に答えたりと忙しく一日の大半を過ごした。なんか学生時代に戻れたようで心が弾む。

 ここは一階の応接室の隣にある来客用の面談室。それを今後私の教室として使わせていただくことになった。今はまだ古い家具が入っているけど、スチュワードさんの移動を目指してこの部屋を改装して頂けるとのことだった。なんか生徒は私しかいないのに大げさすぎる気もする。

「それではこちらに準備した教材を送るよう手配いたしますので今日の授業はここまでといたしましょう」
「スチュワード先生、ありがとうございました」
「はい。次は来週になりますが、それまでご自分で興味が持てそうな教材の本を少し読んでみて下さい」
「わかりました、頑張ります!」
「嬉しいお返事ですね」

 私の勢い込んだ返答に、優しく微笑みながらスチュワードさんが答えてくれた。
 スチュワードさんが退出すると、入れ替わるようにエリーさんが部屋に入ってきた。

「アエリア様、本日アーロン様はスチュワードさんを城に送り届けて向こうで夕食を取られるとのことです。アエリア様の夕食の準備は整っていますがどうなさりますか?」

 今日はお昼もアーロンとは別に食べたので、結局アーロンとまともに話が出来なかった。私ががっかりしているのが分かったようで、エリーさんがクスリと笑いながら続けた。

「アーロン様がいらっしゃらないのにダイニングにお一人では寂しですわね。お部屋にお持ちしますからそちらで取られますか? 私もお部屋でお話し相手になれますが」
「ありがとうございますエリーさん、そうしてください」

 昨日からなんかエリーさんとは気が合うようで、是非もっとお話がしたいと思っていたところだった。

 ところが自室で夕食を取り始めてすぐ、アーロンが部屋に入ってきた。

「エリー、すまないがアエリアと話がしたい」
「かしこまりました。アーロン様はお食事はお済みですか?」
「城で済ませてきた」
「それでは私は下がらせていただきます」

 そう言ってエリーさんは出て行ってしまう。
 応接セットのソファーでご飯を頂いていた私のすぐ横にアーロンがドッシリと腰かける。
 腰かけたかと思ったら、突然抱きしめられた。

「アエリア……」

 小さくそう呟いて、そのまま動きを止めてしまった。

 え? どうしちゃったの?

 食事の真っ最中に抱き着かれた私は、手に持ったフォークをどうしたものかと見やる。フォークの先にはさっき突き刺したカニ味のコロッケが崩れそうになりながらぶら下がっている。
 アーロンはどうやらすぐに解放してくれる気はないようだ。
 私は諦めて、フォークをテーブルの皿の上に戻した。

「師匠どうしちゃったんですか」
「悪いがしばらくこうしていてくれ」

 アーロンの声がやけにか細い。心なしか少し震えているような気もする。
 アーロンのほうが大きいので抱きしめられるというよりはアーロンに包み込まれているような状態だ。いつもの意地悪さえ出てこない、やけに弱々しい抱擁のせいでなんかちょっとドキドキしてしまう。
 アーロンの顔は私の肩を超えて後ろに行っているので顔が見えないのがせめてもの救い。アーロンのサラサラの黒髪が頬にあたってくすぐったい。状況に慣れてくると今度はアーロンの腕の筋肉や肩にあたるアーロンのあごの形まで敏感に感じ取れてしまう。後ろに回された腕も回りまわって私の二の腕のあたりに添えられている両手も。背中にアーロンの吐息がかかっている気さえする。
 そんなこと考えてると、どんどんと自分の鼓動が早くなって顔に血がのぼってくる。このままだと、のぼせちゃいそう……
 アーロンのことをもっと知りたいと昨日思ったのは確かだけど、こんなにじっくりと抱擁されていると変な興味ばかりが先行してしまう。
 あれ、なんかお日様の匂いがする。今日は外で何かお仕事してたのかな?
 なんか抱擁の力がちょっとづつ強くなってきている気がする……

「師匠?」
「まだもうちょっと」

 そう言って、また腕の力が強まった。
 強く抱きしめられるとそれだけで体の力が抜けて眩暈(めまい)がしてくる。このままだと私の心臓が爆発するかアーロンに抱きつぶされるかどちらかになりそうだ。

「し、師匠、い、息が苦しい……」
「す、すまない」

 アーロンはやっと気づいたようにはっとして私を腕の中から解放してくれた。
 私はスパーっと一気に息を吸い込んで肺をいっぱいにして、それから呼吸を整えた。

「師匠、今のは結局なんだったんですか?」
「いい、忘れろ」

 尋ねた私から顔を背けたアーロンは、ぶっきらぼうにそう言い放ってソファーから立ちあがる。そのまま自室に続くドアに向かうアーロンを止めるわけにもいかず、私はただそれを見送ってしまった。


    ▽▲▽▲▽▲▽


 食後、エリーさんに助けてもらってこのお屋敷で初めてお風呂に入った。とはいっても部屋風呂だけど。私が入っても充分隙間のある大きなたらいを持ち込んで、マイアさんと二人掛かりで入れてもらう。
 他人ひとにお風呂に入れてもらうなど断れるものなら断りたいけど、目の前のお風呂の誘惑には勝てなかった。久しぶりの温かい湯に心がほっとする。
 日本のお風呂みたいに全身を入れることはできないけれど、そんな贅沢は言えないね。

「エリーさんたちも私の次に入りませんか?お手伝いしますよ?」

 私の申し出に二人は顔を見合わせて笑い出した。

「アエリア様、使用人をお風呂に入れるなんてご冗談はよしてください。私たちは自分たちで別に入らせていただいています。どうぞご心配なく」

 お風呂一緒に入るのって楽しいのになぁ。私だけ仲間外れか。

 お風呂が終わって新しいネグリジェを着つけてくれると、今日は二人そろって私に詰め寄ってきた。

「アエリア様。この際ですからはっきりとお聞きかせください。昨日はアーロン様のお部屋でお休みになられたんですよね?」

 なんか二人の目が輝いている気がする。私は戸惑いながらも正直に答えた。

「ええ、エリーさんに勧められた通り師匠にしっかりと話をしてからそのままあちらで休みました」

 二人は目を合わせてホウッとため息をついた。

「そうですか。それは宜しゅうございました」
「はい、ですので薪は師匠の部屋だけ足しておけば朝まで大丈夫です」

 私が誇らしげにそう報告すると、今度は心配そうにマイアさんが尋ねた。

「あのぅ、そんなにずっと一緒で疲れてしまいませんかぁ?」
「別に大丈夫ですよ、ベッドもとても広いですし寝るだけですから」
「え? 寝るだけって……」
「本当に寝るだけなのですか?」
「はい、エリーさんが言ってらした通り、師匠にも正直にお話したので問題なくそのまま眠れました」

 「うう、思っていた以上に手強い」っとマイアさんが一人で何かグチった。

 え? 私なんかやっちゃった?

 エリーさんはちょっと情けない顔でこちらに向き直って膝を進めてきた。

「アエリア様。アエリア様はアーロン様とご一緒にお休みになられて何かその、心が踊るとか、苦しくなるとかはありませんの?」
「ちょっと恥ずかしいとは思いましたけど、昨日のように師匠に辛そうな顔をしないで欲しいので我慢して少しでも長く一緒に居られる努力をしようと思うのです」
「ではアエリア様はアーロン様とご一緒にいたいと思われているのですね」

 そこで少し考えてから答えた。

「えっと、多分そうなのだと思います。昨日ご飯を一緒に食べられなかったのが凄く寂しかったんです。ここしばらく師匠と一緒のご飯はいつも楽しくて美味しくてなんか幸せで」

 あれ? 食べものの話になっちゃう。違う違う。

「それで夜一緒に寝てもらったのも私温かくてなんかドキドキしてやっぱり嬉しくて。もっと少しでも一緒にいたいなって思ったんです」

 エリーさんは私の言葉を聞きながら目を輝かせ始めた。

「それに師匠の意地悪もちょっとだと私嫌じゃないことも分かって。魔術師の修行をスチュワードさんとするのは嬉しいのですが同時に師匠と一緒にできることが減っちゃて不安です」
「まあ。良かった。アエリア様はちゃんとご自分の気持ちと向き合えているのですわね。私安心いたしました」

 それに比べてアーロン様と来たら、とマイアさんがこぼす。アーロンがどうかしたんだろうかとマイアさんを見ると「なんでもありません」と誤魔化されてしまった。

「ではアエリア様は今日もアーロン様とご一緒でよろしいのですね? 本当に薪は足しませんからこちらでは寝れませんが」
「はい、師匠も駄目だとは言いませんでした」

 すると二人は私に聞こえないようにゴニョゴニョとしばらく相談を始める。それが終わるとマイアさんが一人で先に退室していった。

「アエリア様、それでは少しでもアーロン様と仲良く慣れるようにおまじないを幾つかいたしましょう」

 そう言って、エリーさんは胸元から小さな小瓶を取り出した。
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