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第2章 新しい風

新しい風 ― 1 ― ☆

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 目が覚めるとすでに頭痛が始まっていた。この痛みは知ってる。つい先日味わったばかりだ。
 目を開ける前から頭がズキズキとして身体が重い。喉もやけにカラカラのネバネバで水が欲しい。身体がダルくて重くて熱い。

 痛みで軽く滲む世界が少しずつ焦点を結ぶと、目の前にアーロンの整った顔があった。
 目の前も前、あと少しでアーロンの唇が私のおでこにくっつきそうって距離。

 ひゃぁ!

 驚いて後ずさろうとして動けないことに気づく。
 私の身体はしっかりとアーロンの腕に巻き取られている。
 片足はアーロンの足の間に挟まれていて抜けない。

 あう、く、首痛い。

 いつの間にか私はアーロンの腕を枕に寝ていたようだ。
 細く見えて実はしっかりと筋肉のついたアーロンの腕の上で寝てしまった私はさっき突然動こうとした拍子にゴリゴリに固まった首を動かしてしまい首が攣りそう。
 ただそれ以外ではアーロンの体温と掛け布団のお陰でホカホカだ。ここ数日薄い毛布とソファーで寒い夜を過ごしていたので、この温もりは捨てがたい……

 ちょっと待って、掛け布団?

 やっと落ち着いて動けないなりにキョロキョロと見回せば、私はアーロンと一緒に天蓋のついた素晴らしく豪奢なベッドに横になっていた。
 ここは一体どこ? と見回せば見覚えがある主寝室だ。あの大きなワードローブも掃除した覚えがある。

 でも私が掃除した時点ではベッドはボロボロだったしカーテンなんてすでに無かった。なんかワードローブ自体もピカピカに磨かれちゃってるし、他にもソファー等の新しい家具が入ってる。

 これ本当に同じ部屋??
 体勢を変えないとこれ以上よく見れない。

 私は心臓に悪いアーロンの人形のように整った顔を見ないようにして、ゴソゴソとアーロンの腕の中で体をよじろうとした。

「余り動くな。もう少し寝かせろ」

 そう言ってちょっと眉根を寄せたアーロンが、片目だけ開けてこちらを見てる。

「師匠、起きたのなら離してください。苦しいです」
「大丈夫だ。俺は温い」

 そう言って逆に私の身体に巻きつけていた腕に力を入れて締め付けてきた。

「く、苦しいい」

 ちょっと間を置いてからやっと少し腕の力を弱めてくれたアーロンは、今度は逆に少し離れて私の姿に目を細めた。何かと思って自分の体に目をやれば、私、いつの間にか薄いネグリジェに着替えさせられている!

「師匠、私こんな服着た覚えがありません」
「ああ、お前かなり酔ってたからな」

 え? 私酔っ払って勝手に着替えちゃったの? どこで? どうやって?

「私このベッドに入った覚えもないんですが?」
「……お前かなり酔ってたからな」

 サーッと血の気が引いていく。
 恥ずかしいけどここで頑張って聞いとかなくちゃ!

「私、その、し、師匠とあの、え、え、エッチなこととかしてないですよね!?」
「……お前かなり酔ってたからな」

 最後はちょっとニンマリ笑いが入ってる!
 ちょっと待って私の貞操! 私の処女! なんの記憶もないうちに喪失とか洒落にならない!

 私は涙目になりながらアーロンにもう一度聞く。

「師匠お願いだから正直に教えてください、昨日何があったんですか?」
「お前はどこまで覚えているんだ?」

 逆にそう尋ねられた。
 はて。
 確かアーロンが実は私のことを覚えていると言って、8年前に出会った時のことを説明してくれて。アーロンとの契約が思っていたような非道なものではないと判明して、あとは──

「確か師匠と最後に乾杯して、師匠がグラスをあおったので私も習って同じように……」
「あれは70度を超える火酒だ。通常数時間かけてチビチビと味わうものだ」
「でも師匠は確か3杯目でしたよね?」
「俺とお前を一緒にするな」
「そ、それで私は結局どうなったのですか?」

 肝心な答えがまだだ。

「どうもこうもない。お前はそのまま気絶するように酔い潰れた。意識もなく揺すっても起きない。そのうち小さくイビキをかき始めたから大丈夫だろうとは思ったがな」

 アーロンはちょっと不貞腐ふてくされた顔になりながら答えてくれた。

 そっか。
 あれ? でもちょっと待って。じゃあどうやってこのネグリジェに着替えたんだろう?

 私の戸惑いに気づいたアーロンが視線を思いっきり逸らしながらボソリとつぶやく。

「そんなに警戒しなくても変なことは何もしていない。酔い潰れたお前を着替えさせてベッドに入れてやっただけだ」

 うーん、なんかあやしい気もするけど、自分の身体には自分で分かるような変化はないようだし、ネグリジェの下にちゃんと下着もきてるみたい。
 これはお礼を言うべきなの? それとも怒るべき? 大体ネグリジェなんて私持って無かったのにどうしたんだろう?
 またメッシーさんが送ってくれたのかな……と考えたところではたと思いつく。

「しししし師匠、大変です! 私キッチンの片付けをせずに寝てしまいました! キッチンにあった食料品がぁぅぅぅ」
「安心しろ」

 突然大慌てで叫びだした私をあやすように、アーロンが私の頬を片手で挟み込んでぷにゅっと掴んだ。

「お前が酔い潰れて役立たずだった間に城から何人かこちらに呼び込んで片付けさせた。ついでに数部屋片付けて家具も入れ替えさせた」
「へ? だってそれは私の仕事……」
「お前が一人でやってたらいつまで経っても終わらんだろ」
「そ、それはそうですが」
「それに昨日も言ったがお前との契約にこの屋敷の召使は入っていない。俺の庇護下に入って俺がお前の行動をある程度管理はするが、お前を召使として使い潰すつもりは最初からなかった」

 ああ、そういえばそんなことも話したっけ。そのしかめっ面に反してやけに優しいアーロンの言葉にドキリとしてしまう。
 大体こんな話をずっとベッドの上で、間近にアーロンの整った顔が見える状態で、しかも抱きつかれながらしているのだ。顔に血がのぼってきちゃってるのを誤魔化そうと、私は慌てて話題を変えた。

「ところで師匠、私いつまでこの態勢なんでしょうか?」
「昨日薪を足さなかったから外は寒いぞ」

 それは嫌だけど、だからっていつまでもベッドにいられるわけでもない。

「あの、今日はお仕事はいいのですか?」
「ああ、全て任せてきた」
「隊長がそれで大丈夫なんですか?」
「隊長ではなく総師団長だがな。まあいわゆるお飾り管理職だ。対外的な折衝でもない限り普段は割と融通が効く」
「でも相談役も兼任されているのでは?」
「そちらは元々俺とピピンの繋がりを怪しまれない為に作った役職だ。実質的には俺が個人的な研究を行う為の肩書だから、研究をしている限り別にここでやっていても問題ない」
「ピピンさんと言うのは……?」
「お前がメッシーとか呼んでた俺の召使のようなもんだ」

 おお、メッシーさんのお名前が判明しましたよ! ピピンさんと言うのか。

 私の脳裏に真っ黒な執事服を着て優しく微笑む初老の人物が想像される。

「是非一度お会いしてご挨拶させてください」

 頭の中で想像したピピンさんと照らし合わせる為にも是非一度お会いしたい。
 漠然とそんなことを考えている私の横でアーロンの機嫌が下降し始めたことに、私はもっと早く気づくべきだった。

「ほう、アイツに会ってどうする?」
「それは今までの心遣いにお礼を……」

 そこまで言ってやっとアーロンのこめかみに浮かぶ青筋に気づく。

 しまった!
 これじゃ昨日の二の舞いだ!

「じゃあ俺にはどんなお礼がしてもらえるのかな?」

 そういうとアーロンは今まで私の後ろに回していた腕をゴソゴソと動かし始めた。アーロンの大きな手がスルスルと私の腰まで下がったかと思うと、私の腰を自分の下半身に引き寄せる。

「まあ確かに変なことはしていないとは言ったが、これからしないと言った覚えもないな」

 そう言って私の身体と密着したアーロンの下半身には何かやけに大きな異物が突き出されていた。
 こ、これってまさか……!

「や! 師匠、な、何かその当ってます!」
「心配するな。男の朝の生理現象だ」

 きゃぁぁぁ!

 私は声にならない声を上げて暴れだした。

「しまってください、即刻しまってください!」

 アーロンは暴れる私の腰をしっかりと掴んだまま、すぐ近くにあった顔を私の首筋に埋めてささやく。

「お礼をしてくれるんじゃなかったのか?」

 そう言いながら私の首筋を舐めあげた!
 途端アーロンの舌が這いあがる感触に身体が自然と戦慄わななく。首筋にかかるアーロンの吐息が熱い。それがそのまま私の熱になってお腹の辺りから熱がせりあがってくる。

 え? これ私どういう状態? 私、アーロンに今から美味しくいただかれちゃうの?

 確かに意識のない間に貞操を失うのは嫌だと思ったけど、今すぐ自覚があるからって失いたい訳じゃない。なのになぜか私の身体は嫌がるどころか熱く火照り始めた。

 アーロンのことは元々嫌いではない。一度は憧れ、夢にまで見た人だ。
 この数日で憧れとは別の現実も見たし、意地悪もいっぱいされた。だけど同時に昨日、私を大切にしてくれていることも分かった。分かってしまった。現金だけど私の中でアーロンを拒否したいと思う部分はかなり減ってしまったようだ。
 でもこんな悪戯な戯れで貞操を失うのはどうかと思う。
 そんな私の心中などお構いなしに、アーロンの腰を掴んだ手に力がこもる。

「どうした? 顔が真っ赤だぞ? そんなんで『お礼』が出来るのか?」

 そう言いながら今度は私の首筋に歯を立てる。その鋭い歯が私の肌を傷つけないギリギリで当てられる感触に私の背中が勝手に戦慄わななく。

 今アーロンが私の生殺与奪せいさつよだつ権を握っていると首筋に当てられた歯が強く主張してくる。そのたびに二の腕を痺れるような不思議な感触が走り、腰のあたりがムズムズする。
 泣きたいような気がするのだけれど、それが一体どんな感情のせいなのかよく分からない。せめて声だけは出さないように奥歯を噛み締めるので精一杯で、アーロンを止める言葉も何も出て来ない。
 そのまま今度はアーロンの柔らかく濡れた唇が私の首筋を優しく食む。突然、今までとは明らかに違う甘い快感がそこから全身に走った。

「んっふぅ」

 我慢してたのに鼻にかかった声がちょっとだけ漏れてしまう。その自分の声が変に色っぽく聞こえて余計顔に血がのぼった。
 熱い吐息を吐きながら、アーロンが顔を上げて覗き込んでくる。その顔はやっていることに反してなぜか眉根を寄せて苦しそうだった。
 アーロンの顔が見えた途端、何か強い感情が止めようもなく溢れ出し、勝手に声が口元からこぼれた。

「し、師匠のバカ。バカバカバカぁー」

 ついでにとうとう涙が溢れ出した。
 途端、アーロンの顔が絶望に歪んだ。ゆっくりと私から半身を引き離し、苦しそうに一瞬上を仰ぎ見てはぁーっと大きなため息をついてからボソリとつぶやく。

「すまない」

 そのままベッドから立ちあがったアーロンは、ソファーにかけられていたガウンを肩に羽織い、そのまま後ろも振り返らずに部屋から出ていってしまった。
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