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第1章 思い出は幻の中に

アーロンのまたも孤独な戦い ― 3 ―

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「いやー、実に一時はどうなることかと思いましたよ」
「今回は流石に肝が冷えましたな」
「私は本当に肝を潰されるところでした」

 カールス、アーノルド、そしてフレイバーンの辺境警備隊隊長マークが国境近くに設営した仮設陣営で火を囲んでいる。
 アーノルドは甲冑を外し自分のシャツをはだけて鍛えあげられた腹筋に巻き付くように付いた赤黒い跡をさすりながらこぼしている。

「それはお前の空間魔法が正しく固定出来ていなかったからだ」
「アーロン総師団長、ご自分を基準に我々に要求をされるのは『死ね』と言っているのと同じことだとご理解いただきたい」

 涙を滲ませているアーノルドをカールスが不憫そうに同情を込めた目で見やる。

「いやあ、アーロン総師団長殿の実力は噂以上でしたな」

 その横でマークはその綺麗に整えられた髭を擦りながら我々の会話に口を挟んだ。

「いえ、今回も例年からの備えがあったお陰で凌ぐことができましたが、マーク殿が早々に水道橋の補強に走ってくださらなかったらどうなっていたことか」

 内心の疑惑は完全に押し隠して返答を返す。俺たちが海竜の駆除を始めてすぐ、国境に展開していたフレイバーンの一隊は対岸に展開していたカールスの小隊に伝令を寄こし、水道橋の合同補強作業を申し入れてきたのだそうだ。

 余りにタイミングが良すぎる。

 どうやらフレイバーンには『目』のいい者がいるらしい。
 大方こちらの対応が迅速かつ効果的であると判断してから、恩を売るほうに方針を変更したのだろう。

 食えない親父だ。それがマークの第一印象だった。

 俺たちが駆除を終え水門周りの片付けも終わりに近づいた頃、カールスから伝令が届き、マークからの面会の申し入れが伝えられた。隊は一旦本営に戻し、準備されていた炊き出しと今回に限り城の食料庫から取り寄せた酒樽を与えておいてきた。師団長3人とそれぞれの護衛数名だけ連れて、フレイバーンの連中が面会用にあちら側に建てた陣営を訪れたのである。ある意味越境してしまっている訳だが、両陣営同意の上なので問題ない。
 途中一度屋敷に戻ったが、アエリアはとうの昔に寝てしまっていた。残念ながら寝顔だけ拝んでとんぼ返りで戻ってきた。

「マーク殿が我々に夜食と寝所の提供を申しだされておりますが?」

 アーノルドが俺に報告する。

「それはありがたいが本営の管理に戻らねばならないので本日の所はこれで失礼しようと思います」

 そう言って断りを入れるたのだがマアマアと引き止められる。

「こんな遅くにわざわざこちらまでおいでいただいたのです。今回の合同補修作業を機に、是非今後とも両隊の親睦を深めたいと思っているのですよ。どうぞこちらで用意いたしました寝所でごゆるりとお休みになられてはいかがでしょう?」

 そう言いながら間近ににじり寄られ、その押しの強さに辟易とした俺は、断るのが面倒になって申し出を受けることにした。まあ、アーノルドの顔色が戻りきっていないのも気がかりだ。ここで俺の治癒魔法を使う訳にも行かないし、ゆっくりと横になれるならばそのほうがいいだろう。

「それではお言葉に甘えましょう」

 俺の返答に満足そうに顔を緩めたマークは、すぐ後ろに控えていた兵士を呼びつけそれぞれの寝所へ案内するよう手配した。俺たち3人はそれぞれ個別のテントに、そして護衛について来ていた者たちはすぐ近くの大振りのテントに案内される。正直俺たち3人に護衛は無駄と言うものだ。まず、ここにいる連中程度でどうにかされるようなら俺の師団長は務まらない。

 案内されたテントは野営用のテントとは全く異なる、貴族向けの外行用に作られたものだった。入り口を除く全ての面がきらびやかなタペストリーで飾られ、床も毛足の短い毛皮で埋め尽くされている。その真ん中には低いソファーの様な円形の褥が用意され、横に置かれた小テーブルには軽食と酒が準備されていた。

 あのタヌキ親父、辺境警備隊長とか抜かしてたがフレイバーンの爵位持ちだな。何を企んでやがる?

 俺が思考を巡らせながらその褥に腰を下ろすと、タペストリーの後ろから薄い衣装を身に纏った妙齢の美しい女性が音もなく進み出た。波打つ長い金髪を後ろで緩く束ね、その暗い碧眼を俯かせながら遠慮がちに俺の褥の前に跪き、酒をグラスに注ぎながら話しかけてくる。

「今夜のお相手を申しつかりました、レシーネと申します。まずはどうぞお食事をお楽しみください」

 そう言って褥の横のテーブルから軽食の乗った銀のプレートを俺に向かって捧げる。

「悪いが今腹は減っていない」

 鷹揚に返して彼女が継いだ酒を一口煽った。
 毒は入っていない。俺の嗅覚を誤魔化せる毒はないので断言できる。これならカールスとアーノルドも大丈夫だろう。
 返事を聞いたレシーネは「それでは」と言いおいて捧げていたプレートを下げ、俺から一歩下がるとその場で跪く。

「それでは褥のお手伝いをさせて頂きます」

 俯いたままそう告げると静かに立ちあがり、その場でゆっくりと服をずらしていく。薄い服に包まれた豊満な肢体を見せつけるように、しなを作りながら少しずつ俺に近づいてきた。
 再会して以来、なぜかアエリアに煽られ愚かな失敗ばかり繰り返してきた俺は、いい機会なのでいっそこの女に手を出してみるかと考えたのだが。

 いくら待っても心が高揚しない。アエリア相手のように頭に血がのぼる様子もない。俺の目前まで迫ったレシーネがとうとう俺の上に跨り、服を脱ぎ捨てるが全く心が動かない。

 どうなってんだ? あんなに簡単にアエリアの挙動に踊らされてたのに、なぜ据え膳でその気が起きない!?

 途方に暮れる俺の耳に隣のテントから嬌声が響き始める。どうやらカールスはすでにお楽しみのようだ。これじゃあ俺一人帰るというわけにも行くまい。
 俺は仕方なくレシーネを褥に引き倒し、片手で目を瞑らせて眠りに落とす。これで彼女も夢の中で楽しい一時を送ることだろう。半裸のレシーネを褥に突っ込み、俺はその隣で仮眠を取ることにした。

 どうせもう直ぐ夜明けだ。あいつらのお楽しみが終わったらとっとと本営に戻ればいい。
 それにしてもカールスのやつ、鳴かせ過ぎだ。


    ▽▲▽▲▽▲▽


 それぞれが褥から起き出し、身支度を整えて本営に帰り着いた頃にはもう日が高く上がっていた。
 本営に戻った俺たちが真っ先に目にしたのは、半裸でイビキをかきながら草原いっぱいに散らばる累々たる屍どもだった。

 こいつら、一体いつまで飲んでたんだ?

 カールスが近場の兵士の尻を蹴飛ばしてるが、ウンウン唸るだけでどうにも使いものになりそうにない。

「こいつら、一度水路に落としてみるか?」
「それは冗談になりません、ここまで酔ってたらひとたまりもなく溺死します」
「魔道騎士団2隊が祝杯に溺れて溺死なんて笑い話にもなりません」

 はーぁ、と情けないため息をつきながらアーノルドがこぼした。

「あのあと仙魚と海竜の肉はどうした?」
「本営に残っていた後援の者に近場の街の商会と話をつけるよう言渡しておきましたが……どうなったでしょうね」

 アーノルドの言葉で後援が働いていた辺りに向かって歩を進めた。中心に向う程酔っぱらいどものむくろが増え、重なり合うようにして転がってる。中にはどこから呼び込んだのか女が混じって寝むってる集団までいる。
 炊事場辺りでは後援で残された者たちが数人づつ丸くなって寄りかかり合うよにして寝ていた。最後まで律儀にこの酔っぱらい共の面倒を見ていたらしい。

「こちらに言付けした者が見つかりましたが、これはちょっと起こすのが気が引けますね」

 アーノルドの足元を見やると二人の年若い兵士が抱き合って眠っている。

「他の奴らに見つかる前に起こしてやったほうが親切ってもんだと思うぞ」

 気遣うアーノルドとは裏腹ないカールスがそう言って一人を揺さぶった。
 まだ年若い青年は揺さぶられつつもしばらく寝ぼけて寝言のようなものをつぶやいてる。だが、寝ぼけ眼を何とか開いて自分を見下ろす師団長3人と自分の状況に気がつき、真っ青になって飛び起きた。

「たたた、大変失礼致しました、何か御用でしょうか?」
「そんなに慌てることはない。今見たことは師団長の間だけの秘密にしておいてやろう。ところで昨日言いつけておいた仙魚と海竜の買い取りはどうなった?」
「あ、は、はい。今日、日が昇ってからこちらまで様子を見に来るとのことでしたが……」

 そう言って辺りを見回しもうとっくに日が昇っていることに気がついて再度青ざめる。

「ならば商人がこちらに到着する前にこの酔っ払い共を片付けないといけないですね」

 やけに優しい猫撫声でアーノルドが呟いた。コイツは俺とは違った意味で荒っぽい。そして無能者には大変シビアだ。まずは後援をしていた兵たちを一旦起こし、改めて半日の休憩を言い渡すとそれぞれ野営テントに送り出す。
 後援が全てテントに入ったのを確認すると、アーノルドは水路の水を一区画分全て空間魔法で持ちあげて薄く伸ばし、草原に散らばる酔っぱらい共の上で弾けさせた。因みに水路の水はまだ海竜の血で濁ったままだ。

 いくら酔っていたとは言え、この寒空に外で寝転んでいたのだ。冷え切っていたであろう体に血なまぐさい水路の凍てつく水をぶっかけられ、そこら中に大の男のものとも思えぬ悲鳴が響いた。

「さあ、皆よく眠れたようですね。とっとと起きてあと片付けにかかりなさい。一時間以内に身だしなみを整え集合に来られないものは即刻6ヶ月の減給とします」

 それだけ言いおいて俺の元に戻って来た。その後ろでは男どもがてんやわんやの大騒ぎを繰り広げている。
 いつになくアーノルドの対応が辛辣だ。俺はアーノルドの肩をたたいて声をかけた。

「お前、昨日やり損なっただろう」
「あんな青アザ付けてどうやって女を抱けっていうんですか」

 しかめっ面で睨み返された。なんだカールスの一人勝ちか。

「まあ、そのうち埋め合わせをしてやろう」

 ムッとしたアーノルドとニンマリと笑ったカールスを引き連れて俺は水門へと向かった。


    ▽▲▽▲▽▲▽


 予想通り、水門は昨日の戦闘の残留物ですっかり塞がっていた。まあ、下手に海竜や仙魚の死体が農地に流れ込まなかっただけ良かったと考えるべきだろう。
 死体から流れ出した内臓やら血液やらで水もひどく濁っている。目づまりを起こした水門から溢れ出した水は森の中へと染み出しているようだ。それほど溢れていないのは緊急時に渓谷付近の水道橋から溢れる水を渓谷に落とし込む仕掛けが働いているのだろう。

 俺は辟易としながら仙魚が移された生簀も覗いてみる。例年に比べれば少し少ないようだが、それでも用意した生簀は全て埋まっていた。俺たちが様子を見ている所に本営に残っていた副団長の一人がなんとか身繕いを終わらせて合流し、近郊の街からやってきた商人の一隊の到着を告げた。


「ですからね仙魚は全て喜んで引き取らして頂きまさぁ。ただ海竜は予定になかったんすよ。こんなに量があっても捌ききれねぇんですわ」

 そう言って禿はげ頭をボリボリとかくのは商人の一隊を率いてきたここら一帯の商業組合長だ。ここ数年でお互いすっかり見覚えが出来ちまった。
 この親父が決して損得で言っているのではないだろうことは俺だって分かっている。なぜなら俺達は海竜の肉はほぼ捨て値で売っぱらおうとしているのだ。このまま森の中で海竜の肉の腐敗が進むと次はどんなモンスターを呼び寄せるか分かったもんじゃない。それはこの親父も承知の上なのだろう、なんとか片づけられないものかと俺たちと一緒なって頭を悩ませている。なんせ、それに釣られてモンスターどもが集まってきた日には、一番迷惑を被るのはこの周辺の町の住人たちなのだ。

「仕方ない。解体だけでも人手を出せないか?」
「そりゃ町の連中に声をかけるくらいはできますがね」
「賃金は出せないが海竜の肉ならいくらでも持ち帰り出来るぞ」
「それでしたらある程度人手は集まりまさぁ。じゃあちょっくら町ぃ周って知らせてきまさぁ」

 やっと見通しを付けて出ていったおやじと入れ替わりにカールスが入ってきた。

「総師団長、水門周りの残留物の排除があら方終わりました。そろそろおいで頂けますか?」
「分かった」

 アーノルドにあとの交渉を委ねて一旦水門へ向かう。毎年最終的には清浄魔術を使って水の浄化を行うのだが、今年は過去に例を見ない比類なき汚れっぷりだ。

「清浄魔術が使えるものは全員前へ」

 下位魔法は魔力のある者ならばほぼ誰でも使いこなせるが、上位魔法になると魔道騎士団内でも得手不得手が出てくる。まあ俺に言わせれば浄化のシステムを本能的に理解している者としていない者の違いなのだが、それはこいつらの知るべき所ではない。現に前に進み出した者はやはり普段から清潔を保ち身衣を整えている者ばかりだった。所詮男所体の軍隊だ、その人数はほんの一握りで俺を含め10人に満たない。俺以外の者が水門の上に渡さえた哨戒路に立ち、水路を目の前に全員で浄化魔法を発動する。

「総師団長そろそろ限界です」

 やはり今年は師団員だけでは終わらせられなかったか。

 仕方なく俺も自分の浄化魔法を発動した。途端、清水を流し込んだかのように、それまで薄黒く濁っていた水が片側から透明に澄んだ本来の色へと変色していく。

「おお、流石は総師団長の浄化魔法だ! 確か3年ぶりか?」
「ああ、3年前はフレイバーン上流の土砂崩れがあって土砂が流れ込んできた時だ」
「やはり総師団長の魔術は別格だな」

 当たり前だ。俺の場合、浄化への理解度がここにいる兵士たちとは違う次元なのだから。

 30分ほどで洗浄を終え、水路の水がすっかり綺麗になった所で水門を開き直した。この頃には近隣の街の住人が到着し始め、水路のわきや水門の周りから歓声が上がる。

「では手の空いたものから順次海竜の解体に移れ!」

 指示を出した俺はぞろぞろと森の中へ向かう一団を横目に本営のアーノルドのもとへと戻った。
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