花の盛りの通り雨

こみあ

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第三話 後編

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「それじゃあ先ずは腹ごしらえだな」

 そう言って気安く町中の一膳飯屋に入る。
 こんな所にこの格好で入ったら目立ってしようがない。
 ここは私の地元だ。すぐ誰かに見つかってしまう。

「あれ、鈴ちゃんじゃないの、最近見なかったけどどうしてたのさ」

 ほら一発だ。
 季節ごとに小間物を売りに来ていた行商のおばさんが素っ頓狂な声をあげた。
 すると後ろからも声がかかる。

「ああ、鈴ちゃんかい。この前はご両親の事で大変だったなぁ。道場も閉めちまったろ、どうしてるんだい?」

 植木職人の玄さんがちょうど私たちの後ろから入ってきた所だったようだ。言葉とは別に私の身なりに目を見張っている。

「鈴ちゃん、久しぶりだね。今日はどこにお出かけだい?」

 店のおやじさんまで台所から出てきて挨拶をしてくれる。

 ご隠居さんの件が決まってすぐに長屋を借りて移っていたので、この辺の皆は私が突然いなくなったと思っているはずだ。
 聞かれても答えきれない事があったからわざわざそうしたのだが。

 言葉に詰まって微笑んでいる私に気づいた慎さんが私の後ろから声をかける。

「すまねえが鈴はちょっと疲れちまってるんだ。おやじさん、申し訳ねえが上に座敷はあるかい?」
「こりゃ済まなかった、お連れさんがいたのかい。申し訳ない、どうぞ上がってくれや」

 するとお店のおやじさんが慎さんの身なりを見て驚きながら二階に上がる階段を示してくれる。

「ありがとよ。昼飯と俺には酒も付けてくれ」

 慎さんはまるで気にせずに慣れた調子でそう返して私を連れて二階に上がった。
 後ろでは何かごちゃごちゃと噂話に花が咲いている。

 まあ今まで私には浮いた話もなかったからいい話の種にされているのだろう。

「いや済まない。お前さんの実家の近くだって事を失念してた。こんな事ならもう少し遠くにでも出ればよかったな」
「いいえ、こちらこそ助かりました。この辺の皆は気のいい人ばかりなんですが噂話に目がなくて」
「皆お前さんの事を心配してたみたいだな」

 すぐにおやじさんが熱燗と一緒に昼飯を持ってきてくれた。
 こういう店は速さが勝負だ。
 イカと里芋の煮っころがしと一膳飯、それに吸い物と漬物。

 疲れ切った胃には本当にありがたい。

 私がそれを平らげている間、慎さんはゆっくりと一杯やりながら煮っころがしを突いている。

「鈴ちゃんの伯母さんには連絡が行くように手筈がついた」
「そうですか」
「……あんまり心配じゃなさそうだな」

 それはお互い様だ。

 伯母と母は年が離れていたのもあって余り行き来がなかった。

 伯母は祖母の小料理屋を継いで母は父の道場に嫁に来た。
 生活の場も遠く、祖母が他界してからは会う機会もほとんどなかった。
 それなのに私の両親が他界して私に頼れる親戚は伯母だけになってしまった。

 伯母も戸惑った事だろう。
 長い間行き来もなかった姪が突然訪ねてきて助けを求めたのだ。

 伯母は私に手早く自立できる術を勧めてきた。要は嫁入りだ。

 父の道場を建てる時にお世話になったという市ヶ谷の剣術の先生の紹介で決まった婚姻を私は素直に受け入れ伯母は喜んだ。
 伯母の手引で直ぐに長屋に移り、週一で様子見に来てくれてはいたがそれ以上お互いに行き来はなかった。
 来週には最低限の嫁入り修行をしてサヨナラするのだろうと思っていた。

「実は伯母のことは余り知りません。行き来も少なかったですし」
「他に親類は?」
「父は信州の出だそうですがどういう経緯か道場を構えてから一度も国には帰った事がなかったようです。ですから伯母だけが本当の血の繋がった親類となります」
「そうか。ご両親はいつ亡くなったんだ?」
「一ヶ月前に。旅先で強盗に襲われて……」
「そうか……辛かったな」

 そう言って慎さんは私の頭に大きな手を乗せてポンポンと軽く叩いた。
 嘘のないその言葉と気安い気遣いが心に沁みる。
 しばらく沈黙が二人の間を漂ったが、それは決して居心地の悪いものではなかった。

「本所まで出て片付けなきゃいけないことが幾つかある。鈴ちゃんの足ではちょっと辛いだろう」

 昼飯を済ませ店を出ると慎さんはそう言って辻籠を拾い、私だけ籠に乗せると足早に出発した。


◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆


「それでは結局何も聞き出せなかったのか?」
「はい、残念ながら」
「捕えた者共の素性は?」
「何も出てきません。最初の三人とは別口で金で雇われたゴロツキのようです」
「せめてあの浪人だけでも殺さずに捕まえておけば」
「今更言っても仕方あるまい」

 ここは早川沿いの船宿『花屋』の二階。
 籠を降りて小部屋に通された私は、そのまま慎さんと共に慎さんのお仲間のお侍さん達と合流した。
 皆さん羽織袴の立派なお侍さんばかり三人なので、借物の着物を持て余している私は自然、部屋の後ろに一人で控えている。

 もし私が覚えている事があれば聞きたい、と言うことで一緒に呼ばれたが、私には何を話し合っているのかさえも今いち分からない。

「慎さん、そっちの首尾はどうだった?」
「残念ながら一人逃げ去ったのが紐付きでしょう。こちらの顔を見られた上逃しちまいました」
「手詰まりか……。残念だが今回はここまでか」

 暫く苦い沈黙が立ち込める。

「あの…………」

 静まり返った部屋に私の声がやけに大きく聞こえた。

「あのもしかしてあの浪人さん達が話していた松山様の事をお話になっているんですか?」

 ザッと全員の顔色が変わった。

「鈴ちゃん、今なんて言った?」
「松山様ですが。三人の浪人さん達が松山様のご命令で下屋敷に隠していた何かを探していたんですよね?」

 慎さんがあり得ないものを見るような顔で私を見る。

「お前さん…聞こえていたのか?!」
「え? 慎さんには聞こえなかったんですか?」
「あんな女どもの嬌声の中じゃ全然聞こえなかった」
「ああ、私道場で慣れてますから」
「なぜ道場に嬌声が関係あるんだ?」

 一番偉そうなお侍さんが興味深そうに聞いてくる。私は遠い目になって答えた。

「それはうちの道場に通っていた男前の剣士数人を目当てに通っていたお嬢さん方のおかげです」
「なるほどそう言うことか」

 ニンマリと笑いながら偉そうなお侍さんが続けて尋ねてくる。

「お鈴ちゃん、他に何か聞き取れた事はあるかい?」
「えっと、確かこの秋に松山様が参内されるのに合わせて決起するとか何とか」
「でかした!」
「秋の参内と言えば備中の松山様でしょう」
「あそこは確か数年前、水谷様に継嗣がなく滅封となったのでは?」
「いや確か去年赤穂の浅野氏の大石殿が名代で入ったはずだ。検地が済んで次の藩主が見つかるまでの一時預かりだ」
「では浅野家の?」
「可能性は十分あるな」
「これで目処がついた。暫くは赤穂藩と松山藩に人を付けろ。お前達も顔を見たのだろう、一緒に張り込め。慎さんはここでお鈴ちゃんに付いててくれ」

 がたがたと皆が一斉に動き出した。
 取り残された私は一人所在なく座ったままだ。
 すると、一番偉そうなお侍さんがその怖い顔をにっこりゆがませて私に向き直った。

「お鈴ちゃん。お前さんは大切な証人だ。しかもあちらさんに顔を見られちまってる。暫くはここに留まってくれるかい? 必要な物は届けさせる」
「そんな、こんな上等なお店にお世話になるのは申し訳ありません」
「心配すんな。必要経費だ。そっちの慎さんの所からも少しは出るだろ?」
「勿論」
「ほら、そういうこった。遠慮はいらねえ。慎さん、後は頼んだよ」

 そう言って腰の物を腿に当ててカチャリと音を立てて部屋を出ていった。
 部屋にはまた慎さんと二人っきりだ。

「し、慎さん、本当に良いのでしょうか?」
「俺は鈴ちゃんにこれくらいの事じゃ返しきれねぇ借りがあるからなぁ」

 すっとぼけた返事が返ってきた。

「でもここ浅草のど真ん中ですよ」
「ああ。だがここはあのおやっさんの嫁さんが女将をやっているから融通が利くんだ」
「そうなんですか」

 しばらくして女将さんが夕食と一緒に部屋に現れた。

「お鈴ちゃんは怖い思いをしたんですってねぇ。よく頑張りなさったねぇ」

 そう言ってお茶を淹れてくれる。

「暫くはここを自分の家だと思ってゆっくりして行ってくださいな」
「は、はい、お世話になります」

 女将さんの優しい言葉に私は頭を下げてお礼を言う。

「ま、あまり心配しなくても慎さんが色々面倒見てくれるんでしょう?」

 そう言って目に笑いを浮かべて慎さんを見やる。
 慎さんはやけに赤くなりながらこちらにちらりと視線を送ってから答えた。

「お峰さん。からかわんでください」
「慎さんの良い人を見れる日が来るなんて思いもしなかったわ。嬉しいわねぇ」

 良い人。
 え? 私?

 とんでもない事を言われているのに慎さんは否定しない。

 私はその事実に真っ赤になってしまう。

「さて邪魔者は退散しますね。ごゆっくりどうぞ」

 そう言って下がって行ってしまった。

 二人きりで残されてお互い困ってしまう。
 お互い何を話していいのか分からず、言葉少なに夕食を終わらせるとお峰さんが風呂にいってらっしゃいなと声を掛けてくれた。
 慎さんは居心地悪そうに「今の内にちょっと出てくる」と言って出かけていった。

「大丈夫ですよ、あれはきっと照れ隠し」

 お峰さんが素早く部屋を出て行ってしまった慎さんの背中を見ながら私にそう言って笑いかけた。
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