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ICUの中
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一定のリズムで鳴る電子音。
それに続いて、微かに人の声が聞こえる。
金属とガラスがぶつかり合う軽い音が耳元でして、次に消毒液の匂いが鼻を突いた。
(ここは、どこだ?)
やけに重い瞼を開ける。
網膜に映るのは、真っ白な天井と同じ色をしたカーテン。
視線を横にずらすと、そこは機械とベッドが並ぶ空間だった。枕元に立っていた小豆色の服を着た女性と目が合った。
知らない女性だ。
彼女は二・三まばたきし、「先生、患者さんが目覚めました」と声を張り上げる。
十秒ほど経って、白衣を着て首から聴診器を提げた男がやってきた。彼は首に手を当て脈を取って、俺の顔を覗き込んでくる。
「イシダさん。分かりますか? 意識があったら、何か反応をしてください」
俺は返事をしようと口を開いたが、声が出ない。だが、反応したことには変わりなく、男は女性に指示を出した。
(……病院?)
霞がかった思考が徐々に晴れていく。
エレナとアラモアナセンターに行ったこと。
武装集団に襲われたこと。
……エレナが攫われたこと。
様々な光景が浮かんでは消えていく。
本来なら血の気が引いて一気に冷たく感じるところ、何も感じない。どうやら、引くだけの血液も無いらしい。
今が何月何日かを訊ねようとするも、声が出せないのを失念していた。唯一動く眼球を動かし、時計かなにか日付が分かる物を探す。
運良く柱に掛けられたデジタル時計を見つけ、それを見詰める。
表示されている日付は、俺が撃たれてから一日が経っていることを教えてくれた。
急に、真っ暗な洞窟へ突き落とされたような感覚に捕らわれる。
絶望と自分への失望で叫びたかった。だが、相変わらず声は出なかった。
一通りの検査が終わってから、看護師に水を飲ませてもらう。
傷が痛み、重くだるい身体に一日ぶりの水は沁みた。「リンカーン」でのドンパチの後に飲んだ水もそうだったが、酷く疲れている時の水は心身に効く。
それに口の中が湿ったことで、舌や喉が動きやすくなった。
何か言葉を発しようと、喉から音を出していると別の看護師がやってきた。
「イシダさん。お見舞いですよ」
その言葉と共に、看護師の後ろから二人の人間が現れる。その二人は医療用のガウンと帽子を被り、不織布のマスクをしていたが、目元で誰か分かった。
イリナとナザロフだ。
二人共、とても心配そうな表情をしているのが、マスクを着けていても分かる目をしている。
「……よう」
少しでも安心させるために余裕ぶった顔をしようとしたが、声は掠れ、表情は引きつってしまう。結局、余計に心配をさせてしまった。
「亮平……」
「石田さん」
不安げな顔で真剣な声で名前を呼ばれ、思わず泣きそうになる。
「……すまん」
それに伴って、口から言葉がこぼれる。
「……なんで謝んのよ」
「……スマン」
イリナだって、俺がなんで謝っているのか理解しているはずだ。
本来、そこにいるべき娘がいないのだから。
「アンタが死ななくてよかった。今は、それだけで十分よ」
イリナの優しさが逆に辛い。
どうにか出来なかったのか、それがずっと頭の中を巡っている。
起きてしまったことは、もう覆せないのは分かっているはずなのに、「どうにか」の四文字が回り続けている。
悔しさから涙が滲み出そうになるのを、必死に堪える。
短い面会時間が終わり、イリナ達は帰っていった。
二人の気配が消えてから、俺の寂しさを紛らわせるためか、看護師がイリナとナザロフとの関係を聞いてくる。
昔の仕事の同僚と答えた。
看護師は、「同僚にしては、やけに親しげでしたね」などと言いたげだったが、話しかけるなオーラを出して退散してもらった。
彼女には悪いが、冷やかされても今は笑えない。
窓にはブラインドが掛かっているが、隙間から差す光で夜が近いことは分かる。
(エレナは今、どうしているだろうか)
後悔の念から、そんな疑問が生まれる。
お腹を空かせてはいないだろうか。
泣いていないだろうか。
殴られたり、蹴られたりしないだろうか。
そんなことを考えていると、またポロポロと涙が溢れて、枕にシミを作った。
歯を食いしばり、エレナの名を何度も呟く。
情けなくてしょうがなかったが、どうしようもなかった。
石田が彼女の名を呟きながら泣いていた頃。
ある屋敷の一室で、エレナが目を覚ました。
彼女は、その小さな身体には、不釣り合いなほど大きいベッドに寝かされていた。
寝心地もここ数日寝ていたソファーよりも良く、顔をうずめれば石鹸の匂いもする。
更に言えば、彼女が着ていたワンピースも、いつの間にか白のシルク生地のネグリジェに替えられていた。
目覚めた直後で何が何だか分からないエレナだったが、時間が経つにつれ、意識を失った時のことを思い出していく。
銃声と崩れ落ちる石田。
その光景が蘇った瞬間。感情を抑える理性が決壊し、一気に溜まっていたモノが溢れだした。
「おじさん……おじさん……」
熱い雫が握り拳の上に落ち、冷たくなっていく。
「また……死んじゃった……」
実際は生きているが、彼女にそれを知る術はない。彼女はただ泣き続けた。
それに続いて、微かに人の声が聞こえる。
金属とガラスがぶつかり合う軽い音が耳元でして、次に消毒液の匂いが鼻を突いた。
(ここは、どこだ?)
やけに重い瞼を開ける。
網膜に映るのは、真っ白な天井と同じ色をしたカーテン。
視線を横にずらすと、そこは機械とベッドが並ぶ空間だった。枕元に立っていた小豆色の服を着た女性と目が合った。
知らない女性だ。
彼女は二・三まばたきし、「先生、患者さんが目覚めました」と声を張り上げる。
十秒ほど経って、白衣を着て首から聴診器を提げた男がやってきた。彼は首に手を当て脈を取って、俺の顔を覗き込んでくる。
「イシダさん。分かりますか? 意識があったら、何か反応をしてください」
俺は返事をしようと口を開いたが、声が出ない。だが、反応したことには変わりなく、男は女性に指示を出した。
(……病院?)
霞がかった思考が徐々に晴れていく。
エレナとアラモアナセンターに行ったこと。
武装集団に襲われたこと。
……エレナが攫われたこと。
様々な光景が浮かんでは消えていく。
本来なら血の気が引いて一気に冷たく感じるところ、何も感じない。どうやら、引くだけの血液も無いらしい。
今が何月何日かを訊ねようとするも、声が出せないのを失念していた。唯一動く眼球を動かし、時計かなにか日付が分かる物を探す。
運良く柱に掛けられたデジタル時計を見つけ、それを見詰める。
表示されている日付は、俺が撃たれてから一日が経っていることを教えてくれた。
急に、真っ暗な洞窟へ突き落とされたような感覚に捕らわれる。
絶望と自分への失望で叫びたかった。だが、相変わらず声は出なかった。
一通りの検査が終わってから、看護師に水を飲ませてもらう。
傷が痛み、重くだるい身体に一日ぶりの水は沁みた。「リンカーン」でのドンパチの後に飲んだ水もそうだったが、酷く疲れている時の水は心身に効く。
それに口の中が湿ったことで、舌や喉が動きやすくなった。
何か言葉を発しようと、喉から音を出していると別の看護師がやってきた。
「イシダさん。お見舞いですよ」
その言葉と共に、看護師の後ろから二人の人間が現れる。その二人は医療用のガウンと帽子を被り、不織布のマスクをしていたが、目元で誰か分かった。
イリナとナザロフだ。
二人共、とても心配そうな表情をしているのが、マスクを着けていても分かる目をしている。
「……よう」
少しでも安心させるために余裕ぶった顔をしようとしたが、声は掠れ、表情は引きつってしまう。結局、余計に心配をさせてしまった。
「亮平……」
「石田さん」
不安げな顔で真剣な声で名前を呼ばれ、思わず泣きそうになる。
「……すまん」
それに伴って、口から言葉がこぼれる。
「……なんで謝んのよ」
「……スマン」
イリナだって、俺がなんで謝っているのか理解しているはずだ。
本来、そこにいるべき娘がいないのだから。
「アンタが死ななくてよかった。今は、それだけで十分よ」
イリナの優しさが逆に辛い。
どうにか出来なかったのか、それがずっと頭の中を巡っている。
起きてしまったことは、もう覆せないのは分かっているはずなのに、「どうにか」の四文字が回り続けている。
悔しさから涙が滲み出そうになるのを、必死に堪える。
短い面会時間が終わり、イリナ達は帰っていった。
二人の気配が消えてから、俺の寂しさを紛らわせるためか、看護師がイリナとナザロフとの関係を聞いてくる。
昔の仕事の同僚と答えた。
看護師は、「同僚にしては、やけに親しげでしたね」などと言いたげだったが、話しかけるなオーラを出して退散してもらった。
彼女には悪いが、冷やかされても今は笑えない。
窓にはブラインドが掛かっているが、隙間から差す光で夜が近いことは分かる。
(エレナは今、どうしているだろうか)
後悔の念から、そんな疑問が生まれる。
お腹を空かせてはいないだろうか。
泣いていないだろうか。
殴られたり、蹴られたりしないだろうか。
そんなことを考えていると、またポロポロと涙が溢れて、枕にシミを作った。
歯を食いしばり、エレナの名を何度も呟く。
情けなくてしょうがなかったが、どうしようもなかった。
石田が彼女の名を呟きながら泣いていた頃。
ある屋敷の一室で、エレナが目を覚ました。
彼女は、その小さな身体には、不釣り合いなほど大きいベッドに寝かされていた。
寝心地もここ数日寝ていたソファーよりも良く、顔をうずめれば石鹸の匂いもする。
更に言えば、彼女が着ていたワンピースも、いつの間にか白のシルク生地のネグリジェに替えられていた。
目覚めた直後で何が何だか分からないエレナだったが、時間が経つにつれ、意識を失った時のことを思い出していく。
銃声と崩れ落ちる石田。
その光景が蘇った瞬間。感情を抑える理性が決壊し、一気に溜まっていたモノが溢れだした。
「おじさん……おじさん……」
熱い雫が握り拳の上に落ち、冷たくなっていく。
「また……死んじゃった……」
実際は生きているが、彼女にそれを知る術はない。彼女はただ泣き続けた。
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