戦う理由

タヌキ

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カップ麺の中

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 荷物を抱え、ヘトヘトになりながら、俺はバスを降りた。
 ショッピングセンターを出たばかりの時はよかったが、バスで座ったのがよくなかった。程良い振動と身体に溜まった疲労が化学反応を起こし、眠気が発生したのだ。
 一瞬でも気を抜けば爆睡してしまいそうになる中で必死に耐えた。
 イリナとエレナは早々に寝てしまったが、俺は耐えた。むしろ、彼女達が寝たから耐えなければならなくなったとも言える。
 物取り。乗り過ごし。痴漢。それらを防ぐためには、起きていなければならない。
 こうして、歯を食いしばり、太ももをつねって、耐えに耐えて、目的のバス停まで戻ってきた。
 顎が痛いし、太ももは真っ赤になったが、何事もなく帰ってこれたのだ。
 未だに爆睡している二人を起こし、ナザロフの家を目指して丘を登る。だが、途中でエレナが力尽き、イリナがおぶることになった。
 三人分の荷物を抱えているので、家の扉を足で叩く。
「ナザロフ! 俺だ! 開けてくれ!」
「ドアを蹴らないでくださいよ、石田さん」
 そんなことを言いつつ、ナザロフは家の扉を開ける。彼は扉を開けた瞬間は仏頂面だったが、俺の疲れ果てた顔と抱えた荷物、イリナの背中で寝息を立てるエレナを見て全てを察したらしい。
「……お疲れ様です」
「そういうのいいから、早く入れさせろ」
 荷物を置き、エレナをソファーに寝かし、水を飲んで一息つく。身体から力を抜くと、再び力を入れるのが億劫になった。
 豪華客船でドンパチやらかした時以上に、疲れている気がする。あれはただの疲労困憊だったが、今回の場合は精魂尽き果てるだ。
(眠い……)
 一つの欠伸を噛み殺しても、また何個もの欠伸が出てしまう。
 そうこうしているうちに耐えてきた睡魔がまとまって、津波の如き勢いで押し寄せてきた。
(……無理だ)
 電気のスイッチを切ったときのようにいきなり、思考や身体を置き去りにして、俺の意識は途切れた。

 意識を失ったのは夕方だったが、目を覚ましたのは深夜だった。
 ポケットに入れっぱなしだった携帯で時刻を確かめる。日付は変わったばかりらしい。イリナは寝ていた。この様子だと、ナザロフも寝ているに違いない。
(朝まで寝てたかったな……)
 何故、こんな中途半端な時間に起きてしまったのか。なんの意味の無い問答を心の中で呟くと、腹が鳴った。胃が空っぽなのが感覚で分かる。
(……腹減ったな)
 晩飯も食わず、疲労のまま寝てしまったからだ。
 スーパーで買った物の中に、火を使わずに食えるものがないかと探す。
 キッチンに行こうとすると、廊下に見覚えのあるボストンバッグが、黒のキャリーバッグの隣に置かれているのを見つけた。
「こりゃあ……」
 船に置きっぱなしだった自分の鞄だ。ここに持ってきた覚えはないから、親切な誰かが、コッポラか沿岸警備隊あたりにここの住所を聞いて、運んで来てくれたのだろう。
 どちらにせよ、運がいい。
 バッグの前にしゃがみ、中身を確認する。
 着換えやタオルなどを小分けにした袋が詰められていて、荒らされた様子はない。
「だったら……」
 俺はバッグの底を探り、出立の前に入れた茶封筒を取り出す。
 中には、万札が五枚ほど入れてある。
 これでぬいぐるみが買える。そう思った瞬間、背中を叩かれた。
「おじさん」
 振り返ると、エレナが立っていた。その頬にはソファーの痕がくっきりと付いている。
「……寝てないのか」
「目が覚めちゃったんだもん」
 確かに、彼女が寝たのは俺より少し早い時間だ。こんな深夜に起きてしまうのも無理もない。
 エレナをどうするかと悩んでいると、小さな腹の音がした。俺の音ではない。
「お腹空いちゃった」
 エレナがはにかみながら、腹を押さえる。彼女も俺と同じく晩飯を食べていない。
「……なんか、食うか」
「うん」
 晩飯と呼ぶには遅く、夜食と呼ぶには腹が減り過ぎている。俺は買い物袋の中を探り、コンビーフ缶詰とカップ麺を見つけた。
 キッチンに立ちお湯を沸かしていると、ある事に気が付いた。コンロ台に備え付けられた頼りない電灯の下にいたから、気付けたことだ。
「今日は、満月か」
 そこから少しの間を空けて、荒野の砂が混ざったザラついた記憶が蘇ってくる。
 俺は、外で飯を食べる事にした。

 カップ麺と缶詰、そしてフォークを持って外に出る。エレナも同じ物を持って、俺のあとに続く。
「どこで食べるの?」
「……そうだな」
 周囲を見回し、丁度いい場所を探す。
 軒下。丘の斜面。ピックアップトラック。
「トラックの荷台……」
 それなりの広さがあって、尻が汚れる心配をしなくていい場所はそこしかない。
「上がるの?」
「上がらせてやる」
 カップ麺をこぼさないようにして、荷台に上がる。流石トラックというべきか、俺とエレナが座るだけのスペースは十分にあった。
「それじゃあ、冷めないうちに。……いただきます」
「イタダキマス」
 まずは熱々のカップ麺に手を付ける。日本が世界に誇る、世界初のカップ麺だ。この地球の何処に行っても変わらない味だ。
 所変われば品変わるなんて言葉がある様に、飯というのは同じ冠を付けていてもまったく異なるなんて事が往々にしてある。カレーなんかがいい例だろう、日本のカレーとインドのカレーは別物だ。
 けれど、カップ麺はそんなことが無い。荒野で食おうが、日本で食おうが、ハワイで食おうが、同じ味だ。
「美味しいね」
「ああ……」
 お互いに鼻水を垂らしながら、麺を啜って、スープを飲み干す。身体に悪いのは百も承知だが、止める気はさらさらない。
 空のカップを脇に置いて、缶詰を開ける。枕缶と呼ばれる、コンビーフ缶と格闘するエレナの手助けをしてやりながら、俺は天を仰いだ。
 そこには黄金色の満月と満点の星空が広がっていた。
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