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礼儀の中
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ナザロフの家は都市部からも離れた、小高い丘の上に建つ白い壁の平屋だった。
丘からはパイナップルのプランテーションと海が眺められる。車から降りると、エアコンが発する冷気とはお別れしたが、不思議と暑くは感じない。丁度良く風が吹いているようで、熱を受ける肌を優しく撫でてくれる。
「いいところじゃないか」
俺が褒めると、ナザロフは腰に手を当て得意げな顔をした。
「でしょう。しかも、これまで付いたきたし、相場からすればかなり安いんですよ」
これまでのところで、彼はハイラックスのボディーを叩いた。
「へぇ。そりぁいいな」
だがそれは、あくまでもホノルルでの相場であり、家賃数万の安アパートに住んでいる身としてはまさに住む世界が違う話である。
「そうでしょう」
それでも、自慢臭くなくそれどころか親しみすら覚えるのは、ひとえにナザロフの人柄にあるのだろう。
「まぁ、立ち話もナンですし、上がってください」
言われるがまま、俺はナザロフの家に入る。綺麗な外装とは裏腹に、家の中は男やもめの部屋といった感じでかなり散らかっていた。
イリナはしかめっ面でエレナは周囲を興味深く観察するようにキョロキョロとし、俺は何処かで見たことある荒れっぷりに思わず苦笑した。
「これまた、お恥ずかしい」
冷や汗を浮かべたナザロフは、手近にあったジュースの空き缶を拾いながら言う。
「てっきり、ウチに来るのは石田さんだけだと思っていたんで……」
「あー……」
それは完全に俺のミスである。しばらく泊まらせてほしいという用件を伝えようと、もう一つ肝心なことを伝えていなかったのだから。
「自分片付けるんで、御三方は座って、なにか適当に飲んでてください。冷蔵庫に、ビールとかコーラがあるんで」
空き缶を部屋の隅に低く積み上げ、脱ぎ捨てたであろう服を抱えるナザロフ。
だが、こうなった原因を作っておいて呑気に酒を飲む図太さは無い。俺もテーブルの上に重ねられていたピザやボックス中華の箱を畳む。
「あ、自分やりますよ」
「いいから。……元はと言えば、俺の連絡ミスだ。俺もやらんとな」
俺とナザロフでそんなやり取りをしていると、イリナが何処かからごみ袋を持ってきて。
「そこらへんウロウロされてたら、気が散って気分良く飲めないから」
照れ隠しなのか本音なのか分かりにくい言葉を口にしながら、分別もクソもなく片っ端から袋へぶち込んでいく。
エレナもイリナに倣って、ごみを袋に突っ込みだした。
それから四人がかりでごみを片付け、その勢いで掃除機やら洗い物にまで手を出し、全てが終わったのは夕方になってからだった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
半泣きのナザロフを宥めながら、少し早いが晩飯の支度をする。
といっても、冷凍食品を温め、店屋物を注文し、缶ビールを出すだけだが。
しかし、店屋物が届くのを待つ空白の間。その時間をただボーッと過ごす訳にはいかない。
「エレナ」
ソファーにチョコンと座るエレナに手招きをする。
「何? おじさん」
一人の子供を育てる人間として、まず最初に教えるべきこと。助手席で揺られている時に色々と考えたが、行き着いたのは結局これだった。
「……これから、ご飯を食べる前と後に絶対にやってほしい事があるんだ」
「何をするの?」
エレナが首を傾げる。だが、表情には少し緊張の色が見える。
(……まだ完全に信用はされてねぇか)
心ではそう分析しつつも、それをおくびに出さず話を続けた。
「そう難しい事じゃない。ただ、おまじないをするだけさ」
「……おまじない?」
「おまじない。『いただきます』と『ごちそうさま』だ」
「『いただきます』と『ごちそうさま』?」
慣れない日本語の発音に、エレナが困惑する。彼女がワタワタしている様を、後ろの方でイリナとナザロフが観察している。
「そうだ。命をいただきますって意味と、命をごちそうさまって意味がある」
「命を?」
「そう。昨日食べたジャムやら野菜やらも、元を正せば命だからな」
昔読んだ何かで、人間は何かを殺さないと生きていけないなんて文言を目にした事がある。
食事の際に口にする物は当たり前として、俺の場合は誰かを殺さないと自分が死ぬ状況下にいた。命とはなんぞやと、生きている内に教えておきたいのだ。
「食べ方が汚いのは、後でどうにでもなる。けれど、これは言わなきゃ、失礼だ」
「……じゃあ、私、失礼だった?」
「ああ。だが、晩飯を食う時に、これまでの分も込みで言えばいい。それでチャラだ」
「チャラ?」
「文句無しって事さ」
俺が歯を見せて笑ってやると、エレナも笑顔を見せてくれた。
それと同時にインターホンが鳴る。ナザロフが応対し、ピザの箱を持ってきた。
「食べましょ」
イリナが率先して椅子に座り、俺達もそれに続く。
「いただきます」
ぎこちないながらも気持ちの籠った挨拶を合図に、再会を祝し新たな門出を祝う、ささやかな宴を始まった。
丘からはパイナップルのプランテーションと海が眺められる。車から降りると、エアコンが発する冷気とはお別れしたが、不思議と暑くは感じない。丁度良く風が吹いているようで、熱を受ける肌を優しく撫でてくれる。
「いいところじゃないか」
俺が褒めると、ナザロフは腰に手を当て得意げな顔をした。
「でしょう。しかも、これまで付いたきたし、相場からすればかなり安いんですよ」
これまでのところで、彼はハイラックスのボディーを叩いた。
「へぇ。そりぁいいな」
だがそれは、あくまでもホノルルでの相場であり、家賃数万の安アパートに住んでいる身としてはまさに住む世界が違う話である。
「そうでしょう」
それでも、自慢臭くなくそれどころか親しみすら覚えるのは、ひとえにナザロフの人柄にあるのだろう。
「まぁ、立ち話もナンですし、上がってください」
言われるがまま、俺はナザロフの家に入る。綺麗な外装とは裏腹に、家の中は男やもめの部屋といった感じでかなり散らかっていた。
イリナはしかめっ面でエレナは周囲を興味深く観察するようにキョロキョロとし、俺は何処かで見たことある荒れっぷりに思わず苦笑した。
「これまた、お恥ずかしい」
冷や汗を浮かべたナザロフは、手近にあったジュースの空き缶を拾いながら言う。
「てっきり、ウチに来るのは石田さんだけだと思っていたんで……」
「あー……」
それは完全に俺のミスである。しばらく泊まらせてほしいという用件を伝えようと、もう一つ肝心なことを伝えていなかったのだから。
「自分片付けるんで、御三方は座って、なにか適当に飲んでてください。冷蔵庫に、ビールとかコーラがあるんで」
空き缶を部屋の隅に低く積み上げ、脱ぎ捨てたであろう服を抱えるナザロフ。
だが、こうなった原因を作っておいて呑気に酒を飲む図太さは無い。俺もテーブルの上に重ねられていたピザやボックス中華の箱を畳む。
「あ、自分やりますよ」
「いいから。……元はと言えば、俺の連絡ミスだ。俺もやらんとな」
俺とナザロフでそんなやり取りをしていると、イリナが何処かからごみ袋を持ってきて。
「そこらへんウロウロされてたら、気が散って気分良く飲めないから」
照れ隠しなのか本音なのか分かりにくい言葉を口にしながら、分別もクソもなく片っ端から袋へぶち込んでいく。
エレナもイリナに倣って、ごみを袋に突っ込みだした。
それから四人がかりでごみを片付け、その勢いで掃除機やら洗い物にまで手を出し、全てが終わったのは夕方になってからだった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
半泣きのナザロフを宥めながら、少し早いが晩飯の支度をする。
といっても、冷凍食品を温め、店屋物を注文し、缶ビールを出すだけだが。
しかし、店屋物が届くのを待つ空白の間。その時間をただボーッと過ごす訳にはいかない。
「エレナ」
ソファーにチョコンと座るエレナに手招きをする。
「何? おじさん」
一人の子供を育てる人間として、まず最初に教えるべきこと。助手席で揺られている時に色々と考えたが、行き着いたのは結局これだった。
「……これから、ご飯を食べる前と後に絶対にやってほしい事があるんだ」
「何をするの?」
エレナが首を傾げる。だが、表情には少し緊張の色が見える。
(……まだ完全に信用はされてねぇか)
心ではそう分析しつつも、それをおくびに出さず話を続けた。
「そう難しい事じゃない。ただ、おまじないをするだけさ」
「……おまじない?」
「おまじない。『いただきます』と『ごちそうさま』だ」
「『いただきます』と『ごちそうさま』?」
慣れない日本語の発音に、エレナが困惑する。彼女がワタワタしている様を、後ろの方でイリナとナザロフが観察している。
「そうだ。命をいただきますって意味と、命をごちそうさまって意味がある」
「命を?」
「そう。昨日食べたジャムやら野菜やらも、元を正せば命だからな」
昔読んだ何かで、人間は何かを殺さないと生きていけないなんて文言を目にした事がある。
食事の際に口にする物は当たり前として、俺の場合は誰かを殺さないと自分が死ぬ状況下にいた。命とはなんぞやと、生きている内に教えておきたいのだ。
「食べ方が汚いのは、後でどうにでもなる。けれど、これは言わなきゃ、失礼だ」
「……じゃあ、私、失礼だった?」
「ああ。だが、晩飯を食う時に、これまでの分も込みで言えばいい。それでチャラだ」
「チャラ?」
「文句無しって事さ」
俺が歯を見せて笑ってやると、エレナも笑顔を見せてくれた。
それと同時にインターホンが鳴る。ナザロフが応対し、ピザの箱を持ってきた。
「食べましょ」
イリナが率先して椅子に座り、俺達もそれに続く。
「いただきます」
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