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警備隊の中
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医務室に戻ってから小一時間ほど経って、陸に到着した。四月と言えど気温は二十五度を超えており、船を出るなり背中の全ての毛穴から汗が滲み出てくる。急いでジャケットを脱ぎ、少しでも熱を逃がす。
日本とも海の上とも違う空気にほんの一瞬だけ現実を忘れ、胸が高鳴りだした。肌を焼く太陽と浮かれた空気は誰もがイメージする海外そのものであり、俺が目にする新たな非日常だった。
「ハワイだな」
「ハワイね」
そんな言葉をイリナと交わしつつ、タラップから降りる。そして、数日ぶりに俺達は文字通り地に足をつけた。
すると不思議な事に、一気に浮ついていた気持ちが引き締まった気がした。非日常の中にいるのは間違いないのに、胸の高鳴りが消えたのだ。
数日ぶりの陸の感触を味わったせいで、現実に引き戻されたのかは知らない。
でも確かに言えるのは、俺が陸に立ったおかげで安心したという事だ。
「亮平?」
急に立ち止まった俺を、イリナが心配そうに見上げる。
「……いや、なんでもない」
そう言って誤魔化して、沿岸警備隊の建物に入る。建物の中はクーラーが程良く効いており、体表にうっすらと層を作っていた汗を一気に乾かした。寒すぎず、暑すぎず。常夏の国故の塩梅とでもいうか。
俺やイリナはともかく、この文明の涼風を久し振りまたは初めて感じたであろう子供達は、明らかに喜んでいた。
「Frío……」
エレナも同じ様で、不快感の無いこの気温と湿度に顔を緩めている。
「こっちです! 食事の用意がしてあります!」
内勤であろう、ネクタイにワイシャツ姿の隊員が先導し食堂に案内される。
案内された食堂は、豪華客船のレストランみたいなきらびやかさとは無縁なデザインだった。
けれど、肩肘張らないでいい分、個人的にはこちらの方が落ち着く。
食事の方はプラスチック製のお盆と皿を取り、順路に沿って料理を受け取るシステムだった。
メニューはミネストローネスープとクラッカーとイチゴジャムとレタスとコーンのサラダだ。小袋のフレンチドレッシングが添えられている。メニューから考察するに、主に災害時などの保存用だったり、多めに作ってある物を俺達へと回しているのだろう。
流石に隊員達が口にするメニューと同じではないが、食事を用意してくれただけありがたい話である。
俺は料理を取って席につき、手を合わせ「いただきます」と唱えた。
隣の席ではイリナが食べる前のお祈りをしている。傭兵時代にも、たまに見た光景だ。
彼女もクソみたいな戦場にこそ居たが、育ちはなんだかんだ悪くはないのだろう。
彼女のお祈りと比べ、一言で済む食材への感謝を告げる日本語に優越感を覚えながら、スープのお椀を手にした。
作り物っぽい、偽物っぽいいかにもなトマト味だったが、温かいというだけで許せる気がする。季節問わずこれだけは断言できる。
「……おいし」
いつの間にお祈りを終えたイリナも、スープの椀を手にして呟いていた。
次に小袋のドレッシングを掛けたレタスを口に運ぶ。ドレッシングの塩気もすぐに大量に分泌された唾液に押し流され、生野菜の直の味が舌を刺激する。
苦味がする瑞々しさは生にしかない味だ。
スープとサラダを平らげた後、最後にジャムを付けたクラッカーを囓る。
イチゴ味の単純な甘味と糖分が、最後の最後に満足感をプラスさせてくれた。
皿の上の料理を全て胃に収め、「ごちそうさま」と唱えてからふと隣を見る。イリナはクラッカーをスープに浸し、ジャムは彼女がいつの間に取ってきていた紅茶に溶かしていた。
「美味そうだな、それ」
「どれ?」
「紅茶」
「でしょ」
彼女は自慢げに鼻を鳴らす。俺も飲み物を取ってこようと、腰を上げる。すると、子供達の食事風景が目に入ってきた。
その様子は思わず目を覆いたくなる程だ。
食事マナーなんて存在しないかと錯覚するくらい、彼等の大半がメシをめちゃくちゃにして食べていた。
ただこぼすくらいだったらまだいい、だが彼等はスプーンの使い方すらままなっていない。
俺のような「いただきます」や「ごちそうさま」の感謝の気持ちを表すでもなく、イリナのように神への祈りを捧げるでもなく、出されたメシを動物みたいに手掴みで口に詰め込んでいるのだ。同世代の普通の子達なら、もう少し綺麗に食べるはず。
それを見て俺の脳裏には「無知」の二字が浮かび、その事実に背筋が寒くなった。
彼等に親を始めとした誰も、そういったものを教えてくれなかったのだろう。今風に言うとネグレクトというやつだ。もしかすると、もっと過酷な環境に身を置いていた可能性すらある。
小さい子にとっては親が世界の全て。その親が何もしてくれないのであれば、その子の世界は無いも同然だ。酷い言い草になるが、マナーやルールを守れない人間は動物と同レベルかそれ以下。言わば、目の前にいる子供達は服を着た獣だ。
更に言えば、この子達は俺とイリナが何もしなかったら、あのまま売られる運命にあったのだ。最初から最後まで人間扱いされていない。
俺はそれに怒りを覚えると同時に、久しく目にしていなかったこの世界の暗部に足がすくむ思いだった。
日本とも海の上とも違う空気にほんの一瞬だけ現実を忘れ、胸が高鳴りだした。肌を焼く太陽と浮かれた空気は誰もがイメージする海外そのものであり、俺が目にする新たな非日常だった。
「ハワイだな」
「ハワイね」
そんな言葉をイリナと交わしつつ、タラップから降りる。そして、数日ぶりに俺達は文字通り地に足をつけた。
すると不思議な事に、一気に浮ついていた気持ちが引き締まった気がした。非日常の中にいるのは間違いないのに、胸の高鳴りが消えたのだ。
数日ぶりの陸の感触を味わったせいで、現実に引き戻されたのかは知らない。
でも確かに言えるのは、俺が陸に立ったおかげで安心したという事だ。
「亮平?」
急に立ち止まった俺を、イリナが心配そうに見上げる。
「……いや、なんでもない」
そう言って誤魔化して、沿岸警備隊の建物に入る。建物の中はクーラーが程良く効いており、体表にうっすらと層を作っていた汗を一気に乾かした。寒すぎず、暑すぎず。常夏の国故の塩梅とでもいうか。
俺やイリナはともかく、この文明の涼風を久し振りまたは初めて感じたであろう子供達は、明らかに喜んでいた。
「Frío……」
エレナも同じ様で、不快感の無いこの気温と湿度に顔を緩めている。
「こっちです! 食事の用意がしてあります!」
内勤であろう、ネクタイにワイシャツ姿の隊員が先導し食堂に案内される。
案内された食堂は、豪華客船のレストランみたいなきらびやかさとは無縁なデザインだった。
けれど、肩肘張らないでいい分、個人的にはこちらの方が落ち着く。
食事の方はプラスチック製のお盆と皿を取り、順路に沿って料理を受け取るシステムだった。
メニューはミネストローネスープとクラッカーとイチゴジャムとレタスとコーンのサラダだ。小袋のフレンチドレッシングが添えられている。メニューから考察するに、主に災害時などの保存用だったり、多めに作ってある物を俺達へと回しているのだろう。
流石に隊員達が口にするメニューと同じではないが、食事を用意してくれただけありがたい話である。
俺は料理を取って席につき、手を合わせ「いただきます」と唱えた。
隣の席ではイリナが食べる前のお祈りをしている。傭兵時代にも、たまに見た光景だ。
彼女もクソみたいな戦場にこそ居たが、育ちはなんだかんだ悪くはないのだろう。
彼女のお祈りと比べ、一言で済む食材への感謝を告げる日本語に優越感を覚えながら、スープのお椀を手にした。
作り物っぽい、偽物っぽいいかにもなトマト味だったが、温かいというだけで許せる気がする。季節問わずこれだけは断言できる。
「……おいし」
いつの間にお祈りを終えたイリナも、スープの椀を手にして呟いていた。
次に小袋のドレッシングを掛けたレタスを口に運ぶ。ドレッシングの塩気もすぐに大量に分泌された唾液に押し流され、生野菜の直の味が舌を刺激する。
苦味がする瑞々しさは生にしかない味だ。
スープとサラダを平らげた後、最後にジャムを付けたクラッカーを囓る。
イチゴ味の単純な甘味と糖分が、最後の最後に満足感をプラスさせてくれた。
皿の上の料理を全て胃に収め、「ごちそうさま」と唱えてからふと隣を見る。イリナはクラッカーをスープに浸し、ジャムは彼女がいつの間に取ってきていた紅茶に溶かしていた。
「美味そうだな、それ」
「どれ?」
「紅茶」
「でしょ」
彼女は自慢げに鼻を鳴らす。俺も飲み物を取ってこようと、腰を上げる。すると、子供達の食事風景が目に入ってきた。
その様子は思わず目を覆いたくなる程だ。
食事マナーなんて存在しないかと錯覚するくらい、彼等の大半がメシをめちゃくちゃにして食べていた。
ただこぼすくらいだったらまだいい、だが彼等はスプーンの使い方すらままなっていない。
俺のような「いただきます」や「ごちそうさま」の感謝の気持ちを表すでもなく、イリナのように神への祈りを捧げるでもなく、出されたメシを動物みたいに手掴みで口に詰め込んでいるのだ。同世代の普通の子達なら、もう少し綺麗に食べるはず。
それを見て俺の脳裏には「無知」の二字が浮かび、その事実に背筋が寒くなった。
彼等に親を始めとした誰も、そういったものを教えてくれなかったのだろう。今風に言うとネグレクトというやつだ。もしかすると、もっと過酷な環境に身を置いていた可能性すらある。
小さい子にとっては親が世界の全て。その親が何もしてくれないのであれば、その子の世界は無いも同然だ。酷い言い草になるが、マナーやルールを守れない人間は動物と同レベルかそれ以下。言わば、目の前にいる子供達は服を着た獣だ。
更に言えば、この子達は俺とイリナが何もしなかったら、あのまま売られる運命にあったのだ。最初から最後まで人間扱いされていない。
俺はそれに怒りを覚えると同時に、久しく目にしていなかったこの世界の暗部に足がすくむ思いだった。
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