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酒席の中
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ヴァンプの元にもウイスキーソーダが届き、彼女も一口飲んだ。
「美味しい!」
「恐縮です」
良くも悪くも素直な彼女の言葉に、バーテンは慇懃無礼に頭を下げる。その表情は何処か誇らしげだ。
(プロだなぁ……)
自分には到底できない礼儀作法を粛々と行うバーテンに、俺は尊敬の念を抱いた。
「ナッツもどうぞ」
「ありがとうございます」
差し出された小皿を手元に引き寄せ、ヴァンプはナッツを二粒口へ放り込んだ。
酒とつまみで口が滑らかになったのか、俺の方へ少し身体を寄せてきた。
「さて、亮平。クリミア以来ね」
口調が堅くなっている。おふざけ無しで話がしたいのだろう。
「そうだな」
「今は何してるの?」
「日本語学校の事務員」
「講師なの?」
「事務員だよ、事務員。講師は大卒じゃないとなれないの」
「フゥン……」
つまんないと言いたげな目をして、彼女は酒を飲んだ。
「そういうお前はどうなんだ? そんな格好して、こんな所にいるって事は、金持ちのボディーガードか?」
「大正解」
彼女は俺へ指を指しながら、白い歯を見せながら笑った。
「傭兵稼業はどうした。……お前の天職みたいなもんだろ」
「ああ……。辞めたわ」
想像していたよりもアッサリ言われてしまったので面食う。コイツが辞めるからには、何か重大な理由があると思ったのだが。
「なんで辞めちまったんだよ」
「飽きたの」
理由までアッサリしていて、俺は椅子からずり落ちそうになる。
「飽きたって……」
「正確に言えば、張り合いが無くなったのよ。誰かさんが勝手に傭兵辞めちゃうから」
「あん?」
思わぬ方向から飛んできた弾に驚き、変な声が出てしまう。
「水臭いじゃない。何も言わないで辞めちゃうなんて」
グラスを回し、中の氷を鳴らす。
「……限界が見えたんだよ、俺自身のな。だから辞めた。それだけだ」
「限界って……」
俺が何を言っているか分からないといった風情に、目を見開くヴァンプ。そんな彼女は俺よりニ十歳若く、まだ老いというものを十分に理解できていない。
「お前も四十を過ぎれば嫌でも分かる」
人生の先輩としてこれだけは言っておきたかった。
「………………」
納得はいっていないようだが年齢という個人の尺度でしか測れないものを持ち出したせいか、彼女は黙った。
俺としてもこれ以上、この話を深堀りする気は無いので話題を変える。
「俺が辞めた後、どうだ? 他に辞めた奴とか、何か変わった事とかあったか?」
「変わった事は特に。私も、亮平が辞めてから少ししてから辞めたし……。あっ――」
「なんだよ」
「覚えてる? アイツ、ナザロフ。ミハイル・ナザロフ」
「覚えてる。忘れられないよ」
三年前。脱走兵だったナザロフを部隊に誘い、死んだ小隊長の代わりを頼んだのは他ならぬ俺だからだ。
彼は当時二十歳になったばかりの新兵だったが、民間人へ無差別に攻撃する上官を後ろから撃って逃げてきた札付き。その名前を聞いた途端、あの幼さが抜けきらない赤ら顔が懐かしくなった。
「彼も辞めたわ。今はハワイに住んでる。なんか、三年前の経験を本にしてそこそこ売れたらしいわ」
「脱走兵から、義勇兵部隊、今は作家か……波乱万丈だな。履歴書読む分には退屈しなさそうだ」
「何処かの誰かさんと違って連絡先を交換し合って辞めたから、たまに連絡が来るけど、元気そうよ」
「あー……。そいつはよかった」
皮肉を柳に風と受け流し、酒を飲む。でも、ナザロフの安否が分かったのは収穫だ。
兄弟のいない俺にとって、彼は年の離れた弟みたいな存在だった。俺が部隊の中で彼に一番優しくしていたのもあるが、彼も俺に懐いていたと思う。
船はホノルルに停まるはずなので、訪ねてみるのも悪くないかもしれない。……別れてから連絡を一切寄こさない薄情者に愛想を尽かしていなければ、会ってくれるはずだ。
「ハワイの何処に住んでるか知ってるか?」
「ハワイの? 覚えてないけど……聞く?」
そう言い、彼女はポケットから携帯電話を出した。
「ハワイ近づいてからでいい。今は、アイツが元気だって事が分かっただけで、充分だ」
「そう。彼も喜ぶわ、亮平の安否を一番気にしてたの、彼だし」
頬が緩みそうになるのを、柄でもない冗談を言って誤魔化す。
「野郎にか。どうせだったら、とびきりの美女に気にしてほしかったよ」
「私も気にしてたけど」
すかさずヴァンプが突っ込んでくるが、酒に口を付けてシカトする。
「……もう」
彼女は唇を尖らせて拗ねた表情を作る。傭兵時代から、俺の気を引く為に使う常套手段だ。
「ほざけ血液狂い」
「あら失礼な」
乗る方も乗る方だが、する方もする方である。でも彼女の顔は生き生きとしている。そんな彼女だったが何かを思いついたような顔をして、口を開いた。
「そうだ亮平。もう晩御飯って食べた?」
「いや、まだ食ってない」
「アラ。もう食べたのかと思った」
「少し前まで寝ててな。誰かさんに呼び出されてたし、飯を食う時間も無くてな」
「だったら、晩御飯奢る。一緒に飲んでくれたお礼」
「誘われたから来ただけだ。奢られる筋は無い」
「こっちはあるの。……再会出来て、結構嬉しかったんだよ、私」
そう言う彼女の笑みは、とても魅力的だった。と同時に、そんな顔をされては断りにくいと思わせるだけの、力も込められている。
「……そうかい」
俺も口角を上げ、グラスの酒を飲み干した。
「美味しい!」
「恐縮です」
良くも悪くも素直な彼女の言葉に、バーテンは慇懃無礼に頭を下げる。その表情は何処か誇らしげだ。
(プロだなぁ……)
自分には到底できない礼儀作法を粛々と行うバーテンに、俺は尊敬の念を抱いた。
「ナッツもどうぞ」
「ありがとうございます」
差し出された小皿を手元に引き寄せ、ヴァンプはナッツを二粒口へ放り込んだ。
酒とつまみで口が滑らかになったのか、俺の方へ少し身体を寄せてきた。
「さて、亮平。クリミア以来ね」
口調が堅くなっている。おふざけ無しで話がしたいのだろう。
「そうだな」
「今は何してるの?」
「日本語学校の事務員」
「講師なの?」
「事務員だよ、事務員。講師は大卒じゃないとなれないの」
「フゥン……」
つまんないと言いたげな目をして、彼女は酒を飲んだ。
「そういうお前はどうなんだ? そんな格好して、こんな所にいるって事は、金持ちのボディーガードか?」
「大正解」
彼女は俺へ指を指しながら、白い歯を見せながら笑った。
「傭兵稼業はどうした。……お前の天職みたいなもんだろ」
「ああ……。辞めたわ」
想像していたよりもアッサリ言われてしまったので面食う。コイツが辞めるからには、何か重大な理由があると思ったのだが。
「なんで辞めちまったんだよ」
「飽きたの」
理由までアッサリしていて、俺は椅子からずり落ちそうになる。
「飽きたって……」
「正確に言えば、張り合いが無くなったのよ。誰かさんが勝手に傭兵辞めちゃうから」
「あん?」
思わぬ方向から飛んできた弾に驚き、変な声が出てしまう。
「水臭いじゃない。何も言わないで辞めちゃうなんて」
グラスを回し、中の氷を鳴らす。
「……限界が見えたんだよ、俺自身のな。だから辞めた。それだけだ」
「限界って……」
俺が何を言っているか分からないといった風情に、目を見開くヴァンプ。そんな彼女は俺よりニ十歳若く、まだ老いというものを十分に理解できていない。
「お前も四十を過ぎれば嫌でも分かる」
人生の先輩としてこれだけは言っておきたかった。
「………………」
納得はいっていないようだが年齢という個人の尺度でしか測れないものを持ち出したせいか、彼女は黙った。
俺としてもこれ以上、この話を深堀りする気は無いので話題を変える。
「俺が辞めた後、どうだ? 他に辞めた奴とか、何か変わった事とかあったか?」
「変わった事は特に。私も、亮平が辞めてから少ししてから辞めたし……。あっ――」
「なんだよ」
「覚えてる? アイツ、ナザロフ。ミハイル・ナザロフ」
「覚えてる。忘れられないよ」
三年前。脱走兵だったナザロフを部隊に誘い、死んだ小隊長の代わりを頼んだのは他ならぬ俺だからだ。
彼は当時二十歳になったばかりの新兵だったが、民間人へ無差別に攻撃する上官を後ろから撃って逃げてきた札付き。その名前を聞いた途端、あの幼さが抜けきらない赤ら顔が懐かしくなった。
「彼も辞めたわ。今はハワイに住んでる。なんか、三年前の経験を本にしてそこそこ売れたらしいわ」
「脱走兵から、義勇兵部隊、今は作家か……波乱万丈だな。履歴書読む分には退屈しなさそうだ」
「何処かの誰かさんと違って連絡先を交換し合って辞めたから、たまに連絡が来るけど、元気そうよ」
「あー……。そいつはよかった」
皮肉を柳に風と受け流し、酒を飲む。でも、ナザロフの安否が分かったのは収穫だ。
兄弟のいない俺にとって、彼は年の離れた弟みたいな存在だった。俺が部隊の中で彼に一番優しくしていたのもあるが、彼も俺に懐いていたと思う。
船はホノルルに停まるはずなので、訪ねてみるのも悪くないかもしれない。……別れてから連絡を一切寄こさない薄情者に愛想を尽かしていなければ、会ってくれるはずだ。
「ハワイの何処に住んでるか知ってるか?」
「ハワイの? 覚えてないけど……聞く?」
そう言い、彼女はポケットから携帯電話を出した。
「ハワイ近づいてからでいい。今は、アイツが元気だって事が分かっただけで、充分だ」
「そう。彼も喜ぶわ、亮平の安否を一番気にしてたの、彼だし」
頬が緩みそうになるのを、柄でもない冗談を言って誤魔化す。
「野郎にか。どうせだったら、とびきりの美女に気にしてほしかったよ」
「私も気にしてたけど」
すかさずヴァンプが突っ込んでくるが、酒に口を付けてシカトする。
「……もう」
彼女は唇を尖らせて拗ねた表情を作る。傭兵時代から、俺の気を引く為に使う常套手段だ。
「ほざけ血液狂い」
「あら失礼な」
乗る方も乗る方だが、する方もする方である。でも彼女の顔は生き生きとしている。そんな彼女だったが何かを思いついたような顔をして、口を開いた。
「そうだ亮平。もう晩御飯って食べた?」
「いや、まだ食ってない」
「アラ。もう食べたのかと思った」
「少し前まで寝ててな。誰かさんに呼び出されてたし、飯を食う時間も無くてな」
「だったら、晩御飯奢る。一緒に飲んでくれたお礼」
「誘われたから来ただけだ。奢られる筋は無い」
「こっちはあるの。……再会出来て、結構嬉しかったんだよ、私」
そう言う彼女の笑みは、とても魅力的だった。と同時に、そんな顔をされては断りにくいと思わせるだけの、力も込められている。
「……そうかい」
俺も口角を上げ、グラスの酒を飲み干した。
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