戦う理由

タヌキ

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非日常の中

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 部屋に荷物を置き、貴重品だけを持って俺は早速船内の散策へ出かけた。焦らない焦らないと念じても、身体を止められないのだ。
 それに身体が自然に動くことが久し振りの事で、止めるのがもったいないと思うのだ。
 俺は海を見る為に上のデッキに出た。プールやら野外ステージがあるデッキで活気にあふれている。
 若い衆がそこかしこで盛り上がっていて、いつもなら俺みたいな老いぼれがいるような場所じゃないと、気後れしそうだが、今はそんな事など気にしていない。
 むしろ、若人達は元気があってよろしい。なんて感想がスラスラと出てくる。
 俺は若者の波を掻き分け、落下防止の柵の所まで進むと眼前に広がる海を見た。海を意識しだした途端、鼻にムワッと潮の香りが飛び込んできた。
 海はとにかく広く、大きい。紺色の絨毯の先は陽炎で揺らいでおり、空との境界線が曖昧になっていて無限の世界がその向こうにあるとすら思わせる。
 世界というものが如何に狭いものかと傭兵時代は常日頃から感じていたものだが、こうして見て見るとこの地球が広大である事を思い知らされる。
 と同時に、人間が狭い世界を巡って狭い範囲で争っているかも思い知らされた。日本に帰って来てから、誰に言われるでもなく俺は何処か疎外感の様な物を抱えていた。
 経験してきた事がどれも重く辛かったせいか、この平和な国での暮らしに気分的に馴染めずにいたのだ。
 でも、この海を見て思った。俺は世界を構成するたった数ピースを組み合わせて、パズルを完成させたと思い込んでいただけなのだ。
 世界は広く、争い事が絶えない場所もあれば平和な場所も多い。
 ……冷静に考えれば当たり前だ。
「来てよかった」
 本日二回目の言葉を今度は声に出す。
 しかし、まだ船は出港していない。これなら、わざわざ高い金を払わなくてもよくて遊覧船でも事足りる。
 なので俺は踵を返し、次は船内をゆったりと探索する事にした。上から順々にデッキを見て回る。
 4D設備の映画館。ミラーボール眩しいディスコ。
 そして、数フロアぶち抜きで造られたショッピングモール。ファッションとかそういった物に疎い俺でも知っている様な有名ブランドが軒を連ねている。
(本当にここ、船の中か?)
 陸の上ですらこんな立派なモールは珍しいというのに、ここは文字通りの別世界だ。
 店先に八百屋のスイカよろしく並ぶ装飾品は、スイカの何百倍もの値札が付けられている。
 しかもそれが平然と売れる訳だ。
(ある所には、あるもんなんだなぁ……)
 傭兵時代の貯金を切り崩して乗った身としては、驚きを通り越して笑えてくる。やれ値上がりだ不況だ円安だと嘆くニュースが流れようと、世界はこうして回っているらしい。
(……平和な訳だ)
 海を見た時の感想を自ら皮肉るような言葉だったが、思ってしまったのだからしょうがない。
 買い物にいそしむマダムや靴を眺めるミドルの姿を見ながら、モールを回る。
 店頭に出ている品物を買えはしないものの、見る分にはタダであり、見てるだけでもなんだかんだ楽しい。
 こうしていると、鞄やら靴やら宝石の類なんかを身に着けずコレクションアイテムにしている奴の気持ちも理解出来る。
 一つ階層を下りると、今度は服屋が軒を連ねるフロアだった。いつも世話になっているファストファッションとは違う、お高級な生地から作ったのがよく分かる物ばかりだ。
 値札を見てみればジャケット一枚で、俺が身に着けている物全ての総額より高い。これでもそれなりの店で買ったものだが。
 これまたぶらりと歩いていると、今度は子供服を扱っている店が目に入った。
(そうか、子供も乗っているんだったな)
 俺はついさっきまでいたプールで、何人かの子供が楽し気に泳いでいたのを思い出した。試しに少し奥の方へ視線を向けてみる。店の隅で女児用水着が何着か売っていた。
(そういえば日本に帰って来てから、一度も泳いで無いなぁ)
 冷静に考えれば、帰国してからは体形維持の為の必要最低限の運動しかしていない。
(せっかくだし、水着でも買って泳いでみるかな)
 水着なら然程高くは無いだろうし。と心の中で付け加え、ここでは考えるだけに留めた。まだまだ船は出港すらしていない。
 時間はたっぷり残っているのだ。心なしか少し速めていた歩をゆっくりに戻す。
 それからジムや図書館を少し覗いていると、出港する旨の船内放送が掛かった。
 せっかくなので船が岸から離れる所を見物する事にした。左舷のデッキに出て桟橋を見下ろす。そこでは作業員が慌ただしく動いており、何人かは手を振っていた。
 近くに居た外国人もそれに気が付くと、笑顔で手を振り返し、中には写真を撮る者もいた。「bye!」や「サヨナラ!」など片言の日本語で別れを告げる人もいる。
 汽笛が鳴り、いよいよ出港の時が訪れた。ここからは見えないが、船尾の方ではタグボートが引っ張っている事だろう。
 船はゆっくりと動き出し、徐々に桟橋からも離れていく。
(ああ……行ってしまうんだ)
 この時俺は、胸に郷愁の念が湧いた事に気が付いた。日本を離れるのはこれが初めてではない。
 なんなら初めて日本から離れた時は、こんな感情は湧かなかったのに。
(不思議な事もあるもんだ)
 俺は遠くにある横浜の街並みを見ながら、深く息を吐いた。
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