93 / 97
―境界編―
うんざりだ
しおりを挟む
――深淵。
「うんざり、だ」
「おい、鳳城 さとり、大丈夫か?」
「さとりちゃん、平気?」
天野、雪音さん、二人は僕のことを心配そうにしてみている。
「ああ、ええと、はい、多分、大丈夫です。現実の僕に、うんざりしていました」
僕は、僕にうんざりした。
「ああ、そうだろう。今だから言うが、現実世界のお前は、最高に胸糞悪い奴だったぞ」
天野は苦笑いしながらそう言った。うん、僕もそう思う。最高に胸糞悪い。
「そうそう、私も現実世界のさとりちゃんはちょっと苦手かなぁ……って、うそうそ。私は、現実世界のことをどうしても思い出せないけどね!」
雪音さんは“てへっ”とした。
「そもそも、どうして僕は、天野さんと一緒にDiveしてきたんですか? 僕もそこらへん、よく思い出せないんですけども」
あれ? そういえば、新型の試験運用開始の2月に、僕たちに何があったんだろう? よく思い出せない。
「ん、ああ、それは話せば長くなるんだが、簡単に言えば、E・D・E・N 20周年記念の20世紀体験セレモニーとかで、参加チケットを抽選で配り、好奇心旺盛な人間を大勢集めたっていうんだから、これはもう、大規模な人体実験でもしたってところだろ。その尻拭いを私やお前がやらされていると考えれば……なんとまあ皮肉なもんだな。そもそも、お前にも、父親のコネでチケットがいってたんじゃないのか? お前、非番だったんだろ? まあ、その様子じゃ、そのチケットは誰か別の人間のもとにいったようにも見受けられるが」
天野はさらっと酷なことを言う。人体実験の尻拭いとか、そんな馬鹿げた話があっていいのだろうか……? いや、待て待て、僕が非番だったということは、他の説得者もここにいるのだろうか? 藍里と接点がありそうだった三ケ田さんあたりが怪しいな。ということは、布津さんもそうなのだろうか? なんとなくだけど、現実世界で接点のある人物が、ちゃんと繋がりを持てているところとか、世界の理が配慮してくれたりするのだろうか? それとも――
「ま、まあ、それはさておきだな……ところで、卯月 愛唯に関して、何か思い出すことができたか?」
「いえ、何か事件があったということだけは――まさか、愛唯は、もう……?」
僕は、愛唯のことを考えた途端に、ひどく悲観的になってしまうようだ。
「いや、まて、早まるな。そうじゃない、彼女はちゃんと生きている」
「本当ですか!? それを聞いて安心しました……」
僕は、心底安心している反面、それでも、なんだか心苦しい気持ちが消えることはなかった。
「卯月 愛唯、彼女は、E・D・E・Nに囚われ、元の人格が消滅した――E・D・E・Nの被害者第一号だ」
天野の言葉によって、僕もなんとなくだけど思い出してきた。
「そうだ、そうだった――愛唯は、大学受験に失敗してから精神的にひどく落ち込みがちになっていたんだ……僕の父親が、彼女にE・D・E・Nでの療養を勧めて、それが確かに効果あって、彼女の苦悩は完全に消えたけれど……戻ってきた彼女は、僕の知る愛唯ではなかった。その後、説得者という、心を現実世界に引き留めるための職業ができ、E・D・E・N に潜るDiverたちが、愛唯のような、本来の人格とはかけ離れた存在になることを防いでいる――」
そうだった、僕が悲しい気持ちになるのは、高校卒業まで、親密な関係にあった僕らの関係が、一変したからだ。僕に一切の興味を持たない愛唯のあの眼差しは、今でも忘れられない。
「その通りだ、鳳城 さとり」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! さとりちゃん、雪音お姉さんにはチンプンカンプンなのよ! 説得者ってなに!? Diverって私たちのこと?」
雪音さんの話は、僕らにとって、いつもチンプンカンプンなものだったのだから、今の雪音さんならそんな僕らの気持ちをちゃんと理解してくれるに違いない。そんな雪音さんにはちゃんと説明してあげよう。
「説得者の職務は、E・D・E・N――電脳世界に囚われた、その人本来の人格を救済すること。そして、その人本来の人格を、無事に現実世界へと連れ戻すこと」
僕は、現実の記憶と、良い感じにシンクロしてきているのが感じられる――現実世界の愛唯は、どこか冷たい人間に変わり、僕のもとから離れて行ってしまったけれど、愛唯にとっては、苦悩から解放されたということの方が大きいのかもしれない。僕だって、現実世界の僕よりも、今の僕の方がきっと、周りのみんなに優しくできるはずだ。
それが、本来の僕でなかったとしても――
だけど、一つ気になることがある。
この世界の愛唯――彼女は、いったい何者なのだろう? 僕の記憶から作り出された? それとも、過去、E・D・E・Nに取り残され、電脳の海に消え去ってしまった現実世界の愛唯の人格? そもそも、この世界の人格というものは、いったいなんなのだろう? 俗にいう、魂、なのだろうか? そもそも、僕は、境界に閉じ込められているもう一人の僕の片割れだという。その魂の半分? ああ、もうよく分からない。
「鳳城 さとり、もう一つだけ、教えておかなければならないことがある」
天野が、あれこれ悩んでいる僕に、さらなる情報を与えようとしている。
「え、まだあるんですか?」
僕はつい、本音が口を滑って出てきた。頭がパンクしそうだ。キャパオーバーだ。
「当たり前だ、これも重要な話だ! 火星計画、お前がまだ幼い頃の話だ。お前の父親、『鳳城 業』は未来の電脳世界構築を夢見て研究に没頭していた。そこで出会ったのが同じ夢を持った鳳城家の一人娘である『鳳城 渚』。二人は恋仲となり、結婚し、お前が生まれた。そして、それから4年、二人は進む道を違え、業は研究に没頭し、渚は経営に勤しんだ。2028年、鳳城 業任率いるプロジェクトチームから火星計画が浮上する。それが事の発端だ」
鳳城 業? そういえば、父親の名前は『業』で、『凪』ではない――凪? 鳳城 渚――母親と何か繋がりが……あれ、藍里と僕の母親は、まるで親子のように――ダメだ、この情報量は、今の僕のキャパシティを完全にオーバーする。間違いない。
「ちょっと、さとりちゃん、大丈夫? 情報量、多すぎって顔しているね」
雪音さんの言うとおり、情報量多すぎて、僕はもう無理だ。もう、ダメだ。
「まて、鳳城 さとり、余計なことを考えずに、これだけ聞いておけ――いいか? 火星計画、E・D・E・Nのプロトタイプで試験運用された、最初のプロジェクトだ。お前の父親が当時勤めていたのは、鳳城財閥の運営するクロノスコーポレーション。そこで開発が進められていたE・D・E・Nの完成が目前に迫り、電脳世界と人の心を結び付ける技術開発が現実味を帯びてきた。そこに、世界各国に支社を持つ、世界有数の大企業、brecu.H Ark Co.の、当時CEOだったハワード・クロイツが、クロノスコーポレーションの会長に買収案を持ち掛け、それに応じた鳳城会長によって、火星計画が実現した。ハワード・クロイツ氏は、E・D・E・Nの可能性を誰よりも早く見抜いた彼の鑑識眼はさすがとでもいうべきか。買収後、日本支部の代表はお前も知っての通り、お前の叔父にあたる鳳城 陸だったが、彼は志半ばで不慮の死を遂げ、現在は本社からやってきた役員が管理している。確か、お前の父親が研究に没頭して家庭を顧みなくなったのも、その頃からだったな――」
天野の話はとてつもなく長くなりそうだ。
なんだか、頭が、ふわふわする――あれ? なんだろう、この感覚――これ確か、幾何学的楽園で嫌というほど感じた、あの、こちらの世界に引き戻されそうな感覚とよく似ている。
「うんざり、だ」
「おい、鳳城 さとり、大丈夫か?」
「さとりちゃん、平気?」
天野、雪音さん、二人は僕のことを心配そうにしてみている。
「ああ、ええと、はい、多分、大丈夫です。現実の僕に、うんざりしていました」
僕は、僕にうんざりした。
「ああ、そうだろう。今だから言うが、現実世界のお前は、最高に胸糞悪い奴だったぞ」
天野は苦笑いしながらそう言った。うん、僕もそう思う。最高に胸糞悪い。
「そうそう、私も現実世界のさとりちゃんはちょっと苦手かなぁ……って、うそうそ。私は、現実世界のことをどうしても思い出せないけどね!」
雪音さんは“てへっ”とした。
「そもそも、どうして僕は、天野さんと一緒にDiveしてきたんですか? 僕もそこらへん、よく思い出せないんですけども」
あれ? そういえば、新型の試験運用開始の2月に、僕たちに何があったんだろう? よく思い出せない。
「ん、ああ、それは話せば長くなるんだが、簡単に言えば、E・D・E・N 20周年記念の20世紀体験セレモニーとかで、参加チケットを抽選で配り、好奇心旺盛な人間を大勢集めたっていうんだから、これはもう、大規模な人体実験でもしたってところだろ。その尻拭いを私やお前がやらされていると考えれば……なんとまあ皮肉なもんだな。そもそも、お前にも、父親のコネでチケットがいってたんじゃないのか? お前、非番だったんだろ? まあ、その様子じゃ、そのチケットは誰か別の人間のもとにいったようにも見受けられるが」
天野はさらっと酷なことを言う。人体実験の尻拭いとか、そんな馬鹿げた話があっていいのだろうか……? いや、待て待て、僕が非番だったということは、他の説得者もここにいるのだろうか? 藍里と接点がありそうだった三ケ田さんあたりが怪しいな。ということは、布津さんもそうなのだろうか? なんとなくだけど、現実世界で接点のある人物が、ちゃんと繋がりを持てているところとか、世界の理が配慮してくれたりするのだろうか? それとも――
「ま、まあ、それはさておきだな……ところで、卯月 愛唯に関して、何か思い出すことができたか?」
「いえ、何か事件があったということだけは――まさか、愛唯は、もう……?」
僕は、愛唯のことを考えた途端に、ひどく悲観的になってしまうようだ。
「いや、まて、早まるな。そうじゃない、彼女はちゃんと生きている」
「本当ですか!? それを聞いて安心しました……」
僕は、心底安心している反面、それでも、なんだか心苦しい気持ちが消えることはなかった。
「卯月 愛唯、彼女は、E・D・E・Nに囚われ、元の人格が消滅した――E・D・E・Nの被害者第一号だ」
天野の言葉によって、僕もなんとなくだけど思い出してきた。
「そうだ、そうだった――愛唯は、大学受験に失敗してから精神的にひどく落ち込みがちになっていたんだ……僕の父親が、彼女にE・D・E・Nでの療養を勧めて、それが確かに効果あって、彼女の苦悩は完全に消えたけれど……戻ってきた彼女は、僕の知る愛唯ではなかった。その後、説得者という、心を現実世界に引き留めるための職業ができ、E・D・E・N に潜るDiverたちが、愛唯のような、本来の人格とはかけ離れた存在になることを防いでいる――」
そうだった、僕が悲しい気持ちになるのは、高校卒業まで、親密な関係にあった僕らの関係が、一変したからだ。僕に一切の興味を持たない愛唯のあの眼差しは、今でも忘れられない。
「その通りだ、鳳城 さとり」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! さとりちゃん、雪音お姉さんにはチンプンカンプンなのよ! 説得者ってなに!? Diverって私たちのこと?」
雪音さんの話は、僕らにとって、いつもチンプンカンプンなものだったのだから、今の雪音さんならそんな僕らの気持ちをちゃんと理解してくれるに違いない。そんな雪音さんにはちゃんと説明してあげよう。
「説得者の職務は、E・D・E・N――電脳世界に囚われた、その人本来の人格を救済すること。そして、その人本来の人格を、無事に現実世界へと連れ戻すこと」
僕は、現実の記憶と、良い感じにシンクロしてきているのが感じられる――現実世界の愛唯は、どこか冷たい人間に変わり、僕のもとから離れて行ってしまったけれど、愛唯にとっては、苦悩から解放されたということの方が大きいのかもしれない。僕だって、現実世界の僕よりも、今の僕の方がきっと、周りのみんなに優しくできるはずだ。
それが、本来の僕でなかったとしても――
だけど、一つ気になることがある。
この世界の愛唯――彼女は、いったい何者なのだろう? 僕の記憶から作り出された? それとも、過去、E・D・E・Nに取り残され、電脳の海に消え去ってしまった現実世界の愛唯の人格? そもそも、この世界の人格というものは、いったいなんなのだろう? 俗にいう、魂、なのだろうか? そもそも、僕は、境界に閉じ込められているもう一人の僕の片割れだという。その魂の半分? ああ、もうよく分からない。
「鳳城 さとり、もう一つだけ、教えておかなければならないことがある」
天野が、あれこれ悩んでいる僕に、さらなる情報を与えようとしている。
「え、まだあるんですか?」
僕はつい、本音が口を滑って出てきた。頭がパンクしそうだ。キャパオーバーだ。
「当たり前だ、これも重要な話だ! 火星計画、お前がまだ幼い頃の話だ。お前の父親、『鳳城 業』は未来の電脳世界構築を夢見て研究に没頭していた。そこで出会ったのが同じ夢を持った鳳城家の一人娘である『鳳城 渚』。二人は恋仲となり、結婚し、お前が生まれた。そして、それから4年、二人は進む道を違え、業は研究に没頭し、渚は経営に勤しんだ。2028年、鳳城 業任率いるプロジェクトチームから火星計画が浮上する。それが事の発端だ」
鳳城 業? そういえば、父親の名前は『業』で、『凪』ではない――凪? 鳳城 渚――母親と何か繋がりが……あれ、藍里と僕の母親は、まるで親子のように――ダメだ、この情報量は、今の僕のキャパシティを完全にオーバーする。間違いない。
「ちょっと、さとりちゃん、大丈夫? 情報量、多すぎって顔しているね」
雪音さんの言うとおり、情報量多すぎて、僕はもう無理だ。もう、ダメだ。
「まて、鳳城 さとり、余計なことを考えずに、これだけ聞いておけ――いいか? 火星計画、E・D・E・Nのプロトタイプで試験運用された、最初のプロジェクトだ。お前の父親が当時勤めていたのは、鳳城財閥の運営するクロノスコーポレーション。そこで開発が進められていたE・D・E・Nの完成が目前に迫り、電脳世界と人の心を結び付ける技術開発が現実味を帯びてきた。そこに、世界各国に支社を持つ、世界有数の大企業、brecu.H Ark Co.の、当時CEOだったハワード・クロイツが、クロノスコーポレーションの会長に買収案を持ち掛け、それに応じた鳳城会長によって、火星計画が実現した。ハワード・クロイツ氏は、E・D・E・Nの可能性を誰よりも早く見抜いた彼の鑑識眼はさすがとでもいうべきか。買収後、日本支部の代表はお前も知っての通り、お前の叔父にあたる鳳城 陸だったが、彼は志半ばで不慮の死を遂げ、現在は本社からやってきた役員が管理している。確か、お前の父親が研究に没頭して家庭を顧みなくなったのも、その頃からだったな――」
天野の話はとてつもなく長くなりそうだ。
なんだか、頭が、ふわふわする――あれ? なんだろう、この感覚――これ確か、幾何学的楽園で嫌というほど感じた、あの、こちらの世界に引き戻されそうな感覚とよく似ている。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる