やはり、父になれず。

ヤマノ トオル/習慣化の小説家

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第三章 死

第12話 涙

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一睡も出来ない日々が続いている。
しかし何故だか何もやる気が起きない。
朝も起きられなくなってしまった。

子供達の保育園の準備をしなければ、そう思うのに時間だけが過ぎていく。

ガチャン

玄関の扉が閉まる音がした。
子供達は保育園に行ってしまった。

俺は父親として何も出来なかった、雪乃は失望したことだろう。
帰ってきたら、娘達には罵声を浴びせられ、雪乃からは冷たい視線を貰うことだろう。

そうならないように、罪滅ぼしにプレゼントでも買って帰ろうか?
いや、そんなことよりも家族との時間を増やすべきだ。
しかし曲作りの期限まで三日しかない。

曲を作らなければならない、残すはあと一曲。
しかし、まずは会社に行かなければならない。

身体が動かない、休むわけにはいかない。
 
動け、動け、動け!

「動けぇえ!!!!!!」

絶叫と共に起き上がることが出来た。

「クソッたれ、皆俺の邪魔ばかりしやがって」

徹は寝癖のまま家を飛び出した。

徹の心の中の獣が、静かに脱走の機会を伺っていた。

~~~~~~~~~~

今日は月初ということもあり、事務処理が多かった。

徹の事業所は利用者様のお金の管理もしているので、それに伴う資料は利用者本人から直筆のサインをいただく必要がある。

「サインなんか書かねぇ!いらねぇ!」

「いらねぇじゃなくて、書いてよ畑山さん」

今日もあらゆる場所で利用者が不機嫌を撒き散らしている。

徹もとある利用者の元へと向かっていた。

彼はいつも誰もいない倉庫の前に座り込んでいる。
コミュニケーションが嫌いで、人と交わることが出来ない性質を持っている。

彼がこの事業所に来た時は仕事もせず、誰とも会話せず、どうしたものかと職員間でも議論が交わされていた。

しかし、それはあっさりと解決されたのだ。
彼は徹がいる作業には参加する。

彼がいるであろう倉庫に近づいた時、廊下に声が響いた。

「あ!これは山下さんの足音だ!山下さ~ん!おはよう」

子供のように大きく手を振る彼が、42歳の誠司(せいじ)さんだ。

彼はどの利用者とも職員とも話さないが、徹にだけは心を許している。

「おはよう~誠司さん」

「やった~今日も山下さんに会えた」

「42歳のおじさんにそれを言われてもなぁ」

「本心ですからいいじゃないですか!」

「どーもどーも、誠司さんサインをもらいに来たんだ」

徹は誠司さんのお小遣いの明細が添付された資料を見せる。

誠司さんは中身を確認せずにサインをした。

「ちゃんと確認してくれって、これもし内容が間違ってても誠司さんサインしたからには抗議出来なくなるんだよ」

「山下さんが作成した資料が間違ってるはずありませんから!」

「いやいや、俺も人間だからね、間違えることはあるんだから」

「それはそれで良いです、いつも山下さんにはお世話になってますから」

「まったく、まぁいいや」

誠司さんは続けてゲームの話をしている。
彼はゲームが大好きなのだ。
日常で極力ストレスを感じないように過ごし、あとはゲームさえ出来れば人生は十分だという考えを持っている。
生活保護を受けながらGH(グループホーム)で生活しているが、今の生活が最高だとのことだ。
ちなみにGHとは、利用者数人で同じ屋根の下で生活をする場所のことである。
その生活をサポートするお世話人さんが常駐している。

「最近どうよ?変わりないかい?」

これは病状を確認するためによく使う台詞だ。
この台詞を聞いて、利用者は今自分の身体に起こっている問題や周りへの不満、人生についての不安を口にする。
それを傾聴し、場合によっては助言したり励ましたりして共に仕事に向かう。
状態が悪いと判断した場合は仕事を無理強いすることはしない、仕事は楽しく無理せず、人間なんて無理なときは無理だ、これが山下徹の考えだった。

それもあってか徹は利用者からの信頼が厚く、徹が担当する作業で静養する利用者は少ない。

「最近ですか?変わりないです、山下さんがいれば俺の病状は安定していますから」

「いやいや、俺にそんな力はないだろう」

「本当ですよ!通院に行って、精神科医に話をするよりも山下さんと話している方が病状良くなるんです!本当ですからね!」

「マジかよ!嬉しいけどさ」

職業指導員としてこんなに嬉しいことはない。
ちょっとした恥ずかしさを隠しながら徹は立ち去ろうとした。

「とりあえず、もう少しで作業始まるから準備しといてくれよ」

「はい!分かりました!!あ、山下さん!」

歩き出した徹だったが、急に呼び止められて振り返った。

「山下さん、絶対にいなくならないでくださいよ!?俺山下さんがいなきゃ人生楽しくないですから!」

突然何を言い出すか、思いがけない言葉に徹は言葉を探していた。
おそらく彼は特に深い意味はなく、伝えたかったから伝えたのだろう。
利用者はたまにそういうことがあるのだ。

「ありがとう」

面白い返しやツッコミを探したが見つからなかった、出てきた言葉はありふれた感謝の五文字だった。

そして何故か、目から涙がポロポロと溢れてきた。

「え!山下さん、どうしたんですか!?大丈夫ですか!?」

誠司さんは心配して駆け寄ってきたが徹はそれを制止した。

「大丈夫だ、ありがとうな、誠司さん」

「あ、はい、、だ、大丈夫ですか!?」

こんな顔を見せるわけにはいかないと思い、徹は足早に歩き出した。

誠司さんは心配そうにソワソワとしながらこちらを見ているに違いない。

徹は後ろ向きに手を振り、廊下の角を曲がった。

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