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第一章 自由に生きられず
第4話 職場の佐藤さんみたいになれず
しおりを挟む徹は精神病をもつ方々の職業指導員として働いている。
あまりポピュラーではなく、特殊な仕事であることは間違いない。
結婚を機に宮城へ越してきて、すぐに仕事を始めた徹だったが、今まで東京で音楽と共に生きていた徹にとって働くということはとても重荷だった。
いくつかの仕事をやってみたものの、数日と続かずに退職した。
高卒で資格もない男に提供される仕事はそれほど多くない。
探せど探せど土木関係ばかり、しかし神経質で綺麗好き、軟弱な肉体で寒がりの自分には無理な仕事だということは考えなくても分かっていた。
そんな時、ハローワークで見つけたのがこの仕事である。
利用者と共に清掃作業や内職作業を行う中で、技術的な支援やコミュニケーションによる精神的な支援を行うことが主な業務である。
もちろん簡単な仕事ではない、利用者の状態は日々変化するし、自分の発した言葉が相手を不穏にさせたり前向きにさせたりする、責任の重い仕事だ。
そのため退職者は多く、入れ替わりの激しい業界である。
しかしどうやらこの仕事が向いているようで、徹はとにかく利用者に好かれる。
理由としては飾らないコミュニケーションと、相手の未来を真剣に考える姿勢が相手にも伝わっているからだろう。
支援員、指導員と言っても大した人間じゃないと思っている。
自分も数年前までは常識のレールを外れたミュージシャンだった。
たまたま結婚して、たまたま子宝に恵まれ、たまたま就職出来ただけで何も偉くない。
むしろ、夢に真剣にもなれず、父親にもなりきれない中途半端な人間だと思っている。
とは言うものの、目標を達成するための思考回路や要領の良いところ、利用者とのコミュニケーションが高く評価され、四年目にして主任の役職を与えられている。
中には勤続年数十年を超える職員もいるが、皆徹を認め、信頼していた。
何一つ上手くいっていない徹だったが、仕事だけは順調だと言える。
しかし、その業務量は膨大だった。
特に事務作業が多い福祉業界で、現場の指導員として利用者と関わりながら膨大な事務作業をこなすのは一筋縄ではいかない。
徹は日々工夫を凝らしながら、どうにか定時で帰れるように奮闘していた。
今日もいつも通り定時の時間が近づいていた。
施設長と管理者が会議で不在の今、この事務所で一番地位が高いのは徹である。
夏の暑さを吹き飛ばそうとエアコンが叫び声をあげている中、夕方の事務所では各々が事務作業に追われていた。
徹を含めた七人の職員がデスクに座り、PCと睨めっこをしたり、ファイルに記入をしている。
そんな中、一人の男性が声を上げる。
「山下さん、月まとめ出しました?」
事務作業と戦闘中の徹を見て、佐藤さんが問いかけた。
「とっくの昔に提出しましたよ、今は来月分の会議の資料作成っすわ」
佐藤さんは農産担当の男性職員で、年齢も在籍年数も徹よりも上である。
ノリが良くパワフルで、上司に対しても物怖じせずに物申す人物だ。
「いや~流石っすね、俺今月も提出遅れるわ」
佐藤さんは日に焼けた褐色の肌の上にタンクトップ姿で笑っている。
夏になるほどに佐藤さんの肌は黒くなる、毎日利用者と共に炎天下の中、畑仕事をしているからだ。
「期限明日ですよね?怒られますよ~」
佐藤さんの余裕な様子を見て、徹は笑った。
「別に大丈夫っすよ!やれって言われたらその日に終わらせられるんで」
そう言いながら翌日の畑で使うのであろう作物の種を並べている。
「もう今日は事務作業いいや!明日は明日でガキどもの子守しなきゃなんないんで」
明日は日曜、徹にとって日曜日は憂鬱な一日である。
佐藤さんの話を聞いて、一人の若い女性職員が口を開けた。
「でも佐藤さんって本当に良いパパですよね~毎週子供達とどこかに出かけてるし、出かける前に家事も全部終わらせるし、マジイクメンって感じ」
「別に普通っすよ!ガキどもはうるせぇけど、育児も家事も別に苦じゃないんで」
その言葉を聞いて皆が佐藤さんを褒めている。
「そういや扇風機壊れてるんだっけ?ちょっと直してきますわ」
皆に褒められて居心地が悪くなったのか、佐藤さんは工具箱を持って事務所を出た。
「おまけに何でも直せるし、ザ・お父さんって感じですよねぇ」
うんうんと皆が頷く中、徹は一人胸に矢が刺さったような気分だった。
佐藤さんの家には三人の子供達がいる。
日曜日に家事を終わらせ、一人で三人の子供達を連れてどこかに遊びに行く、そのことを苦しむどころか楽しんでやってしまう。
故障しても何でも直すことが出来て、畑のことや生物のことなど豊富な知識で皆を納得させる。
そんなカッコ良いお父さんに徹は憧れていた。
そんなお父さんになるつもりで、子供を授かった。
でも現実は違った。
家から出ることなく、ゲームと音楽制作に明け暮れ、妻の顔色を伺いながら嫌々子供達の相手をする、そんな最低な父親である。
毎日仕事をして、酒とタバコ、ギャンブルをすることなく真っ直ぐに家に帰ることだけが父親としての自分の評価出来る唯一の点だった。
しかしそれだけでは自分を立派な父親として誇ることは難しい。
常に劣等感と罪悪感、義務感を感じながら生きている。
ならば良い父親を目指せば良いではないか?
そう思って目指してみた時期もあった。
でも自分には無理だった。
佐藤さんのような活力も、家族と過ごす時間を楽しいと思えるような心もない。
それよりも自分の夢や野望を叶えられない、そのことに時間を割けないことに焦りを感じていた。
しかしこの胸の内を、誰にも話すことは出来ない。
この日本という国で男は弱音を吐かないように育てられる。
特に家族に対しての弱音を吐く場所なんてない、友達ですらそれを聞いたとしても「頑張れ」としか言えない。
男、というのはそういうものなのだ。
孤独な生き物なのだ。
きっと妻は友達に自分の愚痴を言っていることだろう。
自分にはそれが出来ない、じゃあどうやって自分という存在を分かってもらえば良いのか。
徹の中に一つだけ答えがあった。
有名になるしかない。
家族だけではなく、不特定多数の多くの人から認められるしかない。
そのためにはやはり、自分のスキルを磨く時間、曲作りの時間が圧倒的に足りない。
事務作業をしながら、徹の頭は作曲モードに切り替わっていた。
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