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第3章 夢よもういちど

3-35.奇跡の意味 エゴルト・エボルト、鈴成 凛悟

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 頭が痛い、吐き気と眩暈めまいもする。
 視界が真っ赤なのは目からの出血か。
 どうしてこうなった、何もかも最悪だ。
 特に最悪なのは……、僕が今、見下ろされていることだ!
 今にも気を失いそうな中、プライドだけを頼りにエゴルトは意識を保つ。
 
「どういうことだ? なにが起きた?」
「アンタは負けたんだよ。俺に、俺たちに」

 凛悟の傷は浅くない、弾は胸を貫通しているが、ゼイゼイゴボコボという呼吸音は肺に血が溜まっていることを示していた。

「アンタは禁じられた願いを願おうとした。だから罰を受けたんだ。第4の願いのな」

 凛悟は半ば足を引きずるようにエゴルトに近づくと、床に落ちた”本”を拾いページを広げる。
 そこには第4の願いが、誰かの死を願うと逆に死んでしまう願いが記されていた。

「そんなはずはない! だったらなぜ彼女は生きている!」

 誰かの死を願ったら死ぬのなら、先にみのりの殺す願いを唱えたマリアも死ぬはず。
 僕はそのために検証したのだ、ならないように。
 マリアが願った後、死を願ったらペナルティが起きるような願いは願われていない。
 マリアの後に願われたのはみのりの対象を蜜子に移す願いと……。

「……まさか、これが奇跡だというのか!?」

 だとしたら理不尽だ。
 怒りの感情がエゴルトに湧き、流れ落ちる血が勢いを増す。

「違うな。アンタを倒すのに蜜子が願った奇跡なんて必要ない。俺と藤堂だけで十分さ」
「あいつが何かしたというのか!? 金で部下を買収して毒でも盛ったというのか!?」

 このパーティが始まった時点では”どんな事件や事故でも傷つかない”という願いはまだ叶えられていなかった。
 その前に毒でも盛られ、たまたまこのタイミングで効いたのか。
 いや、それでも事件には変わりない。
 それでは僕は傷つかないなはずだ。
 クソッ! 苦痛で頭が働かない!

「正解を教えてやるぜ。まずは俺の願いの秘密からだ」
「キサマの願いはその”本”じゃないのか?」
「”本”さ。この”本”は祝福ゲームにおいてとても重要だ。俺にとっても他の”祝福者”にとっても。だから仕掛けをしておいた」
「キサマが死ぬと”本”も消滅するというやつだろ。それがなんだというのだ!」

 余裕ぶった態度も、CEOという地位にふさわしい振る舞いもかなぐり捨ててエゴルトは叫ぶ。

「おっと、そこは”たいしたものだ”って返すとこかな。いいか、よく聞け。俺の願いは、祝福者の情報と叶えられた願いの詳細が自動更新される”本”。ただし……」

 これが決め手だと言わんばかりに凛悟は言葉を溜める。

「”本”の内容を俺は遠隔から認知でき、さらに俺はその内容を遠隔で改竄かいざん出来る」

 その場にいた全員の心が震えた。
 自分たちは踊らされていたのだ、全てはこの男に、鈴成すずなり凛悟りんごの手で。

「正直焦ったぜ、みのりちゃんが俺の”本”に反映されないって付帯事項をつけた時には。だが、それも俺と藤堂のコンビプレイで解決だ。みのりちゃん、さすがにそろそろ気付いたかい。藤堂の心が読めないことに」

 凛悟の言葉にみのりはハッとなる。
 そういえば結婚を宣言したATMファンの心は読めるはず。
 もちろん、みなと藤堂とうどうの心も。
 だけど、いくら頭の中で検索しても、彼の心はどこにも見つからなかった。

「いったいアンタは! アンタたちは何をしたの!」
「それを今から教えてやるよ。第17の願い、藤堂の本当の願いはこの会社を合法的に乗っ取ることじゃない。本当の願いは『この”祝福ゲーム”で最恵国待遇を受けたい』だ」

 周囲が水を打ったように静まり返る。

 ── 最恵国待遇 ──
 それは歴史の中で登場したり、現代でも国同士の経済的条約に用いられるもの。
 日本の歴史でいえば幕末に結ばれた”日米和親条約”が有名。
 どこかの国と条約が結ばれたなら、それと同じく最も有利な待遇が自国にも与えられるというものだ。

「ああ、1時間のディレイの部分は本当だぜ。他にも夢とか歴史改変でも無効にならないという付帯条件もちゃんとつけている」

 こんなものはオマケだけどな、といった態度で凛悟は説明を続ける。
 この作戦が始まった時、凛悟は本当は内心ヒヤヒヤとしていた。
 1時間のディレイの間にみのりに藤堂の記憶を読まれてしまうと、作戦は破綻する。
 そのために凛悟はギリギリまで待っていた。
 藤堂に作戦の詳細を伝えることを。
 エゴルトとみのりの対決が始まって、彼女に藤堂の記憶を読もうとする余裕が無くなるタイミングまで。

「ふ、ふざけんあ! そんなチートな願いがあってたまるか!!」
「そうよ! 願いの総数は絶対に24から増えないはずなんだから!」
 
 最恵国待遇が本当なら、藤堂は今まで叶えられた願いの全てを叶えることが出来る。
 この”祝福ゲーム”において、それは反則だとふたりは訴える。
 だが、それを嘲笑あざわらうかのように凛悟はチッチッチッと指を振る。

「願いの総数は増えていない。最初の25からな」
「25!? なにを言ってるの!? 最初の場にいた”祝福者”は24人のはずよ。あたしは見たし、神もそう言ってたわ!」
「その通りだ。だけどな、俺は、俺だけは知っているのさ。第0の願いがあったことを」

 凛悟が”本”を開いてふたりに見せる。
 そのページは白紙であったが、やがて文字が浮かび上がる。
 第0の願い ── グンマ・ニューデン ──と。

「このページは俺が改竄かいざんして隠していたページだ。グンマさんの願いは過去にタイムリープすること。俺はグンマさんに会って聞いた、今は歴史が変えられた2周目であることを」

 あの日の出来事を凛悟は思い出す。
 そして気付いたことも。

「グンマさんの話では1周目でも”祝福”ゲームは行われていて、同じように進んでいたらしい。だがそうだとすると願いの総数がおかしいということに気付いた。それだと1周目の第1から第12までの願いの分が増えてしまうのではないかと。俺が最初に考えたのは、実は”祝福”の数は25ではなく37ではないかということだ」

 凛悟の説明に聞き入るように”元祝福者”たちは耳を傾ける。

「だが”祝福ゲーム”の制約ルール『願いの総数は決して増えない』は絶対だ。少なくとも”祝福”を使って解除しなければ制約ルールは無くならない。しかし無くなっているなら最初の説明の時にこの制約は通知されないはず。この考えは間違っている」

 流れるように語りけるように凛悟は言葉を紡ぐ。

「そして俺は気付いてしまった。”祝福”は叶える権利だということに。決まった願いを、過去に一度叶えられた願いをもう一度リフレイン叶えるなら総数の制限に引っかからないと。ではないからな」

 エゴルトの顔が歪む、痛みではなく、してやられたという屈辱に。

「これでわかっただろう。同じ願いを繰り替えす”最恵国待遇”は成立する。いや、。あとの種明かしは単純だ。藤堂はもう一度リフレインした。俺の第10の願い、”本”の願いを。そしてみのりちゃんの願いの詳細も知った。藤堂の”本”は俺の”本”じゃないからな。君の願いは結婚相手の命や金や記憶などを一方的に共有すること。一方的だから君のものは共有されない。互いにその願いを叶えたなら、当然互いに記憶は読めなくなる」

 みのりが藤堂の記憶を読めなかった理由、それが凛悟の口から明かされる。

「この会社の買収は第6の願い『1000兆ドル欲しい』で手に入れた資金によるものだ。ここはトレーダーの藤堂の人脈と金を利用させてもらった」

 あの会見は藤堂の伝手つてで仕込んだもの。
 手付金は1億円、発表直前に100億円の報酬を振り込んだらゴーツク・ファンドは目の色を変えて見事に仕事をこなした。

「ここまで説明すればわかっただろ。どうしてマリアが生きていて、アンタが死んでいるのか」
「リンゴ、キサマ、ヤりやがったな。ボクのアクションをヨんでいやがったな」
「俺の最後通牒さいごつうちょうを無視したアンタが悪い。藤堂にも俺の願いをもう一度リフレインした”本”がある。マリアが死を願った時点では第4の願いは夢の出来事として無効になっていた。そのタイミングを見計らって藤堂は第4の願いをもう一度リフレインしたのさ。アンタはもう終わりだ」

 怒りのあまり唇を噛み潰したエゴルトの口からの滝のような血潮が絨毯を染める。

「マだおわっていない! このテのシュクフクがあるカギり!!」
 
 最後の力を振り絞りエゴルトは立ちあがって腕を掲げ、願う。
 この傷を癒せと。

「終わっているんだ……、もう……、アンタは死んでいるんだよ」

 驚愕に目を見開き、エゴルトは手を見る。
 そこには、なにもなかった。
 ”祝福”も、聖痕スティグマも、命も。

「そして! 奇跡は起こる!」

 エゴルトと鏡映しになるように凛悟は手を胸に掲げると、そこに暗い光が灯る。
 2の文字が、失われたはずの聖痕スティグマがそこに現れた。

「カえせ! それあオレのだ」
「ちがうな、これは……、蜜子が俺に託してくれた希望だ!」

 すがるように伸ばされたエゴルトの手を凛悟は振り払う。
 エゴルトの瞳から光が消え、彼はそのまま倒れる。
 その男は、全てを手に入れたはずの男は、血だまりの中で死を迎えた。

 生き残った”祝福者”、鈴成凛悟は肩で息をしながら、その手の聖痕スティグマをじっと見る。
 彼に残された時間も少ない。
 その手に宿った”祝福”は蜻蛉かげろうのようにはかなく、陽炎かげろうのように揺らいでいた。
 ここが最後の機会だとばかりに凛悟は願う、神の座におもむくことを。
 次に目を開けた時、彼は神の座に、明るい闇の中にいた。
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