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第2章 夢からさめても

2-1.慟哭の涙 クリストファー・グッドマン

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 眠れるはずなかった。
 娘の、キャロルの命は今にも消えそうなのに、眠るなんてありえない。
 グッドマンはそう思っていたが、どうやら一瞬だけ意識を失ってしまったようだ。
 しかも、彼はその一瞬で夢を見た。
 幸せな夢を。
 ”祝福”でキャロルの病を治し、ふたりで元気に過ごす夢を。
 ……あれは本当に夢だったのだろうか。
 グッドマンはその夢がやけに鮮明だったことを不思議に思う。
 だが、そんな考えは一瞬で消えた。

「……パパ」

 キャロルが意識を取り戻した。
 ああ……、このまま快方に向かってくれ。
 グッドマンはそう神に祈った。

「パパはここにいるよ。大丈夫、ずっとそばにいるから」
「パパ……、あのね、あたし、夢を見たの。パパが神様の”祝福”の奇跡であたしを元気にしてくれる夢。外出許可をもらって、公園を散歩して、アイスとクレープたべて……」
「夢じゃない。キャロルはきっと元気になる。それまでパパが守るから」
「うん、パパは強いもんね。あのね、夢でねパパは恐竜たちをバッタバッタとなぎたおしてたわ。あたしだけでなく、病院のみんなを守ってくれたの。みんなパパがヒーローだってほめていたわ」
「ああ、パパは強いんだ。だからキャロルも病気になんて負けない。パパが保証する」

 グッドマンはキャロルの手を優しく握る。
 だが、握り返すキャロルの手はあまりにも弱かった。
 生まれたばかりのころの方が強いと思うほどに。

「……うん、あたしがんばる。でも、ちょっとねむいかな。ねむったらさっきの夢のつづき、みれるかしら。天国のママにもあえたりするかしら」

 元気になったらママの墓参りに行こう。
 グッドマンはそう言いたかったが、キャロルの手から力が抜け、計器の数値が急速に下がっていくのを見て、恐怖に震えながらコールボタンを押した。
 ドクターとスタッフが来るまでの数分間、それは彼にとって地獄のような時間だった。
 キャロルの命が失われていくのを数値で見ていたのだから。
 ドクターとスタッフが到着した時、グッドマンは「遅い! なにをやってるんだ!」と声を荒げたが、彼らのやつれた様子を見て、言葉を詰まらせた。

「……すまない、急患が大量に担ぎ込まれていてね。心停止の急患が」

 ドクターはそう告げてキャロルの手を取る。
 だが、計器の数値は回復しない。
 最後に、最後の力をふりしぼって、キャロルの瞳がグッドマンを見て口が動く。

 パパ、だいすき、ありが……

 音は出なかった、呼吸もしているかわからなかった。
 だが、グッドマンにはキャロルがそう言っていたのが、言いたかったのが、わかった。
 そして計器は動かなくなった。
 グッドマンはキャロルの手を取り、泣いた。
 ドクターとスタッフはすぐに別の急患の所へ移動していった。
 泣いて、泣いて、悲しみの涙が尽きるのではないかと思えるくらい泣きながらグッドマンは思い出す。
 娘との最後の会話を、彼女が見た夢の話を。

 ”祝福”でキャロルを健康にして、外出許可をもらって、公園でアイスとクレープを食べて。
 いきなり現れた恐竜からキャロルと病院のみんなを守って。
 ……おかしい、あまりにも一致しすぎる。
 グッドマンは違和感を覚えずにはいられなかった。
 キャロルの夢はあまりにも自分の夢と酷似していたから。
 ひょっとして、夢じゃないのか?
 ドクターは心停止の患者が何人も運び込まれていると。
 恐竜からみんなを守っていた時、町では何人もの死者が出たと避難してきた人から聞いた。
 そして思い出した、この”祝福ゲーム”のルールを。

 ”祝福”では、

 夢じゃない! 現実だ!
 誰かが、他の”祝福者”が、夢にしやがった!
 キャロルの奇跡を! 俺の全てを!
 その結論に達した時、グッドマンの慟哭どうこく憤怒ふんぬの叫びに変わった。
 悲しみの涙は尽き、怒りの涙がグッドマンを濡らした。
 その時、グッドマンのスマホがブルッと震えた。
 スマホには一通のメール。
 差出人とグッドマンは面識はなかったが、その名は知っていた。
 差出人はエゴルト・エボルト。
 世界有数のIT企業のCEOの名だった。

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