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第1章 夢のおわり

1-22.第9の願い ウタ・カーター

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 どうしてこんなことになってしまった、俺は”持っている”はずなのに。
 逃げ惑う群衆、響き渡る銃声、襲い来る獣声。
 アロサウルスの咆哮ほうこうを背に”祝福者”ウタ・カーターは逃げる。
 婚約者であるモルフィナの手を引いて。

 あの日、神の座で”祝福”を手に入れた日はカーターにとって人生最高の日だった。
 座を訪れる前、カーターはモルフィナにプロポーズし、見事それは成功した。
 そのまま、ふたりで愛を確かめあった夜にカーターは神の座に招待された。
 愛する女性と、何でも願いが叶えられる”祝福”のふたつを手に入れた朝の光は、彼の人生の中で一番輝いていた。
 今でも、あの日は夢だったのではないかと思うほどに。

 仕事は順調、恋愛はゴールイン、お金に困っているわけでもなく、健康上の心配もない。
 しかも、”祝福”のおまけ付き。
 舞い上がらずにいられようか。
 早速、カーターはハネムーンの前旅行にとジャカルタからロサンゼルス行きのファーストクラスを取った。
 そうしたら、そのチケットが『キング様! 全世界の旅行会社を貸し切り!!』のおかげでタダ!
 カーターが自分は”持っている男”と思ってしまっても、それは自然なことだろう。

「ハァ、ハァ、待って、もう走れない」
「もう少しだ、俺が恐竜の注意を引く。君はあの地下鉄の入り口まで逃げ込むんだ!」

 愛するモルフィナの背中を押し、カーターはガンガンガンと路上の車を叩く。
 アロサウルスの視線がカーターの方を向いた。

「よーし、いい子だ」

 運転席にはキーが付いたままだ。
 災害時に車を放棄する時はキーを付けたままにするのが常識。
 だが、それを守れる人は少ない。
 やはり俺は”持っている”。
 アロサウルスの注意を引きつつ、カーターは運転席へと滑り込み、キーを回す。

 カチッ、カチッ

 だがイグニッションはスタートしない。

「おいおい、勘弁してくれ。俺は持っているはずの男だ。こんな所で貴重な“祝福”を使うわけにはいかないんだよ」

 ”祝福”を使えばこんなピンチは簡単に切り抜けられる。
 だが、それでは足りない。
 仕事も金も子供も家も健康も、この先どんなピンチが待ち受けているかわからないのだ。
 大切に使わなければ。
 どうしようもない時まで取っておかなければ。
 これからの幸せの人生を想像しながらカーターはキーを回す。

 ブルンッ

「やればできるじゃねぇか」

 アロサウルスの顎を後ろのバンパーにかすめ、車は発進する。
 後はこの車で地下鉄の入り口をふさいで地下へ逃げ込めば安全だ。
 後は警察か軍隊が何とかしてくれるだろう。
 モルフィナは地下鉄の入り口から半身を出し手を振っている。
 あとは見事なドリフトを決めて、彼女の前に現れるだけだ。
 そして俺はモルフィナに熱い口づけをかわしてハッピーエンド。
 カーターはそんな理想を思い描きながら、アクセルを踏みハンドルを切る。
 キキッーとタイヤが音を立て、車体が回転したその時、アロサウルスの尻尾がその車体を叩いた。
 回転を速めるように。

 避けろと叫ぶ暇はなかった。
 回転しながら地下鉄の入り口に突っ込む車体がモルフィナの上半身に触れ、その身が弾き飛ばされた。
 ポクッとスイカの割れるような音がしたかと思うと、フロントガラスに女の顔が張り付いた。
 張り付いていた。

 カーターは何が起こったのかわからなかった。
 やがてその顔がモルフィナのものだと気付くと、顔を真っ青にして車外に飛び出した。
 そしてアロサウルスの顎の餌食となった。
 牙は肺に穴を開け、口の中は鉄の味で充満する。
 絶望と激痛の中、カーターは思う。
 こんなのはおかしい。
 俺は持っているはずだ、だからこうなるはずがない。
 そうだ、これは悪い夢だ。
 夢だったことにしよう。
 夢だったことにしたい、神様。

『それが汝の願いか?』

 頭の中に声が響く。
 神の声が。
 カーターは激痛の中、必死に心で叫ぶ。

 そうだ、夢だ!
 全部夢だったことにしてくれ!
 俺は目覚めたら! あの日のあの時の、4月1日の人生最良の朝に戻るんだ!

『わかった。我と汝が出逢い別れた時から今日こんにちまでを全て夢だったことにしよう』

 その声を聞くとカーターの意識はまどろみ、そして眠りの中に落ちていった。

 …
 ……
 ………

 ガバッ!

 カーターはハァハァと息も荒く目覚める。
 身体をまさぐると、どこにも穴はない、痛みもない。
 枕元のスマホに触れると、時刻と日付が表示される。
 時刻は午前4時。
 日付はあの日、4月1日。
 プロポーズに成功した翌日。
 
「なんだ夢か……。悪い夢だった」

 左手には祝福の証である聖痕スティグマの数字などなく、外からは鳥のさえずり。
 恐竜の声なんて聞こない。
 シーツをめくると自分は裸で、隣には同じく裸のモルフィナが寝ている。
 彼女の肌は温かく……、温かく……、急速に熱を失っていった。
 安らかな寝息は聞こえなかった。
 カーターは思い出していた。
 この”祝福”に架せられたルールを。

 『死んだ人間を生き返らせることはできない』
 
 鳥のさえずりは救急車のサイレンの音にかき消されていった。

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