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第十二章 到達する物語とハッピーエンド
珠子と神饌仕合三本勝負!(その9) ※全13部
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「みたか小娘! これで勝利は先生のものよ! 所詮、人が神に挑むことなど土台無理なのだ! ハハハ!」
勝利を確信したかのように真備様は高笑い。
だけど、あたしは負けたなんて微塵も思っていない。
「ハハハ!」
「でもよ。これって逆に美味くね?」
「ハハ……」
「うん。これはこれでアリだと思うわ」
「ハ?」
だけど、その食感を味わってもなお、みなさんは美味しそうに食べ続ける。
あたしもアレを初めて味わった時は衝撃的だったわ。
「ふむ、真備よ。お主は真面目で優秀だが、少し遊びを知らぬ。たまには現世に行って甘い物でも食べるとよい」
「どういうことです?」
「このジャリッとした食感は失敗などではない。あえてそうなるよう再結晶化を進めたのじゃ」
「ご存知でしたか。洋風の菓子は不得手と思いましたが」
「ふむ、儂は菓子の神。これくらいは知って当然。これは普通のチョコケーキに思えるが、その中でも最高のひとつと呼ばれる”ザッハトルテ”であろう」
「はいっ! これは有名なホテルザッハーの”ザッハトルテ”を模して作ったものです」
デビルズフードケーキには作り方に決まりがあるわけじゃない。
デビルズフードケーキたる条件は濃厚なチョコケーキであること。
それだけ。
そして世界一とも称されるチョコケーキとは!
ウィーンのホテルザッハーのチョコケーキ”ザッハトルテ”!!
「ホテルザッハのザッハトルテはあえてシャリッとした食感が出るようにチョコをテンパリングします。こうすることで中のまろやかで濃厚なチョコケーキと外側のチョコとの境目に食感のアクセントが生まれ、それがアンズのジャムの柔らかな舌触りと味と合わさって、口の中にハーモニーを生み出すんですよ。ホテルザッハでは200年もこの味を保っているんです。これぞ人類の叡智! 伝統に愛された味ですっ!」
あたしの熱弁に真備様が『ぐぬぬ』と顔をしかめさせる。
ウィーンは芸術の都。
本来なら滑らかに仕上げるべき所を、あえてシャリ感を残すだなんて、その技術と情熱には頭が下がるわ。
「さて、味の方は双方堪能した。田道間守も珠子も見事な出来栄えであった。だが、それでも私は問いたい。珠子よ、なぜ『純粋なビジュアルと味』の勝負にしたいと申し出たのだ? 私はそこを理解したい」
「えーっと、やっぱり気になりますかね?」
「そう、それを理解せずに評点など下せぬ」
うーん、困ったな。
あたしがチラッと視線を移すと、田道間守様は軽く頷く。
「わかりました。ですが、約束して下さい。これからあたしが言うことで、審査に影響は与えないし、誰かを罰するなんてしないと」
「約束しよう」
思兼神様の言葉に隣の久延毘古様と六鴈様も首を縦に振る。
「でしたらご説明します。理由は単純ですよ。カラタチをママレードにしたあたしと違って、田道間守様の玲瓏豆腐からは橘が見えません。つまり隠れているということです」
「なるほど、理解した」
はやっ!?
「田道間守、やってくれたな。まさか神饌仕合を踏み台にするとは」
「ふむ、なんのことですかな?」
「この玲瓏豆腐に秘められたメッセージ。それは橘が隠れている。おかくれになっているということであろう」
「ど、どういうことです?」
「おかくれ、つまり死者への菓子ということ。これは本来は田道間守の主、垂仁天皇に捧げるものだったのだ」
日本書紀の中には田道間守の伝説が記されている。
垂仁天皇の命を受け、常世の国へ不死の薬となる非時香菓、つまり橘を探しにいった田道間守様は、それを持ち帰ったけど、その時、既に垂仁天皇は崩御していた。
でも、その成果は称えられて、やがて田道間守様は橘がトレードマークの菓子の神へ昇華するけど、実は橘は田道間守様にとって複雑な食材なのよね。
栄光と失敗の象徴であるから。
「なんと!? 先生! それは誠ですか? だとしたら不敬に……」
「いえいえ、そんなことはありませんぞ。儂にとって最高の菓子とは帝に捧げる菓子。それと同じものをお出ししたのですから」
飄々と、そして恭しく両手を前で組んで田道間守様は頭を下げる。
「食えぬ男よ。まあよい、そういうことだと理解してやろう。これだから人間上がりの神は、妙に生前の忠誠心にこだわりおって。自由な発想こそ学問の道だとは思わぬか?」
「畏れながら、変わらぬ伝統も、時に菓子の道では重要でございます。そこの娘さんが作ったザッハトルテのように」
「舌だけはよく回る」
「畏れながら、口と舌が達者でなければ菓子の神は務まりませぬ」
うわー、雰囲気が大分険悪。
それもそうよね、田道間守様が菓子に込めたメッセージは、
『儂が第一に考えるのは、あくまで天皇家、その中でも垂仁天皇こそ第一』
ということですもの。
同じように生前、帝に仕えた六鴈様はともかく、思兼神様と久延毘古様の印象は最悪。
「あ、あの、思兼神様……」
「理解している。約束であるからな。田道間守を責めはせぬ。ところで珠子よ。まだお主への質問は終わってないぞ。なぜ敵に塩を送るような真似をした? 評点の時にこのことを露呈させれば、お主の勝利だったであろうに」
げっ!? 矛先がこっちを向いた!?
「えっとですね。それはですね理由はふたつございまして……、ひとつは、これが試練であること。相手のポリシーによるもので棚ぼた的な勝利を得ても、それは試練を乗り越えたことにならないと思いました。たとえ負けるリスクを負ったとしても」
「殊勝な心掛けだな。その精神は良きもので、その精神は正しい。卑しい勝利を重ねただけでは、私はお主を”神の試練”を乗り越えたと認めなかったであろう。そこは理解した。もうひとつは」
「……」
「どうした? まさか、私を前にして黙秘やその場凌ぎの戯言が通じるとでも思っているのか?」
くっ、思兼神様の圧が強い。
ええい、ままよ! ママレードよ!
「もうひとつは! もし敗北したとしても! 田道間守様と肩を組んで、『Winの田道間守様とウィーン菓子のザッハトルテでWin-Winの関係!』 ってギャグがかませると思いました!」
プッ
ププッ
「ハッ、ハハハッ、ハハハハッ! 相変わらずだな、天上の珠子さんは!」
「あなたなら、そういうと思って、いましたよ、いましたよ、お、おふっ」クックィッ
「……珠子姉さんは今日も愉快。Always Delightful」
あたしの応援団から今にも吹き出しそうな声が聞こえる。
ううん、吹き出しながらの声が聞こえる。
「仕方ないでしょ! 思兼神様に嘘をついてもしょうがないんだから!」
あたしが応援席に向かって大声を上げると、そこの笑いが大きくなった。
「なっ、なるほど。りっ、理解した。そなたおいう人間がどういうものか。私にギャグをかました人間は、はっ、初めてだな」
「くっ、くっ、くえびこも、そにゃたという人間に興味が出てきた」
「ふふっ。楽しませてもらったぞ」
うーん、お三方のリアクションの違いは普段どういう場にいるかの差かしら。
六鴈様がお得意とする料理の世界だと、こういったシャレ系のネーミングや話題は普通なんだけど。
「ふー、うむ。なるほど、其方があえて自らが不利になるやもしれぬ条件を言ったのは理解出来た。その上で評決を下す。供された菓子の”ビジュアルと味”のみを評価して」
そう言って思兼神様は久延毘古様と六鴈様と顔を見合わせる。
「神饌仕合三本勝負! 二本目の勝者は人間! 珠子選手の勝利とする!」
その宣言で会場がワッと沸く。
「ふむ、お聞かせ願えませんかな。外見と味において、儂の高次元玲瓏豆腐のどこが劣っていたのかを?」
「よかろう。既に理解しているかもしれぬが説明しよう。田道間守よ、端的に言えばお主の菓子は”知性”を表現する外見にこだわり過ぎていたのだ」
「我も同意見。果汁の色を透明にするため濾過をし、同時に消える味と香りを増すために、皮を浸した上で氷結により濃縮した技巧は見事。だがそれは見た目を度外視すれば果汁そのままを氷結して濃縮してもよいこと。見た目の楽しさを出すために、味の面で引き算をしていたのだ」
「それに対し、お嬢さんのエンジェル&デビルズフードケーキはカラタチとアンズを美味なものにするためママレードやジャムへと加工した。味の面で加算を重視したことが当方らの興味を引いたのは事実。この神饌仕合はあくまでも料理勝負。ビジュアルと味のどちらに重きを置くべきかと問われたら、迷わず”味”」
そして審査員のお三方は息を合わせる。
「「「ゆえに、この勝負は珠子選手の勝ちとした」」」
その声を田道間守様は礼をもって受け入れる。
「ふむ。負けか……。いや、負けるべくして負けたということか。見事であった娘さんよ」
「お題が良かっただけですよ。橘が素材に選ばれてなかったら、きっと勝てなかったです。でも、どうして橘で勝負したのです? 真備様の意見なんて無視してもよろしかったのに」
「そうです! 吾が橘と言った時、それを拒否すればよかったではないですか!?」
「ふむ、そうはいかんのだ。審査員や観衆の期待に応えるのも料理人の務め。もし儂が橘を素材に選ばなかったら手を抜いていると思われるだろうし。それに……」
「それに?」
「帝もきっと儂の橘の菓子を望んでいらっしゃるだろう」
「ですよね。有名人ゆえの悩みどころですよね。現世でもよくあります、そういうことが」
人間同士の料理対決でもよくある。
例えば、一流寿司職人が料理対決のお題を選べるなら、相手が何かを企んでいるってわかっていても、寿司を題材に選ばなきゃいけないってことが。
「ふむ、これから忙しくなるぞ。帝のために改良を加えねばならんし、それにエンジェル&デビルズフードケーキも食べてみたいとおっしゃるに違いない。あのシャリッとした砂糖の食感を残す再結晶化の方法を見つけねばらなぬ」
「あ、それならこれを」
あたしはそう言って一枚のメモを取り出す。
「ふむ、これは?」
「あたしがさっき行ったテンパリングの温度条件と手順です。これがあれば田道間守様なら何回かの試行で再現できると思います」
「ふむ、ありがたく頂いておこう。でもよいのか? チョコ職人にとってテンパリングの条件は秘伝の調理法のはずじゃが」
「それはそうですけど、このレシピの原型は半世紀以上前に公開されていますから」
ホテルザッハーのザッハトルテのレシピは長く秘伝とされていた。
だけど、人の口に戸は立てられぬもので、第二次世界大戦後にそのレシピは流出してしまったのだ。
現代ではザッハトルテ風のチョコケーキは世にあふれている。
それでも、オリジナルザッハトルテを名乗れるのは、ホテルザッハーのザッハトルテだけなの。
「きまったー! 神饌仕合三本勝負! 人間側の連勝です! え? ということは……」
「女中の勝利だ! 見事であったぞ!」
「イヤッホー! 珠子ちゃんったらさっすがー!」
「珠子お姉ちゃんすごーい!」
あたしの応援団から鳴りやまぬ拍手と歓声があがる。
ふう、色々あったけど、これで八稚女の行方を教えてもらえそうね。
「ならぬ! まだ勝負は終わっておらぬ! 吾が選んだ神側の料理人が人間に負けるなどあってはならぬ!!」
勝利気分のあたしたちに水を差したのは真備様の大声。
「えー!? そうは言ってもお三方の審査を覆す気ですか!? あたしは真っ当に2連勝しただけですけど」
「今までの結果に異論はない。だが、この程度で”神の試練”を乗り越えたと思うな! 神饌仕合三本勝負に勝利すれば『何でも望みの褒美を与える』と思兼神様はおっしゃったが、それを『”八稚女の行方”以外の褒美を与える』に変更だ! 八稚女の行方が知りたければ三連勝せよ!」
「今さらルール変更だなんて卑怯じゃないですか!」
「ふん、さっきこちら側は小娘のルール変更を受け入れたではないか! だとしたらこちらも同じことをしたまで! よろしいですよね、思兼神様!」
ぐぬぅ、ああ言えばこう言う。
「理解した。ルール変更を受け入れたならルール変更を受け入れよという真備の意見は一理ある。人間の娘、珠子よ。八稚女の行方を知りたければ、最後の戦いに勝利してみせよ。なに、負けても損はない。たとえ負けてもそれ以外の褒美を与えよう。金銀財宝でも、万人が惚れる美貌でも、好いた男の恋心でも、何でも望みを叶えよう」
「えー!? あたしはそんなの欲しくないんですけど」
あれ? なんで藍蘭さんを除いた七王子のみなさんが複雑な顔をしているのかしら。
「おおーっと、ここで何とルール変更が発生! ですが、神の試練が一筋縄ではいかぬのも道理! さあ、神側の選定者、吉備真備は誰を最後の選手に選ぶのかぁー!?」
ウズメ様の声に真備様はぐぬぬと渋い顔を見せる。
そうよね、三本目と言ってはみたもの、藤原山蔭様や田道間守様以上の方なんて早々いないもの。
唯一、可能性のある磐鹿六鴈様は審査員だし。
「どうしたー!? 早く選手を選抜しろー!」
「神じゃなくって、神使でもいいだろー!」
悩み続ける真備様に観客席から非難の声があがる。
「ぐ、さ、最後の選手は……」
そんな時、真備様の後ろから以外な声が聞こえた。
「ねえ、センセイ。わっちを最後の選手に選んで頂けません?」
玉藻の甘い声が。
勝利を確信したかのように真備様は高笑い。
だけど、あたしは負けたなんて微塵も思っていない。
「ハハハ!」
「でもよ。これって逆に美味くね?」
「ハハ……」
「うん。これはこれでアリだと思うわ」
「ハ?」
だけど、その食感を味わってもなお、みなさんは美味しそうに食べ続ける。
あたしもアレを初めて味わった時は衝撃的だったわ。
「ふむ、真備よ。お主は真面目で優秀だが、少し遊びを知らぬ。たまには現世に行って甘い物でも食べるとよい」
「どういうことです?」
「このジャリッとした食感は失敗などではない。あえてそうなるよう再結晶化を進めたのじゃ」
「ご存知でしたか。洋風の菓子は不得手と思いましたが」
「ふむ、儂は菓子の神。これくらいは知って当然。これは普通のチョコケーキに思えるが、その中でも最高のひとつと呼ばれる”ザッハトルテ”であろう」
「はいっ! これは有名なホテルザッハーの”ザッハトルテ”を模して作ったものです」
デビルズフードケーキには作り方に決まりがあるわけじゃない。
デビルズフードケーキたる条件は濃厚なチョコケーキであること。
それだけ。
そして世界一とも称されるチョコケーキとは!
ウィーンのホテルザッハーのチョコケーキ”ザッハトルテ”!!
「ホテルザッハのザッハトルテはあえてシャリッとした食感が出るようにチョコをテンパリングします。こうすることで中のまろやかで濃厚なチョコケーキと外側のチョコとの境目に食感のアクセントが生まれ、それがアンズのジャムの柔らかな舌触りと味と合わさって、口の中にハーモニーを生み出すんですよ。ホテルザッハでは200年もこの味を保っているんです。これぞ人類の叡智! 伝統に愛された味ですっ!」
あたしの熱弁に真備様が『ぐぬぬ』と顔をしかめさせる。
ウィーンは芸術の都。
本来なら滑らかに仕上げるべき所を、あえてシャリ感を残すだなんて、その技術と情熱には頭が下がるわ。
「さて、味の方は双方堪能した。田道間守も珠子も見事な出来栄えであった。だが、それでも私は問いたい。珠子よ、なぜ『純粋なビジュアルと味』の勝負にしたいと申し出たのだ? 私はそこを理解したい」
「えーっと、やっぱり気になりますかね?」
「そう、それを理解せずに評点など下せぬ」
うーん、困ったな。
あたしがチラッと視線を移すと、田道間守様は軽く頷く。
「わかりました。ですが、約束して下さい。これからあたしが言うことで、審査に影響は与えないし、誰かを罰するなんてしないと」
「約束しよう」
思兼神様の言葉に隣の久延毘古様と六鴈様も首を縦に振る。
「でしたらご説明します。理由は単純ですよ。カラタチをママレードにしたあたしと違って、田道間守様の玲瓏豆腐からは橘が見えません。つまり隠れているということです」
「なるほど、理解した」
はやっ!?
「田道間守、やってくれたな。まさか神饌仕合を踏み台にするとは」
「ふむ、なんのことですかな?」
「この玲瓏豆腐に秘められたメッセージ。それは橘が隠れている。おかくれになっているということであろう」
「ど、どういうことです?」
「おかくれ、つまり死者への菓子ということ。これは本来は田道間守の主、垂仁天皇に捧げるものだったのだ」
日本書紀の中には田道間守の伝説が記されている。
垂仁天皇の命を受け、常世の国へ不死の薬となる非時香菓、つまり橘を探しにいった田道間守様は、それを持ち帰ったけど、その時、既に垂仁天皇は崩御していた。
でも、その成果は称えられて、やがて田道間守様は橘がトレードマークの菓子の神へ昇華するけど、実は橘は田道間守様にとって複雑な食材なのよね。
栄光と失敗の象徴であるから。
「なんと!? 先生! それは誠ですか? だとしたら不敬に……」
「いえいえ、そんなことはありませんぞ。儂にとって最高の菓子とは帝に捧げる菓子。それと同じものをお出ししたのですから」
飄々と、そして恭しく両手を前で組んで田道間守様は頭を下げる。
「食えぬ男よ。まあよい、そういうことだと理解してやろう。これだから人間上がりの神は、妙に生前の忠誠心にこだわりおって。自由な発想こそ学問の道だとは思わぬか?」
「畏れながら、変わらぬ伝統も、時に菓子の道では重要でございます。そこの娘さんが作ったザッハトルテのように」
「舌だけはよく回る」
「畏れながら、口と舌が達者でなければ菓子の神は務まりませぬ」
うわー、雰囲気が大分険悪。
それもそうよね、田道間守様が菓子に込めたメッセージは、
『儂が第一に考えるのは、あくまで天皇家、その中でも垂仁天皇こそ第一』
ということですもの。
同じように生前、帝に仕えた六鴈様はともかく、思兼神様と久延毘古様の印象は最悪。
「あ、あの、思兼神様……」
「理解している。約束であるからな。田道間守を責めはせぬ。ところで珠子よ。まだお主への質問は終わってないぞ。なぜ敵に塩を送るような真似をした? 評点の時にこのことを露呈させれば、お主の勝利だったであろうに」
げっ!? 矛先がこっちを向いた!?
「えっとですね。それはですね理由はふたつございまして……、ひとつは、これが試練であること。相手のポリシーによるもので棚ぼた的な勝利を得ても、それは試練を乗り越えたことにならないと思いました。たとえ負けるリスクを負ったとしても」
「殊勝な心掛けだな。その精神は良きもので、その精神は正しい。卑しい勝利を重ねただけでは、私はお主を”神の試練”を乗り越えたと認めなかったであろう。そこは理解した。もうひとつは」
「……」
「どうした? まさか、私を前にして黙秘やその場凌ぎの戯言が通じるとでも思っているのか?」
くっ、思兼神様の圧が強い。
ええい、ままよ! ママレードよ!
「もうひとつは! もし敗北したとしても! 田道間守様と肩を組んで、『Winの田道間守様とウィーン菓子のザッハトルテでWin-Winの関係!』 ってギャグがかませると思いました!」
プッ
ププッ
「ハッ、ハハハッ、ハハハハッ! 相変わらずだな、天上の珠子さんは!」
「あなたなら、そういうと思って、いましたよ、いましたよ、お、おふっ」クックィッ
「……珠子姉さんは今日も愉快。Always Delightful」
あたしの応援団から今にも吹き出しそうな声が聞こえる。
ううん、吹き出しながらの声が聞こえる。
「仕方ないでしょ! 思兼神様に嘘をついてもしょうがないんだから!」
あたしが応援席に向かって大声を上げると、そこの笑いが大きくなった。
「なっ、なるほど。りっ、理解した。そなたおいう人間がどういうものか。私にギャグをかました人間は、はっ、初めてだな」
「くっ、くっ、くえびこも、そにゃたという人間に興味が出てきた」
「ふふっ。楽しませてもらったぞ」
うーん、お三方のリアクションの違いは普段どういう場にいるかの差かしら。
六鴈様がお得意とする料理の世界だと、こういったシャレ系のネーミングや話題は普通なんだけど。
「ふー、うむ。なるほど、其方があえて自らが不利になるやもしれぬ条件を言ったのは理解出来た。その上で評決を下す。供された菓子の”ビジュアルと味”のみを評価して」
そう言って思兼神様は久延毘古様と六鴈様と顔を見合わせる。
「神饌仕合三本勝負! 二本目の勝者は人間! 珠子選手の勝利とする!」
その宣言で会場がワッと沸く。
「ふむ、お聞かせ願えませんかな。外見と味において、儂の高次元玲瓏豆腐のどこが劣っていたのかを?」
「よかろう。既に理解しているかもしれぬが説明しよう。田道間守よ、端的に言えばお主の菓子は”知性”を表現する外見にこだわり過ぎていたのだ」
「我も同意見。果汁の色を透明にするため濾過をし、同時に消える味と香りを増すために、皮を浸した上で氷結により濃縮した技巧は見事。だがそれは見た目を度外視すれば果汁そのままを氷結して濃縮してもよいこと。見た目の楽しさを出すために、味の面で引き算をしていたのだ」
「それに対し、お嬢さんのエンジェル&デビルズフードケーキはカラタチとアンズを美味なものにするためママレードやジャムへと加工した。味の面で加算を重視したことが当方らの興味を引いたのは事実。この神饌仕合はあくまでも料理勝負。ビジュアルと味のどちらに重きを置くべきかと問われたら、迷わず”味”」
そして審査員のお三方は息を合わせる。
「「「ゆえに、この勝負は珠子選手の勝ちとした」」」
その声を田道間守様は礼をもって受け入れる。
「ふむ。負けか……。いや、負けるべくして負けたということか。見事であった娘さんよ」
「お題が良かっただけですよ。橘が素材に選ばれてなかったら、きっと勝てなかったです。でも、どうして橘で勝負したのです? 真備様の意見なんて無視してもよろしかったのに」
「そうです! 吾が橘と言った時、それを拒否すればよかったではないですか!?」
「ふむ、そうはいかんのだ。審査員や観衆の期待に応えるのも料理人の務め。もし儂が橘を素材に選ばなかったら手を抜いていると思われるだろうし。それに……」
「それに?」
「帝もきっと儂の橘の菓子を望んでいらっしゃるだろう」
「ですよね。有名人ゆえの悩みどころですよね。現世でもよくあります、そういうことが」
人間同士の料理対決でもよくある。
例えば、一流寿司職人が料理対決のお題を選べるなら、相手が何かを企んでいるってわかっていても、寿司を題材に選ばなきゃいけないってことが。
「ふむ、これから忙しくなるぞ。帝のために改良を加えねばならんし、それにエンジェル&デビルズフードケーキも食べてみたいとおっしゃるに違いない。あのシャリッとした砂糖の食感を残す再結晶化の方法を見つけねばらなぬ」
「あ、それならこれを」
あたしはそう言って一枚のメモを取り出す。
「ふむ、これは?」
「あたしがさっき行ったテンパリングの温度条件と手順です。これがあれば田道間守様なら何回かの試行で再現できると思います」
「ふむ、ありがたく頂いておこう。でもよいのか? チョコ職人にとってテンパリングの条件は秘伝の調理法のはずじゃが」
「それはそうですけど、このレシピの原型は半世紀以上前に公開されていますから」
ホテルザッハーのザッハトルテのレシピは長く秘伝とされていた。
だけど、人の口に戸は立てられぬもので、第二次世界大戦後にそのレシピは流出してしまったのだ。
現代ではザッハトルテ風のチョコケーキは世にあふれている。
それでも、オリジナルザッハトルテを名乗れるのは、ホテルザッハーのザッハトルテだけなの。
「きまったー! 神饌仕合三本勝負! 人間側の連勝です! え? ということは……」
「女中の勝利だ! 見事であったぞ!」
「イヤッホー! 珠子ちゃんったらさっすがー!」
「珠子お姉ちゃんすごーい!」
あたしの応援団から鳴りやまぬ拍手と歓声があがる。
ふう、色々あったけど、これで八稚女の行方を教えてもらえそうね。
「ならぬ! まだ勝負は終わっておらぬ! 吾が選んだ神側の料理人が人間に負けるなどあってはならぬ!!」
勝利気分のあたしたちに水を差したのは真備様の大声。
「えー!? そうは言ってもお三方の審査を覆す気ですか!? あたしは真っ当に2連勝しただけですけど」
「今までの結果に異論はない。だが、この程度で”神の試練”を乗り越えたと思うな! 神饌仕合三本勝負に勝利すれば『何でも望みの褒美を与える』と思兼神様はおっしゃったが、それを『”八稚女の行方”以外の褒美を与える』に変更だ! 八稚女の行方が知りたければ三連勝せよ!」
「今さらルール変更だなんて卑怯じゃないですか!」
「ふん、さっきこちら側は小娘のルール変更を受け入れたではないか! だとしたらこちらも同じことをしたまで! よろしいですよね、思兼神様!」
ぐぬぅ、ああ言えばこう言う。
「理解した。ルール変更を受け入れたならルール変更を受け入れよという真備の意見は一理ある。人間の娘、珠子よ。八稚女の行方を知りたければ、最後の戦いに勝利してみせよ。なに、負けても損はない。たとえ負けてもそれ以外の褒美を与えよう。金銀財宝でも、万人が惚れる美貌でも、好いた男の恋心でも、何でも望みを叶えよう」
「えー!? あたしはそんなの欲しくないんですけど」
あれ? なんで藍蘭さんを除いた七王子のみなさんが複雑な顔をしているのかしら。
「おおーっと、ここで何とルール変更が発生! ですが、神の試練が一筋縄ではいかぬのも道理! さあ、神側の選定者、吉備真備は誰を最後の選手に選ぶのかぁー!?」
ウズメ様の声に真備様はぐぬぬと渋い顔を見せる。
そうよね、三本目と言ってはみたもの、藤原山蔭様や田道間守様以上の方なんて早々いないもの。
唯一、可能性のある磐鹿六鴈様は審査員だし。
「どうしたー!? 早く選手を選抜しろー!」
「神じゃなくって、神使でもいいだろー!」
悩み続ける真備様に観客席から非難の声があがる。
「ぐ、さ、最後の選手は……」
そんな時、真備様の後ろから以外な声が聞こえた。
「ねえ、センセイ。わっちを最後の選手に選んで頂けません?」
玉藻の甘い声が。
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私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。
辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。
本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。
辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。
辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。
それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか?
そんな望みを抱いてしまいます。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 設定はゆるいです。
(言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)
❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。
(出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)
未亡人クローディアが夫を亡くした理由
臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。
しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。
うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。
クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。
※ 表紙はニジジャーニーで生成しました
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