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第十章 躍進する物語とハッピーエンド

妻神(さいのかみ)様と鰻(その5) ※全5部

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◇◇◇◇

 「うんめぇ! これって最高だな!!」
 「……これは記憶というか深層心理まで残る味」
 「でしょー! あたしもここまでの鰻を食べたのはン十年ぶりですよ」

 あしさんと妹山先生が仲良く手をつないで帰った後、ちょっとだけ残った本日の特選素材、四万十川の旬の天然鰻。
 それで仕立てたミニうな丼にあたしたちは舌鼓を打つ。

 「鰻は栄養満点と聞く。これだけの美味の記憶を共有して、しかも精力が付いてしまったなら、今晩はどうなるやら」
 「まあ、お兄様。そう言われてしまったら”今晩はどうなってもいい”って心の中で思っちゃうじゃありませんか」
 「……心の中とは」

 小治呂こじろ様と稗多古ひえたこ様のふたりも大満足大満点。
 妹山先生の創作意欲も回復しましたし、あしさんの想いも成就!
 ミッションコンプリート!
 フッ、天国のおばあさま……。
 珠子は今日もひと組のハッピーエンドを作ってしまいました。
 
 「しかし聞きしに勝る腕でございましたね。珠子殿は」
 「はい、赤好しゃっこう殿のお話以上でしたわ。妹山先生の妹心いものこころを失わせることなく、あしさんへの恋心を目覚めさせるとは」
 「はっはっはっ、それほどでもありますけど」
 「……珠子姉さん調子にのり過ぎ。今回は結構やばかった」

 うっ、確かに美人さんのアドバイスが無ければやばかったけど。
 ま、結果オーライってことで。

 「……前向きにもほどがある。だけど、そこが珠子姉さんのいいとこ。ごちそうさま」
 
 そう言って橙依とーい君はミニうな丼の最後のひと口をペロリ。

 「さて、妻神さいのかみ様。こちらが本日のご請求になります」

 あたしは伝票を一枚、ふたりの前に差し出す。
 妹山先生とあしさんのふたりからお代はもらっているけど、それはあまり多くない。
 祝福されたふたりには先立つ物が必要だろうと、足が出た分は妻神さいのかみ様の負担って話だった。
 
 「いやぁー、予算はいくらでも使っていいって赤好しゃっこうさんから聞いてましたから、あたしもコネの限りを使って最高級の鰻を仕入れましたよ。本来はお大尽ならぬお大臣様の接待用だったのを、無理にお願いして売ってもらったんですから」

 新宿の板前さんは『あの人たちは料理そっちのけで派閥とか票田ひょうでんとかの話をするんですよね。なのでこれは美味しく食べてもらえそうな珠子さんのお客のために使って下さい』なんて言ってた。
 こっちの店にはこっちの悩みがあるけど、新宿の一流店にはその店の悩みがあるみたい。
 かなりのお値段だけど、神様ならこれくらい払えるでしょ。
 宗教法人は無税だから!
 ……あれ?

 …
 ……
 ………

 「どうされました?」

 伝票を手に沈黙を保つふたりにあたしは問いかける。

 「も、申し訳ありませぬっ!」
 「実はわたしたちはとても貧乏なのですっ!」

 妻神さいのかみ様はそう言うと、ずささーと後ずさりして頭を地面にこすり付ける。

 「……妻神社さいのかみしゃは伝統はあるけど神社の中ではかなり零細。地方集落の小さいやしろ
 
 そういえば、最初に来た時もふたりで200円というショボイ支払いだった。
 あれは試験じゃなく、本当にそれだけしか余裕が無かったってことなの!?

 「ま、払えないものは仕方ないさ。こいつは俺が小遣いから立て替えておくさ」
 「あ、ありがとうございます!」
 「い、いいいってことよ。その代わり、報酬のご利益りやくは奮発してくれよな」

 そう言って赤好しゃっこうさんは伝票をピッと取る。
 カッコ付けていますけど、伝票を見た目が動揺してますよ。
 だってそれ、10万超えなんですもの。
 
 「……僕も今回のミッションに協力した。だから報酬をもらう権利を主張」
 「もちろんですとも! 普段は人間専門ですが、人と”あやかし”の恋だって成就させてみせましょう!」
 「子宝成就だってお手のものですわ!」
 
 え? 縁結びと子宝成就!?

 「赤好しゃっこうの小遣いは我の財布から出ておる。ならば報酬の一部は我も手にするのが道理ではないか?」

 こ、黄貴こうき様!?
 どこから出てきたんですか!?
 そして報酬の一部って!?
 
 「いいですとも! いいですとも! 御利益の大盤振る舞いくらい現金に比べればいくらでも!」
 「子宝成就も一発必中どころか百発百中だってやってのけますわ!」

 何を言ってるんですか!?
 この直情扇情ちょくじょうせんじょう変態神様は!?

 「やれやれ、美味しそうな匂いに釣られて来てみれば……」クイッ
 「蒼明そうめいさん!? まさか蒼明そうめいさんまでご利益を求める気ですか!?」
 「見損なわないで下さい。私は自分の力量で欲しいものを手に入れるのを良しとします」クイッ

 た、助かった。
 蒼明そうめいさんが理知的で本当に助かった。
 
 「ですから、まずはあの妻神さいのかみとやらを排除し、貴女を料理で打ち負かして、貴女を手に入れ、後は回数勝負といきましょうか」クイッ

 何の回数ですか!?
 やばい、やばイ、ヤバイ!
 あたしのロマンスどころか、貞操どころか、何もかもがピンチ!

 「だ! ダメですっ! 今日の手柄や報酬は全部あたしのもの! 妻神さいのかみ様! 支払いについては後日ってことで今日はお引き取り下さい! ホラホラホラ! 貸し切りタイムは終わってますよ!」

 あたしはグイグイとふたりを店から押し出す。

 「珠子殿がそう言うなら」
 「おいとましますわ」
 「「わたしたちの加護や助力が必要な時はいつでも~」」

 店の扉から出て数歩進んだ所で、ふたりは仲良く帰っていった。

 「ふぅ」

 扉に寄りかかりあたしは軽く溜息を吐く。
 扉の内側ではみなさんが何かを主張しているみたいだけど、聞き耳を立てる気にはならない。
 きっとエロいことだから。
 福の神や貧乏神が家に居るとその影響が出るように、縁結びや子宝成就の神様が来店されると影響が出るのかしら。
 気を付けなくっちゃ。

 ポロロン

 あっ、この音は。
 あたしが視線を向けると、サングラス姿の謎の美女さんがやって来る。

 「さっき妻神さいのかみとすれ違ったわ。うまくいったみたいね」
 「はい、お客様のアドバイスのおかげです。ありがとうございました。約束通り、この前の支払いはチャラにしますね」
 「そう、良かったわ」
 
 あたしの言葉を聞いて美女さんはクスリと妖艶に笑う。
 うーん、サングラス姿でもこんなに魅力的とは。
 
 「あの、お客様」
 「なあに?」
 「よろしければお名前を教えて頂けませんか? そのたたずまいや気品はいずれ名のある”あやかし”だと思いますが」

 あたしの問いかけに美女さんは少し考える。

 「この店はいい店ね。いいお酒が揃っているわ」
 「は、はい。あたしの趣味もありますが、”あやかし”さんはお酒が好きな方が多いので」

 あれ、はぐらかされちゃったかな。

 「お酒は私の友のひとりよ。他にふたり。誰だかわかるかしら?」

 他にふたり? 
 ああ!

 「お客様は白居易はくきょいさんと同じ友がいらっしゃるなんてスゴイですね」
 
 ポロロン

 答えの代わりに美人さんは透き通りそうな白い指でポロロンと琵琶を鳴らす。
 あたしはそのリズムに乗ってうたい始める。
 詠うのはもちろん白居易さんのうた

 『北窓三友ほくそうさんゆう

 美人さんの三友とは琴(音楽)と酒と詩。
 白居易のうたの中に『北窓三友ほくそうさんゆう』というのがあって、その中で琴と酒と詩が三友としてうたわれているのだ。

=======================================================

 今日北窓下  今日は北窓ほくそうの下
 (今日は北の窓辺で穏やかに過ごす)

 自問何所爲  自ら問う何の為す所ぞ
 (さて、今日は何をしようか)

 欣然得三友  欣然きんぜんとして三友を得たり
 (そうだ三友と過ごそう)

 三友者爲誰  三友とは誰とか為す
 (三友は誰かと問われれば)

 琴罷輒挙酒  琴みてすなわち酒を
 (琴を弾き終えれば酒を掲げ)

 酒罷輒吟詩  酒みてすなわち詩をぎん
 (酒を飲み終えれば詩を口ずさむ)

 三友逓相引  三友たがいに相引あいひ
 (この三友は互いに引き合い)
 
 循環無已時  循環じゅんかんしてむ時無し
 (何度も巡り、止まることなく私を楽しませてくれる)

=======================================================

 ポロロン

 あたしのつたない歌に合わせるように琵琶の音が響く。
 すごいなー、さすがは琴が友達なだけある。
 あたしはその音色の余韻にしばし聞き惚れる。

 「見事な楽の腕ですね」
 「店員さんもね。昨今の人間で白居易の詩を軽くそらんじるのは珍しいわよ」
 「へへ、酒や料理に関する漢詩だけは知ってるんですよあたし。あたしの友は酒と料理の二友です」
 「そう、いいお友達ね。大切にするといいわ」

 そう言って美人さんはクスリと笑う。

 「そう言えばお客様はいつもお酒だけですけど、料理はお食べにならないのですか?」
 「あまり食べないわね。どちらかと言うと素材そのものとかが好きよ。果物とか。お店にフレッシュな茘枝レイシはあるかしら?」

 茘枝レイシとはライチのこと。
 中国南部が原産地のトロピカルフルーツだ。
 だけど……

 「ごめんなさいお客様。今日のお店には冷凍ライチしかありません」
 「そう残念」

 ライチの収穫時期は初夏。
 そのころだったら手に入るんだけど。

 「で、ですが、フレッシュなライチを仕入れたら、真っ先にお客様にお知らせしますね」
 「楽しみにしているわ。もし、手に入ったら……」
 「はい、あたしの友を売ります!」
 「まあ、友達を売るだなんて悪いね」
 「お客様だって、代金のカタにともを差し出したじゃないですか」
 「そういえばそうね。こちらとそちらって気が合うかもしれないわね」
 「ですねー」
 
 あたしと美人さんはそう言って笑い合う。

 「店員さん、そちらのお名前は?」
 「珠子です。おこがましくも珠玉しゅぎょくの珠子」
 「あら奇遇ね。こちらの名と響きが似ているわ。私はミタマ。覆面吟唱三友狐ふくめんぎんしょうさんゆうのきつね、ミタマよ」

 そう言ってミタマさんは狐の耳と三本の尻尾をちょっとだけ見せた。

 ポロロン

 彼女の奏でる琵琶の音が、夜のとばりを揺らした。
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