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第九章 夢想する物語とハッピーエンド
首吊り狸とタヌキケーキ(その3) ※全7部
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■■■■
ふふっ、初めてキスしちゃった。
あたしは家に帰って唇に指を当てて、その感触をもう一度思い出す。
ちょっと甘かった。
タヌキケーキの味かしら。
包んでもらったタヌキケーキを見ながらあたしは頬をゆるませる。
ドクン
あたしの心臓が高鳴る。
これは恋じゃない、胃からこみ上げる不快な感覚。
ウッヴェオ゛オ゛ォォォォー
お店で全部吐いたはずなのに、まだあたしの胃から何かがせり上がり、あたしは吐く。
吐いたのは胃液だけじゃない、そこに混じっていたのは半分固まったドス黒い血。
身体は重たく、頭も靄がかかったように虚ろ。
ダメだったかぁ……。
あたしは何度かこれを経験したからわかる。
薬が効かなかったみたい。
おばあちゃんが死んで、あたしは初めて自分が血液のガン、白血病だと知らされた。
それまでは、あたしに不安を与えないようにみんなが黙っててくれたの。
おばあちゃんも、先生も、看護婦さんもよ。
でも、家族がみんな死んで、あたしも15歳になったから、先生はあたしにハッキリと教えてくれるようになったの。
あたしはその時の病院の先生との会話を思い出す。
=============================================================
『”急性前骨髄球性白血病”? それって普通の白血病と違うの?』
『いえ、白血病の詳細分類のひとつです。そこまでマイナーなものではありません。ですが……』
『先生、はっきり言って下さい。あたしは覚悟はできてますから』
『そうですか。いいですか有栖院さん、この病気は前骨髄球がガン化する白血病で、白血球が正常に生成できず、赤血球や血小板の生成にも影響をおよぼします。症状としては倦怠感、貧血の他、出血があります。出血の症状は特にひどいです。血が止まらなくなったり、場合によっては吐血の症状が見られます。』
『はあ』
正直、よくわからなかったわ。
白血球、赤血球、血小板くらいはわかるけど、骨髄球なんてしらなかったんですもの。
『治療法は単純で、この抗がん剤でガン化している前骨髄球を殺し、正常な造血細胞が増えるのを期待する。それだけです』
『殺せなかったらどうなりますか?』
『殺し切れなかったら、再発します。ですが、既に有栖院さんは二度も抗ガン剤治療を受けたにも関わらず再発してしまいました。これから処方する薬が効かなかったら……』
『効かなかったらどうなるんです? 先生、ハッキリ言って下さい。あたし、覚悟は出来ています』
『体内外に関わらず、大量の出血を伴う症状が起きます。その時は、本当に覚悟して下さい」
=============================================================
……ダメだったみたい。
でも、いいの。
あたしは覚悟は出来ているから。
ウソじゃないわ、ホントよ。
だけど、もし叶うなら、あたしは……。
ジリリリリリ
部屋の電話のベルが鳴るわ。
誰かしらこんな夜中に。
「はい、有栖院です」
『アタシよ、ランラン。体調大丈夫? ひょっとして、死にそうになってない?』
その言葉に、あたしは心臓がギュって握られたような感じがしたわ。
「だ、大丈夫よ。ちょっと風邪が悪化しただけ」
『嘘おっしゃい。アタシ知っているのよ。アリスちゃんが不治の病だってこと』
「……どうしてそれを」
『いいのよ。どうでも。ねぇ、アリスちゃん死ぬのは怖い?』
「怖くないわ、本当よ」
『そう、だったら……、アタシのために死んでくれない?』
衝撃的な言葉。
でも、それは、あたしが待っていた言葉だった。
「わかった。すぐ行く」
あたしは待ち合わせ場所を聞くと、重たい身体から最後の力を振り絞るようにドアを開けたの。
そこには一匹のタヌキが居たわ。
最近、よく見るタヌキ。
何度かエサをあげたから懐いちゃったのかしら。
でも、もうあげれないの。
そうだ!
「はい、これが最後よ。あたしの手作りのタヌキケーキ。あたしはもういらないから」
本当は食べたかったけど、きっと食べたら彼の所までたどり着けなくなる。
そう思って、あたしはタヌキにタヌキケーキを渡したわ。
タヌキはそれをとても大切そうに小脇に抱えると、スゴイスピードで駆けていったわ。
■■■■
彼女と別れて、アタシが台所の後片付けをしていたら、二階から緑乱ちゃんが真面目な顔して降りて来たわ。
「あら、緑乱ちゃんが素面だなんて珍しいわね」
「さっきまで、あんなのに睨まれてちゃ真剣にもなるさ。藍蘭兄、何かアイツに目を付けられるようなことしたか?」
アイツ?
アタシは誰かに恨みを買うような事をしているけど、緑乱ちゃんが本気で警戒するようなヤツなんていたかしら?
緑乱ちゃんが真剣になるだ相手なら、きっと”あやかし”よね。
「さあ? 心当たりはありすぎるわね。ソイツは今はいないの?」
「ああ、10分くらい前にどっかいっちまったよ。藍蘭兄が目的じゃないとすると……」
そう言って緑乱ちゃんは少し考えこむわ。
「やべぇぞ! 藍蘭兄!」
「ちょっと、いきなり大声上げるだなんてビックリするじゃない。何かがヤバイのよ」
「アイツの目的はきっと彼女の方だ! ほら、何てったっけ、夕方くらいに帰ったあの娘。ちっ、あの娘が帰ってもアイツがこっちを見てたから勘違いしちまった」
「アリスちゃんよ。有栖院アリスちゃん」
「急げ! 藍蘭兄! 早くしないと……」
カラン
「うーっす、今帰ったぜ。おや、兄貴がなんでここに居るんだ? しっぽりデートじゃなかったのかよ」
緑乱ちゃんの言葉を遮るように『酒処 七王子』のドアが鳴り、赤好ちゃんが帰って来た。
「赤好ちゃん、どういうこと? デートなら夕方に終わったわよ」
「そんなはずはないだろ。俺はさっき駅前で、兄貴が女の子とデートしているのを見たぜ。一端別れて駅で待ち合わせじゃなかったのか? 女の子が兄貴の姿を見つけて駆けていくのを見たぜ。終バス間際だから、これからお楽しみかと思ったぜ」
「それはアイツが化けた姿だ!」
しまったとばかりに緑乱ちゃんが大声を上げるわ。
「それで、その偽物はどこへ行ったの!?」
「あ、ああ、病院行きのバスに乗って……」
その言葉を聞くなりアタシは脚の力と大地の反動を”活かして”飛び出した。
「気を付けろ藍蘭兄! アイツの名は、くび……」
後ろから緑乱ちゃんの言葉が聞こえたけど、その言葉はあたしの耳に半分しか入って来なかった。
それくらいアタシは怒っていた。
アタシを出し抜いて彼女を狙うだなんて許せない。
彼女は、アタシの獲物なんだから!
■■■■
アタシは、耳を目を鼻を五感を活かして彼女を探す。
どこ、どこなの。
街の雑踏の音は少なくなり、虫や獣や風の音ばかり。
大きく跳躍して空中から探すけど、人も寝静まって灯りは乏しく、まばらな街灯と月の光だけが爛々と照らす。
普通なら見つかりっこないけど、アタシの感覚の中で第六感とも言える感覚が嫌な気配を捕らえた。
見つけた!
駅から遠く、既に廃病院となった敷地の中。
月の光の木漏れ日の木の下に立つふたつの影。
そして、ふたりの眼前には輪になったロープが垂れ下がっていた。
今にも首を吊ろうとしている光景をアタシは視認したわ。
させるもんですか!!
アタシは地面にスタッと着地すると、そのまま全力でそこへと向かう。
時間にして30秒もかからなかったと思うわ。
だけど……
廃病院を囲う金網をぶち破って到着した時、アタシが見たものは輪となったロープに首だけでぶら下がる……、アタシにそっくりな男と彼女の姿だった。
早く助けないと! 今ならまだ間に合うかも!
アタシは手刀で彼女を吊るローブを断ち、その身体を胸に抱く。
アタシの能力は”活殺自在”。
この程度なら蘇生できるはず。
…
……
おかしい。
おかしいわ。
違和感を覚えたアタシが後ろを向くと、吊られている偽アタシがダランと舌を垂らしながら声を発した。
「無駄だ無駄だ、ソイツの魂は既に俺の手の中にある」
「口を動かさずにしゃべるだなんて下品ね。それにその姿はアタシのものよ。意匠権ってのを知らないのかしら。アタシの姿を使っていいのはアタシ自身と、アタシを生んでくれたパパとママだけよ」
彼女を地面に横たえ、アタシはスックと立ち上がって偽アタシに言う。
「これは失礼、だが、お前のおかげで助かったぞ。この娘はお前の声と姿に騙されてくれたのだからな」
偽アタシはそう言うと、重力なんて感じさせないような動きで首の輪を外し、ゆらりと宙に浮く。
そして、その姿がゴワゴワと変化したわ。
長く伸びた髪、耳まで裂けた口、大きくて下を向いた下品な鼻、つぶらとは真逆のギョロリとした目、そしてゆらゆらと揺れる幽霊のような足。
アタシはソイツの事を知っている。
緑乱ちゃんが『くび……』って言ってたソイツの名を。
「アナタ、縊鬼ね」
縊鬼、それは中国に起源を持つ”あやかし”。
人の心を惑わせて、自殺に追い込むと伝えれてる幽鬼。
「ほう、私のことを知っているとは。まあ、そんな事はどうでもいい。その娘の魂は頂いた、これから冥界に連れて逝く。私の後釜として冥界に囚われる魂としてな」
「鬼求代。中国の冥界のルールね。アナタが転生するには、代わりの魂が冥界の席に着かないと許可が出ないって話だったかしら」
死後の世界にはその世界によって色々なルールがあるの。
例えば、ギリシャの冥界で柘榴を3つ食べたペルセポネーが、一年のうち3か月は冥界で暮らさないといけなくなった例があるわ。
中国の冥界のルール、鬼求代もそのひとつ。
転生には、後釜の魂を冥界に入れなくてはいけないってルールよ。
でも、さらに、それにはメンドくさいルールがあったはず……。
「その通り。私の故郷、中国の冥界では、死に様によって席が決まっている。その席を埋める魂がないと転生の許可がおりないのだ。私は再び現世に生まれ変わるために、ずっと探していたのだ! 私と同じく、死に至る病の苦しみと恐怖から逃れるために自殺する魂を!」
そう言って縊鬼は彼女の、ううん、彼女の姿に宿っていた魂を握りしめ高く掲げる。
「残念ね。それは病を苦に自殺した魂じゃないわ」
「なにを馬鹿な……」
「バカはアンタよ。ほら、見てみなさい、彼女の、ううん彼女の偽物の姿を」
アタシが半身を逸らして縊鬼と地面の彼女の視界が通るようにすると、彼女の身体がシュルシュルと小さくなり変わっていく。
そこに現れたのはか細い呼吸をする一匹の狸の姿。
「こ、これはどういうことだ!?」
「アンタが間抜けってことよ! タヌキに化かされるくらいのね!!」
動揺する縊鬼の隙を付いて、アタシは魂を持つ腕を手刀で切り裂き殺す。
「くっ、くそっ! 死病で自殺する魂じゃなければ用はない! だが、私は何度でもあの娘を狙ってやるぞ!!」
ガシッ
腕を押え、空中に逃げ出そうとする縊鬼の首根っこを誰かの手が押さえる。
「捕まえたぜ。こそこそ動き回っててよ」
「き、きさま、いつからここに!?」
誰かじゃないわね。
アタシはその手の主を知ってるもの。
「さっきからずっといたさ。藍蘭兄が俺っちの気配を殺してくれてたおかげで、お前は気付かなかっただろうが、な!」
ドンッ!
「くそっ、くそっ! 離せ!!」
「暴れんな。妖力を全開にするのは結構疲れんだからよ」
「このガキどもがぁ! 千年以上も後釜の魂を探し続けた私をいつまでも抑え込めると思うなぁ!!」
縊鬼の妖力が膨れ上がる。
ちょっとマズイわね、アタシも助太刀しなきゃ。
「そいつは無用さ、藍蘭兄。こういうヤツにめっぽう強い俺っちの知り合いが来たからよ。おーいよっちゃん、こっちこっち」
緑乱ちゃんが手を振ると、タタタと”あやかし”の女の子が駆け寄って来る。
その顔には深淵を思わせる穴。
「お待たせしました緑乱様。はい、こちらの方ですね」
「おう、ご近所さんによろしく頼まぁ」
「はい、任せてください。ほら、行きますよ」
その女の子はヒョイと縊鬼を片手で掴む。
「くそっ、あと少しの所で、あの娘を騙して誘い出す所までは成功したのに! あんな狸が邪魔さえしなければ!」
「はいはい、暴れないで下さいね」
拘束から逃れようとする縊鬼を、彼女はまるで大きな雑巾でも扱うようにその身体を捻じり潰す。
「ガッ!? ゲゲッ! グガァ!!」
数秒で動かなくなった縊鬼を手に、その女の子は「それじゃ、失礼しまーす」と大地に潜っていった。
「今の誰?」
「ああ、彼女は黄泉醜女の”よっちゃん”。俺っちの知り合いさ。ちょっと力持ちのキャリアウーマンってとこかな」
「そ、そう」
緑乱ちゃんはアタシより封印が解けたのが早いって聞いてるけど、その間に知り合ったのかしら。
「それより状況を教えてくれ。そこの狸と魂について」
そう言って緑乱ちゃんは縊鬼の手に握られていた魂と、気絶している狸を指さす。
「そう言われても、アタシもよくわかんないだけど……」
アタシがそう呟くと、ゆらゆらと揺れていた魂が人の形を取り、言葉を発した。
「それは、わたしから説明します」
その姿は老婆。
そこには、タヌキが化けていた彼女の面影があった。
ふふっ、初めてキスしちゃった。
あたしは家に帰って唇に指を当てて、その感触をもう一度思い出す。
ちょっと甘かった。
タヌキケーキの味かしら。
包んでもらったタヌキケーキを見ながらあたしは頬をゆるませる。
ドクン
あたしの心臓が高鳴る。
これは恋じゃない、胃からこみ上げる不快な感覚。
ウッヴェオ゛オ゛ォォォォー
お店で全部吐いたはずなのに、まだあたしの胃から何かがせり上がり、あたしは吐く。
吐いたのは胃液だけじゃない、そこに混じっていたのは半分固まったドス黒い血。
身体は重たく、頭も靄がかかったように虚ろ。
ダメだったかぁ……。
あたしは何度かこれを経験したからわかる。
薬が効かなかったみたい。
おばあちゃんが死んで、あたしは初めて自分が血液のガン、白血病だと知らされた。
それまでは、あたしに不安を与えないようにみんなが黙っててくれたの。
おばあちゃんも、先生も、看護婦さんもよ。
でも、家族がみんな死んで、あたしも15歳になったから、先生はあたしにハッキリと教えてくれるようになったの。
あたしはその時の病院の先生との会話を思い出す。
=============================================================
『”急性前骨髄球性白血病”? それって普通の白血病と違うの?』
『いえ、白血病の詳細分類のひとつです。そこまでマイナーなものではありません。ですが……』
『先生、はっきり言って下さい。あたしは覚悟はできてますから』
『そうですか。いいですか有栖院さん、この病気は前骨髄球がガン化する白血病で、白血球が正常に生成できず、赤血球や血小板の生成にも影響をおよぼします。症状としては倦怠感、貧血の他、出血があります。出血の症状は特にひどいです。血が止まらなくなったり、場合によっては吐血の症状が見られます。』
『はあ』
正直、よくわからなかったわ。
白血球、赤血球、血小板くらいはわかるけど、骨髄球なんてしらなかったんですもの。
『治療法は単純で、この抗がん剤でガン化している前骨髄球を殺し、正常な造血細胞が増えるのを期待する。それだけです』
『殺せなかったらどうなりますか?』
『殺し切れなかったら、再発します。ですが、既に有栖院さんは二度も抗ガン剤治療を受けたにも関わらず再発してしまいました。これから処方する薬が効かなかったら……』
『効かなかったらどうなるんです? 先生、ハッキリ言って下さい。あたし、覚悟は出来ています』
『体内外に関わらず、大量の出血を伴う症状が起きます。その時は、本当に覚悟して下さい」
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……ダメだったみたい。
でも、いいの。
あたしは覚悟は出来ているから。
ウソじゃないわ、ホントよ。
だけど、もし叶うなら、あたしは……。
ジリリリリリ
部屋の電話のベルが鳴るわ。
誰かしらこんな夜中に。
「はい、有栖院です」
『アタシよ、ランラン。体調大丈夫? ひょっとして、死にそうになってない?』
その言葉に、あたしは心臓がギュって握られたような感じがしたわ。
「だ、大丈夫よ。ちょっと風邪が悪化しただけ」
『嘘おっしゃい。アタシ知っているのよ。アリスちゃんが不治の病だってこと』
「……どうしてそれを」
『いいのよ。どうでも。ねぇ、アリスちゃん死ぬのは怖い?』
「怖くないわ、本当よ」
『そう、だったら……、アタシのために死んでくれない?』
衝撃的な言葉。
でも、それは、あたしが待っていた言葉だった。
「わかった。すぐ行く」
あたしは待ち合わせ場所を聞くと、重たい身体から最後の力を振り絞るようにドアを開けたの。
そこには一匹のタヌキが居たわ。
最近、よく見るタヌキ。
何度かエサをあげたから懐いちゃったのかしら。
でも、もうあげれないの。
そうだ!
「はい、これが最後よ。あたしの手作りのタヌキケーキ。あたしはもういらないから」
本当は食べたかったけど、きっと食べたら彼の所までたどり着けなくなる。
そう思って、あたしはタヌキにタヌキケーキを渡したわ。
タヌキはそれをとても大切そうに小脇に抱えると、スゴイスピードで駆けていったわ。
■■■■
彼女と別れて、アタシが台所の後片付けをしていたら、二階から緑乱ちゃんが真面目な顔して降りて来たわ。
「あら、緑乱ちゃんが素面だなんて珍しいわね」
「さっきまで、あんなのに睨まれてちゃ真剣にもなるさ。藍蘭兄、何かアイツに目を付けられるようなことしたか?」
アイツ?
アタシは誰かに恨みを買うような事をしているけど、緑乱ちゃんが本気で警戒するようなヤツなんていたかしら?
緑乱ちゃんが真剣になるだ相手なら、きっと”あやかし”よね。
「さあ? 心当たりはありすぎるわね。ソイツは今はいないの?」
「ああ、10分くらい前にどっかいっちまったよ。藍蘭兄が目的じゃないとすると……」
そう言って緑乱ちゃんは少し考えこむわ。
「やべぇぞ! 藍蘭兄!」
「ちょっと、いきなり大声上げるだなんてビックリするじゃない。何かがヤバイのよ」
「アイツの目的はきっと彼女の方だ! ほら、何てったっけ、夕方くらいに帰ったあの娘。ちっ、あの娘が帰ってもアイツがこっちを見てたから勘違いしちまった」
「アリスちゃんよ。有栖院アリスちゃん」
「急げ! 藍蘭兄! 早くしないと……」
カラン
「うーっす、今帰ったぜ。おや、兄貴がなんでここに居るんだ? しっぽりデートじゃなかったのかよ」
緑乱ちゃんの言葉を遮るように『酒処 七王子』のドアが鳴り、赤好ちゃんが帰って来た。
「赤好ちゃん、どういうこと? デートなら夕方に終わったわよ」
「そんなはずはないだろ。俺はさっき駅前で、兄貴が女の子とデートしているのを見たぜ。一端別れて駅で待ち合わせじゃなかったのか? 女の子が兄貴の姿を見つけて駆けていくのを見たぜ。終バス間際だから、これからお楽しみかと思ったぜ」
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しまったとばかりに緑乱ちゃんが大声を上げるわ。
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「あ、ああ、病院行きのバスに乗って……」
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それくらいアタシは怒っていた。
アタシを出し抜いて彼女を狙うだなんて許せない。
彼女は、アタシの獲物なんだから!
■■■■
アタシは、耳を目を鼻を五感を活かして彼女を探す。
どこ、どこなの。
街の雑踏の音は少なくなり、虫や獣や風の音ばかり。
大きく跳躍して空中から探すけど、人も寝静まって灯りは乏しく、まばらな街灯と月の光だけが爛々と照らす。
普通なら見つかりっこないけど、アタシの感覚の中で第六感とも言える感覚が嫌な気配を捕らえた。
見つけた!
駅から遠く、既に廃病院となった敷地の中。
月の光の木漏れ日の木の下に立つふたつの影。
そして、ふたりの眼前には輪になったロープが垂れ下がっていた。
今にも首を吊ろうとしている光景をアタシは視認したわ。
させるもんですか!!
アタシは地面にスタッと着地すると、そのまま全力でそこへと向かう。
時間にして30秒もかからなかったと思うわ。
だけど……
廃病院を囲う金網をぶち破って到着した時、アタシが見たものは輪となったロープに首だけでぶら下がる……、アタシにそっくりな男と彼女の姿だった。
早く助けないと! 今ならまだ間に合うかも!
アタシは手刀で彼女を吊るローブを断ち、その身体を胸に抱く。
アタシの能力は”活殺自在”。
この程度なら蘇生できるはず。
…
……
おかしい。
おかしいわ。
違和感を覚えたアタシが後ろを向くと、吊られている偽アタシがダランと舌を垂らしながら声を発した。
「無駄だ無駄だ、ソイツの魂は既に俺の手の中にある」
「口を動かさずにしゃべるだなんて下品ね。それにその姿はアタシのものよ。意匠権ってのを知らないのかしら。アタシの姿を使っていいのはアタシ自身と、アタシを生んでくれたパパとママだけよ」
彼女を地面に横たえ、アタシはスックと立ち上がって偽アタシに言う。
「これは失礼、だが、お前のおかげで助かったぞ。この娘はお前の声と姿に騙されてくれたのだからな」
偽アタシはそう言うと、重力なんて感じさせないような動きで首の輪を外し、ゆらりと宙に浮く。
そして、その姿がゴワゴワと変化したわ。
長く伸びた髪、耳まで裂けた口、大きくて下を向いた下品な鼻、つぶらとは真逆のギョロリとした目、そしてゆらゆらと揺れる幽霊のような足。
アタシはソイツの事を知っている。
緑乱ちゃんが『くび……』って言ってたソイツの名を。
「アナタ、縊鬼ね」
縊鬼、それは中国に起源を持つ”あやかし”。
人の心を惑わせて、自殺に追い込むと伝えれてる幽鬼。
「ほう、私のことを知っているとは。まあ、そんな事はどうでもいい。その娘の魂は頂いた、これから冥界に連れて逝く。私の後釜として冥界に囚われる魂としてな」
「鬼求代。中国の冥界のルールね。アナタが転生するには、代わりの魂が冥界の席に着かないと許可が出ないって話だったかしら」
死後の世界にはその世界によって色々なルールがあるの。
例えば、ギリシャの冥界で柘榴を3つ食べたペルセポネーが、一年のうち3か月は冥界で暮らさないといけなくなった例があるわ。
中国の冥界のルール、鬼求代もそのひとつ。
転生には、後釜の魂を冥界に入れなくてはいけないってルールよ。
でも、さらに、それにはメンドくさいルールがあったはず……。
「その通り。私の故郷、中国の冥界では、死に様によって席が決まっている。その席を埋める魂がないと転生の許可がおりないのだ。私は再び現世に生まれ変わるために、ずっと探していたのだ! 私と同じく、死に至る病の苦しみと恐怖から逃れるために自殺する魂を!」
そう言って縊鬼は彼女の、ううん、彼女の姿に宿っていた魂を握りしめ高く掲げる。
「残念ね。それは病を苦に自殺した魂じゃないわ」
「なにを馬鹿な……」
「バカはアンタよ。ほら、見てみなさい、彼女の、ううん彼女の偽物の姿を」
アタシが半身を逸らして縊鬼と地面の彼女の視界が通るようにすると、彼女の身体がシュルシュルと小さくなり変わっていく。
そこに現れたのはか細い呼吸をする一匹の狸の姿。
「こ、これはどういうことだ!?」
「アンタが間抜けってことよ! タヌキに化かされるくらいのね!!」
動揺する縊鬼の隙を付いて、アタシは魂を持つ腕を手刀で切り裂き殺す。
「くっ、くそっ! 死病で自殺する魂じゃなければ用はない! だが、私は何度でもあの娘を狙ってやるぞ!!」
ガシッ
腕を押え、空中に逃げ出そうとする縊鬼の首根っこを誰かの手が押さえる。
「捕まえたぜ。こそこそ動き回っててよ」
「き、きさま、いつからここに!?」
誰かじゃないわね。
アタシはその手の主を知ってるもの。
「さっきからずっといたさ。藍蘭兄が俺っちの気配を殺してくれてたおかげで、お前は気付かなかっただろうが、な!」
ドンッ!
「くそっ、くそっ! 離せ!!」
「暴れんな。妖力を全開にするのは結構疲れんだからよ」
「このガキどもがぁ! 千年以上も後釜の魂を探し続けた私をいつまでも抑え込めると思うなぁ!!」
縊鬼の妖力が膨れ上がる。
ちょっとマズイわね、アタシも助太刀しなきゃ。
「そいつは無用さ、藍蘭兄。こういうヤツにめっぽう強い俺っちの知り合いが来たからよ。おーいよっちゃん、こっちこっち」
緑乱ちゃんが手を振ると、タタタと”あやかし”の女の子が駆け寄って来る。
その顔には深淵を思わせる穴。
「お待たせしました緑乱様。はい、こちらの方ですね」
「おう、ご近所さんによろしく頼まぁ」
「はい、任せてください。ほら、行きますよ」
その女の子はヒョイと縊鬼を片手で掴む。
「くそっ、あと少しの所で、あの娘を騙して誘い出す所までは成功したのに! あんな狸が邪魔さえしなければ!」
「はいはい、暴れないで下さいね」
拘束から逃れようとする縊鬼を、彼女はまるで大きな雑巾でも扱うようにその身体を捻じり潰す。
「ガッ!? ゲゲッ! グガァ!!」
数秒で動かなくなった縊鬼を手に、その女の子は「それじゃ、失礼しまーす」と大地に潜っていった。
「今の誰?」
「ああ、彼女は黄泉醜女の”よっちゃん”。俺っちの知り合いさ。ちょっと力持ちのキャリアウーマンってとこかな」
「そ、そう」
緑乱ちゃんはアタシより封印が解けたのが早いって聞いてるけど、その間に知り合ったのかしら。
「それより状況を教えてくれ。そこの狸と魂について」
そう言って緑乱ちゃんは縊鬼の手に握られていた魂と、気絶している狸を指さす。
「そう言われても、アタシもよくわかんないだけど……」
アタシがそう呟くと、ゆらゆらと揺れていた魂が人の形を取り、言葉を発した。
「それは、わたしから説明します」
その姿は老婆。
そこには、タヌキが化けていた彼女の面影があった。
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