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第九章 夢想する物語とハッピーエンド

隠神刑部と珈琲(前編)

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 王とは”何するものぞ”と問われたら、それは慣用句通りに”たいしたことはない”と我は答える。
 蒼明そうめいならば、たとえ幾千の敵が相手でも『何するものぞ』と奮起して、ひとりでも立ち向かうであろう。
 いや、『あの程度の軍勢なら問題ありません。クイッ』と冷静に立ち向かうであろうな。
 蒼明そうめいはそういう男だ。

 大悪龍王の侵攻が進んだという報を受け、我は自身の予測が的中したことを知る。
 大悪龍王の支配地域、いや、恐怖のあまり大悪龍王を妖怪王とあがめる”あやかし”の範囲は畿内に差し掛かる所で停滞していたが、それが再び広がりをみせた。

 間の悪いことに、女中は有休旅行の中、音信不通。
 大江山の酒呑童子一味は結界を張って籠城の構え。
 藍蘭らんらんは長期旅行中という話だが、きっと独自に動いているのであろう。
 赤好しゃっこうには『酒処 七王子』で留守を任せた。
 緑乱りょくらん橙依とーいは早々に女中の行方をさがしに出かけた。
 紫君しーくんは家におるはずだが、興味半分で動きかねん。

 そして……、蒼明そうめいは大悪龍王に敗れ行方不明。

 こんな時こそ、我が中心となって家族を庇護ひごすべ……。
 いや、守るのは当然であるが庇護ひごするとは言葉の意味が少々違うな。
 弟たちも立派な男。
 皆が皆、自らの大切なもののためや、目的のために行動しようとしているのだ。
 自立した男に過度の干渉は不要。
 ならば、我は我のやるべきことをやるまで。
 
 「殿。殿は珠子殿を探しに行かれないのですか? それとも弟君を捜索に行くのですか?」
 「主殿あるじどの。主殿は珠子ちゃんのことが心配ではないのかのう?」

 我の左右から同じ問いが向けられる。
 問うた主は我の近臣、”獅子身中の虫”こと鳥居耀蔵、”傾国のロリババア”こと三尾の狐、讃美。

 「王は時には非情にならねばならぬことがある。今は我らでふたりの行方を捜す時ではない」
 「左様ですか」
 「薄情じゃの。それとも妾が居るからよいといってくれるのかのう」
 「そういう冗談も良いが、今回ばかりは真剣にならねばならぬぞ。何せ我らは大悪龍王の勢力下に来ておるのだからな」

 我の声に鳥居と讃美の顔が引き締まる。
 我が名は黄貴こうき
 妖怪王候補のひとりにして、大悪龍王を打倒すべきと心に決めた者。
 普段ならば、我はたとえ敵であっても敬意を以って接し、果てに我を王と認めるなら、打倒しようとなどと思いはしない。
 だが、大悪龍王はやり過ぎた。
 恐怖をって”あやかし”を支配しようと企むやからを見過ごせはせぬ。

 そう、王とは”なにするものぞ”と問われたなら、我はこう答えるであろう。
 我がすることは”たいしたことではない”。
 王は”決断するもの”だと。

 我は今、大悪龍王の支配地域、四国愛媛の松山に居る。

◇◇◇◇

 かつての四国は化け狸の天国であったと聞く。
 だが、昨今は他の”あやかし”が闊歩かっぽする無秩序地帯となり、今は大悪龍王の支配下。
 そうなってしまった原因を責めるつもりはないが、興味はある。

 この四国を支配していた狸の王。
 八百八狸はっぴゃくやだぬきの祖にして、怪狸王かいりおう
 その名も”隠神刑部いぬがみぎょうぶ
 四国探索に隠神刑部の助力が必要と判断した我は、その協力を得に松山に来たのだ。

 「ここが隠神刑部の岩屋か?」
 「左様。隠神刑部の名は江戸で知らぬ者がおらぬほどの大妖怪。飛鳥時代より、この地に住まう千年妖狐……ならぬ、千五百年化け狸と聞き及んでおります」
 「千五百年化け狸は語呂ごろが悪いのう。しかし、隠神刑部については妾も知っておるぞ。この愛媛県、伊予国いよのくにのお家騒動に巻き込まれ、稲生武太夫いのうぶだゆうという男に調伏され、ここに封じられたと」
 
 しかし、怪狸王かいりおうが四国を支配していたのも昔の話。
 隠神刑部はこの岩屋に封じられ、そこから外へは出てこれない。
 王の末路が幽閉となるのは、よくある話ではあるが、少々不憫ふびんだな。

 「しかし臭うな。鳥居」
 「左様でございますな。珠子殿がノートにしたためた狸向けの進物。間違いはないと思いますが、いささか強烈でございます」
 「狸はようこんな臭いものを食べるのう。妾はまっぴらごめんなものじゃのに」

 『すみません、がんばっているのですが、私でもこの臭いを完全に抑えるのは無理です』

 臭いの元は讃美の手に収まっている紅い玉。
 迷い家まよいがの核だ。
 普段なら蒼明そうめいの近臣として、弟にはべっておるのだが、今は緊急事態。
 この四国のどこかで大悪龍王に敗れた蒼明そうめいの捜索のため、一時的に我らと同行している。

 「待て、止まれ」

 岩屋の奥へ進むと、その突き当りに直立する一匹の狸が待ち構えていた。
 隠神刑部の配下の豆狸まめだであろう。

 「我は八王子に拠を構える黄貴こうきである。東の大蛇の長兄と名乗った方が通りが良いかな。隠神刑部殿と同盟を結びたく、ここに参った。お取次ぎ願おう」
 
 東の大蛇という言葉に、豆狸はホッと安堵の顔を見せる。
 しかし、この豆狸は見るからにやつれているな。
 目の周りが黒いのは狸ならば当然であるが、そこに深い皺が見える。
 人間の寝不足の証であるクマもかくやと言わんばかりのあとだ。
 
 「わ、わかった。すぐに隠神刑部様に連絡する。しばし待っておれ」
 「ああ、共に大悪龍王に対抗するための同盟を結びたいと伝えてくれ」

 四国は既に大悪龍王の支配地域。
 だが、その中でも未だ支配に従わぬ勢力も存在する。
 この隠神刑部はそのひとつだと赤殿中あかでんちゅうから聞いた。

 「い、いまなんと……」

 聞いてはならぬものを聞いた、そんな様子で豆狸はゆっくりとこっちを見る。

 「ん? 主殿は大悪龍王に対抗するために同盟をと言ったのじゃ……」
 「だ、だ、だだだっだ大悪龍王!?」

 ガタッガタガタガタッ

 我の言葉を聞くなり、豆狸の身体が震えだし、目の焦点がブレる。

 「い、いや、いやだ、いやだ、もうアイツにうのだけは、声を聞くのも、姿を思い出すのも、ああ、こわい、こわいこわいこわいこわわっわいひっ―――――!!」
 
 目を大きく見開き、耳を塞ぎ、膝を折って豆狸はガクガクと震え始める。
 あの時の赤殿中と同じだ。

 「殿、これは赤殿中殿と同じ症状でありますな」
 「そうであるな。そこの者、お前は激務で疲れているのであろう。睡眠と休息を取るのがよかろう」
 「ねねね、ねむる!? いやだいやだ、とんでもない! そんなことなんかしたくない! そしたら、またあの悪夢が!!」
 
 やはり同じだな。

 「案ずるな、王はたとえ別の王の臣民であっても無辜むこの者を害する気はない。ひと時『眠れ』。さすれば、その恐怖も晴れるであろう」

 我の権能ちからある言葉は、豆狸の脳髄と魂を揺らし、その身体を脱力させる。

 「おっと、あぶないのじゃ。ほい、迷い家まよいが殿、頼むのじゃ」
 『はい、わかりました』

 讃美は豆狸をその腕で受け止め、紅い玉から発する光の中へと吸い込ませる。
 あとは、中の者たちが上手く面倒を見るであろう。
 さて、と……
 我は行き止まりの岩壁をペタペタと触り、その壁の妖力ちからの仕掛けを看破する。
 これだな。
 我が妖力ちからを注ぐと、そこに隠された異空間の入り口が出現した。
 
 「見事」
 「主殿は器用じゃの。王より盗賊の方が適正があるのではないのか?」
 「盗賊から王になったという話は、かのアラビアンナイトを初めごまんとある。それは王道のひとつ。うむ、これも王道、ならばよしっ」
 
 我はそう言いつつ、その異空間に身体を躍らせる。
 ひと時の光を感じた後、目の前に広がったのは御殿。
 趣きのある和風の御殿だ。
 
 「お待ちしておりました、東の大蛇の長兄、黄貴こうき様。刑部様がお待ちです」

 御殿の玄関では女物の着物を着た薄茶色の狸が我らを待ち構えていた。

 「おや、これは……」

 我らから発する臭いに気付いたのか、雌狸が鼻をヒクヒクさせる。
 
 「そうだな。進物の一部を先に渡しておこう。迷い家まよいが、頼む」
 『了解致しました』

 讃美の手の紅い玉が光を放つと、異空間より何俵ものたわらが出でる。
 だが、中身は米ではない。
 そこから漏れ出るのは、鼻がグニッとするような強烈な腐臭にも似た刺激臭。

 「まあ! やっぱり銀杏いちょうの実。それもこんなに!」
 「今時分、兵糧に困っているのではないかと殿が推察しまして持参しました。お納め下さい」
 
 鳥居がご丁寧に目録と共に俵を示す。
 これは旅行の出立前に女中が弟たちと東京の各所で集めた銀杏いちょうの実。
 『イヤッホー! タダで拾える秋のお宝だー!』なぞ言いながら大量に持って帰った異臭を放つ実だ。
 その臭いは橙依とーいが『こんなの僕の異空間格納庫ハンマースペースに入れたくない』と拒否したほど。
 
 「まあ、まあ! 助かりますわ。ちょうど蓄えが少なくなっていた所ですの。わたくしたち、これが大好物ですのよ」

 ウキウキとした表情で雌狸は手下の豆狸を呼び寄せ、俵を屋敷の奥へ運ばせた。
 女中の言っていた通りだな。
 女中曰く、

 『この銀杏の果肉の部分は、人間にとって老廃物と腐敗臭が入り混じった悪臭を発します。動物や鳥もそれに漏れず、この臭いを忌避しますが、狸だけは別なんです。狸はこのくっさい果肉が大好物なんですよ。動物の食性を調べるには、その糞を調べるのが常道ですが、この時期の狸の糞の中には銀杏の核がいっぱい含まれているんですよ。でも、この臭いは強烈ですね。化け狸さん向けにお店で出すにはどうしましょうか。露天で外で食べてもらいましょうかねぇ。でも、仕入れ値はタダ、ぐへへ』

 などと言って、業突張ごうつくばりな笑みを浮かべておったが、あの雌狸の喜びようを見ると本当のようだな。
 しかし臭い。
 この中から、あの銀杏ぎんなんという上等な味の種子が取れるのが信じ難いほどに。

 「それでは黄貴こうき様、従者の皆様、こちらへ」
 
 雌狸に案内され、我らは屋敷の中へ入り、広間に通される。
 その広間の奥の一段高い一の間に座っているのが、我から見ても威圧感を感じる古狸。
 名乗らずともわかる。
 あれが怪狸王かいりおう、隠神刑部。

 「東の大蛇の長兄殿、よく参られた。吾輩わがはいが隠神刑部である」
 「お初にお目にかかる隠神刑部殿。八岐大蛇ヤマタノオロチの嫡男にて八稚女やをとめの一柱の子、黄貴こうきである」

 声は明朗めいろうに、視線は真っ直ぐ、それが王が名乗る時にあるべき姿勢。
 どうやら、隠神刑部もそれがわかっておるようだ。

 「まずは、近こう寄れ。そして、座るがよい」
 「失礼する」

 我は鳥居達より一歩前に出て、隠神刑部と対峙たいじするよう、用意された座布団に向かう。

 「主殿、気を付けるのじゃ。狸は化かすことで有名。その座布団も狸の金玉袋かもしれぬぞ」

 讃美が小声で我に忠告する。

 「安心しろ、それはない」
 「どうしてわかるのじゃ?」
 「かの高名な隠神刑部殿の金玉袋が座布団サイズに収まるはずがなかろう。この部屋、いやこの屋敷そのものが刑部殿の金玉袋だと言われても、我は驚かんぞ」

 我は小声ながらも、聞こえても良いような声の大きさで讃美に言う。
 一の間より、プックククと笑い声が聞こえる所を見ると、聞こえたようだな。

 「中々面白い男だ。気に入ったぞ。話を聞こう。大悪龍王を倒すために同盟を結びたいという話だったな」
 
 貫禄のある響きで、隠神刑部は我に向かって口を開いた。

 「うむ、ともに並び立つ同等の同盟を結びたく参った」
 「吾輩と同等とは大きく出たものよ。だがそれなりの格は持っているようだな」
 「隠神刑部殿の目にかなうとは光栄である」
 「だが、だ。それが、かどうか見極めさせてもらおう。同盟如何いかんはその後だ」

 顔は柔和にゅうわ、眼光は鋭く、狸の総大将とはかくやとの偉丈夫いじょうぶの気配を見せ、隠神刑部は我に視線を向ける。

 「承知した。して、如何いかように我の力量を示せばよいかな?」

 そう言って我はチラリと横の讃美を見る。
 讃美も承知の上じゃと軽く頷く。
 我とその近臣の者は盤石の布陣。
 たとえどんな難題でもこなす。
 しかし、今は女中が不在。
 この穴を隠神刑部が付くのは十分考えられる。
 だが、再度言おう。
 我とその近臣の布陣は盤石。
 誰かが欠けたなら、他の者がその穴を埋める。
 その連携チームワークも含めて盤石なのだ。

 「何、簡単な問答よ。貴公の王としての心構えが聞ければよい」

 なんだ、拍子抜けだな。
 せっかく、女中の残した入れ知恵と讃美の料理技術を我が昇華させた物を用意しておいたというのに。
 言葉のひとつやふたつで事足りるとは。

 「よかろう、いくらでも問うがよい」
 「いい返事だ。では問おう”王とは何を以って国を治めるべきか?”」
 
 我はそう言う隠神刑部に何か含むものを感じた。
 狸だな。
 なれば、やはり讃美に用意させたあれが役に立つやもしれぬな。
 心の奥でそう思いながら、我は問いに答える。

 「仁である」と

 我の答えに隠神刑部はニヤリと笑う。

 「その心は? おそらく五徳のひとつ”仁”で治めるべしと言いたいのであろうが、他の徳やそれ以外で治める方法もあろう」
 「五徳の中で”仁”が万物共通のものだからである。仁という言葉を知らぬ赤子であろうと、仁など不要と言い切るあやかしであろうと、仁が優しさと相手を思いやる心を示すことは、本能で、知性で分かるであろう。義や智や礼や信では、それが示すものが各々で違うことは往々にしてあるもの。文化が違えば変わるものでもある。万物共通の”仁”を以って治めることで、王の真意が正しく伝わる。ゆえに”仁”」
 
 そして、我は答えを続ける。

 「五徳以外で、例えば大悪龍王のように恐怖で従えようとするのは下の下。なぜなら、人も”あやかし”も恐怖を感じたなら、それを克服しようと勇気を奮うのが常。臣民がとうとする恐怖を以って行う支配が上手くゆく道理なし」
 「左様でございますな」

 我の答えにウンウンと納得したように鳥居も相槌を打つ。

 「よかろう。では、次の問いだ。王に必要なものとは何だ? 力か知恵か財か、それとも先ほどの仁か?」
 「愚問。王が仁を以って治めるのは当然であるが、それは王の中から溢れる一部である。王が持つべきものはひとつでは足りぬ。力も知恵も、財や仁も、時には威厳に愛嬌も、血筋があればなお上々。故に、あらゆるものが王に必要である。逆に言えば、ありとあらゆるものが王に必要とされるのである。自らを”無価値”とさげすむ者がおれば、”我に必要とされる誇りを持て”と手を伸ばすのが王である」
 「主殿は強欲じゃのう。ま、じゃが、その王に『お前が必要なのだ』と言わせるのが傾国の入口なのじゃ。うむ、けーこく、けーこく」

 讃美は茶化すようにそう言うが、それは真実なのであろうな。
 王がひとりしか必要としなくなったなら、王に必要とされていないと思った者たちが叛意はんいを持つ。
 なれば、その国は傾くであろう。

 「ふむ、まずまず。では次の問いだ……」

 我の答えに納得したかのように……、いや順調順調といったように隠神刑部は次の問いを出す。
 
 我は己の懸念を確信に変えながら、この問いに、いやこの茶番に乗った。
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