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第八章 動転する物語とハッピーエンド

ヌエとエクレア(その1) ※全4部

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 季節が移ろい、秋の気配が深まってきたころ、その便りは来た。

 『11月1日に西に旅行に行きますから、道中一泊させて下さい』

 色気も全くない事務的な
 俺様のに来た数えるほどの文だ。
 送り主は珠子。
 夏のひと時、この大江山で過ごした人間。
 俺様がその才覚を認める数少ない人間だ。
 文の内容から察するに旅行の道中の宿にここを訪れるのであろう。
 無論、歓迎する。
 俺様も大江山の一味も。

 だが、珠子の歓迎に懸念がないわけではない。
 顔を上げると、そこには時折閃光を放つふたつの黒雲。
 隣を見ると、いつもとは違いプイとそっぽを向く茨木の顔。
 少々由々ゆゆしい事態だ。

 ああ、そういえば、大悪龍王の支配地域が姫路あたりまで迫っているという話もあったな。
 俺様は遠く広がる丘陵きゅうりょうを見る
 だが、それは問題ない。
 俺様はかつての京を震撼させた大妖怪、酒呑童子なのだから。

◇◇◇◇

 「やっほー! 酒呑さーん! 鬼道丸さーん!」

 駅の改札越しに俺様たちを見つけた珠子が手を振る。

 「師匠ー! こちらでーす!」

 返すように手を振る鬼道丸に向かって、タタタと小走りで珠子が駆け寄る。

 「よく来たな珠子」
 「お久しぶりです。おっ、まだ雨は降っていないみたいですね。電車の中でゴロゴロという音とピカッという光が見えたので気になっていたんですよ」
 「怪しい雲ゆきですね。でも大丈夫です、師匠。雨天の時は私が牛車ぎっしゃを出しますから」
 「牛車かぁ……、牛車ねぇ……」

 牛車という言葉に珠子の顔が曇る。
 確かこいつは物とかいう平安時代を書いた現代文学が好きだったはず。
 『わーい! 平安貴族みたーい』と喜ぶかとも思っていたが、牛車は苦手か。
 臭うからな。

 「し、失礼しました師匠。やはりオフロード仕様のレンタカーの方がよろしかったでしょうか」
 「いえっ! レンタカーなんてだめです! それに比べれば牛車の方が億倍ましですっ!」

 いつにない真剣な顔で珠子が拒絶する。

 「なんだ珠子。それは嫌か?」
 「そうですね……正直嫌です」

 その暗い表情を見る限り、何か事情でもあるのだろう。
 誰にだって嫌いなものはあるというもの。
 俺様だって頼光らいこうは苦手だ、出逢ったなら灰塵に滅して視界から消したくなるほど。
 ここは触れずにおくのが吉か。
 そう思い、何か別の話題でも振ろうと思案してた時、

 「そ、そうですよね師匠。師匠ほどの御方がレンタカーなんて無粋でした。次は高級車を買っておきますので」
 
 鬼道丸がのない発言をした。

 「えっ、いや、そういう意味じゃ……」

 俺様も茨木にがないとよく言われるが、こやつは俺様以上だな。
 親の顔が見たい。
 きっと、絶世の美男子であろう。

 「たわけ」

 そう言って俺様は手にした扇で、鬼道丸の頭をポンと軽く叩いた。
 
◇◇◇◇

 「なーんだ、師匠は車にトラウマがあるんでしたか」
 「え、ええ、そうです。詳しくは言えませんが……」

 駅から館への山道を俺様たちは歩く。

 「言えませんではなく言いたくないのであろう。鬼道丸、これから先の詮索は無用ぞ。どうしても聞きたいならねやに連れ込んで聞き出すがいい。ま、その前に俺様が連れ込むがな」
 「んもう、相変わらずですね。たとえ閨でもこの話はしません。それに、そんな事したら茨木さんに怒られちゃいます。ふたりはもう夫婦なんですから」
 
 夏の終わりに珠子の手引きというか奇策で俺様と茨木は祝言を上げた。
 珠子の発言はきっとそれを案じてのことだろう。

 「それなら問題ない」
 「なんですか。またあたしを2号さんにしてもいいって茨木さんの許可でも取ったんですか。嫌ですよあたしは」
 「そうではない」
 「ならなんです?」
 「目下、俺様と茨木は喧嘩中だからだ」
 「うわー、このデリカシー皆無の男はついに茨木さんに見限られましたか。しょうがありませんね。ここはあたしが茨木さんをもらってあげます」
 「言うではないか。ここは俺様を慰めるか、いつもなら『あたしの料理でふたりを仲直りさせてあげますっ!』と意気込む所ではないか?」
 「ちょっと嫌なことを思い出させてくれたお礼です」

 そう言ってベーと珠子は舌を出す。
 やれやれ、俺様に悪態をつける人間なぞこいつだけだな。
 そう考えると、珠子は貴重な存在だ。

 「それにしても、怪しい雲行きですね。館に着く前に降り出さないといいですけど。というか、館のあたりでは降ってません?」

 俺様たちの行先には暗雲が立ち込めている。
 時折、ゴロゴロという音と閃光も。
 
 「ああ、心配要らぬ。あの雲は雨なぞ降らさぬからな」
 「どういう意味です」
 「あの雲の中に居るのは雨でも雷神でもでもない。ヌエだ」

 猿の頭に虎の四肢、狸の胴に蛇の尾。
 その鳴き声は虎鶫トラツグミ
 名状しがたい異形の”あやかし”、それがヌエ。
 かつて平安のみやこでヌエの声を聞けばおそれを抱かぬ人なぞ皆無であった。
 それは現代でも変わらぬであろ……

 「ああ、それなら安心ですね」
 
 ……この日、ヌエと聞いて安堵する人間を俺様は初めて見た。
 
◇◇◇◇

 館に近づくにつれ、黒雲は大きくなり、そこから見える閃光や音も鮮明になる。

 フィーィッ、ヒユーイッ

 そして黒雲からは笛を鳴らすような音が漏れ出ている。

 「あ、トラツグミの鳴き声ですね。ヌエの声はトラツグミって言われてますから、あれがヌエの声かな」
 「そうだ。しかしお前は平然としているな。あの声を聞いたなら、都の人間は震えあがったものだぞ。陰陽師でも退魔僧でもないお前がヌエに襲われたらひとたまりもないぞ」
 「酒呑童子さんと鬼道丸さんと一緒ですから。何かあったら守ってくれるんでしょ」

 そう言って珠子はニシシと笑う。
 男の保護欲を刺激するような物言いだ。
 ま、その通りではある。
 だが、それを素直に口にするのは野暮というもの。
 それは色恋の駆け引きのように言うべきだ。
 さて、どんな返しが相応しかろう。
 茨木とでは、あいつは何でも『酒呑の言う通りや』みたいになってしまって、会話の丁々発止ちょうちょうはっしが楽しめぬ。
 そんな事を考えながら、粋な台詞のひとつでもなかろうかと思案してた頃、

 「もちろんです! 師匠のことはこの鬼道丸が何があってもお守りします!」
 「ありがと、鬼道丸さん」

 無粋な息子の台詞がそれを台無しにした。

 ポカッ

 「あいたっ!?」
 「たわけ。そんな愚直に言うやつがあるか。ここは『守ってやるとも、だが俺様に守られるという意味はわかっておろうな』とでも言う所ぞ」
 「え~、あたし的にはこまりっしゃっくれたそんな言葉より、鬼道丸さんのような素直な方が好きなんですけど。ほら、あたしがイニシアチブを握っているようで」
 「を握る、確か手綱たづなを握るという意味だな。なるほど、珠子は主従の御主人様が好みか。気が合うな、俺様もだ」
 「うへ~、気は合いそうですけど、甘い関係にはならないですね」

 打てば響くつづみのような会話。
 やはり珠子は面白い。
 館までの間、久方ぶりの会話を楽しもう。
 だが、そんな俺様の望みは天から落ちてきた獣によって断たれた。

 ズシャー!!

 黒雲から飛び出てきたその獣は、落ち葉をブワッと巻き上げながら地面に落下する。

 「なんだ酒呑、そんな者を招き入れて、それは人間ではないか」

 ブルブルと体躯を震わせて落ち葉を弾き飛ばす獣は、人が見れば異形と言うだろう。
 猿の顔に虎の四肢、狸の胴に蛇の尾。
 かつての京に幾度となく出現したと聞く、伝説のあやかし妖獣”ぬえ”。
 ま、俺様が実際に目にしたのは最近だが。

 ブァサァー!

 続けて大きな翼で落ち葉を巻き上げながら降りてきたのは別の獣。
 猫の頭に鳥の体に蛇の尾、かつての北野天満宮で人間を恐怖に陥れた、古伝のあやかし怪鳥”ヌエ”。
 
 「ほんまや、人間なぞを招くと、この大江山がけがれるで」

 そう言って二体のヌエは獣がそうするように、後ろ足で下半身を山のように盛り上げ、珠子を威嚇いかくする。

 「止めろヨルにソラ。こいつは俺様の客人だ」
 「しかし酒呑。人間はオレたちの敵だぞ」
 「やけど酒呑。人間はわからんちんやで」

 ヒュー、ヒュルルと口笛のような唸り声を上げて二体のヌエは威嚇を続ける。

 「いいから止めよ。目に余るようなら大江山から追い出すぞ」
 「いや、それは困る」
 「しゃーない、今日はここまでにしたる」

 二匹の異形はその首を横にプイと向けると、大人しく地面に座った。
 
 「仕草は虎やとりに似てますね。あれがヌエですか?」
 「そうだ、最初に落ちて来た方がぬえ、俺様はヨルと呼んでいる。次がヌエ、こっちはソラだな」
 「ああ、鵺と鵼の漢字のへんにちなんでいるのですね。初めまして、珠子です」

 自分の倍以上の体躯を持つ”あやかし”に珠子は気軽に近づく。

 「ああ、酒呑が何度か話している珠子殿か」
 「茨木から聞いてるで。料理がえろう上手やって」
 「はい。人間の中ではまだまだ駆け出しですが、それなりには」

 そう言って手を差し出す珠子に2体のヌエは一歩身を引く。

 「悪いが人間とれ合う気はない」
 「せや、酒呑や茨木はあんたさんに肩入れしとうみたいやが、ウチらは違うで」
 「あら、嫌われてしまいましたか」

 少し残念そうな面持ちで珠子は言う。

 「お前や人間に親しい”あやかし”ばかりじゃないということだ。俺様や茨木、鬼道丸は人より生まれ人に育てられた経緯もあって、ある程度は人に親しみがある。たとえ最期に人に殺されようとな。だが、ヌエは人に退治されたことしかない。警戒するのは当然というもの」
 「そう言われてみればそうですね」
 「俺様もこの大江山に立ち入るのを許す人間はお前だけだぞ、珠子」

 あとは泥田坊の所のノラくらいか。
 だが、それは言わぬが花。
 お前だけが特別なのだと示すのは色恋の常道だからな。

 「はいはい、ありがとうございます。それでヨルさんとソラさんは人里離れた大江山にみついてるってわけですか。でも変ですね、あたしが夏に滞在した時にはおふたりの姿どころか声も聞きませんでしたけど」
 「ああ、最近になって大悪龍王とかいう”あやかし”の支配地域が近づいているという噂があってな。それでまわせている。多少の縁もあってな」
 「ヌエ殿たちは父上や私の仇敵である源頼光みなもとのらいこう玄孫やしゃご源頼政みなもとのよりまさに退治されましたゆえ」
 「そうだったんですね。頼政のヌエ退治は有名ですけど、そんな繋がりがあったとは」
 「だから俺は人間が嫌いだ」
 「酒呑の客人でなかったら口もひらかんで」

 そう言って再びヨルとソラはそっぽを向く。
 
 「というわけだ。こいつらのことは気にせず、館で休むといい。俺様の寝所の隣に客間を用意させた。夜中にヌエの声を聞いて恐ろしくなったらねやに来てもよいぞ」
 「なるほど、あたしは酒呑さんの客人だから口をひらいてくれるんですね」
 「俺様の言うことを聞いておるのか?」
 「きこえませーん。閨にも行きませーん」

 聞いておるではないか。

 「よしっ! あたしは武人ではないので『矢が通じるなら、射殺せるはずだ』なーんて言わないですけど、料理人だからこんなことは言えます。言っちゃいます。ちょうど新兵器のロールアウトをしたかったんですよねー」
 「し、師匠。一体何を……」

 珠子は意気揚々いきようようと気合を入れ、鬼道丸は不安そうにオロオロし、ヌエたちはその目をキョトンとさせた。
 また始まったか。
 変わらぬ珠子の調子に俺様は半ばあきれながらも、心を躍らせる。
 そして珠子はひどい台詞を口にする。

 「ひらく口があるなら、料理を喰わせられるはずですっ!」
 
 いた口がふさがらぬとは、こういう事を言うのであろうな。
 そして、口がふさがらぬなら、こやつは美味でそれをふさぐに違いない。
 俺様は心の中で舌なめずりをした。
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