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第八章 動転する物語とハッピーエンド

以津真天と常夜鍋(後編)

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 「ちょっと待ってね。これもすぐできるから」

 あたしのバッグはちょっと不思議。
 コンビニで買ったもの以外にも面白いものが入っていることがあるの。
 これもそのひとつ。
 
 「ジャーン! カクテルを作る人が持っているフリフリー! これってシェイカーっていうのよ。あたしは今日、初めて知ったんだから」

 TVの中でしか見た事のないオシャレな店で、カウンターの中の人が振っているもの。
 それがシェイカーなの。
 あたしはそこにジンという透明なお酒を入れて、もう一度、力いっぱいライムを絞る。
 あとはコンビニで買ったロックアイスのカケラを入れて、フタをしてシャカシャカすれば完成。
 とっても簡単なのよ。

 「おまたせ。オシャレなカクテル”ギムレット”よ」

 グラスがコンビニで買ったプラのコップなのがちょっとオシャレじゃないけど。
 そんなことを考えながら、あたしは以津真天さんに”ギムレット”を差し出す。
 以津真天さんは月の光を通して白く見えるギムレットをしばらく眺めている。

 …
 ……

 そして、以津真天さんはそれに口を付けずにコトンと石の上に置いて首を振ったわ。
 まるで、これを飲むには早すぎるといったみたいに。
 
 「やっぱり以津真天さんは神獣だわ。だって、とっても物知りなんですもの。そう、まだ”ギムレットには早すぎるわね”」

 ”ギムレットには早すぎる”これもモノリスさんが教えてくれたこと。

 『カクテルには花言葉のように”カクテル言葉”というものがありまして、このギムレットのカクテル言葉は”Long Goodbye”つまり”長いお別れ”はその中でもとても有名です。元はレイモンド・チャンドラーの小説”The Long Goodbye”のラストシーンに登場するカクテルで、その場面の有名な台詞が”ギムレットには早すぎる”です。そこからギムレットのカクテル言葉”Long Goodbye”は生まれました。逆にそれを飲まないことで『まだ別れたくない』、つまりこの宴を終わらせたくないって意志を示すことにもつながるんですよ』

 まあ! モノリスさんはなんてロマンチックで素敵なことを教えてくれるのかしら!
 カクテル言葉なんて、子供の知らない大人の世界だわ!
 でも、飲まなかったってことは以津真天さんは、まだ物足りないってことね。
 だけど、これを飲んだなら、その時にはきっと満足してあたしを解放してくれるはずだわ。
 よしっ、それじゃ、頑張って”ギムレット”を飲みたくなるくらい満足させちゃいましょ。
 モノリスさんが教えてくれた、あのラーメンも使った常夜鍋を作って。
 あたしはバッグの中からコンビニで買った冷凍ラーメンを取り出す。
 よかった、まだちょっとしか溶けてないわ。

 ボチャ

 凍ったままのまるーいラーメンが汁だけになったアルミの鍋の中にポチャリ。
 なんだか面白いわ。
 あたし、凍ったままのラーメンなんて初めてみたの。
 これって、TVのCMでもやっていない新商品ね。

 「いつまで?」
 「うーん、これが溶けてさらにもうひと手間かけてかしら」

 あたしはモノリスさんの説明を思い出す。

 『常夜鍋は宵夜鍋とも書きます。”宵夜”とは中国語で夜食を意味する”消夜”って話しをしましたけど、夜食となるとやっぱりガツンといきたいんですよ。そこでおススメなのが”冷凍横浜家系ラーメン”!! 豚骨と脂でギットギットなんですけど、満腹感は十分! さらに! あたし流のアレンジ!』

 うふふ、あの時のモノリスさんのテレパシーってば面白かったわ。
 そんな事を考えながら、あたしはじわーっと半分以上溶けた冷凍ラーメンの上にちぎったホウレンソウをのせる。
 さらに豚肉も。

 「い!? いつまでか!?」
 「もっと、もーっとよ」

 もっと水、もっとお酒、もっともーっとホウレンソウ!
 鍋の上がお山になるくらいどんどん入れちゃうわ。
 最初の常夜鍋の汁に残っていた豚肉の脂、冷凍ラーメンから溶け出た豚骨スープの脂、そして今投入された豚肉からの脂。
 それを全て吸収して、ホウレンソウはヒタヒタになっていくわ。
 
 『あたしは家系ラーメンの具でギットギトの豚骨スープの脂を吸ったホウレンソウが好きなんですよ。ジュワッと染み出る豚骨の旨みと脂のコクとホウレンソウの味が二律背反にりつはいはん渾然一体こんぜんいったいになって、とっても美味しいんです。でもラーメン屋でホウレンソウトッピングを追加しても、そのホウレンソウが吸う分のスープの旨みと脂分が足りなくってしまうんです。そこであみだしたのが豚肉の旨みと脂をマシマシにした、この続・常夜鍋!』

 モノリスさんの説明通りにホウレンソウはスープと脂を吸って吸って吸い切っちゃって、お月様の光が反射するほどにテカテカしていくわ。
 
 「いつまで~!?」
 
 もう待ちきれないみたい。
 そうね、そろそろかしら。
 あたしはスープを吸ってヒッタヒタのホウレンソウを紙の器に入れて、以津真天さんに差し出す。
 もちろんあたしの分も忘れてないわ。
 だって、すっごくおいしいってモノリスさんが伝えてくれたんですもの。

 ブシュッ

 ホウレンソウを口にした途端、あたしの口からスープがあふれたわ。
 ジュワじゃないわ、ブシュッよ。
 ホウレンソウがこぼれ落ちるほどの旨みのスープを吸って、さらにそれにホウレンソウ自身の旨みを加えて、お口の中ではじけたわ。

 ブシュッ、ジュルッ
 ブシュッ、ジュルッ

 ジュルジュルと口の中で広がる豚骨の脂っこい味がホウレンソウのさわやかさで中和されていくわ。
 いけないわこれ。
 いくらでも食べれちゃいそう。

 「いつまでか! いつまでか!」

 以津真天さんもあたしと同じ気持ちみたい。
 モノリスさんはホウレンソウは『うそっ!?』ってくらい、たっくさーん入れるのがおススメって伝えてくれたけど、やっぱりモノリスさんは物知りだわ。
 取っても取っても緑の層が消えない鍋って素敵で幸せだもの。
 ほんと、いつまでも食べれちゃう。
 そして……

 『この最初の常夜鍋の残ったスープに冷凍家系ラーメンを入れて、さらにホウレンソウと豚肉を加えて続・常夜鍋を作るのはあたしのお気に入りの夜食なんですよ。豚肉と豚骨の旨みを吸ったホウレンソウが、くどいレベルにまで達したスープの脂と旨みを中和して、いくらでも食べれちゃうんですから。伝統の常夜鍋はホウレンソウと豚肉と水と酒だけで作るものですが、最近のは青菜と豚肉が入っていれば何でもいいみたいですよ。だからこれも常夜鍋なんです。そして、最後のガツンは、麺!!』

 ズルッズルズルズルッ!

 モノリスさんが『最後のシメ!』って教えてくれた麺は、スープに染み出たホウレンソウの緑の色さえも吸っていて、あんなにいっぱい食べたのにスッキリとお腹に入っていくわ。
 以津真天さんも、もう夢中ね。
 だって……

 ズビッズバズババー

 夜の静寂しじまに似つかわしくない音を立てて食べているんですもの。
 そんな中、豚骨の匂いでいっぱいの森の中で、ふわりと爽やかな香りが漂うわ。
 それを口にすれば、きっと脂まみれのお口の中がスッキリしちゃうに違いないわ。
 思わずあたしも飲みたくなってしまうような、そんな爽やかな香り。

 コクリ

 以津真天さんも、それを飲みたくなっちゃったみたい。
 石の上にコトリと置いていたコップを飲み干して、とってもスッキリしたお顔。
 そして”しまった!!”って顔。
 うふふ、作戦通りね。
 
 「あ~ら、以津真天さんは知っていたんじゃないかしら。”ギムレット”のカクテル言葉が『Long Goodbye』ってことを。だからさっきは『ギムレットには早すぎる』って飲まなかったのでしょ?」

 あたしの言葉を聞いて、以津真天さんは空になったコップをじっと見つめるわ。

 「でも、今はそれを飲み干してしまったわ。だから……これを飲んだ以上は『Long Goodbye』よね」
 「いつまでに……」
 「これまでよ。あたしは西に行かなくっちゃいけないの。わかって、お願い」

 あたしの上目使いのお願いに以津真天さんは、ゆっくりとうなづいたわ。
 まるで、自分の行動に責任を取らなきゃいけないって顔をして。
 あら? だけど以津真天さんの指があたしのバッグを指してるわ。

 「これが欲しいの?」

 あたしが差し出したバッグの中をゴソゴソして、以津真天さんはロックアイスとジンとライムを取り出したわ。
 
 「なーんだ、お代わりが欲しかったのね。いいわよ」

 カカンと新しいコップに氷が入って、そこにジンがコポポ、最後にライムがジュワーっと絞られて、以津真天さんの手の中でくるくる回るコップの中で混ざっていくわ。

 「いつまでを」

 その言葉と共に以津真天さんはコップをあたしに差し出す。
 飲めってことかしら、ことよね。
 でも困ったわ。
 だって、あたしはまだお酒を飲んでいいお年ごろじゃないんですもの。
 あれ、でもあたしの手が勝手にコップに向かっていくわ。
 どうしましょ、どうしましょ、とまらないわ。
 ああ、ダメ、とまって!

 ゴクッ、ゴクッ、ゴクゴクッ

 ダメだったわ。
 あたしはこれで悪い子の仲間入りね。
 でも、初めて飲んだけど、すっごく美味しかったわ。
 キンと澄んだ水のような中にライムの酸味と香りがお口にブワァーっと広がってったの。
 しかも、氷で冷たいのにノドに熱く流れていくだなんて、ふしぎふしぎ。
 
 プハァ

 あたしがお酒を飲んだのを見て、以津真天さんはその手を振ってバイバイのポーズ。
 あっ、そうね”さよなら Long Goodbye”するならお互いってことね。
 
 「ありがとう、あたしはもう行くね。これから西に行かなきゃいけないの」
 「いつまでに?」
 「それはわからないわ。でも、この旅のゴールはそう遠くはないわ。なぜだかわかるの。不思議よね」
 
 あたしは朝日に白む空を眺めながら、以津真天さんに手を振り森へ歩きだす。
 赤ずきんでも食べたんじゃない? ってくらい大きくなったお腹の中で、たーっぷりのスープとお酒がチャポチャポと揺れるわ。
 そういえば、モノリスさんが教えてくれたっけ。
 
 『このジンとライムで作るカクテルはシェイカーで作ると”ギムレット”というカクテルになります。ですが、シェイカーではなく、ただ混ぜるだけのステアで作ると”ジンライム”ってカクテルになるんですよ。ちょっと違うだけなのに別のカクテルになるなんて面白いですよね』

 あたしが最後に飲んだのはひょっとしたら、別れのカクテル”ギムレット”じゃなくって、”ジンライム”だったのかも。
 あら? でも、それだったら”ジンライム”のカクテル言葉は何かしら?
 今度またモノリスさんに質問してみましょっと。

 そんな事を考えながら森を抜けると、あたしはアスファルトの道路に出る。
 あの困ったちゃんの木のマークのコンビニはない。
 代わりに見えたのは綺麗な海とーっても大きな橋。
 あれって、あれよね。
 何年か前に開通したってニュースでやってた瀬戸大橋よね。
 あれ、でも何だか違うかも。
 なんだか島々を渡っている大きな橋だわ。
 でも違ってもいいわ。
 あれって、とってもワクワクで素敵なものなんですもの。

 「うわー、おっきーい、ながーい」

 あたしは四国にかかる橋に向かって歩き出す。
 この旅がはわからない。
 行く先がハッピーエンドでないのも知っている。
 だけど、いずれ至るそこに待つものを求めて。
 あたしは朝日を背に歩き続ける。

□□□□
◇◇◇◇

 朝ぼらけの中、小さく遠ざかっていく男の後姿を眺めながら、その”あやかし”はさえずり続ける。

 「いつまで……」
 「いつまで……」
 「いつまで……」

 そのさえずりは不意に止まり。
 そして、風がその身を吹き抜けるだけの時を経て。

 「いつまでその世界を彷徨さまよっているつもりか」

 この言葉を最後に残して、以津真天は飛び立った。
 決して映らぬはずの少女の姿をその瞳に宿しながら。

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